第八節 秘策


「騎竜による夜襲を仕掛けます」


 まったく予想していなかった隊長のその言葉に、私と皇女は言葉を失っていた。天幕の中に沈黙が響いていく。


「この時期に騎竜で……ですか?」

「ああ、そうだ」


 何かの間違いかと思って聞き直したが、どうやら聞き間違いではなかったらしい。隊長の言葉の真意を、未だに理解できない私は皇女へと視線を向ける。その先では、皇女は腕を組み、口元を手で覆いながら地図へと視線を落としていた。隊長の真意を見抜こうと思考を巡らせているらしい。


 確かに、夜襲は戦術としては有効かもしれない。敵の虚を突くという事なら、隊長達なら簡単だろう。だがそれにも問題がある。この夜の冷え込みでは、竜の動きはさらに鈍くなってしまう。まだ煌華こうかの侯ではあるが、それももう終わりの頃合いだ。この時期では夜だとしても昼間のようには動けない。それは隊長も分かっているはずだ。そのはずなのに、隊長は迷いなく夜襲を提案した。その意図が、私には分からなかった。


「敵も間抜けではないでしょう。竜たちの弱点に気が付いていても、不思議ではありません」

「その油断の隙を突く……という事か」

「その通りです。姫殿下」


 隊長の言葉に素早く皇女が反応する。どうやら皇女はこの夜襲の意図を掴み始めているようだ。もう一度地図へと視線を落とす。赤紫の艷髪が皇女の顔を隠すようにするりと揺れ落ちる。


「竜はどうする? 流石に昼間のようには動けないが……」

「時間は限られますが、私の竜たちならば行動可能です」


 隊長のその言葉を聞いた皇女はゆっくりと顔を上げた。隠れて見えなかった皇女の顔は、不敵な笑みを浮かべていた。


「詳しく聞かせてくれて」


 皇女のその言葉を受けて、バーレット隊長が詳細を語り始めた。


 隊長の考えた夜襲は三日後、十分に夜がふけ、太陽が顔を出すまでの数時間のうちに少数精鋭で行われる。隊長の盟竜を二手に分けて侵入し、悟られないよう慎重かつ迅速に、それぞれ別の兵器の破壊を目指す。それまでは、これまで通りに散発的な戦闘を繰り返して夜襲を悟られないように努めるものだった。


「……いかがでしょうか」

「……うむ、悪くないな」


 隊長の言葉に頷きながら、皇女はじっくりと地図を見下ろしていた。そしてしばらくすると、その視線は私へと向けられる。


「今の話、ソニアはどう感じた?」


 私に真っ直ぐ向けられた空色の瞳が、私の言葉を待っていた。隊長の視線もそれに続く。


 夜襲だけなら、もっと暖かかった時期に何度か行っている。やる事はそう変わりない。だが今回それを指揮するのは近衛隊長のバーレット本人だ。今までとは信頼度が違う。成功する確率は高いだろう。だがそれでも、不安要素はある。この地に来たばかりの隊長は、その存在をまだ知らない。


「作戦自体は賛成です。ですが……」


 隊長の知らない存在を、なんとか説明しようと言葉を紡ごうとするが、途中で止まってしまう。


「……あの噂の事が気にかかるのか?」

「噂? いったいどんな……?」


 沈黙していた私に、皇女が助け船を出した。その言葉に僅かに隊長が首を傾げる。その隊長に向かって、皇女が口を開く。


「敵に竜を操れる者がいるんだそうだ」

「竜を操る……ですか?」


 怪訝な顔をして首を傾げる隊長の言葉に、皇女は静かに頷いた。


「もっとも、私もソニアも出会った事など無いのだがな」

「ですが、実際に操られたと言う兵もいます。蔑ろにするのは……」


 ため息混じりにそう付け加えた皇女の言葉に、不安のこもったの声を返し、隊長にその噂を説明する。


 開戦以降、『竜が言う事を聞かなくなった』と言う兵が時折現れた。最初は単純に、戦争という異常な状況に竜達が混乱し、操りきれなくなっただけだと思っていた。しかし、この大渓谷に到達してからは、その報告の数は増えていった。竜騎士、竜使い問わず。攻め手を崩され退却をする事も少なくなかった。


「それも帝国の兵器なのでしょうか?」

「さあな。こればかりは全く情報がない。ここへ来て数は増えたが、少し前は全く聞かなかった。不安視するには、この噂は不確定すぎる」


 皇女は困ったような表情をしながら腕を組みなおし、隊長の言葉に頭を悩ませていた。再び天幕の中が静寂に支配されていく。


 この作戦の要は隊長の盟竜達だ。もし彼等が操られるようなことになれば、夜襲は失敗だ。少ない人員の中で、敵兵だけでなく竜にも牙を向けられたら、私達はなす術がない。最悪の場合は──


「……考えていても仕方が無い。もとよりこの作戦は戦闘は避けていく。加えて竜達は、見えない壁の中には入れない。敵が前に出てこない限り操られることもないだろう」


 皇女は強めの言葉で、暗くなっていく空気を打ち払う。それに加えて、軽く手を鳴らした。


「さぁ、私達も準備をしよう」



 ✱✱✱



「なぁ、ソニア」


 作戦の詳細を決めた後、自分の天幕へと戻る道中。隊長が私に声をかけてきた。その言葉に足を止めて振り返る。夜風が髪の隙間を縫って肌をなでる。


「なんでしょうか?」

「……一つ、気になっていることがあるんだが……」


 そう言う隊長はどこかバツが悪そうな表情をして、東の岸壁を見上げていた。


「俺達……攻めているんだよな……」

「……はい?」


 そう語る隊長の不安混じりのその声音が、私の内側に小さな靄を作り始める。


「相手は帝国で、大軍勢で、攻め入る準備をしていたんだよな……?」

「ええ、ギルベルト宰相閣下はそうおっしゃっておりました。なので、先んじて姫殿下が先制攻撃を……」

「お前は、おかしいと思わないか?」


 私の言葉が終わる前に、隊長が私に問い掛けてくる。その言葉の真意をつかめず、黙り込んでいると、隊長は岸壁を見つめたまま再び口を開く。


「いくら先制攻撃が成功していたとしても、相手は戦い方を知り尽くしている帝国だ。対策くらいいくらでも打てたはずだ。なのにここまで攻められている……」


 隊長はそこで言葉を切った。その妙に落ち着いたその声とは裏腹に、どこか不安そうで、どこか納得のいっていない表現は、私の心の靄を大きくする。

 順調すぎるのではないかと、隊長は思っているらしい。だがその懸念は杞憂だ。私はここで戦ってきた。隊長よりも、この戦いの様を見てきた。だからこれだけはハッキリとわかる。


 この戦果は疑いなく、私達の力で得たものだ。仮にこれが帝国の罠だとしても、私達なら打ち破ることは十分に可能だ。それができなかったとしても、私たちの後ろには、武勇に優れた皇女シルヴィアと五皇竜の一角である灼竜皇アグニクスが控えている。心配することなど何もない。


「それは、私達の力が敵の予想を上回っていただけなのでは? 隊長は少し考えすぎだと思います」


 自分の中の不安を振り払うように言葉を返す。その言葉に反論することも無く、隊長はただ東の空を、そびえる岸壁を見つめていた。


「……だと、いいんだけどな」


 そう言い残して、隊長は私の横を通り過ぎながら、天幕の群れの中へと消えていった。




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