第七節 才覚者



「すまないな、二人とも」


 騎士団の仮拠点の中で、一際広い天幕の中に入ると、皇女シルヴィアが出迎えてくれた。そのまま奥へと通されて、中央の大きな地図の置かれた机の前で立ち止まる。


「早速で悪いが、まずは状況の確認から入ろう」


 そう言って皇女は、厳しい面持ちのままバーレット隊長へ現状の説明を始めた。


 はっきり言って、状況はとても良くない。それは私や、シルヴィア皇女はもちろん理解している。それに加えて、他の竜騎士や竜使い達も自分の友である竜の具合いを見れば察しはつくだろう。開戦当初から比べると、明らかに竜の動きが鈍くなっているからだ。


「まだ先かもしれないが、いずれここにも雪が降り始めるはずだ。そうなる前に、この大渓谷を抜けなければならない。出来なければ……私達の負けだ」


 険しい表情のまま告げられた皇女のその言葉は重く、天幕の中の空気を私たちの背に押し付けてくる。『負ける』──その言葉が、頭の中で小さく木霊していく。


 私達の戦力は、そのほとんどが国中から集まった商人や農民達だ。武器など手にしたことのない彼等ではまともに戦えるわけもない。そんな彼等を先導し先頭に立って戦っているのが、各領土を守護する竜騎士と、竜使い達なのだ。彼等の奮闘があってこそ、ここまでの快進撃ができた。つまりは、竜たちが戦えなくなれば私達は戦うことが出来なくなる。その刻限が、もう目の前まで迫ってきている。


「大渓谷の中は複雑な迷宮そのもの、地の利のない私達ではどうしても後手に回らざるを得ない」

「……なるほど。それでが呼ばれたという事ですか」

「ああ、そうだ。理解が早くて助かるよ。バーレット」


 厳しい声音の皇女の説明に、隊長がいち早く理解を示した。隊長と隊長の盟竜達ならば、この状況を覆せるかもしれないからだ。


【アレス・バーレット】

 竜騎士として王都に登り、若くして王族近衛の隊長の座を掴んだ才覚者だ。彼の最も優れた能力は武勇ではなく、竜騎士としての才能だ。彼は王国内唯一、となった竜との契約を果たしたのだ。そしてその竜達は子を産み、群れを成し、今では五匹の竜が、隊長の指揮の元で精密な連携を取っている。

 竜使いとしての技量も兼ね備えている隊長は、人竜問わず、育成にも力を入れている。仲間から寄せられる信頼も一際大きい。私もそのうちの一人だ。彼ほど頼れる存在はいない。


「分かりました。私達で渓谷内の偵察と、強襲を担えば宜しいのですね?」

「そうだ。だが最優先は別にある」

「別……? それはいったい……」

「見えない壁があるんです。竜たちだけ通さない、見えない壁が」


 皇女と隊長の会話に横から参加する。私の言葉を聞いた隊長は、目を丸くしていた。きっと何を言っているのか分かっていないのだろう。流石の隊長でも、こればかりは実際に体験してもらわないと分からないはずだ。


「正体は分かっている。帝国の兵器だ。姿形も分かっているが何せこの地形だ、何処に有るのかを探すのにもひと苦労していてな」


 皇女の言葉に我に返った隊長は、口元に手を当てて考え始めた。私達の言葉を信じて、思考をめぐらせている。


「……おおよその位置などは?」

「把握している。おそらく兵器は三つある。どれか一つでも破れれば、あとはなんとかできるのだがな……」


 皇女のその言葉を聞いて、隊長は再度思考に潜る。そしてしばらくして、眉間にシワを寄せた顔を上げた。


「幾つか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「構わない。話してくれ」


 皇女の返答に頷き、隊長は一つ呼吸を置いてから口を開き始める。


「空からの攻略はできませんか? 大渓谷とはいえ、天まで達するものでは無いはずです。上空からなら、兵器の位置も判るはずです」


 隊長は机に置かれた地図を指差しながら皇女へ視線を向けていた。それを受けた皇女は、彼の視線を私の方へと誘導する。


「既に試しました。上空には壁は存在しません。ですが……無理でした」

「無理……?」


 その言葉に答えるように、私はこの目で見たものを隊長に伝えた。


 大渓谷の上は、まるで切り落とされたように平坦な岩肌が広がっていた。そしてその岩肌の至る所に、帝国の大砲が備えられていた。その数は無数。数える暇すら与えない砲弾の嵐を躱しながら、渓谷内の様子を探るのは不可能だった。


「ソニア達でも困難なのだ。他の誰にも出来はしない。みすみす翼竜を失うようなものだ」


 現状で一番速く飛べるのは私とククルスだ。その私達ですら避ける事で精一杯だった。私にもっと力があれば、私だけでも打開出来たかもしれない。そう考えると、不甲斐ない思いで胸が重くなり、思わず顔を落としてしまいそうになってしまう。


「……ソニア。そう自分を責めるものではないよ」

「殿下……申し訳、ありません」


 どうにも顔に出てしまっていたらしい。皇女が優しく微笑みながら言葉を掛けてくれた。


「ふむ。では、もう一つ。姫殿下、殿下と灼竜様のお力で、渓谷ごと焼き尽くすことは可能でしょうか?」

「な……隊長!? いくらなんでもそんな事──」


 予想もしていなかった言葉に、大きな声を上げてしまうが、皇女の手が、私の言葉を押し留めた。そして視線の先にいる隊長は、真剣な表情を皇女に向けていた。その視線を受けた皇女は、一度瞼を閉じて思案する。そしてゆっくりと瞼を開ける。


「ああ、可能だ。だが、この手段は最後の最後だ。できれば使わずに進みたい」

「……理由を、お聞かせ願えますか?」


 隊長の言葉に頷き、皇女は答え始めた。


「この大渓谷のおかげで、この向こう側の気候は穏やかなものになっていると聞いている。そんな中で穴を開けてしまえば、向こう側に行く意味すら消えてしまう。本末転倒というものだ。それに……」


 皇女はしなやかな指を伸ばして、地図上に描かれた大渓谷をなぞる。


「この谷は王家の谷と呼ばれていた頃がある。大昔の話だがな。ここには先代国王、ひいては王族の墓所ともなっていたそうだ。そんな場所を焼き尽くすなど、あまり考えたくはないからな」


 そう語る皇女は、どこか物憂げな表情を浮かべながら視線を地図へと落としていた。


 私も詳しい訳では無いが、この場所が王国領であったのはもう何百年と昔の頃だと、読み聞かされたような気がする。そう考えれば、今の王国にはその頃を知る人物はいない。それでも、皇女はこうして思いを馳せてる。この国を真に愛して、護ろうとしているのがその眼差しから伺える。


「そうでしたか……知らぬとはいえ、無礼な発言をどうかお許しください」

「よい。顔を下げるな、バーレット。私も最後の手段と言った。その時は躊躇などしないさ」


 皇女の言葉を受けた隊長は、静かにその腰を折った。それをすかさず穏やかな口調で皇女が止める。


「それで、近衛隊長殿。この状況、お前ならどう動く? 忌憚きたんない意見を聞かせてほしい」


 皇女は腕を組みながら、隊長に話を切り出した。それを受けて、隊長は再度口元に手を当て考え始める。さっきよりも長い時間の沈黙が、天幕の中を満たしていく。


 机の上に置かれた地図を隊長はじっと見つめ続ける。いくら才覚のある人物とはいえ、そう簡単に打開策を思いつけるものなのだろうか。


 この数日、私達も何も考えていなかった訳ではない。むしろ今置かれている状況は、隊長よりも理解している。私達で出せなかったものが、ついさっき到着した隊長に出せるのかと、少しばかり不安になってしまう。


 そんな中、隊長が口元から手を離して視線を上げた。その横顔からは、私の不安など消し去ってしまうような、力の篭もった瞳があった。


「聞かせてくれるか? バーレット」


 隊長の表情から何かを察した皇女が、僅かに笑みを浮かべながら隊長の言葉を促した。それに応えるように、その力の篭もった瞳を皇女へ向けた。


「仰せのままに、姫殿下」

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