第六節 募る不安


 同日 ドーラ森林西部 王国騎士団駐留拠点



 騒動から数時間と時が流れた。日は沈み夜のとばりに包まれた天幕の中で、ある人物の訪れを静かに待っていた。


「すまない。遅くなった」


 その声と共に、皇女シルヴィアが天幕の中へと入ってきた。


「姫殿下……あの、お身体の方は──」


 騒動の最中その姿を忽然と姿を消した皇女は、多少の火傷を負い険しい表情を浮かべながら帰ってきた。何が起きたのか聞けば、敵と戦ったと答えるだけだった。だが、それだけではあの険しい表情の説明がつかない。


「心配ない。今は彼の話の方が優先だ」


 皇女はそう言って、寝台のそばに設けられた椅子へと腰掛けた。その後ろに、私とバーレット隊長が並んで立つ。


「すまないが、話を詳しく聞かせて欲しい」

「──はい。姫殿下──」


 一呼吸置き、皇女は寝台に横たわる青年に視線を向けた。数時間前に暴れていた蜥蜴竜の竜使いの青年だ。青年はゆっくりと身体を起こそうとするが、上手く身体が動かせないようで手こずっている。私は寝台の反対側に回り、青年の背中を支えた。


「正直なところ……何故あのようなことになったのか、私にも判らないのです。訓練は十分に積んだと自負しておりました。カロルもそうです……契約こそ交わせませんでしたが、ここまで共に戦ってきました」


 そう語る青年の表情からは、悔しさが滲み出していた。


「カロルというのが、あの稲妻を操る竜のことか?」


 腕組をして黙々と話を聞いていた隊長が口を開いた。


「はい。私が見つけ育てました。北の山脈の麓で、小さくなって……まるで何かに怯えているようでした……」

「竜が、怯える……?」


 その青年の言葉に違和感を覚え、思わず声に出てしまった。


 竜は、この大陸の生態系の頂点に君臨する生命体だ。そんな存在である竜を脅かす物が存在する事など、正直なところ信じ難い。


 青年は、険しい表情のまま俯いていたが、思い出した様に顔を上げた。


「そういえば、あの時のカロルとどこか似ている様な気がします……」


 青年はそう言うと、寝台から身を乗り出しそうな勢いで、険しい表情の皇女へと身体を向けた。


「姫殿下! どうかお願いします。今回の件、責任は全て私にあります。どうか処罰は私だけに、カロルにはどうかお慈悲を……」


 おぼつかない動作で頭をたれる青年の肩に、皇女はゆっくりと手を置いた。


「心配する事はない。カロルは無論、お前にも罪は無い。今は竜共々ゆっくり休め」


 皇女の穏やかな声音が、青年の強ばり震える身体から力を抜かせ落ち着かせる。


「……申し訳ありません。少しでも戦力が必要なこの大事な時に──」

「問題は無い。時期に王都から近衛隊の指揮する援軍が到着する頃だ。姫殿下の為を思うなら、今は休め」

「……承知致しました──」


 隊長の言葉にそう答える青年の肩から手を離した皇女は立ち上がる。


「ありがとう、後はゆっくりと休むといい。ソニア、バーレット、後で私の天幕に──」

「仰せのままに、姫殿下──」


 そう言い残し、皇女は天幕から立ち去った。それを見送り、青年を寝台に横にさせて立ち上がる。


「ソニア、どうした? 顔が暗いぞ?──」

「え……いえ、なんでもありません──」


 隊長が心配そうに私を見ていた。その視線から逃げるように俯いてしまった。


 私達から視線を外して天幕をくぐるまでの僅かな時間、皇女の横顔は険しいままだった。あの騒動以降垣間見るその表情は、私の不安を募らせていく。


「それでは失礼します、どうぞお大事に──」

「あ、おい──」


 その視線から逃れるように、足速に天幕から立ち去った。


「おいソニア、待てって──」

「っ──」


 私の後を追って隊長が天幕から出てきた時、冷たい風が頬を撫でた。その風に少し身体が震えて足が止まり、思わず自分の肩を抱いた。


「案外冷えるな……もうそんな時期か」

「みたいですね──」


 昼間の暖かさは、夜も更ければその影もなくなりこうして凍てつく季節の到来が間近に迫っている事を知らせてくる。もう時期暦が変わる。普段であれば零華れいかの候を乗り切る為に備え始める頃合だ。


 竜は寒さに弱い。本格的に雪が降り始めれば、竜達は動くことすらままならなくなる。そうなれば、私達は為す術なくこの戦争に敗北することになる。


「……」


 無言のまま、闇夜の中に僅かに見える岩壁へと視線を向けた。

 丘陵地帯での戦い以降、王国騎士団の閃光のような快進撃は、その勢いを完全に失っていた。ここに拠点を構えてから二十日以上が経過している。何度か進軍を仕掛けはしたが、ことごとく退却を余儀なくさせられていた。


「ソニア──」


 かけられた声に反応し、岩壁に向けていた視線を正面に戻す。その先には、皇女の天幕へと向かう隊長が私の歩みを促していた。


 その視線を受けて、私は歩を進める。


「急ぎましょう──」


 そう言いながら、隊長のすぐ横を通り過ぎる。


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