幕間 増える謎、深まる疑念


 同日 ドーラ森林西部 ガレオ大渓谷岩壁付近


 一人の兵士が、大渓谷の赤い岩壁の前に佇んでいた。


 騎士団の仮拠点からそう遠くない距離にある大渓谷の岩壁に、一人の兵士が立っていた。その身に王国兵の装備を纏っている。

 あの騒動の中、この兵士だけが遠巻きに事態を見つめていた。その行動を不審に思い、ここまで跡をつけてきたのだ。気配を悟らせないよう十分以上に距離を開けている。


(妙だな。ここまでの足取りに全くの迷いがなかった──)


 ここはドラヴァニア王国領では無い。本来なら土地勘など無いのが当然なのだが、この兵士はほぼ一直線にこの場所までたどり着いた。

 その兵士はしきりに辺りを見回し、人気がない事を確認すると岩壁へと手を伸ばした。すると、一枚の岩盤だと思っていた場所がゆっくりと横に動き始めた。


(っ!? 隠し通路? 何故そんな物が──)


 動いた岩盤の向こう側から、別の人影が現れた。深く外套を被っていて人相などは全く分からない。


「実……は……う……た──」


 風に乗り、僅かだが声が漏れ聞こえてくる。断片的すぎてどんな内容なのかまではこの距離では聴き取れない。距離を詰めたいが、あの兵士は必要以上に周囲の警戒をしていた。無闇に動くのは得策では無いだろう。


(帝国の密偵か? )


「こ……我らが……たせ……」


 背中越しで兵士の手元は見えないが、兵士が外套の人物に何かを手渡そうとしていた。


「全て……メラ……に──」


(いったい何を……っ!?──)


 少しでも何かを視界に捉えよう覗く位置を変えた時だった。


 隠し扉の向こう側、暗闇の中から人影の纏う外套の袖が伸びてくる。その痛みの激しい外套の袖口から腕が伸びてくる。だがその腕は、


 その腕の色は指の先まで黒かった。掴むもの全てを飲み込むかのように深く、ただひたすらに暗い闇色。三日月のように曲がり、不気味な程に長い指、その指とは不釣り合いなほど小さい掌から三本伸びる異形のかいな


 そして、私はその腕を──


(アグニクスが感じたのは奴の気配か──)


 ──僅かだがの気配がする──


 灼竜は私にそう告げた。最初は何かの間違いだと疑っていた。奴等がこんな場所に現れるわけは無いのだ。だが奴等の気配は感じ取ることができるのは竜達だけ、それが僅かなものであるなら五皇竜でなければ気付くことすらなかっただろう。


(せめて得物さえあれば──)


 奴等を屠る事こそが、竜と私達王家の果たすべき使命。だが奴等は危険過ぎる。素手では到底敵う相手では無いのだ。


 黒腕が扉の向こうへと消えていき、隠し扉がゆっくりと閉じられていく。私はその光景を、息を潜めながら黙って見ているしかなかった。

 役目を終えた兵士は、元来た道を戻ろうと振り返り歩き始める。その行く手の先に潜む私との距離が近くなっていく。


(だが、このままにはしておけんな──)


 こうなった以上、この男は野放しにはできない。奴等の存在を知っているのは竜達と竜騎士となった王族のみ。聞かなければならないことが山ほどできた。


「こんな所で何をしているのだ?──」

「っ!? し、シルヴィア殿下」


 隠れていた木の影から、男の正面へと進み出る。男は驚きはしたものの、すぐに平静を取り戻していた。

 色々と疑念を巡らせているだろう。だがそれを表情に出すことはなかった。他の兵士達同様の振る舞いを見せはじめた。


「巡回にございます。いち早く帝国の動きを調べようと、岩壁付近の偵察を──」

「──丸腰でか?」


 男の言葉を途中で遮る。その言葉に一瞬顔を歪めて言葉を詰まらせたが、すぐに平静を取り戻す。

 どうやらこの場をやり過ごしたいらしい。さっきの光景を見られていないと思っているのだろう。だがその行動は、私を徐々に苛立たせていく。


「私は足自慢にございます。身軽ではあればそれだけ──」

はなんだ?──」


 痺れを切らして再度男の言葉を遮った。その言葉の瞬間、男の表情が激変した。平静を保っていた表情は消え失せ、怒りや憎悪といった感情がその表情から溢れ出していた。


「もう一度聞くぞ? さっきのはなんだ!──」


 語気を強めながら言い放つ。すると男は踵を返し、隠し扉の方向へと逃げていく。足自慢というのは嘘ではなかったらしい。瞬く間に離れていく。


「っ! 逃すわけがないだろう!──」


 すぐさま大地を蹴り速度を上げる。


(人の身にしては中々の速さだが──)


 いくら相手が足自慢であっても、竜騎士のそれには敵うはずもなかった。開いていた距離はあっという間に縮まっていく。

 もう少しで手の届く距離まで近づいた時、兵士は急停止して振り返りながら腕を突き出した。その手には刃が握られ輝く切先が目前まで迫っていた。


「っ!?──」


 瞬時に身をよじりながらその刃をかわす。崩れた体勢のまま地面を転がり、勢いを殺して停止する。


「貴様っ!──」


 苛立ちが増し、声が荒くなる。すぐさま顔を上げて兵士の行方を探ろうとしたが、予想外にもその兵士は、刃を向けたまま私に突進してきていた。


(私をここで殺すつもりか!?──)


 身体を起こして身構える。兵士の繰り出す攻撃は鋭く、その全てが正確に急所を狙って来ていた。その猛攻を躱し、時に受け流しながら後退する。だがそれでも、その速さは人間の域を出ない。


「その程度で──」


 兵士が刃を突き出した直後、その腕を弾いて兵士の動きを鈍らせる。


「私を殺れると思うなよ!──」


 無防備になった懐に、固めた拳を突き入れる。


「なっ!?」


 その拳は寸前で避けられる。そして兵士は流れるような手捌きで私の腕を絡め取りながら背後に回った。


「ふっ──慢心したな、愚かな姫よ」

「この……ぐっ──」


 勝ち誇るような声音で口を開いた。勝ちを確信したのか、その口調からは嘲笑うような気配を感じた。その男の腕から逃れようと抵抗しようとするが、取られた腕を絞めあげられ、膝を尽かされる。


「無駄だ……竜騎士とて所詮は人間。脆い部分は変わりない。貴様の負けだ──」


 男の手が首元に寄せられ、首筋に冷たい物が添えられる。感触で何かは察しがつく。小さな刃物だ。大したものではなさそうだが、この状況で人を殺すには十分過ぎる凶器だった。


(……致し方ない……か──)


「自身の愚かさを呪うがいい……」


 首筋の刃物にゆっくりと力が込められる。


「慢心しているのは貴様の方だ下郎め──」

「何?」


 私の言葉に、男の動きが一瞬止まった。その一瞬の隙に、身体の中に眠る魔力を瞬時に引き上げて爆発させる。


 自身を中心にして地面に赤く輝く魔法陣が現れる。


「っ!?──」

「遅い!──」


 次の瞬間、魔法陣が霧散すると同時に紅蓮の焔が渦を巻きながら立ち昇る。


「ぐあああああああああああ──」


 男は悲鳴を上げながら私の腕を解放する。その直後、立ち昇る火柱を消失させる。


「はぁ──はぁ──」


 荒くなった息を整えながら立ち上がり、ゆっくりと振り返る。すぐ側には大渓谷の切り立った岩盤が広がっていた。黒焦げの兵士は天を仰ぎながらさっきの隠し扉のあった岩盤に背を預けていた。


「王族を……舐めるなよ──」


 服から白煙をたち登らせているその兵士を見下ろしながら言い放つ。

 自分自身を巻き込んでまで魔法を使うとは思っていなかったのだろう。無論、私も無傷とはいかないが、竜騎士の身体は頑丈だ。多少の無理も押し通せる。


「加減はした、まだ生きているな。大人しくしてもらうぞ……聞きたいことが山ほどある──」

「……ふ──やはり愚かだな」


 捕らえようと一歩踏み出すと、兵士は薄ら笑いを浮かべながらそう口にした。


「何も知らぬ、偽りの王族よ。貴様らの時代は時期終わる……」

「何? っ?!──」


 その言葉の直後、頭上から爆発音が聞こえてきた。見上げれば、岩盤の一部が砕け、一直線に落下してきていた。それに連鎖するように、二発三発と爆発が起こり、雪崩のように押し寄せてきた。


「断罪の時来たれり……宿願はここに果たされる──」


 焦る気持ちを抑えながら、男に視線を戻す。最早動くことすら諦め、焦点の合わない虚ろな目がどこかを眺めていた。


(くそ!──)


 この男を担いで逃げる事を考えたが、そんなことをしている暇は無さそうだった。全力で後ろに飛び退く。


「全ては我らが──」


 その言葉の途中、男は岩の雪崩に飲み込まれていった。次第に静けさが周囲を支配していく。


「いったい何者だ──」


 その疑問だけが、私の頭を混乱させていた。


 帝国の密偵だと決めつけていたが、あの男は信じられない事にとの接点を持っていた。言葉をかいさない奴等と、いったいどうやって行動を共にしているのか、そもそもどうやって接触したのかも想像がつかない。それ以前に、と手を組めるはずがないのだ。にとって、の物はただの餌でしかないはずなのだ。


 そして最後に遺した言葉が、私の推測をさらに揺らがせている。


「……何がどうなっているのだ──」


 理解の及ばない出来事の連続に、思わず唇を噛み下を向いてしまう。その時、視界の隅に光るものが見えた。


「ん? あれは──」


 近寄って、その手に取る。それはあの男が持っていた最初の刃だ。それは見覚えのある装飾の施された儀礼用の短剣。国王王妃を殺した者達が持っていた物と同じ物だった。一つだけ違うのは、短剣の柄にある筈の宝石が見当たらないだけだ。


「……これ以上は無理か──」


 現時点では、考えてもこれ以上は見えてこないだろう。この場所に長居するのも得策では無い。それ以上に、これは私一人では荷が重すぎる。


 私は手に取った短剣を懐に仕舞う。次第に闇が深くなる森から逃げるように、足速にその場所を後にする。

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