第五節 窮地
二匹の竜が、互いの咆哮をぶつけ合いながら対峙する。それを目の当たりにした周囲の兵士達は雲の子を散らすように霧散していった。
「ククルス! あの竜の動きを止めて!」
「クルー!」
一声鳴いて返事をすると、翼を広げてふわりと浮かび蜥蜴竜の周囲を旋回する。ククルスが蜥蜴竜の気を引いている間に、皇女のそばへ駆け寄った。
「姫殿下! ご無事ですか!」
「私は大丈夫だ。だが、彼の怪我が酷い。早く手当を」
皇女の腕に抱かれているその青年は、目立った外傷は見当たらなかった。そのかわりに、衣類の至る所に焼け焦げたような跡があり、その独特な匂いが漂っていた。
「だ……め、だ……」
どうやら意識はあるらしい。枯れたような声で何かを訴え始めた。
「無理に喋るな。身体に障るぞ……」
「上、は……だ……直ぐに……離れ、ろ……」
皇女の呼び掛けに答えることはなく、苦しそうな表情を浮かべながら、震える腕を私に伸ばしてうわ言のように呟いている。
「? 大丈夫です、早く安全な所へ──」
「上から、は……ダメだ。竜を……早く」
「……っ!」
その言葉の後、チクリと肌を刺す感覚がした。何か嫌な予感が頭をよぎり、顔を上げて二匹の竜がいる場所へと顔を向ける。その視線の先には、ククルスが今まさに蜥蜴竜の首元を脚で押さえつけて動きを封じた所だった。
そのまま二匹の竜の闘いを見守る。するとまた、何かがチクリと肌を刺す。その時、視線の先である変化に気が付いた。押さえつけられている蜥蜴竜の白い体毛が徐々に逆立ち、淡い光を帯び始めた。
「っ! ククルス! 離──」
次の瞬間、蜥蜴竜の身体を守るように渦を巻く無数の稲妻が迸る。その稲妻は、触れていたククルスにも絡みつき
「ククルス!」
稲妻が霧散していく。ククルスは呼び声に答えることは無く、その場でよろめき倒れそうになるが辛うじて踏み止まる。
蜥蜴竜はその隙をつき、するりとククルスの脚から抜け出して巨顎を広げてククルスの首筋に喰らいつく。完全に体勢を崩されたククルスを、その勢いのまま押し倒す。
「っ! ──ダメッ!」
そう叫ぶ時には、既に身体は動き出していた。一直線に駆けながら、長槍を拾いあげていた。切先を蜥蜴竜に向ける。その無防備な背中に飛びかかりその勢いをのせて心臓を貫く瞬間までの挙動を、瞬時に頭の中で組み立てていた。
(姫殿下……灼竜様、申し訳ありません。でも──)
心の中で謝罪する。動き始めた瞬間から既に、自分の心に迷いは無かった。
(あの子だけはダメなんです──)
例え、仕える主の命令であってもこれだけは譲れない。
(ククルスだけは──)
例え、自分の命と引き換えにしても、あの二人から託された竜を失う訳にはいかないのだ。
「……殺らせない!」
助走は十分にとった。飛びかかれる間合いまであと少し、槍を握る手に力を込めた。
「下がれ!」
飛びかかろうとする直前、どこか聞き覚えのある男の声が私の動きを妨げた。地面を滑りながら勢いを弱めて動きを止めた私の真横を、一本の弓矢が通過する。そしてその矢を追いかけるように、複数の影が風のように駆け抜けていった。
放たれた矢は蜥蜴竜の顔のすぐ側を音を鳴らしながらすり抜ける。音に驚いた蜥蜴竜は、ククルスの首筋から巨顎を外して後退る。そしてその蜥蜴竜を先程の影が取り囲む。
その影は四つ、人と変わらない大きさ、長細くしなやかな尾、手と脚に付いた鋭利な鉤爪を持った蜥蜴顔の竜が、それぞれ違った鳴き方で脅すように吠えたてる。
「全員、今すぐ耳を塞げ!」
「っ!──」
現れた四匹の小型竜とこの声で、今から何が起こるのか理解した私は、すぐさま槍を捨てて耳を塞ぐ。
男は叫び終えると、すかさず指笛を鳴らす。すると、取り囲んでいる四匹の竜の口元に黄色い魔法陣が出現して直ぐに霧散し、竜達は困惑する蜥蜴竜に向けて口を開く。
その直後、四匹の竜の咆哮が轟く。その咆哮は重なり、響き合いながら、自分達よりも大きな竜へと襲い掛かる。耳を塞いでいても全身を揺さぶるその轟音は、瞬く間に蜥蜴竜の意識を奪っていった。
「……ククルス!」
蜥蜴竜が倒れていくのと同時に、そのすぐ側で横たわっているククルスの元へと駆け寄った。
「ククルス! ククルスしっかりして!」
ぐったりとしまま瞳を閉じたククルスの首元に手を当てながら名前を呼ぶ。するとゆっくりとその瞼を開けて私を見つめた。
「ククルス! あぁ……よかった」
意識を失っていたのだろう。さっきまで感じられなかった彼女の感情の波が、心の中に流れ込んできた。
その波に安堵して、瞳の奥から溢れ出してきた。それを隠すようにククルスに顔を押しつけた。穏やかに脈打つ彼女の鼓動が、私の心を穏やかにしてくれる。
「うん。傷もそれほど深くはなさそうだ。これなら四、五日といったところだな」
先程よりも近くで男の声が聞こえる。そのどこか懐かしく、聞き慣れた男の声のする方へ視線を向ける。
「バーレット隊長……」
「久しぶりだな。ソニア」
そこにいたのは、王国近衛隊隊長アレス・バーレットの姿があった。
本来であれば、彼が王都から離れることは無い。王族、特に国王のすぐ側に控えているのが彼の務めでもある。現状では、第一皇子のジュリアスの傍にいなくてはならないはずだった。
「なんで……隊長がここに? まさかジュリアス殿下が」
「いいや、ここに来たのは俺一人だ。ジュリアス殿下の命により、お前達の加勢に来た」
そう言いながらバーレットは立ち上がり、辺りを見回し始める。
「でだ。その事をシルヴィア殿下に御報告したかったんだが、天幕に戻られたのか?」
「いえ、姫殿下ならそちらに」
バーレットの言葉に答えながら、シルヴィアがいるであろう場所に視線を向けた。だがそこには、傷を負った兵士を抱えた皇女の姿はなく、別の兵士の姿があった。
「姫殿下はどちらに? 天幕に戻られたのですか?」
その別の兵士に皇女の行方を聞くが、何やら困惑していた。
「い、いえ、それが……。気がついた時には何処にも……」
「……そんな」
もう一度周囲を隈無く見渡す。皇女の姿を捉えることは無かったが、何故か視線は東側へと惹き付けられた。夕陽を浴びてさらに赤みの増した大渓谷の岩壁と、風になびく深緑の木々が視界いっぱいに広がるだけだった。
「……殿下」
だが心做しか、風になびくその深い緑は、どこか怪しく揺らめいているようにすら見えた。
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