第四節 暴走


 皇女が向かったとされる人だかりへと到着する。周囲を見渡すが、見えるところには皇女シルヴィアの姿はなかった。


「……いったい何事ですか!」


 騒然としている中で声をはりあげる。すると近くにいた兵士が振り返り慌ただしく駆け寄ってきた。


「フレメリア卿! 突然竜が暴れて出して……今姫殿下が止めようと」

「っ! 道を開けなさい! 早く!──」


 その言葉を最後まで聞く前に人の群れへと身体を投げ出し、中へ中へと掻き分けて突き進んでいく。

 行く手を遮る群衆の隙間から、次第に光が見え始める。そして次の瞬間視界が開け、身体が解放される。


 目の前には、信じられない光景が広がっていた。


「これは……姫殿下!」

「っ! ソニアか!」


 私の声に気がつき、皇女は視線をこちらに向ける。彼女の腕の中には、一人の兵士が抱えられていた。その二人を守るように数人の兵士達が武器を構えていた。そしてその矛先には、咆哮を放ちながら無差別に暴れる一匹の竜の姿があった。


 薄い茶色の皮膚、四足の短い脚、長く伸びる尾、そして頭部から背中にかけて白い体毛の生えた竜が、自身の周囲を囲む兵士達を威嚇しながら尻尾を振り回していた。一見蜥蜴のようにも見えるその竜の背中には、竜使い用の騎乗具が取り付けられていたがそこには竜使いの姿はなかった。


(初めて見るな──)


 騒然としている中で、見たことの無い種類の竜に視線を奪われていた。少なくとも王都と故郷にはこの種の竜は見たことがなかった。その蜥蜴竜は咆哮をまき散らしながら、じわりじわりと皇女の方へと迫っていた。


(っ! 今は殿下の安全が最優先)


 ふと我に返り周囲を見渡す。周囲の至る所には武器が散乱し、竜の攻撃を受けて倒れている兵士が数名倒れている。動きは鈍いが皆生きているようだ。一刻も早く止めなければ、被害はさらに広がることは目に見えて明らかだった。


「……くっ」


 すかさず、身近に落ちていた弓矢を手に取り一息で矢を引き絞り、竜の頭部に狙いを定める。


「ダメだ! ソニア、撃つんじゃない!」

「っ!?──」


 皇女の叫び声に驚き、反射的に矢を放ってしまった。


「しま──」


 放たれた矢は風邪を斬り、音を上げながら暴れる竜の鼻先を掠めていった。その矢と音に怯んで、一瞬その動きが鈍った。


「殿下! 何故です!? 一刻も早く止めないと」


 当たらなかったことに安堵しながら、皇女に向けて叫ぶ様に問い掛ける。


「アグニクスの前だ! 絶対に傷をつけてはならん!」

「しかし、殿下!」

「ダメだと言っている!!」


 叫び声の応酬の中、先程の皇女の言葉が蘇る。灼竜はあまり人間が好きではない。もしこの場でこの竜を殺めることにでもなれば、灼竜が黙ってはいないと言いたいのだろう。


(でも……このままじゃ──)


 だが、そんな事を言っていてはこちらに死者が出かねない。


「フレメリア卿!」

「……っ!」


 不意に名を呼ばれて我に思考の底から呼び戻される。先程まで怯んでいた竜が、怒りをあらわにしながらこちらに突進してきていた。


 矢を放とうと身構えるが、皇女の言葉が蘇りその動作が止まってしまう。


(しま──)


 目の前の巨顎が広がる。三重に敷き詰められた鋸状の歯が私を捕えるために剥き出しになる。避ける暇など最早ありはしなかった。


「っ! ソニア!」


 命の危機がすぐそこまで迫っているというのに、皇女の声だけははっきりと聞こえてきた。やがて音が消え、目の前の景色から色が消えた。すぐそこまで迫っているはずの巨顎は、その動きが酷く遅くなり、止まっているようにも見える。


(あぁ……これは、ダメだ)


 これは死の直前だと、そう思わせるような現象が私の心を妙に落ち着かせる。こんな形で死が訪れるなんて考えてもいなかった。たが、人が死ぬ時はいつも唐突だ。前触れなどなく突然現れ、呆気なく消えていく。


 ただぼんやりとゆっくりと迫る巨顎を眺めていると、ふわりとした風が頬を撫でた。


(え──)


 次の瞬間、穏やかに流れていた時間がその遅れを取り戻すように音と色が急激に動き始める。同時に、横殴りに吹く激しい烈風が目前まで迫っていた蜥蜴竜を吹き飛ばし、その場所に見覚えのある影がゆっくりと降り立った。


 しなやかな灰色の竜鱗、二対四翼の細身の翼。首から尾の先、四足の脚の先まで流れるような曲線美を持つ肢体。そして宝石のように煌めく翡翠の瞳をもつ翼竜──盟竜ククルス。


「……ククルス!」


 私の呼ぶ声には見向きもせず、臨戦態勢のククルスが起き上がる蜥蜴竜に、怒りのこもった咆哮をぶつけながら私を守るように対峙する。

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