帝国編 第三章 ガレオ大渓谷防衛戦
第一節 密談
「そうだな……北側の道なら、竜たちと鉢合わせる事も無いはずだ」
「ええ……しかし、未確認の道が多すぎます。無事に向こう側に抜けられるかどうか」
天幕の内側、無数の木箱の山の中に隠れながら、フレイアと共に大渓谷内部の地図を見下ろす。俺達の目的、帝国軍から抜け出し、王国側にも見つからないようにあの場所──十年前に全焼した王族の隠れ別荘へと向かう算段を練っていた。
そこに何かがあるのか、それは分からない。行っても何も無いかもしれない。だがそれでも、行かなければならない。そんな気がしていた。
「本当に宜しいのですか? まだ王国軍は侵攻を諦めているわけでは……」
フレイアの声に、地図を睨みながら俯いていた顔を上げる。そこには少しばかり不安そうに揺らぐ藤色の瞳があった。
「分かってる。ギリギリまでここの防衛に専念するさ。ここから先には進ませない」
そう答えるが、フレイアの瞳のからは未だに不安の色が見えた。
前線に合流してからおおよそ二十日近く、王国軍はこれまで見せていた快進撃の勢いを完全に削がれていた。東西を隔てる大迷宮とまで呼ばれるガレオ大渓谷の内部は、大小様々な道が形成され、それらが複雑に絡み合っている。ここを通り抜けるのは正確な地図がなければ容易ではない。彼らにとってはこの戦いにおいて正念場とも呼べる舞台だ。
もう時期季節が変わる。竜達にとって過酷な寒さの季節に。ここまでの道のりは決して簡単ではなかったはずだ。本格的に寒くなる前に撤退を始めなければ、手遅れになってしまうだろう。それは王国側も、指揮を執っている皇女シルヴィアも分かっているはずだ。予想では次の季節の変わり目までが限界だろう。それまではこの場所を護らなければ、この
「おーい、ヴァーリ。ちょっと手伝ってくれ!」
木箱の向こうから名前を呼ばれた。今いる場所は、物資保管庫等ではなく魔導技師マティス・リールの工房だ。彼の工房として設けられたこの天幕には、滅多なことでは人は寄り付かない。密談をするには最適な場所となっている。そこで少し前から借りているのだが、マティスはあっさり快諾してくれたのだ。俺たちの密談に聞き耳を立てることも無く、黙々と作業に打ち込んでいる。
「分かった。今行く」
短く答えて、腰を上げる。乱雑に積まれた木箱を避けながら声の主の元へと行くと、無骨な楕円状の物体と得意げな顔が、俺に向けられていた。
「ちょいとこいつに乗ってみてくれ」
そう言って指を指した先にあるのは、帝国軍の開発した新兵装【
「……勘弁してくれよ。乗れって言われて乗れるようなものじゃないだろ。それに……」
この流星船を操るには訓練が必要だったはずだ。そう易々と操れる兵装ではない。それに、俺には魔導兵器を扱う事はできない。壊し屋と揶揄されているように、扱えばすぐさま破壊してしまうのだ。この目の前にある
「分かってるってそんな事。まぁほら、騙されたと思ってよ、なあ?」
「……」
彼がこうも強引に勧めてくる時ほど、何かよからぬ事を考えている事が殆どだ。今までにも何度か同じ目をした彼を目の前にしている。今回のそれは、随分と大仰な事を目論んでいる様だ。
「──失礼しますよ」
マティスとの睨み合いの中、天幕の中に新しい声が響く。その声の先には、濃紺の士官服に身を包んだ男がこちらに近づいてきていた。立ち止まり、見下すような視線をマティスに向けていた。
「なんだ、コシギンチャクか」
「コサルチャクだ! 技官、人の名前を何度間違えれば……おや?」
マティスの言葉に憤慨するコサルチャクだったが、近くにいた俺を見つけると薄気味悪い笑みを浮かべた。
「これは……本物の腰巾着殿は、こんな所で暇潰しかな少尉?」
コサルチャクは、嘲笑うように言葉を投げつける。
俺は昇進した。曹長から少尉への二階級の昇進だ。以前任された任務を無事遂行した事により一つ。そして合流後の防衛戦でのいくつかの戦果が彼女の目にとまり、さらに一つ階級が上がった。
本来であれば、こんな短期間で二階級昇進など有り得ない事だ。だがこんな有り得ない事を、彼女はやってのける。それだけの力を持っている。
「コサルチャク大尉……」
「いやはや困るのだよ。君も士官の端くれならば、規律ある行動を心掛けてくれなければ──」
「おい、コシギンチャク」
「コサルチャクだ! 技官、いい加減にしたまえよ!」
二度目の憤慨を見せる男などお構い無しに、マティスは面倒臭そうに息を吐く。
「アンタいったい何しに来たんだよ」
マティスは怪訝そうな表情のまま、悪態をつくように言葉を大尉に投げつけた。
「う、うむ……ゴホン。技官、以前渡した要求書の物はいつ出来上がるのかな? ついてはその進捗を……」
「ああ。アレなら棄てた」
「なにぃ!? す、すす棄てただとぉ!? な、何故だ!」
あっけらかんに言い放ったマティスの言葉に、大尉は取り繕った態度を再び剥がされ、大袈裟に声を荒らげていた。
「あんな高出力な機構を、こんな所で作れる訳ねぇだろうが」
「な……特一級
「無理なもんは無理だ。それこそ帝都の研究室にでも頼むんだな! 帝都の方が、一級の技師が揃ってんだ。それに……」
マティスは一度息を整えて、目の前の慌てふためく男を睨みつけながら、勢いよく指を指した。
「テメェらの為になんざ、死んでも作ってやるもんかよ!」
今までに見たことの無いマティスの姿がそこにはあった。初めてあった時から、魔導機工学以外の事には無頓着であったマティスが、他人に対してこんなにも感情を表に出している。マティスと大尉の間に、何か因縁でもあるのだろうか。
マティスのその姿に目の前の大尉は面食らい、言葉を失っていた。
「分かったらさっさと帰りな」
冷たく言い放つと、マティスは天幕の奥へと隠れて言った。
「……覚えておけよ、貴様ら」
コサルチャク大尉は錨をあらわにしながら拳を握り締め、肩を震わせながらそう吐き捨てて、天幕から退いた。
「ヴァーリ様」
大尉と入れ違いで、フレイアが積まれた木箱の影から現れた。
「大尉殿、あれで退いてくれるでしょうか……」
「マティスが無理だって言ったんだから、無理なんだろう。それに……」
そこで言葉を一度区切り、天幕の奥へと視線を向ける。その先には、手荷物を持ったマティスが荷物の影から現れた。
「お前があんな態度取るなんて思わなかったよ」
「ん? ああ、コサルチャクの野郎のことか」
マティスは嫌そうに顔を歪めながら、大尉の名前を口にした。どうやら今までは、わざと間違えていたらしい。
「技官は大尉殿と、何か因縁でもあるのですか?」
恐らくフレイアも会話は聞いていたのだろう。俺と同じ疑問をマティスに投げかける。
「あいつに直接って訳じゃねぇけど……まぁ色々、な……」
歯切れの悪い言葉を紡ぎながら、マティスは適当な木箱の上に腰を下ろす。
「なんか疲れたな……。ヴァーリ、実験はまた今度頼むわ」
「やっぱり実験だったのかよ……」
重たい息を盛大に吐きながら天井を仰ぐ。力なく手を振って、俺たちの退出を促していた。それに従うように、フレイアを伴って出入口へと歩き始める。
「……ヴァーリ」
「ん……まだ何かあるのか?」
去り際に名前を呼ばれて振り返る。その先には木箱に座り、天を仰いだまま顔をこちらに向けているマティスの姿。
「……ボルナレフ」
「ボルナレフって、国軍大将ボルナレフのことか?」
「あぁ、アイツにだけは気を付けろよ」
いつになく真剣な表情のマティスが、今までに聞いたことの無いような落ち着いた声音で口を開いた。逸らされることの無いその視線が、彼の真剣さを物語っていた。
「分かった。覚えとくよ。それじゃあ……またな」
マティスの視線を真っ直ぐに受け止めて静かに答えてから、マティスの天幕をフレイアと共に後にした。
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