帝国編 第三章 ガレオ大渓谷防衛戦

第一節 密談

 煌華こうかの侯 五十五日目 ドーラ森林東部 帝国軍野営地



「そうだな……北側の道なら、竜たちと鉢合わせる事も無いはずだ」

「ええ……しかし、未確認の道が多すぎます。無事に向こう側に抜けられるかどうか」


 天幕の内側、無数の木箱の山の中に隠れながら、フレイアと共に大渓谷内部の地図を見下ろす。俺達の目的、帝国軍から抜け出し、王国側にも見つからないようにあの場所──十年前に全焼した王族の隠れ別荘へと向かう算段を練っていた。

 そこに何かがあるのか、それは分からない。行っても何も無いかもしれない。だがそれでも、行かなければならない。そんな気がしていた。


「本当に宜しいのですか? まだ王国軍は侵攻を諦めているわけでは……」


 フレイアの声に、地図を睨みながら俯いていた顔を上げる。そこには少しばかり不安そうに揺らぐ藤色の瞳があった。


「分かってる。ギリギリまでここの防衛に専念するさ。ここから先には進ませない」


 そう答えるが、フレイアの瞳のからは未だに不安の色が見えた。


 前線に合流してからおおよそ二十日近く、王国軍はこれまで見せていた快進撃の勢いを完全に削がれていた。東西を隔てる大迷宮とまで呼ばれるガレオ大渓谷の内部は、大小様々な道が形成され、それらが複雑に絡み合っている。ここを通り抜けるのは正確な地図がなければ容易ではない。彼らにとってはこの戦いにおいて正念場とも呼べる舞台だ。


 もう時期季節が変わる。竜達にとって過酷な寒さの季節に。ここまでの道のりは決して簡単ではなかったはずだ。本格的に寒くなる前に撤退を始めなければ、手遅れになってしまうだろう。それは王国側も、指揮を執っている皇女シルヴィアも分かっているはずだ。予想では次の季節の変わり目までが限界だろう。それまではこの場所を護らなければ、この名前クライスベルに報いる為に。


「おーい、ヴァーリ。ちょっと手伝ってくれ!」


 木箱の向こうから名前を呼ばれた。今いる場所は、物資保管庫等ではなく魔導技師マティス・リールの工房だ。彼の工房として設けられたこの天幕には、滅多なことでは人は寄り付かない。密談をするには最適な場所となっている。そこで少し前から借りているのだが、マティスはあっさり快諾してくれたのだ。俺たちの密談に聞き耳を立てることも無く、黙々と作業に打ち込んでいる。


「分かった。今行く」


 短く答えて、腰を上げる。乱雑に積まれた木箱を避けながら声の主の元へと行くと、無骨な楕円状の物体と得意げな顔が、俺に向けられていた。


「ちょいとこいつに乗ってみてくれ」


 そう言って指を指した先にあるのは、帝国軍の開発した新兵装【流星船ステラボード】が置かれていた。


「……勘弁してくれよ。乗れって言われて乗れるようなものじゃないだろ。それに……」


 この流星船を操るには訓練が必要だったはずだ。そう易々と操れる兵装ではない。それに、俺には魔導兵器を扱う事はできない。と揶揄されているように、扱えばすぐさま破壊してしまうのだ。この目の前にある流星船ステラボードも例外ではない。


「分かってるってそんな事。まぁほら、騙されたと思ってよ、なあ?」

「……」


 彼がこうも強引に勧めてくる時ほど、何かよからぬ事を考えている事が殆どだ。今までにも何度か同じ目をした彼を目の前にしている。今回のそれは、随分と大仰な事を目論んでいる様だ。


「──失礼しますよ」


 マティスとの睨み合いの中、天幕の中に新しい声が響く。その声の先には、濃紺の士官服に身を包んだ男がこちらに近づいてきていた。立ち止まり、見下すような視線をマティスに向けていた。


「なんだ、か」

だ! 技官、人の名前を何度間違えれば……おや?」


 マティスの言葉に憤慨するコサルチャクだったが、近くにいた俺を見つけると薄気味悪い笑みを浮かべた。


「これは……本物の腰巾着殿は、こんな所で暇潰しかな?」


 コサルチャクは、嘲笑うように言葉を投げつける。


 俺は昇進した。曹長からへの二階級の昇進だ。以前任された任務を無事遂行した事により一つ。そして合流後の防衛戦でのいくつかの戦果が彼女の目にとまり、さらに一つ階級が上がった。

 本来であれば、こんな短期間で二階級昇進など有り得ない事だ。だがこんな有り得ない事を、はやってのける。それだけの力を持っている。


「コサルチャク大尉……」

「いやはや困るのだよ。君も士官の端くれならば、規律ある行動を心掛けてくれなければ──」

「おい、コシギンチャク」

「コサルチャクだ! 技官、いい加減にしたまえよ!」


 二度目の憤慨を見せる男などお構い無しに、マティスは面倒臭そうに息を吐く。


「アンタいったい何しに来たんだよ」


 マティスは怪訝そうな表情のまま、悪態をつくように言葉を大尉に投げつけた。


「う、うむ……ゴホン。技官、以前渡した要求書の物はいつ出来上がるのかな? ついてはその進捗を……」

「ああ。アレなら棄てた」

「なにぃ!? す、すす棄てただとぉ!? な、何故だ!」


 あっけらかんに言い放ったマティスの言葉に、大尉は取り繕った態度を再び剥がされ、大袈裟に声を荒らげていた。


「あんな高出力な機構を、こんな所で作れる訳ねぇだろうが」

「な……特一級魔導技師エンチャンターならば出来ない事など」

「無理なもんは無理だ。それこそ帝都の研究室にでも頼むんだな! 帝都の方が、一級の技師が揃ってんだ。それに……」


 マティスは一度息を整えて、目の前の慌てふためく男を睨みつけながら、勢いよく指を指した。


の為になんざ、死んでも作ってやるもんかよ!」


 今までに見たことの無いマティスの姿がそこにはあった。初めてあった時から、魔導機工学以外の事には無頓着であったマティスが、他人に対してこんなにも感情を表に出している。マティスと大尉の間に、何か因縁でもあるのだろうか。


 マティスのその姿に目の前の大尉は面食らい、言葉を失っていた。


「分かったらさっさと帰りな」


 冷たく言い放つと、マティスは天幕の奥へと隠れて言った。


「……覚えておけよ、貴様ら」


 コサルチャク大尉は錨をあらわにしながら拳を握り締め、肩を震わせながらそう吐き捨てて、天幕から退いた。


「ヴァーリ様」


 大尉と入れ違いで、フレイアが積まれた木箱の影から現れた。


「大尉殿、あれで退いてくれるでしょうか……」

「マティスが無理だって言ったんだから、無理なんだろう。それに……」


 そこで言葉を一度区切り、天幕の奥へと視線を向ける。その先には、手荷物を持ったマティスが荷物の影から現れた。


「お前があんな態度取るなんて思わなかったよ」

「ん? ああ、コサルチャクの野郎のことか」


 マティスは嫌そうに顔を歪めながら、大尉の名前を口にした。どうやら今までは、わざと間違えていたらしい。


「技官は大尉殿と、何か因縁でもあるのですか?」


 恐らくフレイアも会話は聞いていたのだろう。俺と同じ疑問をマティスに投げかける。


「あいつに直接って訳じゃねぇけど……まぁ色々、な……」


 歯切れの悪い言葉を紡ぎながら、マティスは適当な木箱の上に腰を下ろす。


「なんか疲れたな……。ヴァーリ、実験はまた今度頼むわ」

「やっぱり実験だったのかよ……」


 重たい息を盛大に吐きながら天井を仰ぐ。力なく手を振って、俺たちの退出を促していた。それに従うように、フレイアを伴って出入口へと歩き始める。


「……ヴァーリ」

「ん……まだ何かあるのか?」


 去り際に名前を呼ばれて振り返る。その先には木箱に座り、天を仰いだまま顔をこちらに向けているマティスの姿。


「……ボルナレフ」

「ボルナレフって、国軍大将ボルナレフのことか?」

「あぁ、アイツにだけは気を付けろよ」


 いつになく真剣な表情のマティスが、今までに聞いたことの無いような落ち着いた声音で口を開いた。逸らされることの無いその視線が、彼の真剣さを物語っていた。


「分かった。覚えとくよ。それじゃあ……またな」


 マティスの視線を真っ直ぐに受け止めて静かに答えてから、マティスの天幕をフレイアと共に後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る