第二節 愛されし者へ


 移動する間は言葉を交わすことは無かった。どこか張り詰めたような、珍しく近寄り難い雰囲気を放っていた。私はただ黙々と歩くその背中を、少し距離を開け俯きがちに歩いていた。


(どうしたんだろう──)


 さっきの会話は聞こえていたはずだ。皇女自らが自身の守護騎士ガーディアンに選んだ竜騎士が、あんな弱音を吐いているところを見せられては、耐え難いものがあるに違いない。だがそれだけで怒りを表に出すような人物ではないが、小言の一つは覚悟しておいた方がいいかもしれない。


 そんな事を考えていると、皇女の足が止まる。それに合わせて立ち止まり顔を上げると、目の前には夕日を浴びながら紅蓮に輝く壁がそびえ立っていた。

 皇女シルヴィアの盟竜、竜達を統べる五頭の竜のうちの一頭、灼竜皇しゃくりゅうこうアグニクスが目の前に横たわっていた。

 その巨体を仰ぎ見る。首を精一杯傾けてもその頂きを見ることは出来なかった。それだけ長い年月を生き長らえて、遥か昔からこの国と共に存在している。


(こんなに近くで見るのは初めてだ──)


 灼竜のその姿に魅入っていると、唐突に皇女は軽く助走をとり、地を蹴り飛びあがった。


「えっ! 殿下!?」


 いきなりの行動に驚きながら、視線で皇女を追い掛ける。皇女は灼竜の前腕の付け根に着地すると、こちらを見下ろした。


「どうした? 早く来なさい」


 冷たい口調でそう言うと、再び飛び上がって紅蓮の壁の上へと消えていった。


「そんな……」


 あまりの無理難題に動揺を抑えきれなかった。いくら常人離れした身体能力を有する竜騎士といえど、これ程の高さを跳躍だけで乗り越えられるのは、五皇竜と契約した者のみだ。私に出来るはずもない。そんな事は皇女も理解しているはずだ。


(やっぱり怒ってるんだ)


 皇女は、こんな分かりきった無茶をさせようとする人では決してない。だがそうさせてしまうくらいに、さっきの会話が気に入らなかったのだろう。形として、彼女を失望させてしまった。


(なんとかしないと……)


 これ以上失望させる訳にはいかない。周囲を見回してなんとか灼竜の背に登る手段を探すが、これといったものは見つからない。


「でも、灼竜様の背に登るなんて……」


 目の前に横たわる紅蓮の巨竜、灼竜皇アグニクスは五皇竜、言うなれば竜達の王とも呼べる存在だ。私達はドラヴァニア王家と同等の敬意をはらい尊んでいる存在だ。そんな存在である竜の背中に契約者でもない者が無闇によじ登る事など、出来るはずもなかった。


「どうすれば……っ!」


 打つ手の見つからない方を落としていると視界の隅に何かが映った。反射的にそちらに視線を送ると、大きな宝石のような眼が、私を見つめていた。

 しばらくの間、その眼は私をじっと見つめていた。何かを見定めているような視線は、私に身動きをさせることも許さなかった。そしてゆっくりとその視線が私の背後に向けられる。すると背後で何かが動く音か聞こえてきた。振り返れば、地を這うように灼竜の翼が近付いてきていた。そこから背中に向けて伸びる上り坂が現れた。


「……よろしいのですか?」

『グルル──』


 再び振り返り宝石の眼に問い掛けると、静かに地鳴りのように吼えて瞼を閉じた。困り果てた私を見兼ねたのだろう。


「お心遣い感謝致します。灼竜様」


 精一杯の感謝の伝えて翼に駆け寄り飛び乗って、坂道を走早にかけ登った。




 ✱✱✱



「思いのほか早かったな」

「……殿下!」


 大翼の付け根へと到達すると、すぐ近くの場所で皇女が待ち構えていた。そこには、さっきまでのような冷たさを感じることは無く、いつものような暖かい笑みを浮かべていた。


「殿下、先程はお見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ございません」


 皇女の前に到着するなり片膝をついた。


 こんな事で許されるはずもない。しかし、今の私にはこれくらいのことしか出来ない。そのまま皇女の言葉を待つが、返ってくるのは沈黙ばかりだった。


「アグニクスはな──」


 柔らかな声音が耳に届いて、ふと顔を上げる。私の視線を確かめると、皇女は拠点を見下ろしながら穏やかな口調で語り始める。


「人間はあまり好きではないんだよ。全てはこの地に生きる竜達のために、私達王家に力を貸してくれている。彼が生きてきた五百年の間、契約できたのは私で三人目だそうだ」


 皇女の視線が私に戻る。夕日を浴び、いっそう映える空色の瞳が真っ直ぐ私に向けられる。


「いくら私が口添えしたとしても彼自身が認めなければ、その背に誘うようなことは決してしない。例え相手が王族であってもだ」


 そして皇女のしなやかな手が、私の前に差し伸べられる。


──」


 その言葉を聞いた瞬間、私の身体の真ん中を一陣の風が吹き抜けた。


「ユーリと同じように、竜を愛し、竜に愛されるお前だからこそ、私は選んだのだ」


 優しい声音の中に確かな力強さを感じた。その力は清流のように、私の中に渦巻いていた暗い感情を洗い流していく。


「立ちなさい。そして胸を張りなさい。ソニア・フレメリア」


 無意識のうちに、私は皇女の手を取っていた。そしてゆっくりと立ち上がる。


「お前が、私の守護騎士ガーディアンだ」

「……殿下」


 また目の奥が熱を帯び始めた。だが、今回のそれは決して不快なものではなかった。身体の奥の奥から、徐々に身体と心を癒していく。


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