幕間 七剣刃【弐】


「我が名はガレス・バリアント! 王国竜騎士団の一翼を担う者なり」


 目の前の兵士は、声高らかに名乗りを上げた。敵地のど真ん中であるにも関わらず、その穏やかな声音は周囲に緊張を走らせていく。


「今一度聞こう。貴殿がそちらの総大将という事で間違いないかな?」


 目の前に立つ兵士の視線が私に向けられる。先程感じた威圧感はどこかへ消え、穏和な表情を浮かべている。


「……そう判断する根拠は?」

「なに、そう難しいものではないさ。貴殿は先程の攻撃を見事に躱してみせた。それだけでも十分なのだが」


 腰の軍刀に手をかけたまま冷静に聞き返す。こちらが臨戦態勢であることは相手もわからない訳では無いはずだ。だが、目の前の赤銅の兵士は武器を構える素振りすら見せず、私を指さした。


「貴殿の着ている服は他の者達と違うのでな、優先的に狙わせてもらっただけの事だ。それで、私の質問には答えてもらえるのかな?」


 穏やかな表情のまま、兵士は私に長槍の穂先を向けて再度聞き返す。


「閣下、ここは我々が」


 その動きを見て、控えていた直下の部隊員達が私を守るように間に入り、一斉に銃を構えた。


「……止めなさい」


 今にも引き金を引きかねない部下達を静止させ、彼等の前に出る。それを見た赤銅の兵士は不敵な笑みを浮かべながら、こちらに向けていた穂先を下ろす。


「私がこの軍の総司令です。それで……今回はどういったご用件でしょうか? わざわざ挨拶をしに来た訳では無いのでしょう?」

「勿論だ。私は貴殿との一騎討ちでの勝負を所望する。ヴラドル!」


 そう言いながら、赤銅の兵士はゆっくりと、こちらに向かって歩き始める。それと同時に、後ろに控えていたドラゴンはその剛翼を広げ、砂塵を巻き上げながら空中へと舞い上がっていく。


 どうやら相手は本気で、私と一騎討ちをするつもりらしい。周りは敵だらけ、その上ドラゴンまでも自分の側から遠ざける。

 蛮勇にも程がある。だがそれは、相手がであればの話だ。彼等の力は理解している。これだけのことをしても、目の前の相手には勝てるだけの見込みがあるのだ。


「こちらがそれに応えると? 貴方は完全に孤立状態です。私が一声掛ければ、貴方は即座に蜂の巣にされるのはお分かりでしょう?」


 その声に反応するように、背後に控えていた部下達は再び銃口を敵に向ける。赤銅の兵士は依然として歩みを止めようとしない。


「……やってみるか?」


 赤銅の兵士は依然として歩みを止めようとしない。ゆっくりと距離を詰めてくる。同時に軽い口調で挑発しながら、射殺いころすような視線を突き刺してくる。


 臆することのないその姿に、背後の部下達が動揺し始めているのが背中越しに伝わってきた。完全に相手の空気に飲まれてしまったらしい。これでは、戦ったとしても死ぬだけだ。


「……やめておきましょう。大隊各員は別命あるまで待機を」

「閣下!?」


 それだけ言い残して、前に出る。互いの距離が縮まり、あと数歩で間合いに入るといったところで足を止める。


「感謝する。これ以上無益な血が流れるのは、私も望んではいない」

「弱い者いじめに飽きたなら、いっそ侵攻そのものを諦めてみるのはいかがでしょう? その方が現実的だと思いませんか?」


 赤銅の兵士は槍を構え、私は軍刀を抜き放ち敵に向ける。


「それでは民が、王家が納得しない。これはなのだ。我らの怒りは、そう簡単に収まるものではない」

「つまりは復讐ということですか……」

「他国を蹂躙する側の貴殿らには理解出来ぬことだろうな。だがこれが、我らドラヴァニアの総意だ」


 そう言い終えた赤銅の兵士の両手に力が入り、持っている槍の切先が、私に狙いを定めている。


 つまるところ、彼等の今回の侵攻は帝国に対する仕返しだ。この規模と敵兵士の勢いが、事の大きさをものがたっている。それがどのようなものであれ、軍人である私達は命令に従う他に選択肢はない。


(それでも……理解はできますとも)


 心の中でそう答え、迎え撃つ体勢で軍刀を構え直す。


(私もなのですから──)


 次第に、周囲の音が消えていく。目の前の男の挙動を一つ残らず捉えていく。微かな変化も逃さないように、視線を、刃を、相手に向ける。


「……。っ!?!──」


 目の前の男の身体が、風に揺られるように前後した時だった。まばたき一つ。その一瞬の間に、相手の槍の穂先がすぐ目の前のところまで迫っていた。強引に首を傾けて避けようとするが、左頬を斬り裂かれた。


(くっ! 速すぎる!)


 即座に距離を置く為に横に飛び退いたが、追撃は無く、ゆったりとした動きで槍を構え直し、薄らと笑みを浮かべていた。


「これを避けるか……いや驚いた。その俊敏さ、人間のそれとは思えんな」

「……。そのお言葉、そのままお返ししましょう。兵士達がバケモノと呼ぶのがよく分かりました」


 早鐘を打つ心臓の鼓動と同期するように、左頬が脈打ち、痛みが思考を妨げていく。


 どうやら私は、理解していた気になっていただけだったらしい。相手のその力は、完全に想定外だった。相手はもはや人間ではない。人間の皮を被った亜人のそれと等しい。人の力だけでは到底勝てはしないだろう。


 並の兵士なら、この一撃で終わっている。尋常ではないほどの速さと正確さ。だがその正確さのおかげで今回は命拾いした。だが、もう次は無いだろう。次の一撃は、おそらく避ける暇すらない。先手を打って勝たなければ、私はここで間違いなく死ぬ。


(間合いなんて、あってないようなものかもしれませんが……)


 そう思いながらも、先程よりも距離をとる。倍以上空いたこの距離でも回避できるか不安はあるが、これ以上離れればの間合いではなくなってしまう。相手に疑念を抱かせてしまいかねない。


「そういえば、貴殿の名を聞いていなかったな。貴殿のその強さ、我ら竜騎士にも値する素晴らしいものだ。帝国軍司令官殿、是非とも貴殿の名を聞かせてほしい」


 槍を降ろし、赤銅の兵士が口を開いた。その声音からは、賞賛と純粋な興味が感じられた。敵味方問わず、私個人へと向けられた戦士の好奇心。


「……ルナリス・ボナパルト」


 私は、すんなりと本名を名乗っていた。今まで頑なに拒んできたを、こうも簡単に口にしていた事に驚いている自分がいる。




 ──私はこの名ボナパルトが嫌いだ──




「感謝する、ルナリス・ボナパルト。我が槍を躱せる者は数少ない。敵の中では貴殿が初めてだ。その名は忘れることはないだろう」

「随分な余裕ですね……墓標に名を刻むのは、貴方かもしれませんよ?」

「ほぅ……では気を引き締めるとしよう。次で……終わりだ」


 目の前の戦士が槍を構えて姿勢を低くする。全身に力を溜めて、先程以上の速く鋭い攻撃を繰り出そうとしている。


「──性質付与ヴォラーレ──」


 私が独り言のようにそれを唱えると、軍刀は青白い光を帯び始めた。そして、その切先を真っ直ぐ敵に向けた。


 赤銅の兵士の身体が、振り子のようにゆっくりと後ろに振れ始めた。そのゆったりとした動きが止まり、反転して、前のめりになろうとした瞬間、まるで撃ち出された弾丸の如く風を切り裂きながら、一直線に向かってきた。


 瞬く間に、残された距離は半分以下となっていた。確かにこの速さでは避けようが無い。だがそれは、相手にとっても同じ事だ。


(この勝負──)


 一直線に向かってくる兵士を見据えながら、青白く発光する軍刀を相手の額へと照準を合わせる。


(私の勝ちです!──)


 それと同時に、右手に持っていた軍刀を手放した。主から解き放たれた軍刀は、真下に落下することはなく一直線に突き進み、赤銅の鎧を纏った敵兵士の額に突き刺さった。


 軍刀と入れ替わるように、一陣の風が吹き抜けた。同時に周囲の爆音と雄叫びが徐々に蘇っていく。


「勝負を急ぎすぎましたね。相手の力量を測り損ねた貴方のミスです」


 長槍を突き出した状態で立ちつくしている男に声を掛ける。


「確かに貴方は強いのでしょう。近接戦闘だけなら、私に勝ち目はありませんでした。ですが、しか持っていないからといって、ができないわけではなのですよ」


 目の前には、何が起きたのか理解できない表情のまま息絶えた男の顔と、鼻先に突きつけられた長槍の穂先。その穂先を避けながら、ゆっくりと歩み寄り、男の額に深く突き刺さった軍刀に手をかける。


「──物質強化スパーダ──」


 静かに唱えた言葉に反応して、手元の軍刀が再び青白く発光する。それを確認してから、半円を描くように水平に振り抜いた。その勢いに押され、男の死体は力なく地に横たわった。


「こちらこそ、あなたに感謝します。ミスターバリアント」


 軍刀を鞘に収めながら、背後で地に伏せる男に言葉を投げた。


「やはり私は、は嫌いです」


 そう言い残して、歩き始める。



 ──私はこの名が嫌いだ──



 地位と権力をひたすらに求めた、あの男のこの名が嫌いだ。



 ──私はあの男が大嫌いだ──



 地位を得るためだけに、母と私を利用したあの男が死ぬほど憎い。



 ──私は、この国帝国が憎い──



 あのような男の台頭を良しとし、隙あらば一族諸共消し去ろうとするこの国の在り方が気に入らない。


「各員状況報告! 退路の確保は──」

「閣下! 上をっ!」


 私の声を遮るように、緊迫した声がかけられた。その直後、周囲に深い影が落ちる。弾かれるように真上を見上げれば、両翼を大きく広げながら凶悪な鉤爪を突き立てようと襲いかかるドラゴンの姿が、すぐ側まで迫っていた。


「──くっ!?」


 迫りくる鉤爪の下を掻い潜るように身を投げ出し、間一髪で回避する。すぐさま体制を立て直して距離をとり、収めた軍刀に手を掛ける。


「そういえば……まだあなたがいましたね」


 そう言葉を投げかけた相手は、怒りに満ちた眼光を放ちながら、私の前に立ち塞がっている。今にも飛びかかってきそうなほどの迫力が、徐々に私を後退させていく。


 絶体絶命の窮地。逃げおおせる事など不可能だろう。相手はドラゴン、最強最古の生命体だ。この先に待つのは、一方的な蹂躙のみ。


(だとしても──)


 手を掛けた軍刀をゆっくりと引き抜き、その刀身に写った自分を見つめ直す。


「まだ、死ぬわけにはいきませんから」



 ──この国帝国を造り変える──



 私から全てを奪ったこの国を、内側から、根底から覆す。これが私の復讐だ。その為には、この国で最も高い地位と絶対的な権力が必要だ。このドラゴンを討つことが出来れば間違いなく勲章ものだ。さらなる権力の拡大も夢ではない。


「……ふふ」


 ふいに、乾いた笑いが口から漏れた。


(皮肉なものですね……)


【権力こそ絶対】を謳う帝国を打倒する為に、その絶対的権力を求めている自分がいる事に気が付いた。いつの間にか、あの男と同じものを追いかけている。


「ですが、ここで止まるわけにはいきません」


 誰でもない、自分自身を鼓舞するように呟きながら、目の前のドラゴンを見据える。翼を大きく広げ、威嚇をしながら低く響くように唸りを上げている。

 立ちはだかるのは、大陸最強最古の生命体【ドラゴン】。彼らと対峙して、生き残った者など皆無だ。だがそれでも、私は目の前の敵に勝たなければならない。誰のためでもない私自身のために──


「申し訳ありませんが、あなたにも勝たせてもらいます」


 宣言と同時に軍刀の切先を茨の鎧を纏ったドラゴンに突きつける。それに応えるように、背筋を凍らせるほどの激しい怒りの咆哮が響き渡る。


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