幕間 七剣刃【壱】
「全隊に再度通達。敵の侵攻を食い止めながら後退、状況は常に報告するようにして下さい」
「了解」
背後に控えていた連絡兵に指示を出しながら西の空を眺める。視界に広がる分厚い灰色は不気味にうごめきながら、遠くの方で唸り声をあげている。時折聞こえる爆音や怒声も、距離があるためにやや迫力に欠けている。
「……
すぐ横から、嫌味たらしい言葉がかけられる。この西方方面軍の前総司令だった男だ。今は副総司令官として私の横に控えているが、この男はまだこの地位を狙っているようだ。
杖替わりにしていた軍刀を思わず抜きそうになったが、まだこの男にも利用価値はある。力のこもった手を抑えながら、男の言葉に答えていく。
「前線に立って兵士を鼓舞するのは、英雄と称される者が務めるものです。それに、今の私は西方方面軍総司令、全体を指揮する立場です。それとも、貴官に私以上の全体指揮が可能ですか? もしそうなら、私は喜んで英雄の役を担いましょう」
「くっ……成り上がりの小娘が」
男の歯ぎしりの音も聞こえてきそうなほど、男の声には屈辱の色が現れていた。事実、この男が無能であったために、ここまで攻め入られているのだ。打開するにしても、現状の戦力とこの場所では変えたくても変えられない。今は少しでも損害を抑えながら、時間稼ぎをする他ない。
「ですが、クライスベル伯爵には感謝しなくてはなりませんね。噂のような頑固者かと思いましたが聡明な方のようですね」
先日手元に届いた物資の中にクライスベル曹長からの報せが含まれていた。それによれば平原に住む住人達の避難は二十日程度で完了するとの事だった。正直なところ、その倍以上の日数が必要だと予測していたので、これは嬉しい誤算というやつだ。
「避難完了まであと十日と言ったところでしょうか……」
目の前の戦況を見据えながら、今後の予測を頭の中で組み上げていく。
避難までの時間は十分に稼ぐことが出来る。問題はその後だ。クライスベル平原にどの程度までの戦力を集結させるか、これが最大にして最重要の問題だ。戦力が多ければ多いほど要する日数は増え、ここにいる兵士達に強いる負担が増していく。悠長に構えていては取り返しのつかない事になりかねない。だが戦力が少なすぎては意味が無い。慎重な行動と的確な予測が必要だ。
さらに言えば、帝国の兵力は切迫している。戦域だけでいえば東側の方が大きいのだ。当然、主力や大きな部隊はそちらに出向いている。帝都周辺にまだ温存しているとはいえ、中央の椅子でふんぞり返る
「閣下、ご報告いたします」
そこへ一人の連絡兵が駆け寄って来て膝をついた。後方の本陣の一角に構えている天幕で、魔導装置を使った長距離連絡を担当している魔導小隊の一人だ。
「右翼の損耗率が二割を越えました。継戦は今のところ可能ですが、敵の勢いは増すばかりです」
「では飛行部隊を支援に回します。グレイス少佐に連絡を、第三第四小隊を率いて右翼の後退を支援するように伝えてください」
「はっ。直ちに──」
連絡兵の伝達にすぐさま答え、すかさず行動に移させる。そして入れ替わるようにして別の連絡兵が私の前にやって来る。
「報告します! 中央に羽根付きが出現、数は八体! そのうち一体は尾長である模様。急激に被害が拡大中、至急救援を求めています!」
「出てきましたか……本隊から重機甲隊を、中央は即座に後退しこれと合流。防御陣形を立て直して下さい」
「了解致しました!」
「それと同時に、第六から第八飛行隊は即座に発進! 中央の支援に向かいなさい」
「はっ!──」
やってきた連絡兵に指示を出し、同時に背後に控える直下の部隊員に命令を下す。
この戦場で、一番の脅威であるのが
「あと二体……さて、何処に出てくるか」
中央に現れた【尾長】、その名の通り長い尻尾が特徴的なドラゴンだ。脅威値は三体の中で最下だが、地上に降りられればその長い尾は一振で陣形が乱されてしまう。なんとか空中に縛り付ける必要がある。問題なのは他の二体だ。
「准将殿。一つ、よろしいですかな?」
「……? なんですか? 副司令」
不意にかけられた言葉に、語気を強めに反応する。この男の進言にはろくなものが無いので、あまり時間は取りたくはない。
「くっ……。准将! やはり追加配備された絶竜障壁を前線に投入した方が良かったのではないかね? わざわざ南方から迂回して侵攻する別働隊に向ける必要など無かったでしょう」
「……その根拠は?」
男も負けじと強気な姿勢で、先日私が下した作戦命令に異議をとなえてきた。今更遅いにも程があるが、このままなら敗北すると予感して責任転嫁するつもりなのだろう。言葉の続きを促せば、自信満々に口を開き始める。
「戦線はいつ崩壊してもおかしくない状況ですぞ? ドラゴン達の侵攻を阻む唯一の手段のほぼ全てを南方に向けるなど、愚策にも程がある! 時間を稼ぐのが目的なら尚更必要な兵器であることは間違いない。この責任は重いでしょうなあ、准将?」
声高らかに言いあげる副司令は、自信満々な笑みを浮かべている。その顔を見るだけであきれて物も言えない。こんな男が帝国軍上位階級の座にいるのが不思議でならない。
今にも斬り捨ててしまいたい衝動をため息とともに吐き出して、視線だけ男に向けながら口を開く。
「副司令は、初戦に関する報告書に目は通されましたか?」
「えぇ、それが何か?」
副司令は何を疑うもなく淡々と答える。その答え方が、私を酷く不快にさせた。
私達がここに来る前には、前任の西方方面軍総司令官がいた。東の最前線で数々の武勲を上げていた優秀な軍人だったときいている。だが重傷を負い西の果てへと送られ、先日の開戦時に行方不明となっている。恐らくはもう生きてはいないだろう。当時の西方軍はほぼ壊滅。僅かに生き残った生存者たちの話を元にした報告書が上がっている。
(……それを見てもなお、そんな言い方ができるなんて──)
私は報告書に加えて、後方に護送される前に生存者たちから直接話を聞いた。恐らくこの男はそこまではしていないのだ。その報告書すらまともに目を通していないかもしれない。
心の内を穏やかにするために深く息を吸う。呼吸を整え、視線を男から外して言葉を続ける。
「確かに、絶竜障壁はドラゴンを足止めすることの出来る唯一の手段です。ですが報告書には大型種による上空からの攻撃で破壊されたとありました。敵には絶竜障壁の範囲外からの攻撃手段があるという事です。おまけに、ここには遮蔽物がありません。こんな状況で配備するのは、どうぞ壊して下さいと言っているようなものです」
一度言葉を区切り、男の様子を伺う。男は意外にも、黙って私の言葉を聞いていた。それを確認してさらに言葉の続ける。
「今の我々の目的は、平原での最終決戦に向けた時間稼ぎです。現在南方から侵攻中の敵別働隊。最短距離の大渓谷踏破が困難な大型種多数の部隊だと報告を受けています。現戦力では、そちらの相手をしている余裕はありません。だからこそ最小戦力で当たるしかないのです」
「であれば、全て投入する必要は無いでしょう。アレのどこが最小ですか? 貴重な魔導兵器をあんな場所に放置するなど、理解に苦しみますな」
ここで、すかさず揚げ足を取りにきた。確かに投入した兵器群の規模は最小とは言い難い。どうやら私の考えているようなことは、彼の頭の中には微塵もないようだ。
「失礼、言葉が足りませんでしたね。私が言ったのは、最小人員での作戦遂行です。副司令は兵達に、あの怪物達と真正面から戦ってこいと仰るのですか? どうやら貴官は、部下に無謀を強いるのがお得意のようですね。全く恐れ入ります」
「な……貴様!」
怒りに満ちた声が上がるが、それを無視してさらに続ける。
「歴史上最強の生命体であるドラゴンを、人の力のみで倒すなど蛮勇にも程があります。だからこそ兵器に頼るのです。幸い向こうは樹林地帯、絶竜障壁を探すにしても一苦労でしょう。ゲリラ戦の得意なブラッドリー中佐なら、一個小隊に満たない少数でも十分な時間を稼いでくれるでしょう」
言い終わる頃には、副司令の顔は怒りに満ちていた。今にも殴りかかってきそうな勢いすらあるが、そこへ連絡兵が駆け寄ってきたことにより、男の注意が私から逸れた。
「ほ、報告します! 左翼に四枚羽が出現しました! 背中には銀髪! 繰り返します。銀翼が左翼上空に現れました!」
「……来ましたか」
脅威戦力三体のうちの二体目が現れた。銀髪の兵士を乗せた四枚羽のドラゴン【銀翼】。四枚の翼を持ったドラゴンは複数いるが、その背に銀髪の兵士を乗せているのはこの一体のみ、先日の戦いで
「魔導砲を全門左翼に向けてください。最小出力で可能な限り連射を、弾幕を張って動きを妨害します。地上部隊に寄せ付けないようにして下さい」
「了解致しました! 直ちに!」
連絡兵が立ち去るのと同時に直下の部隊員が一歩前に出てくるが、それを手で制し待機を伝える。魔導砲の弾に当たらないという保証はないし、銀翼は空中専門の可能性もある。飛行部隊の彼等も貴重な戦力だ、下手に失いたくはない。
「残るは茨だけ……っ!」
残る一体の出現時の対策を考えている途中、強烈な視線を感じて身体が一瞬硬直した。
(何処からだ……)
未だ背筋を刺すような感覚が残る。人間が放つ殺気とは明らかに違う。絶対的強者、あるいは捕食者が放つ強烈な
昂る感情を抑えながら周囲を警戒する。杖にしていた軍刀を左手に持ち替え、右手を添える。
「副司令……ッ!」
周囲をくまなく警戒する中、ふと空を見上げた。分厚い曇天の浮かぶ灰色の空に、一際目を引く黒点が徐々に大きくなっている。
「なんだね? 准将……」
「直ぐに回避を──」
その言葉と同時に一歩、大きく後ろへ飛び退いた。その直後、私が立っていた場所に何かが急降下して土煙の向こう消えた。さらにもう一歩後ろへ飛び退き、軍刀に手を掛ける。
揺らめいていた砂塵が、突如激しく動き出し吹き飛ばされていく。その中から、赤銅色の棘を生やしたドラゴンが大きく翼を広げ、獰猛な眼でこちらを睨みつけていた。
全身が赤銅色をした鎧のような鱗に覆われ、そのどれもから鋭い茨のような棘が生えている。首と尾が長く伸び、二本脚で前脚は無い。無いといっても、翼と同化しているのだろう。翼にその名残りが見られる。その代わりに発達した後ろ脚には鋭い爪が妖しく輝き、その下には副司令官であった男の肉塊が下敷きになっている。
全身武器を体現した脅威値最上位のドラゴン。厄介な敵が、目の前に奇襲という形で現れた。
「うむ……避けられたか。どうやら、貴殿が総大将という事で間違いないかな?」
警戒する中、この場に不釣り合いな穏やかな声が聞こえてきた。その声はドラゴンの上から聞こえてきた。恐る恐る視線をあげると、ドラゴンの首の付け根辺りに人が跨っていた。その人物は軽い身のこなしでドラゴンから飛び降り、悠々と前に躍り出てきた。
ドラゴンと同じ赤銅色の胴鎧を纏った兵士だ。見た目は三十といったところなのだが、その身に纏う威圧感は、とても歳相応のものでは無かった。
兵士は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。それに合わせて後ろに下がる。これほどの迫力を持った相手は見たことが無い。ドラゴンを背にしていては尚更それに拍車がかかっている。
兵士は立ち止まり、持っていた長槍の柄で地面を鳴らし声高らかに名乗りを上げた。
「我が名はガレス・バリアント! 王国竜騎士団の一翼を担う者なり」
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