第七節 真名
「ッ!!──」
この胸に剣を突き刺されたかと思えば、いきなり身体が急降下するような感覚に襲われ、一瞬にして意識が現実へと呼び戻される。気がつけば、眠りに落ちる前の体勢のままだった。
いつも同じような所で目が覚める。焔に包まれていく中で、母と同じ髪色をした女に剣で刺されて終わる。あの時の記憶の断片により再現される
当時の事は正直あまり記憶が無い。だが自分の身体が、あの日の痛みを覚えている。心に苦しみが刻み込まれている。それらが夢の中で形となり、俺を内側から蝕んでいく。
「はあ──はぁ──」
静かな部屋で自分の荒い息遣いだけが聞こえてる。見上げる天井は闇の色に染まり、冷たい空気が汗まみれの肌を撫でる。
眠る前よりも疲れた身体を起き上がらせる。全身に鎖が巻きついているのかと思うほど、体が軋んで気だるく重い。立ち上がるのは難しいだろう。
何とか寝台の上で起き上がり、乱れていた呼吸を整える。ようやく落ち着きを取り戻したところで、部屋ので入口付近に人の気配を感じた。
「……フレイアか?」
「……はい」
酷く不安げな彼女の声が返ってきた。視線を向ければ、薄暗がりの中で佇んでいた。表情までは見ることは出来ないが、彼女が今どんな顔をしているのかは容易に想像できた。
「また、あの夢ですか?……」
「……」
フレイアの問に沈黙で答える。彼女には、この夢のことを話したことがある。そして、今のように目覚めるといつも側に彼女が控えている。
「一つ、よろしいでしょうか?──」
そう口にしながら、フレイアはこちらに歩み寄り寝台のすぐそばで片膝をついて跪いた。
「逃げましょう──」
「フレイア……」
彼女の表情は伺えない。だが、いつも以上に鋭さを帯びたその声音が彼女の真剣さを伝えてくる。いつも俺のそばで支えてくれていた彼女が、こんな弱気な言葉を口にしたことは一度として無かった。そんな彼女に目を向けるが、下を向いて俯いたまま言葉を続ける。
「その腕が完治すれば、また戦場へと向かわれるのでしょう。そうなれば、どこかで貴方様の存在に気がつく者が現れるかもしれません。もし、貴方様の存在が奴等に知られれば次は確実に殺されます。そうなる前に、この場から離れるべきです」
フレイアはそこで言葉を区切り、俺の返答を待っていた。
「それは……出来ない──」
「ッ!! 何故!──」
フレイアの申し出に、俺は静かに答えを出した。その答えに納得のできない彼女の緊迫した声が、明かりのない部屋に小さく響く。
「確かに、このまま王国と戦い続ければいつかバレるかもしれない。実際、戦ってきた竜達はみんな気付いていた。だから今まで無事でいられた」
俺が【死神クライスベル】という異名で呼ばれるようになった理由は、俺が隊にいれば高確率で竜との遭遇戦になる事と、仲間を犠牲にして俺一人生き残っているのではないかと思われていることからそう呼ばれるようになった。
だが、本当の理由は別にある。
「これから先、王国と戦い続けていれば、いつか竜騎士たちの中から気がつく者が現れるかもしれない。もし、そこから奴等に生きていたことが知られたとしても──」
「ユリウス殿下!──」
跪いて俯いていたフレイアは顔を上げ、俺の言葉を遮るように俺の本当の名を口にした。
ユリウス・オルバ・ドラヴァニア。それが、俺が十年前に母ソフィアと共に失った本当の名前。あの日から、生き残るために国を離れ、名を捨ててここまで来た。たがそれだけだ。それだけでは、俺の身体に流れる【王の血】までは変えられない。この血に宿る力の匂いを、竜たちは感じ取っていた。
「俺はもう皇子じゃないし、君もそうだ……」
「殿下……」
悲しそうな声を出す彼女も、俺と同じ様に名前を変えてきた。母である第二王妃、ソフィア・オルバ・ドラヴァニアに仕えた使用人【アトラ・ラクルス】
母を殺されたあの日以来ずっと、彼女が俺を守ってくれていた。それが死に際の母と交わした誓いであると、彼女はそれだけを口にして俺のそばに仕え続けている。
俺を見上げる彼女と視線が重なる。その瞳は苦しそうに揺れている。そんな彼女に俺は優しく語りかける。
「それでも俺は……知りたいんだ。いいや、知らなくてはいけないんだと思う。そうでないと──」
あの悪夢の中で、どうしても気になる事がある。母が最後に言い残すあの言葉。あの言葉の意味が俺には分からない。どういう意味で、夢の中の母が俺に囁いているのか、知らなくてはならない。その真意を知るまで俺の心は、あの地獄のような炎の檻に囚われたままだ。そうなっては、俺はこれから先、何処へ逃げたとしても同じことだ。
真意を知るためには、もう一度王国に戻る必要がある。危険なのも十分に承知している。だがそうでもしなければ、俺は前に進めない──
「……それが、ヴァーリ様のご意思であるならば、私は真摯にお仕えするのみでございます」
フレイアは静かに息を吐いて、再び頭を落とす。
「必ず貴方をお守します。誰が相手であろうと……必ず……」
低い姿勢のまま、彼女は力強い口調で言い放った。
その宣誓のような言葉は、きっと彼女自身に向けて口にしたものだろう。この先王国と戦い続ければ、必ずまた皇族の人間と剣を交える事になる。彼らの力は竜騎士としても別格だ。そんな相手との中途半端な戦いは、間違いなく死に直結する。戦い抜くという彼女の強い覚悟が感じられる。彼女の意志の強さには助けられてばかりだと思わずにはいられない。
「……ありがとう──」
覚悟を決めた彼女に対して、これ以上の言葉が見つからなかった。それ以上に、俺自身も覚悟を決めなければならない。今までのような戦い方では、確実に死んでしまう。今まで生きてこられたのは奇跡に近い。
彼女は覚悟を決めた。なら俺も、覚悟を決めなくてはならない。王国兵と真正面から戦う覚悟を、生き残る為の強い意志を持たなくてはならない。そうでなくては、本当に守りたいものも守れないだろう。
「……ありがとう──」
その言葉を最後に部屋は静まり返る。深夜に鳴く虫や鳥達のさえずりが聞こえてくる程に澄みきっている。心穏やかでいられる静かな夜。この静寂を心に刻むようにように、小さな囁きに耳を傾けていく。
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