第六節 消えぬ悪夢


「それでは、お大事に──」


 執事長に部屋へと案内されて間もなく、医者が到着した。俺の左腕を診終わると、穏やかな笑みを見せながら医者は部屋を後にした。


「それでは私も失礼致します。何かありましたらお呼びくださいませ──」

「あぁ。ありがとう」


 診察を部屋の隅で見守っていた若い女の使用人も、一礼して静かに部屋から退出していく。


 部屋に一人残された俺は、ぼんやりと部屋を見回していた。必要最低限の質素な作りの家具だけの、何も無い部屋をただ見回していた。何も無い俺にお似合いの、静かで寂しいただの一室。


「……変わってないな──」


 寝台の片隅に腰掛け、ため息とともに一言漏らす。


 どうしようもない何かをどうにかしようと、逃げるようにしてこの部屋から出て行ったのに、あの時から何一つ変わっていない。この部屋のように、何一つ──


「ヴァーリ様──」


 考え込んでいる中、扉の向こうから声がかけられた。これも、昔から変わることの無い聞き馴染みある優しい声だ。


「フレイアか?」

「はい。失礼します──」


 部屋の扉がゆっくりと開けられる。その向こうには、軍服ではなく使用人達と同じ、濃紺の給仕服を着たフレイアが部屋へと入ってくる。軍服の時とは違う柔らかな雰囲気を身にまとった彼女を見るのは随分と懐かしく感じる。本来ならば今目の前にいる彼女が、本来の彼女の姿だ。


 武器を手にして戦場に立つ彼女も頼もしいが、今の姿の方が彼女らしさを感じてどこか安心している自分がいる。といっても、そうさせているのは俺のわがままによるものが大きいのが心苦しくはあるのだが──


「そっちの方が似合ってるよ」


 部屋に入ってきたフレイアにそう言うと、フレイアは少し驚いたような表情を見せ、静かに微笑みを返してくる。


「お怪我の具合は?」


 フレイアは部屋の扉の前で姿勢よく佇み、腕の具合を聞いてくる。

 元々凛とした立ち居振る舞いをする彼女は、軍服を来ている時は鋭さを感じさせるものが多かったが、今では随分と柔らかくなっている。服ひとつでここまで印象に違いが出るのかと感心しながら、少し自由に動かせるようになった左腕を掲げてみせる。


「特に問題はないみたいだ。このままなら、避難が終わる頃には完治するらしい」

「そうですか──」


 それを聞いたフレイアは、安堵の表情を浮かべながら胸を撫で下ろす。


「後ほどお食事をお持ち致します。ですので、それまでお休みくださいませ」


 フレイアの言葉を聞いて、窓の外へと視線を向けた。到着した時はまだ日は高く、空も青く輝いていたのに、今ではうっすらと朱に染まり始めている。


「そうさせてもらうよ。ありがとう、フレイア」


 そう答えると、フレイアは静かに部屋を後にした。それを見送り、身を投げるようにして寝台に横になる。思いのほか緊張していたのだろう。張り詰めていたものが緩み、一気に身体が重くなりはじめ瞼も徐々に重くなっていく。


(少しだけなら──)


 そう観念して、襲ってくる睡魔に身を委ねようとした時だった。沈みゆく意識の片隅で、パチリパチリと火種が弾けるような音が微かに聞こえ始める。


(あぁ──やっぱりダメか──)


 そう思いながらも俺の意識は、弾ける火種の音ともに微睡みの中に溶け込んで、目の前に見える天井は次第に闇に覆われていった──



 ✱✱✱



 次に瞼を開けると、目の前にはさっきと同じ天井が視界に広がっていた。身体は寝台に横たわったままだ。薄暗がりの中、半ばぼんやりと天井を見つめるだけ。火種の音も聞こえない。次第に鮮明になっていく意識とは裏腹に、身体は指一つ動かす事ができなかった。


(やっぱりあの夢か──)


 もう何度目だろう。幾度となく目にした光景悪夢が、また始まろうとしている。そう意識が判断した時、身体のそばに誰かが腰掛けた。


 薄暗がりの中、視界の横で緋色に輝く髪が揺れている。その緋色の髪の隙間から、澄んだ空色の瞳が俺を覗いていた。次第にその瞳は歪み、哀しみが滲み始めていた。


(ダメだ──)


 雪のように白い肌が、腕がゆっくりと伸びてくる。


(ダメだ!──)


 声に出そうとしても、口は塞がれたように沈黙ばかり。伸びてくる腕を拒もうとしても、身体は以前として動かない。


「……ごめんね、──」


 悲しそうな声音で呟きながら、目の前の彼女は手を伸ばす。そのか細く綺麗な指が俺の頬に触れる。


(ダメだッ!!──)


 このあとの結末も知っている。何が起きてどうなるのかも、何度もこの目に焼き付いている。焦る意識の中、弾ける火種の音が再び聞こえ始める。


(逃げ──)


 声無き声でそう叫ぼうとした瞬間。緋色の乙女の胸を、一本の剣が貫いた。それと同時に彼女の身体が貫かれた傷口から瞬く間に燃え上がり、周囲の景色をも紅蓮の炎で飲み込んでいく。


(ッ!!──)


 目の前の乙女は、全身を炎に飲まれていく。胸から肩、腕、そして俺の頬に触れている指まで煌々と燃え上がっていく。夢であるはずなのに、その炎は熱く、俺の頬を焦がしていく。


「ごめんね──」


 炎を纏った緋色の乙女は、ゆっくりと顔を近づけてくる。揺らめく炎は激しく、その表情は読み取ることは出来なかった。


「怨むなら……私を怨みなさい──」


 そう言い残した緋色の乙女は、最後に激しく燃え上がり灰と化して散っていく。


(母上っ! っ?!──)


 そして灰と散った乙女のその向こうから人影が現れる。燃え上がる炎の中、鮮血のごとく紅く腰まで伸びた三つ編みの髪の女が俺を見下ろす。手に持った剣を構え、その切っ先を突きつけてくる。


(なんで……どうしてッ!──)


 そして不気味な笑みを浮かべ、その剣先を俺の胸に突き刺した──

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