第四節 疑惑



「ヴァーリ・クライスベル曹長であります! 司令官殿、居られますか?」


 マティスのもとを去った後、フレイアを残し一人で臨時司令所のある天幕まで来ていた。出入り口の前で声を張り上げるが、中から返事はなく人の気配も感じられなかった。どうやら早く来すぎたらしい。


「ルナリス・ボナパルト……」


 ふいに、彼女の名前が口から出てくる。マティスの話によれば、一度は名家の権力を失い奈落の底まで落ちている。そんな彼女も、今では帝国軍最強の一翼を担い、さらには西方方面軍総司令の地位を得るまでになっている。地の底からここまで這い上がるために、彼女はどれほどの苦悩と試練を乗り越えてきたのだろうか。


「……俺にも、できるだろうか──」


 それがどれほどのものなのかも、俺には想像することすら出来ない。自然と落ちていく視線の先に自分の掌を晒す。軍に入って三年と少し、この手に剣を握り多少なりとも戦いを経験してきたが、未だ戦士のものとは思えない柔らかさが目に見えてわかる。


「殊勝な心掛けですね。曹長──」

「っ?!──」


 半ば放心していた所に声がかけられて我に返る。声のする方へ振り返れば、凛とした足取りでルナリス准将がこちらに向かってきていた。


「では中へ、貴官とも話がしたいと思っていたところです──」


 そう言いながら俺の傍を通り抜けて天幕の中へと入っていく。俺もそれに続いて天幕をくぐる。


 中は簡素なものだった。無駄なものは一切置かれておらず、必要最低限、いつでも素早く撤去できるように纏められていた。その中央にある長机と共に置かれた椅子に彼女は腰掛ける。


「ヴァーリ・クライスベル曹長。貴方の事は調べさせてもらいました。と話題になっているようなので」


 彼女はわざとらしくそう言って、机の一角に置かれていた書類を手に取る。


「入隊時の能力検査では、他の追随を許さない程の結果を出しているようですね。身体能力、潜在魔力保有量、共に七剣刃セブンス・ソードに匹敵するものです。それにより士官候補生としての推薦も受けると」


 どうやら彼女の持っている書類は、俺に関するもののようだ。興味深げに目を通しながら時折読み上げている。


「しかし魔導兵器の長時間使用ができず、一度でも使えば兵器そのものを破壊してしまうと……要因としては曹長の持つ魔力が原因ということになっていますが、詳細は不明……。そのせいで出世コースからも外れてしまったようですね」


 ルナリスは手元の書類を一枚めくる。


「その後は僻地へと送られ、物資輸送の護衛を主任務とし軍務に就き、今季より西方方面軍に自ら転属。そして、今に至るわけですね……」


 それから数枚に早々と目を通して読み終わると、机の上へと置いて俺へと視線を移す。金色の髪と同じ色の瞳が、真っ直ぐ俺へと向けられている。


「壊し屋ヴァーリ。死神クライスベル。私に負けず劣らずの異名を持った貴方の噂は、私の耳にも届いています」


 俺を見つめたまま、彼女の瞳に鋭さが宿る。あの時のナイフのように、首元寸前に刃を突きつけられたような感覚が全身を襲う。


「単刀直入に聞きましょう、ヴァーリ・クライスベル。貴方は、ドラヴァニア王国のですか?」


 凍るような冷たい声音で、彼女は俺に問を投げつける。天幕の中の気温が一気に下がっていくような気さえしてくる。


「……根拠は?」


 平静を装いながら、彼女に問いかける。何か面白かったのか、彼女は俺を見て少しばかり笑みを浮かべながら、再び口を開き始める。


「単なる噂ですよ。貴方の異名、特にドラゴンとの戦闘においてだけが生き残る件に関してです。一度であれば偶然と言えますが、三度となれば話は変わってきます。それに加えて」


 俺自身、影で何やら言われている事は知っていたが、その中にスパイとして疑われているものがあるのは正直予想していなかった。

 彼女は一旦言葉を区切り、机の上から別の用紙を手元へ引き寄せる。


「ヴァーリ・


 彼女が俺の名前を口にする。わざとらしく家の名前を強調して──


「クライスベル平原を治めるクライスベル家の御子息。正確には、ということになっていますが、養子になる以前の貴方の経歴が出てきませんでした」

「……」

「クライスベル伯爵が巧妙に隠しているのか、そもそもには貴方の過去が存在しないのか……」


 彼女は淡々と、自身の推測を話していく。いったいどこまで調べているのだろうかと、少しばかり肝を冷やしてしまう。

 鋭さの衰えない視線は容赦なく突き刺さってくる。たが、一つ小さく息を吐くと、その視線から鋭さが消えていった。


「とは言っても……決定的な証拠がある訳では無いので、貴方をスパイだと断定することは出来ません」


 彼女は柔らかい口調でそう言いながら、机の上に置かれていた真新しい封筒に手を伸ばし、机の反対側にいた俺に差し出してくる。


「任務の詳細です」


 普段なら、この封筒を何の疑問もなく受け取っていただろう。だが今回はどうにも手が前に出なかった。伸びかかった手を戻して、彼女に視線を飛ばす。


「……自分に、どうしろと?」


 思った以上に低い声が出てきてしまう。自分自身、彼女の言葉に動揺しているのかもしれない。


 ルナリスは臆することなく俺を見つめ、再度笑みを浮かべる。


「この任務は、今後の作戦の展開に大きく関わるものです。必ず成功させて欲しいだけです。それに」


 彼女は一旦言葉を切り、机の上に置かれていた書類を指で叩く。その書類は、俺が軍に入ってからの記録が書かれていたものだ。


「私の立場を利用すれば、返り咲きも不可能ではありませんよ?」


 整った顔立ちを持つ彼女が見せるその微笑みは、目を奪われるほど美しいものだ。だがその瞳の奥には、鋭く冷たいものが垣間見えていた。


「脅し……ということでしょうか?」


 今の俺の立場を見れば、軍の鼻つまみ者だと言われてもおかしくはない。それを彼女が何とかしようと言っているのだ。彼女の持つ権力ならば不可能ではないだろう。だがその逆も十分考えられる。


 俺の言葉を聞いたルナリスは一瞬だけ目を見開いて驚いたような表情を見せたが、すぐさま不敵な笑みを見せる。


「作戦を成功させる為、私は貴方を利用します。その見返りとして提案したつもりでしたが、捉え方はお任せします」


 その言葉のあと、時間だけが流れていく。ほんの僅かな沈黙が、とてつもなくゆっくり流れているような気さえしていた。


 ルナリスは目の前で座したままだ。じっと、俺に視線を向けたまま、俺の返答を待っている。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


 予想もしていなかったであろう俺の言葉に、ルナリスは少しばかり首を傾げている。それを見ながら、構わず言葉を続ける。


「准将は何のために戦うのですか?」


 ここまでする彼女の源が何なのか、彼女をここまでさせるものが何なのか、何故かそれが気になってしまっていた。彼女が戦う理由──それを知れば、俺にも何か見えてくるのではないかと考えてしまいついつい口に出してしまった。


「我等が皇帝陛下と、帝国の未来のため……と言えば聞こえが良いのでしょうが、貴方が求めている答えは違うのでしょうね」


 そう言って、ルナリスは一度深く息を吸い込んで、俯きながらもゆっくりと吐き捨てる。


「私は私自身のために戦います。その為なら、私はなんでも利用します……ただひたすらに……私の為に」


 しっかりとした口調でそう宣言した彼女の表情は、何故か暗く重たいものだった。その言葉からは、彼女の信念のようなものを感じた。たが、その力強さとは裏腹な表情の理由までは知る由もないが、まるで自分自身に言い聞かせているようにも見えた。


「それで……貴方は何の為に戦うのですか?」


 俯いていた視線を上げて、ルナリスは俺を見つめる。俺が投げかけた質問を、今度は彼女が俺に問いかける。


「俺は……」


 俺は弱い──


 目の前にいる彼女のような武勲も心の強さも持ってはいない。彼女の言葉は、自分を強くするために、何かのきっかけになるかもかもしれないと思ったが、彼女の背負うものは重く、視ている景色は遥か遠い。俺とは違う次元に生きていると、そう思わせるものだった。

 今の自分にできることは多くはない。だがそれでも、やらなければならないことがある。その為に、今できることは一つだけだ──


 俺は机の上に置かれていた封筒に再び手を伸ばして取り上げる。


「俺には──自分には、やらなければならないことがあります。その為に、自分は任務を遂行します」


 彼女の目を真っ直ぐ見つめ返し、はっきりと答える。それを見た彼女は、柔らかな笑みを見せた。その表情は安心したというよりも、こうなる事は最初から分かっていたかのような余裕さを表しているようだった。


「では仕事の話をしましょうか。ヴァーリ・クライスベル曹長」


 その言葉を合図に、手に持っていた封筒の封を切る。俺に与えられた任務内容は、最初に彼女が言っていたように、俺にしかできない内容だった。



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