第二節 続く敗走


 桜華の候 四十九日目 ベルネ丘陵地帯、西方方面軍 第二次中継地



「もたもたするな! 敵は待ってはくれないぞ!──」

「物資は最小限だ! 負傷者の護送を最優先に──」

「動かせる馬は全て使え! 集結地点は──」


 至る所から慌ただしい声が響き渡っている。集団の外から激を飛ばす者、負傷者に肩を貸して、その先にある荷馬車へと向かっていく者、物資と人が入り乱れている。


 第一次防衛線を突破された戦闘から十日と少し、徐々に戦線を後退させながらベルネ丘陵地帯を東へと横断している最中だ。ここから先に第二、第三防衛線を構築し、最終集結地点であるガレオ大渓谷を目指している。


「また負け……か──」


 敗走に次ぐ敗走──


 帝国の領土であったベルネ丘陵地帯も、開戦から僅か二十日程度で約半分の地点まで後退させられている。ドラヴァニア王国の快進撃は未だ衰える気配はなかった。このまま侵攻されれば、丘陵地帯を抜け、迷宮とも呼ばれるガレオ大渓谷も突破されかねない。そうなれば、帝国民の住む地域に踏み込まれてしまう。


 クライスベル平原──ギルバース帝国最西端の居住地域。その暮らしぶりは、帝都のような華やかなものとは程遠く牧歌的で、どちらかといえばドラヴァニア王国のそれと近いかもしれない。だが、王国領とは確実に異なる部分がある。それが気候だ。


 寒さの激しくなる零華れいかの候となれば、ドラヴァニアの中央から北側は、雪と氷に覆われ、生物にとっては過酷な環境へと変貌する。だが、大渓谷より東は別だ。寒いことには変わりないが、まるで世界そのものが異なっているのではないかと思う程に穏やかなものになる。彼等ドラヴァニア王国が狙うとするなら、クライスベル平原は喉から手が出るほど欲しい場所であるのは想像に難くない。


「っ──痛っ!──」


 中継地点の中央部分には人と物資が集中し、生物のように蠢いていた。それを遠巻きに見つめていると、無意識のうちに拳に力が入っていしまい左腕に鈍い痛みが走る。


 左腕の傷は思いのほか深く、戦線への即時復帰は困難だと診断されてしまった。俺はこのまま最終集結地点まで護送されることになっている。


「ヴァーリ様──」


 人の波を見つめていると、フレイアに名前を呼ばれた。その声の方向には、木箱を抱えたフレイアが心配そうに眉をひそめながら近づいて来ていた。


「やはりお身体に触ります。リール技官への荷物なら私だけでも──」

「いや、平気だ。それにこれは俺が頼まれたんだから、フレイアだけで行かせられないよ」


 今向かっている場所は、特一級魔導技師エンチャンターマティス・リールの臨時工房だ。以前の戦いで紛失した試作品の賠償という名目で、彼に代わって頼まれ物を渡しに行く途中なのである。たが、そう言う俺の左腕は、首に架けられた布で胸の前に吊るされており、空いている右腕で小さい木箱を脇に抱えているだけだ。重量だけで言うならばフレイアの持っているものの半分以下といったところだろう。これ以上彼女に持たせるわけにもいかない。


 もっとも、俺がこの有様で役に立たない事を知った上で頼んでくる以上、フレイアの協力も見越していたのかもしれないが──


「行こう──」

「……はい──」


 未だ納得のいっていないという表情ではあったが、フレイアは俺の後ろを静かについてくる。



 ✱✱✱



 歩を進めていき、ようやくマティスの臨時工房のある天幕が見えてきた。中継地点の片隅、そこに大きな天幕が建てられている。後々撤去するものであるにもかかわらず。十分に作業ができないという理由で、一番大きなものを建てさせ、おまけに天幕の周囲には数多くのガラクタもとい試作品や、物資の入った木箱が山のように積まれていた。


「おーい。マティス、持ってきたぞ」


 両手が塞がっているため、出入り口に身体を滑り込ませるように中に入りながら、工房主に来訪を伝える。中は相変わらず散らかり放題の有様だった。本人がどこにいるのかも分からない。


「おう! そこら辺に置いといてくれ。今手が離せないんだ──」

「──って言われてもなぁ……」


 物が外にまで溢れている現状で、天幕の中に置ける場所などありはしなかった。仕方なく、後に控えていたフレイアには外に置くように伝え、自分で持っていた小さい木箱は、他の木箱の上に置いておいた。


「よーし! これでこいつの整備は終わりだな。おーいヴァーリ! ちょっと来いよ!」


 何処にいるのかと言い返してやりたかったが、返すだけ無駄だろうと判断し、荷物の隙間を縫いながら声の聞こえた方へと進んでいく。進んでいくうちに、目の前の隙間から広い空間が垣間見えはじめた。通れそうな隙間を探しながら、その広い空間へと向かっていく。


「全く……少しは片付けをしたら──」


 木箱の森を抜けて目の前に現れたのは、自慢げな顔をするマティスと、身の丈程はある細長い楕円状の形をした鉄の板が作業台を占領していた。


「これは……」


 後に追いついていたフレイアが思わず声に出した。この形には見覚えがある。以前の戦いで空中を飛んでいた兵士達が乗っていたものだ。


「お、その顔は見たことあるって顔だな。こいつが帝都から送られてきた新兵器! 浮遊式魔道兵装【流星船ステラボード】だ!」


 自慢げにそのステラボードと呼ばれる板を叩きながら、マティスは喋り始める。


「俺も理論は組んでたんだが、どうやら先を越されたみたいだな。ざっくり言うと、お前が盾とほとんど同じ機構を搭載してあった。これなら急激な劣化の心配もない訳だ。いやはや全く、のデータがあれば俺も……」

「……悪かったよ──」


 わざとらしく強調しながら語るマティス。どうやらまだ試作品の盾を無くしたことを根に持っているらしい。


「冗談だって。お前が生きて帰ってきただけでも十分なくらいだ。ヴァーリには、まだまだ試してもらいたいものが山ほどあるからな──」


 そう話すマティスの顔は柔らかい表情を浮べながら俺を見ていたが、目の奥が怪しく輝いているのを見た途端、背筋が冷たくなっていくのを感じた。今までにも数々のガラクタもとい試作品をあてがわれたが、これから先も続く様だ。いつかこいつの試作品欠陥品で命を落とすことになるかもしれないと考えると、死んでも死にきれない。


「失礼します。リール技官、居られるなら返答を──」


 天幕の出入り口付近から、若い女性の声が聞こえてくる。どうやら俺たちに以外にもここに足を運ぶ客人がいるらしい。しかも軍では珍しい女性の客人だ。


「あぁ居るぞ! こっちだ!」


 その言葉に対する返事はなかったが、軽やかな足音が徐々にこちらに近づいてくる。その足音は乱れることなくその音を鳴らし続け、早々にこの空間までたどり着いた。


「技官。再三部屋の整頓を命じたはずですが……ん? 貴官は?──」


 入ってきたのは、まだ幼さの残る顔の女性だった。黄金を思わせるような艶やかな長い髪、絹のように滑らかで傷一つない白い肌、整った目鼻の顔立ち、一目なら人間台の大きさの人形と見間違える者も少なくないかもしれない。そう思えるほどに美しい女性であった。その彼女の視線がこちらに向けられる、髪色と同じ色の瞳に吸い込まれそうになるが、彼女の纏っている紫色の軍服の肩に付けられている階級章を見た途端我に返り、自分の目を疑った。


(准将──っ?!)


 それを理解した瞬間、即座に姿勢を正し右手を額の横にあて敬礼する。それとほぼ同時に同じ動きをする。


「ヴァーリ・クライスベル曹長! フレイア・リーゲン軍曹であります! 准将閣下」


 それを見た金髪の将校は、優雅に右手を動かして返礼を返してくる。


「そう、貴方が……」


 そう言って一度言葉を区切り、じっと俺を見つめていた。上から下まで見渡すと、何かを悟ったかのように一度目を閉じたが、すぐに俺に視線を戻して再度口を開き始める。


「失礼、お邪魔をしてしまったようですね。すぐに終わります。楽にしていて構いません」

「恐れ入ります──」


 彼女の視線が俺達からマティスへと変わったところで、静かに右手を下ろす。この若さで将校階級を手にしている人間がいるのは驚きだが、あの服や振る舞いからしても、間違いではないのだろう。


「それでリール技官。私の命令を実行に移さないのは何故です? 回答によっては貴方の処遇にも影響しますが……」


 彼女は淡々と、表情を変えることなくマティスを問い詰めながら歩み寄り、ルナリスはマティスの目の前に立つ。対するマティスは、相変わらずの態度で、寝癖のついた茶髪の頭を掻きながらため息をつく。


「あのな指揮官殿? アンタの命令で、このステラボードの整備を寝る間も惜しんでしてたんだぞ? 他の奴には任せられないとか言うんだ。片付ける暇なんてあるわけないだろ。それに──」


 その言葉の途中で大きな欠伸を一つ、堂々と披露してみせる。俺達がそれをすれば、その場で射殺されても文句は言えないかもしれないが、彼は動じることなく、言葉の続きを口にし始める。


「それに、俺はになったつもりは無い。あくまでだ。アンタの命令を全部聞く責任は、ないと思うのだがね?」


 マティスの言い分を聞き、指揮官と呼ばれた彼女はしばらく考えるように押し黙っていた。


「フレイア。彼女はもしかして……」


 それを横目に見ながら後に控えていたフレイアにだけ聞こえるように声を落として話しかける。


「はい。噂に聞いていた新しい司令官でしょう。確か名前は、ルナリス・ボナ──」


 その直後、銀色に輝く物体が目の前を横切った。その一閃が向かった先に恐る恐る視線を向けると、掌程の大きさのナイフがフレイアの喉元で静止するように──


「っ!?──」


 そのナイフには糸らしきものは付いていない。その代わりに小さな真珠のような装飾が付いている。それ以外はどこにでもあるような普通の刃物だ。


「次にを口にすれば、今度は容赦なく貫きます──」


 いったい何が起きたのか理解出来ていない俺達に向けて、酷く冷たい声が投げられる。弾かれるようにその声の主へと顔を向ける。その先には、左腕をこちらに向かって伸ばしながら、身も凍るような鋭い視線を放つ司令官の姿があった。


 それ以上言えば殺す──


 そう思わせるかのような殺気にも似た視線。蛇に睨まれた蛙のように指一つ動かすことが出来なかった。


「し──失礼……しまし……た──」


 ようやくの思いでフレイアがそう口にすると、喉元のナイフは伸ばされていたルナリスの左手へ来た道を帰るように戻っていく。それを左手で掴みゆっくりと腕をおろしていく。そして小さくため息をついてマティスへと視線を戻す。


「正確に言えば、貴方は軍に雇われている特務技官。少尉相当の地位しかない貴方は、私の命令には従ってもらうのが当然なのですが、こちらにも落ち度があります。今回は不問としましょう。ですが──」


 言葉をそこで区切り、左手に持っていたナイフの先端をマティスに突きつける。


「整備は既に終わっているようですね? であれば次は容赦しません」

「ま、待った待った! まだアンタの持ってきた要望書の改修まで終わってない! むしろそっちの方が──」


 目を丸くしながら反論するマティスに対して、ルナリスはより刃物を首筋へと近づけ言葉を終わらせる。


と呼ばれる貴方なら、たった三機の改修なんて朝飯前でしょう?──」

「……目が笑ってねぇんだよ……お前──」


 そう話す彼女は不敵な笑みを浮かべていたが、マティスの言う通り、横目から見ている俺達でも分かるほどにその瞳の奥は笑ってなどいなかった。


「失礼します、司令! ブラッドリー中佐が合流しました。司令をお待ちです」


 不穏な空気の漂っていた空間に、別の男の声が出入り口付近から入ってくる。


「分かりました。案内して下さい──」


 そう答えたルナリスは静かに腕をおろす。そして流れるような動作で来た道を帰ろうと歩き出そうと踏み出した瞬間、ぴたりとその動きを止め、俺に視線を向けた。


「丁度良いので伝えておきましょう。クライスベル曹長、後で私のところまで来て下さい。貴官には任務に就いてもらいます」


 間の前の彼女は眉ひとつ動かすことなくそう俺に告げてきた。その言葉を聞いて少しばかり首をかしげてしまう。


「任務ですか? 然しながら、自分は負傷しています。この腕でも遂行可能なのでしょうか?」


 思わず聞き返してしまったが、目の前の彼女は静かに笑みを浮かべて口を開く。


「ええ、もちろんです。この任務は貴方にしかできません。曹長」

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