幕間 出会う因縁


 桜華の候 三十四日目 ベルネ丘陵地帯、王国騎士団 前衛部隊右翼


「懐かしい、か。確かに……懐かしい顔がある」


 アグニクスの言っていた言葉が無性に気になってしまい、兵達の目を盗んでここまで来てみれば、思いがけない顔があった。目の前でゆっくりと立ち上がる女の兵士だ。


 混じり気のない黒髪、鮮やかな藤色の瞳、品を感じさせる佇まい。その姿は懐かしいはずなのに、ひどく違和感を感じさせる。


 髪は昔よりも短くなっている。だがそれ以外は、──


「──」


 黒髪の女は何かを話しているようだが、私の場所までは届かない。後ろの男に話しかけながら、視線は私に向け、手に持っていた銃を槍のように構え、銃口に付いた刃を私に向けている。

 その女の後ろには、一人の男が隠れるように立っている。不気味なまでに赤黒い髪色のその男は、ゆっくりと背を向けてこの場を後にしていく。おぼつかない足取り、どこか負傷でもしているのだろう。であれば、足でまといになるだけだと判断されたのかもしれない。私の強さを、は知っているはずだからだ。


 その女は、母であるソフィア王妃の専属の使用人だった女だ。ユリウスが生まれた時期から母のそばに仕え始めたのを今も覚えている。使用人という立場であったが、私は家族のように思っていた。そんな彼女も、十年前の大火災で母と弟と共に死んだと思っていた。


 だが、彼女は今目の前に居る。そして私に刃を向けている。


「生きていたのだな……」

「……」


 一歩一歩、歩み寄るように距離を詰めながら声をかけるが、帰ってくる言葉はなかった。人違いかとも思ったが、姿の変わっていない人間を見間違えるはずもない。


 ゆっくりと歩を進めていく中で、私の中である疑問が浮かんできた。


「何故……生きている──」


 それを言葉にした瞬間、一つの答えが脳裏をよぎった。その答えは一瞬にして、私の心を一色の感情に染め上げていく。


「何故だっ!──」


 咆哮のように叫び大地を蹴る。即座に縮まる距離に動じることなく、目の前の女は私が振り下ろした槍をひらりと避ける。


「お前が……やったのか……? お前が……母様達を──」

「──」

「答えろ! アトラ!──」


 女は軽い足取りで、私から距離を取ろうと後退していくが、すかさず追撃をしかける。さっきよりも速く、そして鋭く槍を横薙ぎに振り払う。


「何っ?!──」


 渾身とも呼べる一閃を、女は自身の得物で皇竜アグニクスと契約した私の、で振るった槍を、目の前の女はいとも容易く受け止めて見せた。重たい音が響き渡り、鈍い衝撃が手から全身へと伝わっていく。


「アトラ……お前、竜騎士だったんだ……?」


 アトラ・ラクルス。母ソフィアに仕えていた使用人、目の前にいる彼女の名前。私の知る限り、彼女はただの人間のはずだ。だが目の前の彼女は、昔と変わらない容姿のまま、おまけに私の一撃を受け止めた。こんな事ができるのは竜騎士でなければありえない。それも、皇竜と同格の竜との契約だ。


「残念ながら、私は竜騎士ではございません。シルヴィア様──」


 槍を受け止めた姿勢のまま、ようやく彼女が口を開いた。そして、まだ名乗ってもいない私の名を知っていることからして、彼女は私の知るアトラ・ラクルスである事が確定した。それと同時に、私の中にあった仮説が、悲しくも的中してしまうことになる。


「魔法を使わないところを見ると、どうやら万全では無いご様子ですね。あまりご無理をされると、お身体に触りますよ」


 槍を受け止めたまま、涼しい顔でそう口にする彼女からは、まだ余力を残しているようにを感じる。いくら私が万全でないとはいえ、ここまで互角の力比べになるのは、目の前の光景を目にしていてもまるで信じられない。

 彼女は、自分は竜騎士ではないと答えた。もしこれが帝国の有する技術によるものなのかとも考えたが、我々が優位に立っている戦況から考えてもその可能性は低い。もし技術的なものならば、他の兵士にもこの力を持った者がいてもおかしくない。だが、ここ数日でそのような報告は受けていない。


 依然として動かない状況を打開しようと槍に加える力の向きや身体の向き、出来得る手段を試してみたがその全てに対応され、いまだ均衡は続いていた。



「ちっ──何故だ! 何故、母様とユーリを殺した! あれ程お前を信頼していた二人を……どうして!──」

「……」


 アトラの言葉を無視して言葉をぶつけるように吐き出していく。たが、アトラは口をつぐんでしまう。その姿に、さらに怒りがこみ上げてくる。なにか思案しているようにも見えたが、それを待つ余裕は今の私には無かった。


 彼女は生きていた。そして誰にも知られることなく、帝国領までたどり着いたということになる。これは逆に、誰にも知られることなくという事だ。現実に、帝国の暗殺者はその尻尾を見せること無く王都で国王を殺している。彼女が手引きしていたと考えるのが妥当だろう。


「どうして王族を手にかけたのだ! 何故……何故! 父様まで殺さなくてはならない! お前が暗殺者を手引きしたのか? どうしてこんな事を……」

「……」


 次第に声が震えはじめ、最後まで言葉にすることができなかった。依然として、目の前にいる彼女は沈黙を守っている。私の言葉に異を唱えることすらなかった。だが、何かを察したように僅かに目を見開き、ゆっくりと口を開いていく。


が、そう仰られたのですか?」

「な──」


 その言葉に、空いた口がふさがらなかった。随分と間抜けな顔をしている自覚はあるが、それでも彼女の言葉は終わらなかった。


「ジュリアス様が、国王陛下を殺したのは帝国だと仰られたのですか? いえ、それともギルベルト様でしょうか。あの方も知略に富んだお方でしたから……」


 どうしてと、頭の中で考えるが思考がまとまらない。彼女があの二人の名前を知っているのは理解できる。だが私は一度たりとて、この会話の中で兄様ジュリアス宰相ギルベルトの名前は出していない。それにも関わらず彼女は、今回の王族暗殺の推理をしてみせた当人達を言い当てた。


「ちょっと待て……どうして──」

「っ! どうやらここまでのようですね──」


 そう言って僅かに後ろを気にし始めた。彼女の後方に視線を送るが、依然として砂嵐に遮られている。


「シルヴィア様──」


 名を呼ばれアトラを見る。彼女は真っ直ぐな視線を私に向けていた。


「赤い髪の長い三つ編み、加えて隻眼の女に見覚えはありませんか?」

「な……いきなり何を──」

「お答えを──」


 唐突な質問に戸惑っていた私に、鋭い声音が飛んでくる。その表情は真剣そのものだった。過去の記憶を遡っても、こんな真剣な表情の彼女は初めて目にした。


「いいや、無い──」


 息を呑むほどの気迫に押されながらも、記憶を遡ってみるが、そんな人物にあった心当たりは無い。忘れているという可能性も捨て切れないが、国では滅多に見ない、それも家族と同じ赤い髪を持つ者を、私が忘れるなんて事はまずありえない。


「シルヴィア様──」


 しばらくの沈黙の後、思い立ったようにアトラが口を開いていく。


「私は、ソフィア様とユリウス様へ忠誠を誓っています。これを忘れた日はございません──」

「っ!? どの口がそれを言うのかっ!──」


 眉一つ動かすこと無く目の前の彼女は口にする。感情の色が見えない声が、私の心を激しく揺さぶる。その不快感をぶつける様に手に持つ槍に力を込めて振り払おうとするが、彼女は微動だにしなかった。


「フレイアー!──」

「っ!──」


 どこからとも無く男の声が聞こえてくる。その直後、アトラの後方の砂塵が揺らめいて一頭の馬が現れた。その上には、さっきの赤黒い髪の男が騎乗していた。武器の類は持ってはいないようだが、丸腰一騎でこの現状をどうにかしようというのだろうか。


「──姫様、お許しを──」

「っ! しま──ぐっ!?」


 その言葉の直後、アトラがぶつかり合っていた均衡を崩した。予期せぬその動作に対応できず態勢を崩してしまう。その直後、銃声と焼かれるような鋭い痛みが足から全身を巡っていった。


 対応出来ないまま足を撃たれた。肉の端を抉りとるように掠めただけだが、それだけでも私に膝を付かせるのには十分な攻撃だった。


「痛っ──貴様、よくも──」


 傷口を押さえながら彼女を探す。だが、既に馬に乗りこの場を離れていこうとしていた。


「ま、待て! アトラー!!──」


 必死の叫びに僅かに首を曲げたが、すぐさま馬は軽快に地を鳴らしながら東へと向かっていった。


「姫殿下!──」


 遠ざかっていくアトラと入れ替るように、視界が一瞬暗くなり、上から声がかけられてきた。空を見上げれば、そこには低空飛行する竜から誰かが飛び降りようとしていた。銀色の髪を風に晒しながら着地し、こちらに駆け寄って来る。


「姫殿下! ご無事で──っ! 殿下、お怪我を──」


 駆け寄って来たのはソニアだった。どうしてこんな場所に来たのかは分からないが、機動力のある彼女ならまだ間に合うかも知れない。あの女をここで逃がす訳には行かない。問いたださなければならないことが山のように出来てしまったのだから。


「ソニア! 私はいい。あの馬を追え! あれを逃がす訳には──」

「できません! 今は殿下の安全が最優先です。ククルス!──」


 そう言いながら私の肩に手を回して、空に向かって声を飛ばす。そして間を置かずに四翼の竜が舞い降りてくる。


「敵は後退していきます。我らも一旦退きましょう──」

「……くそ──」


 ソニアの肩を借り、鈍い痛みに耐えながら龍の背中へとたどり着く。それに続いて、私を懐で守るようにソニアが乗り込む。


「次は、逃がさんぞ……アトラ──」

「……? 飛びます──」


 小さく吐き捨てた言葉にソニアは首をかしげていたが、すぐさま切り替えて空へと舞い上がった。空の上から馬の走り去った方向を見るが、地上にはもう、馬の姿は影一つ見つけることはできなかった。



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