帝国編 第二章 偽りの名

第一節 紅の騎士


 桜華の候 三十四日目 ベルネ丘陵地帯、第一次防衛線左翼


「……終わったのか?」


 俺はただひたすらに、雲ひとつない蒼天を見上げていた。


 撤退命令が出ているにも関わらず、救援としてやってきた飛行する兵士達と、翼竜を駆る竜騎士の戦いを見守っていた。


 空中で交差する複数の影が、時が過ぎていくにつれて一つ、また一つと地上へと落ちていく中で、一際輝きを放つ二つの影が、俺の視線を釘付けにしていた。


 一つは、大空を切り裂く黒い閃光を放つ小さな影、時折放たれるその閃光は次々と翼竜達を撃ち落としていく。

 そしてもう一つは、鮮やかな翡翠の光を纏った翼竜だ。大空を踊るように翔びながら、誰よりも速く駆け抜けていた。その竜が放つ翡翠色の光は、ここが戦場であることを忘れさせるほどに美しい眺めだった。


そしてその翡翠色の輝きは、いつの日か見たの瞳の色によく似ていた。


「ヴァーリ様、私達も行きましょう」

「っ! あぁ、そうだな──」


 かけられた声で我に返る。俺のすぐ横でフレイアが周囲へと視線を送っていた。

 手傷を負い、重たくなった左腕を庇いながら、ゆっくりと立ち上がる。心臓の鼓動に合わせて痛む左腕をさらに抱えて、フレイアのように周囲を見渡す。


 穿たれた大地は見晴らしが良く、遠くまで見渡せる。だが、吹き荒れる風が乾いた大地から砂を巻き上げた砂塵の壁で、俺達の視界を覆っていく。

 かなり長い時間この場所に居たにも関わらず、敵の攻撃はひとつも無かった。もっとも、この場所にまだ人が居るなんて誰も考えはしないだろう。そのおかげで、俺はまだこうして生き残っている。この砂埃の向こう側では、無数の生命が散っているにも関わらず──


「っ!? ヴァーリ様!──」


 フレイアが何かに気が付き、即時に行動を起こした。俺を守るように前に出て、片膝を付いて銃を構える。その銃口の先を追うように視線を向ける。その先には、砂塵の向こう側からこちらに近づいてくる影がうっすらと映っていた。


「敵っ! っ?!──」


 一陣の風が砂塵を払い除け、その影の姿が鮮明になった。蜥蜴のような顔をした二足歩行の小さな地竜に、槍を持った騎士が跨っていた。その騎士は、真っ直ぐこちらに近づいてくる。


「足を止めます──」


 その言葉の直後、フレイアの狙撃銃が青白い閃光を放ち、一直線に地竜の胴体を貫いた。騎乗していた騎士は崩れる地竜の背から投げ出されるが、うまく着地してゆっくりとこちらに向き直る。


 他の兵士たちよりも紅い、豪奢な装飾のあしらわれた装い。赤紫色の艶やかな髪を風になびかせながら、空色の瞳が向けられていた。


 華やかな美しさを持ちながら鋭い視線を放ち、その手に十字の槍を携えた紅の騎士は、ゆっくりと歩み寄りながら口を開き始める。


「懐かしい、か。確かに……懐かしい顔がある」

「……」


 空色の瞳は、逸れることなくフレイアを捉えている。


「ヴァーリ様、ここは私が。ですので、お早く──」


 フレイアは、俺にだけ聞こえるように喋りながら立ち上がり、槍を構える様に銃を持ち直す。


 今、ゆっくりとこちらに近づいてきている彼女は強い。それはよく知っている。フレイアだけ残したとしても、時間稼ぎ出来るかどうかも怪しい程だ。

 だが加勢しようにも、俺は負傷しておまけに武器すらも失っている。ここにいても邪魔になるのは明らかだった。


「ヴァーリ様……」

「っ……生き残れよ──」

「御命令とあれば──」


 その会話を最後に、俺は彼女に背を向けて走り始める。大地を踏む度に、全身に走る痛みに耐えながら、速度は落とさず走り続ける。今の俺に出来ることは、フレイアの邪魔にならないようにいち早くここから立ち去る事だ。


 走りながら振り返る。まだ身動きを取っていない彼女の背中は、ほどなくして砂塵の向こうに消えていった。

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