第三節 翡翠の翼
桜華の候 三十四日目 ベルネ丘陵地帯、王国騎士団前衛部隊、中央上空
「ククルス、また来るよ!──」
上空から迫り来る四度目の赤黒い閃光を、翼を羽ばたかせ紙一重で
「……だんだん分かってきた」
敵の武器、あの大砲のような長筒は銃ほど連射に向いていない。閃光の威力こそ脅威ではあるが、直進的なその攻撃は一騎討ちなら当たることは無い。初撃、もしくは死角からの狙撃に向いているのだろう。だからこそ、上空から狙いを定めているのだ。
再度、正面から赤黒い閃光が放たれる。その閃光は最初に見たものよりも、ふた回りほど小さくなっていた。
威圧感の弱くなった閃光を、ククルスは容易く躱して距離を詰める。
(弱くなってる!──)
発射の間隔が短くなると、それに応じて閃光の威力も変わるようだ。ならば時間をかけるのは得策では無い。
「このまま貫く!──」
もうじき敵の場所まで到達する。右手の突撃槍を構え直していると、紫色の兵士は踵を返すように背を向けて距離を取り始めた。
「っ!──逃がさない! ククルス!」
「ククルゥ!──」
逃げる兵士を追うため、ククルスが速度を上げる。さっきの超速度には遠く及ばないが、若干の魔力が吸われ始める。
(逃げるって事は、接近戦は苦手ってことね──)
見たところ、剣の類は持っていない。それがこの予測を確信へと変えていき、ようやく勝機が見えようとしていた。
(もう少し──)
近づくにつれて、敵の姿が明確になってきた。紫の軍服を纏った少女だ。灰色の短い髪を風で乱しながら、その華奢な身体には似合わない長筒を担いでいる。
(こんな小さな女の子まで──)
こんな小さな少女が戦場に立っているこの事実に一瞬驚いてしまった。こんな華奢な少女を、今からこの槍で貫く光景を想像してしまい、槍が揺らいでしまいそうだった。だが彼女はその武器で竜騎士を、私の仲間を撃ち落としている。その行為は決して許して良いものではない。
再び槍を握りしめ、構え直したその時だった。少女の小さな身体が、波にさらわれるように上下に揺れると一気に宙返りをして、私達の頭上を通り過ぎようとしていた。
「っ?! しま──」
少女を目で追う。灰色の髪の隙間から、黄色の瞳が私を捉えていた。勝利を確信して頬の両端を釣り上げる少女の不気味な表情と、一際禍々しい輝きを放つ円筒の砲身が、私の背筋を凍らせた。
少女はただ逃げていたのではなかった事に、この時ようやく気が付いた。閃光の威力を高めるための時間稼ぎ、そして一発逆転の一手を打つための誘導。それに見事に釣られてしまった。
砲身の中で渦巻く閃光が今にも放たれようとしている。
(ダメ──避けられない──)
頭上で赤黒い閃光が一際大きく輝きを放ち、重音を響かせながら私達を呑み込もうと直進してくる。今までで一番大きな閃光、加えて初撃の時よりも至近距離だ。避けたくてもその余裕が何処にも無い。
反射的に身を小さく屈めて目を閉じた。油断と過信が生んだ敗北。後悔を胸に抱きながら、もう時期訪れる黒い衝撃をただ待つことしか出来ない自分を思うと、胸の内が苦しくなっていく。
次の瞬間、この身を襲ったのは黒い衝撃の波ではなかった。感じるのは耳をつんざく風の音と、身体を押し潰されるような息をする事も出来なくなるほどの風圧だった。
(っ?! まだ、生きてる──)
圧力が弱まったところで身体を起こし、瞳を開けた。
眼前には蒼天の中で燃える陽光、背後には途切れた翡翠の尾と、小さく見える紫色の少女の姿があった。
「ククルゥ……」
ククルスは上昇しながら、案じるような声で鳴きながらこちらを見る。おそらく、彼女の咄嗟の判断により超速度を用いたのだろう。おかげで生き延びることは出来たが、残り僅かな魔力を使ってしまった事により私の身体を心配してくれている。
「ううん、私は平気だよ。助けてくれてありがとう。ククルス」
太陽を背にして空中で静止して少女を見下ろす。追い掛けてくる仕草も、閃光を放つ気配も無い。私達の出方を窺いながら、閃光の威力を高めているのだろう。
「……無理してもあと一回くらい、か……」
自分の胸に手を当てながら、残った魔力の流れを確かめる。もう残りわずか、翡翠の超速度もできて数秒といったところだろう。
私とククルスの相性は、決して良いとは言えない不釣り合いな契約を結んでいる。高い資質と力を持ったククルスとは違い、私の持つ魔力量はせいぜい並よりも少し上といった程度しかないのだ。本来であれば、この力量差では契約などできない。過去にソフィア様とユリウス様と交わした約束のおかげで、私は彼女の背に乗れている。
(でも、やるしか無い──)
ここで私が負ければ、あの紫色の少女は仲間へとその矛先を変えることは間違い無い。あの敵は強く、そして賢い。不意をついて殺し、意表を突いてまた殺す。ここで倒さなければならない危険な相手だ。
「一か八か……」
倒す手段がないわけではない。だがこれは危険な賭けだ。間違えれば、私達があの閃光の餌食になってしまう。
(それでも──)
私はそっとククルスの背中を撫でると、ククルスは気合を入れるように短く鳴いた。言葉は無くても、私の想いも、私が今からやろうとしている事も
「行くよ!──」
「クルゥ!──」
合図と共に鞍から脚を外してその上にしゃがみこむ、同時にククルスは敵に向かって急降下していく。紫の少女の姿が徐々に大きくなっていく。
(来い──)
取り落とさないように、槍を強く握り締める。眼前に漂う少女は、未だ動く気配はない。太陽の中に隠れた私達をまだ捕えられていないのだろう。
「撃ってこいっ!──」
届くはずもない声を放つと同時に、少女が弾かれるように担いでいた長筒の砲身をこちらに差し向けた。その中で赤黒い禍々しい閃光が渦巻いている。
「行って!──」
その合図と同時にククルスの背中から離れ、空中に身を投げ出す。ククルスは翡翠の翼を輝かせ、超速度で紫の少女へと突撃していく。
少女も人間であるならば、自分の身に危険が迫れば反射的に身を守ろうとする筈だ。もし少女がそのまま閃光を放てば私達は閃光の渦に呑まれ敗北する。
(……お願い──)
魔力が吸われていく感覚に絶えながら少女を見る。少女は狙い通り、砲身を降ろしてその身を小さくし衝撃に備えようとしていた。そのそばをククルスが翡翠の尾を引きながら通り過ぎる。
(まだバレてない──)
自由落下に身を任せながら、槍を構え少女の真上から接近する。
無けなしの魔力を使ってククルスを囮に使い、その隙を突く。私達に残された、生き残るための戦い方はもうこれしか無かった。最後の手段に賭け、ここまではうまく運んでいる。
次第に距離が縮んでいく中、衝撃に耐え抜いた少女は、翡翠の尾を追いかけてその先にいるククルスへと長筒を向けた。
まだ頭上の私には気が付いていない少女を、身の丈以上の長さを誇る突撃槍の間合いに捉えた。
(取った!──)
槍を大きく振り上げた瞬間、ククルスの背中に私がいない事に気が付いた少女が頭上を仰ぎ見た。
その表情は無表情と呼べるものであったが、その黄色い瞳には明らかに驚愕の色が浮かんでいた。
「もう遅い! はぁぁ!──」
持てる力の限り槍を振り下ろす。勢いよく振り下ろされたその槍を、少女は長筒で咄嗟に受け止める。
(っ?! 力が弱い!?──)
少女は叩き落とされること無く槍を受け止め、その場で浮遊したままだった。正確には、浮遊している足場を利用して槍の力を受け流して耐え抜いていたのだ。
(まずい──このままじゃ──)
確実に捉えたと思っていた。だが最後の詰めが甘かった。眼前の少女の瞳から焦りが消え、小さな唇の両端が釣り上がる。『死』の一文字が一瞬にして脳裏を埋めつくす。
(まだ……まだ、死ねない!──)
槍を握る両手に、さらに力を込める。
「風よ! 薙ぎ払え!──」
「っ──」
空になった身体の内側に無理やり火を灯すように、命を糧に魔力を絞り出す。それに呼応して、荒ぶる疾風が槍を覆う。
「やあぁぁぁぁっ!──」
突如現れた風に煽られ少女が体勢を崩した瞬間、槍を振り抜き、今度こそ少女を地上へと叩き落とす。同時に、全身を風に委ねながら自分自身も落ちていく。
だがその浮遊感もすぐ無くなった。横から攫うようにククルスが私を前脚で捕まえて、その脚を伝いながら背中へと戻る。
「──やった……ぐっ──っ……」
極度の緊張から開放された瞬間、身体に激痛が走る。まるで身体の内側から、太く大きな杭が外に向いて身体を突き破ろうとするような衝撃が全身を巡っていく。
気絶しそうになるのを踏み止まり、鞍に座り直す。
「ククルゥ……」
「だい……丈夫……大丈夫……」
荒い息を整えながら、ひどく弱々しい彼女の声に答える。決して安心させられるものでは無かったが、痛みは弱くなってきていた。
大きく深呼吸して、戦場を見渡す。まだ左翼と中央では激しく土煙が舞っている。右翼は反対に静けさに支配されていた。斑に穿たれた大地には人影すら見受けられない。
「行こう──」
ククルスはゆっくりと空を翔び、紅い竜のいる本陣へと向かっていった。
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