第二節 風竜の力


 空を裂きその風を身体に受けながら、縦横無尽に大空を翔んでいる。いつもなら、心地良いと感じる風圧も、今は身体の芯まで凍らせてしまいそうなほど冷たく、重い。背後から感じる鋭い視線と、耳に届く無数の銃声が、容赦なくそれに拍車をかける。


 空中を舞い踊る中、自分たちを付け狙う視線を確認するため背後へと視線を送る。


「っ──まだ付いてくるの!?──」


 空中戦が始まってから、二騎の敵兵士が執拗に背後を追いかけながら、二つの銃口が火花を放っている。だがその銃口から放たれる銃弾が、私達の身体に届くことは無かった。


「どうにかしないと──」


 空中を自在に翔ける風竜の軌道を捕らえるのは容易ではない。だが敵は正確に背後を追走しながら絶えず銃口をこちらに向けている。速度もほぼ互角。遠ざけることも出来ないが距離も保たれたままだ。だが、反撃に転じるために速度を落とせば即座に鉛の雨に襲われる事は目に見えている。先手を取られた事により、不利な戦況が続いている。


「何か手は……。他のみんなは──」


 背後の銃声から逃れながら、周囲を見回そうと首を横に振った時、一発の銃声が耳に届く。それと同時に、青白い閃光が視界を横切る。


 その刹那、左頬が刺すような熱を帯びる。恐る恐る、左頬へと手を当てると、指先が赤く染まっていた。


「っ?!──」


 じわりじわりと、脈打ちながら頬を刺す痛みと吹き付ける風が触る度に、痺れるような感覚が全身を駆け巡る。焦りと不安に満ちていた心の内を、一瞬にして恐怖が支配していった。


 何が起きたのか、すぐには理解出来ず困惑していた私を、再度現れた閃光と銃声が無理やり戦場へ呼び戻す。


「っ! ククルス!──」


 反射的に彼女の名を呼ぶ。ただ名前を呼ぶだけ、それだけ彼女には全て伝わっている。


 ククルスは、今まで以上に身体を揺らして空を翔ぶ。その動きの妨げにならぬように、空いた手で鞍に掴まり、彼女から伝わる意識を汲み取りながら動きに合わせて身体を傾ける。


(大丈夫、大丈夫──まだ、いける──)


 青白い閃光を躱しながら、耳に届く銃声が私の鼓動を速くしていく。


「はぁ──はぁ──っ! ククルス! 避けて!──」


 背後との距離を確認しながら、更なる警戒のために周囲を見渡していた時、上空から赤黒い閃光が放たれるのが視界に映り、次第に大きくなりながらこちらに迫って来ていた。

 ククルスはすぐさま身体を捻りながら翼をたたみ、急降下して軌道を変えてこれを回避する。そしてすぐに不規則な回避行動へと移っていく。


「アイツが──」


 赤黒い閃光が発せられたその場所には、長い筒のような物を肩に背負った帝国軍の兵士がいた。遠目からでも分かる。他の者達とは違う、紫の服を纏っている。間違いなくアイツが敵の指揮官だと理解する。


「アイツを倒さないと──」


 背後の敵や、他の竜騎士達と戦っている敵兵士を倒す事はもちろんだが、敵の指揮官を倒せばこの状況も一気に好転させられるはずだ。その為にも、まずは後ろの敵を引き剥がす必要がある。


 二度、深く息を吸い自分の内側へと意識を向ける。自分の身体の中に、静かに眠る泉を思い浮かべながら、徐々に波を立てていく。


 そっと、ククルスの背中に手を当てる。


「ククルス……いくよ──」


 盟竜は、これに応えるように大きく鳴いてみせた。彼女の闘志ともとれる感情が、私の中の泉にさらに激しい波を立てていく。


「今こそ、汝の枷を解き放つ。その身に疾風を纏わせよ──」


 背中に手を当てたまま、言の葉を唱える。すると、ククルスの四枚の翼に翡翠の光が宿り始める。その光が全ての翼を覆い尽くした瞬間、空気が爆ぜた。


「ぐっ──」


 見えない壁に激突したかのような衝撃が身体を襲う。咄嗟に鞍を掴み、身を屈めてそれに耐えながら背後を見る。

 四翼の翼が翡翠色の尾を引きながら、背後の敵を突き放していく。聞こえてくるのは、耳をつんざく風の音だけ。銃声すらも突き放す圧倒的な速度。


 あらゆる風を操る風竜ふうりゅうにのみ許された魔法。空の上で彼女達風竜に勝てるものなどいない。


(っ?!──)


 風圧に耐えながら身を屈めていると、突如として悪寒が全身を過ぎる。心臓を鷲掴みにされた様な痛みと寒気、顔から血の気が引いていくのが自分でも分かる。


 竜の力は絶大だ。その力を開放し、それを行使する為には魔力が必要となる。それに必要な魔力は契約者である竜騎士から供給される。竜単騎であれば大量の捕食を必要とする魔法の行使も、竜騎士の魔力をもってすれば、魔力の続く限り発動が可能となる。

 その為の魔力を、今まさに吸われている。水の入った樽に大穴が開き、勢いよく流れ出ていくような感覚、気を抜けば一気に持っていかれそうなその勢いを、必死に抑え制御する。


(っ……これなら──いける!)


 身を屈めたまま、踵でククルスの胴を小突く。その合図に応え、ククルスが高度を上げながら大きく旋回する。目指すその先は、味方の竜騎士を付け狙う二騎の敵兵士。


(私が、皆を──)


 右手に持った突撃槍を握り締め、狙いを定めて構え直す。敵は目の前の竜騎士しか見えていない。そのうちの一人に狙いを絞る。


 難しい技術は必要ない。攻撃の威力も、突撃進路も全て彼女に託している。私は、ただこの槍を当てるだけ。


 敵兵の真下から、速度を保ったまま突撃する。狙うのは兵士が乗っている浮遊している板状の乗物。これを壊せば、もう空は飛べないに違いない。


「護る!!──」


 敵兵と交差する瞬間、槍の先を敵の乗物の後部にぶつける。


「ぐっ!──」


 だが槍の当て方が悪く、身体は衝撃に負けて起き上がり顎も上を向いてしまう。気を抜けば竜の背から剥がされそうになるのを必死に耐えながら敵へと視線を向ける。


 予期せぬ衝撃に見舞われた敵兵は、乗物から宙へと投げ出され、そのまま落下していく。板状の乗物も、まるで力を失ったかのように地上へと落ちていく。


「もう一人!──」


 すかさず残りの敵へと意識を集中させる。何が起こったのかまだ理解出来ていないのか、呆然と空中で静止している。狙うなら今しかない──


 左手で握りしめていた鞍を引っ張りあげるように身体を逸らす。その動作に応じるように、ククルスは背中を地上に向けるように逆さになり、空中で静止した。


 静止したのを確認して、鞍を踏み台にして力の限り真下へと飛び、敵兵士へと突撃する。


「はあぁぁぁぁ──」


 困惑したままの兵士目掛けて、突撃槍を振り下ろして地上へと叩き落とす。

 敵が落ちていくのを自分も落下しながら確認していると、ククルスが真下で静止してその背中に迎えてくれた。


「ありがとう、ククルス──」


 鞍に跨り、友の背を撫でる。ククルスがそばにいる限り、いくら空中に飛び出し無防備になったとしても、必ず迎えに来てくれる。竜騎士にしかできない戦い方だ。


「フレメリア卿──」


 さきほど助けた竜騎士が近寄ってくる。どうやら、竜共々、彼等に怪我は無さそうだ。


「無事ですね! 他の味方の援護……を──」


 言葉の途中で、身体が鉛のように重たくなる。思った以上に魔力を吸われたらしい。少し視界が揺らいで、目眩に近い感覚に襲われる。


「フレメリア卿! 顔色が……」


 心配するような声を振払うように、顔を振る。まだやらなくてはならないことがある。こんなところで倒れてなどいられない。


「私は大丈夫です! 貴方は味方の援護をお願いします。私は──」


 言いながら視線を空中に彷徨わせ、標的を探す。


「アイツの相手をします──」


 誰よりも上空に位置して、こちらを見下ろしている紫色の帝国軍兵士を睨みつける──

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