第六節 守るべき相手



「ぐっ──。俺は……生きて……っ?!──」


 鈍い痛みが身体を巡り、意識を無理やり戻された。歪んでいた視界に、次第に色が戻ってくる。


 目の当たりにした光景は、優しい緑広がる丘陵地帯ではなく。緑は剥がれ、赤いまだら模様を浮かばせる、穿たれた灰色の地面。


 一面に広がるその景色の中には、倒れていた少年兵も、血塗れの甲竜の姿も、どこにも見当たらなかった。


「っ──」


 今にも叫びだしそうになるこの感情を押し込めるために、拳を強く握りしめる。


 少年は俺達をと呼んだ。


 確かにこの国は、各地で戦火を振り撒いている。その真意は、俺達軍人が知るわけもない。ただ命じられるまま戦うだけ。だが、今攻めてきているのは王国側だ。その牙は徐々に人の住む土地へと迫ってきている。罪なき民にまで手をかけることなど、も望むことではないはずだ。


「なのになんで……っ?!」


 俯いていた俺の耳に、地を駆ける音が近づいてくる。その音の先には、馬よりも早くこちらに近づいてくる二本足の地竜の姿があった。馬よりも小さい体躯、長い尾を左右に揺らしながら風のように駆ける蜥蜴顔の地竜だ。その背には長槍を持った騎士が俺に鋭い視線を向けていた。


 騎士が長槍を構え、俺に狙いを定め突進してくる。


「まだ来るのか……っ?!」


 一つ短く息を吐いて、盾を構えようと左腕を上げる。だがその腕は軽く、楕円盾カイトシールドの姿は無かった。


「はああ!──」

「くそっ──ぐっ──」


 それに気づいた時には、騎士の長槍は振るわれていた。今更回避も間に合うわけもなく。致命傷を避けるために体を反らしながら、左腕の篭手で長槍を受け流そうとする。しかし、この篭手は防御するためのものでは無い。刃の軌道をそらすことは出来たが、篭手はあっさりと斬り裂かれ、鮮血が宙を舞った。


 鼓動が脈打つ度に、左腕から全身へと突き刺すような痛みが走る。その度合いからしても、この傷は浅くない。耐えられず膝をついてしまう。

 その間にも、地を蹴る音は鳴り止まない。地竜は旋回しながら、再度突撃を仕掛けてこようとしていた。


「くそっ……どうしてこんな事をするんだ! 戦争なんて! 王国が望むはずじゃ──」

「黙れ! 貴様らの犯した罪の深さ、その命を持って知るがいい!──」


 騎士が長槍を再度構える。二度と外さないという気迫がその構えから伝わってくる。


「死ねぇ!──」


 騎士が長槍を振るおうとした直前、銃声が耳を突いた。それと同時に青白い閃光が騎士の頭部を貫いた。

 騎士の身体から力が失われ、地竜の背から滑り落ち、地竜だけが横をすり抜けていく。それから再度二発の銃声の後、痛みに苦しむ鳴き声と、背後で何かが倒れる音が聞こえる。恐る恐る振り返れば、近くで倒れている蜥蜴顔の地竜の横たわっていた。


「ヴァーリ様!──」

「……フレイア……」


 名前を呼ぶ声の先には、狙撃兵として後方に控えていたはずのフレイアの姿があった。槍のように長いその銃の銃口は、刃が一体となった作りになっている長槍銃ライフルスピアを小脇に抱えながら駆け寄ってくる。


「すまない、助か──」


 言葉の途中で視界が揺れ、頬に鈍い痛みが遅れてやってきた。彼女が俺の頬に平手打ちを見舞った事を理解する頃には、胸ぐらを捕まれ引き寄せられていた。


「いい加減にして下さい!──」


 凛と響く声を怒りで震わせながら、藤色の瞳が目の前で揺れていた。


「貴方は……貴方はヴァーリ! なんですよ!」


 胸ぐらを掴みあげる手に、さらに力が込められる。彼女の乱れた吐息が頬を撫でる。


「貴方は、ギルバース帝国軍人ヴァーリ・クライスベルなんですよ! 誰の為に、こんな場所に居るのですか!? 守るべき相手を、間違えないでください!」


 息を切らせながら言い放つと、掴んでいた手から力が抜けていく。


「……ごめん」


 目の前で息を乱しながら涙汲んでいる彼女を前に、返すことができた言葉はそれだけだった。斬られた左腕よりも、頬の痛みの方が一層身体を苦しめていた。


「おい! お前達なにをしている! 敵の増援だ。直ちに撤退するぞ!」


 俺達を見つけた別の兵が駆け寄ってきていた。その兵は息を切らし、怯えたような表情で西の空を指差していた。


「増援──」


 指差したその先に視線を向ける。その先には翼を広げた無数の翼竜の影が揺らめいていた。


「翼竜まで……」


 フレイアが小さな声で呟くように口にした。不安に満ちたその声音が、俺の中に深く突き刺さる。


「本当に……戦争をするつもりなのか……」


 遥か遠くに揺らめく翼竜の影の下、翼を折りたたんだ赤く巨大な竜に視線を向ける。

 国境警備と、周辺に駐屯していた防衛戦力を一日で壊滅に追い込んだ王国の主要戦力。あの竜の近くには、必ずがいるはずだ。民を巻き込んでまでの戦争なんて、あの人達の中でも一番望んでいないはずだ。それを多少なりとも知っているからこそ、この戦いに疑念を持たざるを得なかった。


「どうして……っ?!──」


 そんな言葉が口から漏れた時、複数の影がを通り過ぎた。その影は東から西へと、青白い粒子の尾を引きながら翼竜の編隊へと直進していく。


「あれは……?!」


 見上げた先、その空の上には、細長い楕円の板に乗った人の姿が見えた。

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