第二節 狩りへ


 桜華の候 七日目 皇の森


「見つけた──」


 なんとか狩場へ到着し、森を歩き回って見つけた痕跡から後を追ってようやく目の前に獲物を捉えた。

 逞しい角を備えた牡鹿が草をんでいる。仔竜の初戦としても申し分のない大きさだ。


「すぅ──ふ!──」


 素早く矢をつがえてひと息のうちに撃ち放つ。放たれた矢は草木の隙間を掻い潜って牡鹿の近くの木に刺さる。生命の危機を察した牡鹿は跳ぶように森の奥へと逃げ出そうとしていた。


「そっちじゃ……ないっ!──」


 すかさず矢を放ち、さらにもう一矢撃ち逃亡進路を妨害する。この狩りの私の役割は、獲物の捜索と誘導。あくまでもあの子達の練習が目的だ。

 予定進路に入った牡鹿を追跡する。わざと音を立て、追い立てていく。逃げていく先は、森の開けた林道。光の射さない森の中で唯一空を仰ぐことのできる場所だ。


 牡鹿が林道に出た瞬間。待ち構えていた一匹の仔竜が上空から襲いかかった。瞬く間に後ろ脚で羽交い締めにし、前脚で首を絞め潰すように押さえつけている。


「ジルー、でかした!」

「クーッ!──」


 ジルーは興奮気味に鳴いて鼻を鳴らす。その横にゆっくりとテトが舞い降りると、『どうだ! 見たか!』と言うように翼を広げて、ジルーが勝ち誇っている。

 捕食者としての本能なのだろう。初めてだとは思えないほど迅速に、そして鮮やかに仕留めてしまった。世界最強の名は伊達では無いということだ。一安心していると、仲良く肉を啄み始めた。喧嘩でもするかと思っていたのだが、こういう部分は協調しているらしい。


「この様子だともう一体は必要かな……」


 随分と立派だった牡鹿も、みるみると小さくなっていく。冬眠明けだからだろう、しっかりお腹は空いていたらしい。


 彼等の原動力は魔力そのものだ。魔力はこの世界に遍く存在している。生物はもちろんのこと、水や草木、大気の中にも含まれている。竜達はそれをありとあらゆる手段で体内に取り込む。その一番効率の良い方法が、他の生物の捕食だ。だからこうして仔竜の食料を調達しているわけなのだが、これにも問題はある。


 それは、竜の食事の量だ。それも身体の大きさに比例していく。もし、城ほどの大きさの竜が食事を始めてしまえば、山一つ無くなってもおかしくはない。とはいえ、そこに至るまでの空腹に晒されるほどの魔力を消費する必要があるのだが、戦いでもしない限りそのような事にはあまりならない。

 この食糧事情を解決しているのが『盟約』だ。盟約により契約した竜騎士は、盟竜に自身の魔力を供給する。捕食ほど効率は良くないが、半永久的に魔力を供給することが出来るため、過度な食事は抑えることができる。


「ほら、次探すから準備してよ──」


 残りの矢の数を確認する。ククルスがこの場にいてくれれば、を使うことができるためここまで苦労することはないのだが、今回ばかりは仕方がない。


『盟約』は、ただ魔力を供給するだけでない。魔力を竜に分け与えることで、私達は竜の力を使うことができるようになる。主に身体能力の大幅な上昇と、この世界で竜のみが扱うことの出来るを行使することができる。それらを総じてと呼んでいる。だが、盟竜がそばに居ないと魔法は使えない。今は辛うじて、身のこなしが軽やかになる程度の恩恵しか得られていない。


「えーと……持って帰りたいからあと二匹は欲し──っ?!」


 今後の予定と作戦を模索している中で、枝が割れるような乾いた音が聴こえた。立ち止まり、意識を聴覚へと集中させる。


(何処だ──)


 聴こえてくるのは、肉を啄み咀嚼する音と鳥のさえずりに風の踊る音、だがその中に異質な音が確かに存在していた。

 枯れ木を砕く破砕音が徐々に大きくなっていく。樹林が不自然に揺れる音に続いて、一斉に飛び立つ鳥達の羽音。


「っ?! 後ろか!──」


 振り返りながら身を低くして矢を番える。さらなる異変を見逃さない様に、眼を見開き耳を澄ます。冷静に息を整えようとするが、胸の鼓動は速まるばかりだった。やがて林道のすぐそばの木が大きく揺れた。その間から一匹の竜が姿を現した。


 黄銅に染まった斑の剛皮、動かす度に地を揺らす二足の豪脚、丸太のように太い尾がゆらりと左右に振れ揺れている。


(立派な地竜だ──)


 目の前に現れたのは、二足歩行により素早く地を駆けることの出来る竜──地竜ちりゅう──だった。


 離れてはいるがその大きさはククルスを遥かに上回っているのが見てとれる。きっと長い歳月をかけて成長しているのだろう。思わず吐息がもれるほどの力強さを感じさせる。だが、すぐさま気を引き締め直し弓を握り直す。


 眼前に佇む地竜の最も特徴的な肥大した顎、捕らえれば例え鋼鉄であっても噛み砕いてしまいそうなほどの凶悪さを持っている。その代償か、前腕は使えるのか分からないくらいに小さくなっているが、あの大顎があの竜の全てなのだろう。小さな腕は力なく伸び、大顎からはあの竜の本能が滝のように溢れだしている。


「……。寝ぼけてるだけよね……?」


 暫くこちらを見ているだけだった地竜が、ゆっくりと大地を鳴らしながら近付いて来る。本能がギラつくその眼は、真っ直ぐ私に向けられていた。


(動いてはダメだ──)


 竜の最も効率的な魔力補給方法は捕食だ。そしてその効果を最も得られる獲物は、濃い魔力をその内側に秘めている私達人間だ──


 徐々に距離が埋まっていく。だが動いたら最期、地の果てまで追いかけてくるだろう。逃げきれないのは目に見えて明らかだった。逃れる術を模索しようとするが、どう動いてもあの大顎に捕えられる未来しか思い浮かばない。


(どうする──っ?!──)


 万事休す。そう思っていた矢先、地竜との間に二匹の仔竜が割って入る。浮遊しながら、自分よりも大きな相手を威嚇している。


「ジルー! テト! やめなさい!──」


 私の静止は届かない。なおも地竜の眼前を動き回っている。対する地竜も対抗している。大顎で捕らえようとしているが寸前で交わされている。だが、次の瞬間、素早く身体を反転させた。丸太のような尾をしならせながら鞭のように振るう。それを予期せず威嚇を続けていたジルーは地面に叩き落とされた。すかさず大顎がジルーに襲いかかっていく。


(させない!──)


 すかさず弓を引き、地竜の首筋に向けて放つ。風を切り裂き音を鳴らしながら突き進む矢は、狙い通りに突き刺さり地竜の動きを止めた。怒りの混じった野生の眼がこちらを睨む。


「こっちだ! ついて来い!──」


 声を張り上げ、さらにもう一本矢を放つ。こちらに注意を向けさせる為に、様子をみながら後退する。最初から狙いは私だったのだ、誘導は簡単に成功する。

 立派な地竜に矢を放ってしまったのは心苦しいが、大事な友の大切な仔の方が大切に決まっている。しっかりと追いかけてくるのを確認し、弓と矢を捨てて脱兎のごとく地を駆ける。


 グオオオォォォ!!──


 怒り混じりの咆哮が背中を刺す。迫り来る振動が凄まじい速さで大きくなっていく。後ろを見る余裕など皆無だ。だが見えない恐怖が私の心をなおさら不安にさせていく。

 左右に曲がれる余裕はあるのか、曲がる間に捕えられたりしないか、実はもうすぐ側まで迫っているのではないのか。余計な思考が回ってしまい、後ろを振り返ってしまう。


「っ?!──」


 最悪の光景だった。すぐ間近でずらりと並んだ凶牙が、左右から挟もうとする寸前だった。だがその牙が届くことはなく、激しい音ともに横へと流れていった。入れ替るように新たな影が現れる。


「あ……あれは──」


 立ち止まり、確認するために振り返る。そこには大顎の地竜よりもさらに大きい地竜が立っていた。


 細く長く伸びたわにのような顎と鋭爪を備えた前腕はしっかりと発達している。煌めくような黄土の体躯と逆巻く波のように突起したヒレが背中から尾まで伸びている。その荘厳な姿は、幾度となく目にした事がある。


「咆竜様!──」


 竜たちの中でも、極めて強大な力を有している五頭が存在する。培った知性で他の竜を纏めるその竜達を、私達は敬意を込めて、五皇竜ごこうりゅうと呼んでいる。その一角、地竜を統べる咆竜皇ほうりゅうこうベルハーラム。


 ようやく起き上がった大顎の地竜に、咆竜はすぐさま尾を振り抜き、再び地に沈めてしまう。だがそれでも大顎の地竜は起き上がり反撃に転じる。

 大地が揺れ砂塵が舞う。竜同士の戦いをこんな間近で見るのは初めてだ。これほどまでに激しいものはそうそうお目にはかかれない。咆竜ともなれば尚更だ。

 そんな戦闘の最中、咆竜の口元に黄色く煌めく魔法陣が現れる。それはすぐさま霧散し、その直後咆竜が大きく口を開けた。


 グガアアアァァァァァ!!!──


 世界を震わせる咆哮、正面の木々を吹き飛ばす程の衝撃波が放たれた。その余波を受けて私自身も地面転がってしまうが、直撃を受けた大顎の地竜は森の中へと弾き飛ばされていく。


 激しい戦闘が終わり静かな森が帰ってくる。尻餅をついたままの私に咆竜が視線を飛ばしてくる。


「大事無いな?」

「……っ!」


 咆竜がいる方向から声が聞こえてくる。だが私には竜の声が聞こえるほどの才能はない。せいぜい感情を読み取り気持ちを汲むことくらい。竜と会話が可能なのは王族の人間のみだ。

 よく見れば、咆竜の背中に人影があった。その人影は咆竜の背から飛び降り私の元へと歩いて来る。


「ク、クラトス皇子!?」


 急いで立ち上がり姿勢を正す。目の前には藍色の長髪を風に揺らしながら、鋭い眼で私を見下ろしているドラヴァニア王国第二皇子、咆竜皇ベルハーラムの契約者、クラトス・ノラ・ドラヴァニアその人がいる。


「あ、ありがとうございました。大事ありません」


 それを聞いた皇子は、私を一瞥して咆竜の元へと帰っていく。元々口数も少なく目付きも鋭い武人のような人だ。他意は無いのは理解している。


「ほ、咆竜様! この度は助けて頂きありがとうござ──」


 その言葉の途中で、咆竜の咆哮が飛んでくる。もちろん加減はしてくれているが、それでも生身の人間には十分すぎるほどの威力があった。意識が刈り取られそうになり、再び尻餅をつく。


「よせ、ベルハーラム」


 地竜は気性が荒い事で知られているが、皇子が静止するとすぐさまそれをを止めた。そして少し背をかがめると、皇子が高く跳躍してそこに飛び乗る。それでも尋常じゃない高さだ。それを軽々としてのけるほど、皇竜の恩恵は大きいのだろう。


「すぐに森を去れ。今はまだ危険だ」


 それだけ言い残して、咆竜とともに森の中へと消えていった。それを見送ると、空から仔竜達が舞い降りて心配そうに鳴きながら頭を寄せてくる。


「帰ろっか……あ──」


 二匹の頭をひとしきり撫でて立ち上がる。荒れ果てた周囲を見回していると、二つの紅い花が目に入った。

 夕陽のように鮮やかな緋色の花びらが私の視線を釘付けにした。とても懐かしいその色は、の髪の色によく似ていた──

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