<4> 木曜日


 今夜から日曜まで、翡翠はカペラ市の実家に帰ることになっていた。明日の金曜が祝日で大学が休校なのと、去年結婚した翡翠の姉が三週間前に出産して実家にいるからだ。翡翠の実家は裕福で、遠雷が話に聞く限り家族仲もなかなか良好だ。彼は今までに一度だけ翡翠の家に時に招かれたことがあり、今回も誘われた。翡翠の家族は遠雷を丁重に迎えてくれて、彼の方でも好意を持っているけれど、新しい赤ん坊とそれを取り囲む家族の中に自分がどういう顔をして、どんな気持ちでいればいいのかわからなかった。だから今回は遠慮した。翡翠が留守にするなら、おれも休暇をもらって中央市まで行ってくるよ、言ったのだ。それは半分は誘いを断る口実で、半分はいつかやろうと思いながら先延ばしにしていたことだった。

 翡翠が、大学で四限の授業が終わったらそのまま駅に向かうと話したので、遠雷は途中で抜けられるから見送るよ、と言った。その時翡翠は怪訝な顔をした。なんで別に見送りなんて必要ないよ、と。

 中央市行きの電車の切符を受け取るついでに、と遠雷が答えると、翡翠は少し納得したようだった。でもおかしなことには変わりない。予約してある車両の切符は、乗車直前に発券すれば良いからだ。

 遠雷は仕事の休憩時間をずらしてもらい、日の沈みかけた町へ出た。最寄り駅までの短い距離で、地球が間近に見える。翡翠はいくら眺めても飽き足りないらしいが、本音を言えば遠雷は、地球を視界に捉えるのは苦手だった。けれど頭上に輝く地球はどこまで歩いても彼を追ってきて、目を反らすことも出来ない。モノレールに乗って、長距離列車の発着するターミナル駅に降りる。翡翠は先に来ていた。流石に人が多いので、タフタの引き綱を短くし、先を固く握っている。犬の方も心得たもので、こういう場所では大人しい。翡翠にぴったりと寄り添うようにして歩いている。

 列車の時間まで間があったので、忘れかけていた乗車券の発行の仕方を翡翠に改めて教えてもらった。遠雷はもうだいぶ前から、わからないことは素直に訊くようにしている。

 目の前に現れた切符には、明日の日付と発車時刻、それと行き先であるアンディエル中央駅の文字がはっきりと印刷されていた。それを手にして眺めた時、遠雷は自分でも予想外に動揺した。もっともそれはごくわずかな心の動きで、だから彼はそれを表情に出したりしなかった。

 列車の到着したホームで翡翠とタフタが車両に乗り込むまでついていき、

「お土産買って来るね、どうせ母さんと姉さんに山ほど持たせられるだろうけど」

 と、軽口を叩く翡翠に軽く手を振って送り出しはしたけれど、遠雷はずっと気もそぞろだった。線路の先に夜のブリアルドスの街明かりが見える。列車はそこへ向かってゆっくりと滑り出した。これからまた仕事に戻らなくてはならない。踵を返して歩き出しながら、遠雷は考える。けれど既に自分の財布にしまった明日の切符。彼はそのことばかり考えていた。



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