第20話 翌日の朝

 瑠奈は、朝の開店と同時に入った生協の二階のカフェのテラスで注文した朝食のモーニングセットを前に、昨日ハルから届いた短いメールを読み返しては、ため息をついていた。

 今日は一時限目から講義があったので早く起きたのだけれど、今朝の瑠奈はどうにも自分で洗濯や朝ご飯をつくる気力が出せず、無精をして生協のカフェに入ったのだ。そこで瑠奈は食欲も無い事に気がついた。


「おはやう。浮かない顔してどうしたの瑠奈」

 顔を上げると、下の生協の購買部で買って来たカップ珈琲を手にした優香里が立っていた。

「ああ優香里か。おはよう。今日は早いね」

「今朝はお父さんに研究資料の荷物運びさせられてたのよ。まぁおかげて通学のラッシュのバスには乗らずに済んだんだけれどね」

「ふーん」

「でも瑠奈の方が珍しいんじゃ無い?カフェで朝ご飯なんて」

「うっ、うん」

「しかし朝から浮かない顔してるわね」

「そ、そうかな?」

「てっきり今朝の瑠奈は、世の中全てのモノに微笑みを贈るぐらいの勢いだと思ってたのに」

 テラスの手すりにもたれかけた優香里は、カップ片手にそんな事を言う。

「えっ?なにそれ?」

「初めて好きな人と結ばれた次の日の朝ってのは、世界が輝いて見えるもんだって話よ。瑠奈には未だ早い話みたいだけれど」

 そう言って優香里はカップ珈琲を啜った。

「なっ、なんの話だよ」

 瑠奈は必死にとぼけようとする。

「誤魔化しても駄目よ。どうせ昨日はハル君とうまくはいかなかっんでしょう?」

「そ、そんな事は……」

「だったら思いは遂げられたの?」

「告白したし、きっ、キスもしたもん!」

 瑠奈は精一杯虚勢を張った。

「それだけ?」

「あと……」

 瑠奈はハルに後ろから抱きつかれてシャツの中に手を入れられたりお尻をまさぐられたりした事を思い出し言葉が止まった。その後、瑠奈の方からハルのものを受け入れることを許したのだった。みるみるうちに瑠奈の顔が赤くなる。


「まぁいいわ。後はハル君に聞くから」

「えっ?」

「ほら、あそこハル君がいる。おーいハル君」

 優香里は、丁度カフェが有る二階のテラスの下の路を通り掛かったハルに声をかけた。その声に思わず瑠奈も立ち上がってハルの様子を確認しようとする。

 今朝のハルは、結局昨日部屋には帰ってこなかった石田と寮の朝食で顔を会わせたくないという思いもあり、早めに寮を飛び出したのであった。ハルは折角早く学校に来たのだから誰もいない早い時間をみはからって魔法実験棟でシャワーを浴びようと考えていたところだった。

「あっ瑠奈」

 テラスを見上げる形でハルが声を上げる。

「は、ハル!」

 瑠奈とハルは、お互い視線を交わした状態で固まる。

「もぅ。本当あなた達は出会う度に動き止めてるよね。壊れたゼンマイのおもちゃみたいだよ」

「壊れてて悪かったよ」

 そう言い返す瑠奈のことは放っておいて、優香里はハルの方に声を投げかけた。

「そうそうハル君。昨日瑠奈の家で何があったの?ちゃんとやれたの?」

 優香里が下にいるハルに聞こえるように大きな声で言うモノだから、瑠奈が焦って声を上げる。

「優香里!ハルになんてこと聞くんだよ」

 優香里に問いかけられたハルは気まずそうな表情を浮かべて、ぎこちなく目線を逸らして答えた。

「いや、別に……。じゃ僕は、これで」

 ハルはそれだけ言うと、足早にその場を離れようとした。


「あっハル!」

「逃げた」

「優香里が変な事を聞くからだよ」

 ハルの背中を見ながら瑠奈が優香里を責めた。 

「人のせいにしちゃ駄目だよ。そもそも瑠奈とハル君の二人の問題なんだから」

「それはそうなんだけれど」

 そう言い返されると瑠奈は口ごもるしか無かった。優香里はもう少し瑠奈を弄ってやろうと、向かいの椅子に腰を下ろそうとした。

「あっ僕の鞄が邪魔だね。こっちに渡してよ」

 優香里は瑠奈に言われるまま、椅子の上に置いてあった瑠奈の鞄を持ち上げて渡そうとした。

「あら瑠奈、この鞄汚れてるね」

 鞄の底の辺りに、少しこびりついた血のような汚れがあった。

「えっ?あっこれハルの血だ。昨日のだね」

 瑠奈は慌てて鞄を受けるとテーブルの紙ナプキンを取り上げてコップの水に浸して拭き取ろうとした。

「ちょっとまて。まてって。えーっと頭を整理させてよ」

「なんだよ優香里?」

「えーっと。昨日、瑠奈は、大量の媚薬を飲ませたハル君を家に連れ込んだけれど上手くいかなかったんだよね」

「そんな事、言葉にして確認しないでよ」

「で、一夜明けてハル君は瑠奈を避けて逃げる様にしている……」

「優香里がハルをからかうからだろう」

「で昨日ハル君が血を流してたと。と、いうことは瑠奈。貴方まさか……」

「何だよぅ?」

「瑠奈はハル君に一体何を突っ込んだのよ?」

「突っ込んだって?」

 瑠奈は優香里が何のことを言っているのかさっぱりわからなかった。

「そりゃ私は瑠奈に「後ろを使え」って言ったけどさぁ。それはハル君の後ろって言う意味じゃ無かったんだけれど……」

「ばっ馬鹿。優香里は何を言い出すんだよ!」

 ようやく優香里の言っている意味が分かった瑠奈は慌てた。

「いや、ハル君はショタで可愛いから、瑠奈の方が入れたいって言う願望を持つのも解らないでは無いよ。でも媚薬で酔った状態のハル君に、いきなりお尻から血が出るような事をさせるのは良くないと思うの」

「解らなくて良いよ!第一、僕はそんな願望持ってないから!ハルの血だってただの鼻血だからね!」

「なんだ残念」

「優香里。面白がって言ってたでしょう?」

 瑠奈はやっと優香里にからかわれていることに気がついた。

「はは。まぁね」

「ひどいよ」

「でも瑠奈は否定しているけれど、瑠奈の体が中々女の子にならないのは、ハル君をショタとして可愛がりたい瑠奈の願望があるからかもしれないわよ」

「え?」

「要するにね。瑠奈はハル君を成熟した男性として見れてないから、女性の分化が遅れているのかも知れないのよ。まぁ、二人の性的な趣味でそのままで良いって言うのかもしれないけど」

「そんなことは無いんだけど……」

「ふうん。そしたら瑠奈は女の子としてハル君に愛されたいんだ」

「そうなるのかな……」

 優香里に指摘されて、瑠奈は自分が何の疑いも無く女の子になっていくんだと考えていた事に気がついた。

「まぁ瑠奈が女の子になりたいと思ってても、ハル君の方が天然ショタで男らしくないからね。瑠奈が中々女の子になれないのは仕方ないか」

「そんなことは無いよ。ハルは二人っきりの時は凄く男らしかったりするんだ!」

「おっ。さっそく、おのろけか?」

「そっ、そういうんじゃないけれど……」

「まぁ、いくらハル君が男らしいって言い張っても、実際、今現在の瑠奈の胸を見ると、女の子の気配すら感じられないような貧乳だしねぇ。ハル君の影響で胸が育って女体化するのは何時になる事やら」

「うるさいな!ハルは胸よりも僕のお尻が好きなんだよ!今はそれで十分だろう」

 瑠奈がムキになって声を上げる。

「なによ。ムキになっちやって昨日ハル君と何があったのか知らないけど」

「何も無かったんだよ」

「へぇ。それは瑠奈がさせなかったって事?」

「ちがうよ。僕は好きにして良いって言ったのにハルが途中で帰っちゃったんだ」

「好きにして良いって…… 瑠奈のお尻を?」

「だから言葉に出さないでよ!」

「でもキスしたって言ってたから、途中までは上手くいってたんだよね」

「うっうん。僕がシャワーを浴びて準備している間にハルが消えちゃったんだよ。僕、先走りすぎて嫌われちゃったのかな……」

「さっきのハル君の様子を見ていると、そんなそぶりは見えなかったけれどね」

「でも昨日は、僕が好きにして良いって言うまではハルは凄く積極的だったんだよ」


「あー。それはアレだね」

 優香里は何かを悟ったような顔をした。

「何だよ?」

「ハル君、興奮しすぎて暴発したんだよ」

「暴発って?」

「する前に勝手に出ちゃったんだよ」

 優香里は、ハルの下半身が勝手に絶頂に達してしまったのかも知れないと言った。

「えっそれってハルの?何もしてないのにそんな事あるの?」

「男の子は一寸した刺激で勝手に出ちゃう事があるらしいよ。きっと昨日のハル君もそうだったんだよ」

「そんなの気にしなくて良いのに」

「瑠奈は馬鹿ね。男の子って言うのは、ちっちゃなプライドの塊なんだから、そんな事でも気にするものなのよ」

「でも、どうしたらいいんだろう?」

「ココは包容力が問われる場面ね。基本的に相手の恥ずかしがっている事には触れちゃ駄目よ。上手く対処しなきゃ」

「対処って?」

「まずは、男性の性的な事なんて解らないそぶりでやり過ごすことね」

「う、うん」

「そしたら、それとなくハル君の方が瑠奈がどう思っているのか探りを入れてくるだろうから、その時は、どんと受け止めてあげなきゃ駄目よ」

「受け止める?」

「男の子の失敗もコンプレックスも、悩みだって何だって笑って受け止めてやるのが『いい女』ってモンなのよ。男の子に酸いも甘いも判ってもらえてるって思わせるのよ 」

「なんか難しそうだね」

「当たり前でしょう。ぼんやりしてちゃ『いい女』にはなれないわよ。大体、瑠奈は普段は男前のくせして、ハル君の前では気を抜いてデレデレしてるだけじゃない」

「そっ、そんな事は無いよ」

「まぁポンコツな瑠奈には、いきなりツンデレとかの高等戦術は無理だろうけれど、もう少は男の子の悩みぐらい受け止められる様な『いい女』を目指さないと」

「ポンコツって言うな!ハルの悩みぐらい僕が受け止めてあげられるよ!」

 咄嗟に瑠奈は言い返した。

「これまた大きく出たわね」

「うん。ちょっと大見得を切った」

 実際、瑠奈はハルに頼られたいという気持ちはあったのだが、自分にそれがどこまで出来るのかと問われると、十分に出来る自信は無かった。

「まぁ。瑠奈はせいぜい男の子の『都合のいい女』にならない様に気を付ける事ね」

「なんだよそれ」

「要するに『いい女』と『都合のいい女』は違うって事よ。『いい女』ぶろうとして『都合のいい女』になって失敗する子も珍しく無いんだから」

「なんか女の子って大変だな」

「でも瑠奈はハル君の為に女の子になるって決めたんでしょう?」

「う、うん」

「まぁ、無理して焦らなくても良いとは思うけどね。ハル君ならその辺解ってくれると思うし」

「そっ、そうだよね」

 瑠奈は、ハルに抱きしめられて「瑠奈の体だから愛おしい」と言われた事を思い出して顔が真っ赤になった。


「でもね。乳が無いっていうマイナスポイントは覚悟しておいた方が良いわよ」

「また優香里は、そのことを言う」

「だって瑠奈は、ハル君が巨乳の女の人と浮気したら嫌でしょう?」

「相手が巨乳じゃ無くても嫌だよ」

「いいえ。貧乳だと巨乳の女に浮気されたときのダメージが大きくなるのよ。ハル君が浮気するたびに、まず「乳に負けたのか」って思わなくちゃならなくなるのよ」

「なんだよそれ。大体ハルが浮気すること前提なの?それも複数回?」

「浮気ってまでもいかなくてもね、たとえば街中でちょっとスタイルが良くて綺麗な人に見とれるって事もあり得るじゃ無い」

「そりゃ、そういう事は、まぁ有るかも知れないね」

「そんな時、貧乳のコンプレックスを持っていると心に余裕が無くなるって話よ。まず乳で負けたって思わなくちゃならない」

「僕は、別に自分の胸に特にコンプレックスとか持ってないけど……」

「でも、実際『ボン、キュッ、ボーン』の女の人にハル君が見とれてたらどう思う?」

「その『ボン、キュッ、ボーン』って?」

「胸が『ボン!』、ウエストが『キュッ』、ヒップが『ボーン!』よ」

「いつの時代の言葉だよ。そりゃ、こっちをほったらかして他の人に見とれるってのは気分は良くないけれど……。でも、そんなの言い出したらキリが無いよ」

「そんなキリが無いような事が気になったりすのが恋愛よ」

「そうなの?」

 瑠奈は『恋愛』という言葉に、ひっかかりを覚えた。今の自分は恋愛をしているのだろうか。

ハルは僕のことが好きで、僕はハルの事が好き。それは多分確かなのだろうけれど、それだけで恋愛と言うモノが成立するのだろうか。

「そっか。瑠奈は実際リアルな色恋沙汰には疎いもんね。もしかしてハル君が初恋?」

「ち、違うよ!」

 瑠奈は真っ赤になって否定する。

「でも慣れてはいないんでしょう?大人の恋愛とか」

「そ、そりゃまぁ。大人の恋愛とは未だ無いかも……」

「大人の恋愛って言うのは、好きだ嫌いだって言う幼稚園児みたいな話ではなくて、時には独占欲だとか嫉妬だとか、欲望だとか打算だとか、そういうドロドロとしたものがうずまいていたりするものなのよ」

「なっ、なんかすごいね」

「恋愛するって事は、瑠奈もそう言う世界に足を踏み入れていくんだよ。大丈夫なの?」

「いや、大丈夫なのかって聞かれても……」

「とにかくね。最初から相手が特別だとか思わない事ね。それは、よくある恋愛の勘違いだから。ハル君だって馬鹿でスケベな男の子なんだから、下らない事を気にしたり変な事で怒ったり、デリカシーの無い事を言たり、時には格好をつけようとして空回りしたりするんだから」

「う、うん」

「瑠奈はハル君の駄目な所とか、気になる所とかちゃんと言える?」

「えっ?」

「何も言えないっていうのは、舞い上がってるだけじゃないの?」

「そ、そんな事無いよ。気になると言えばハルの天然ショタな所かな。無防備にショタ要素を周りに振りまいてる」

「その辺り、やっぱり瑠奈も気になるんだ」

「気になるってか、変な人に変な事されないか心配になる」

「なんだ。瑠奈もちゃんと独占欲みたいなのを持ってるんじゃ無い。自分の事は色々棚に上げてるけど」

「何だよそれ」

「だって、変な事する変な人って、まんま瑠奈じゃん」

「えっ?」

「媚薬飲ませて、自分の部屋に連れ込んでハル君に変な事しようとしたんでしょう?」

「僕はハルが心配だから連れて帰ったんだよ!最初から変な事するつもりは無かったし。それに……みっ未遂だったし!」

「言い訳になってないわよ。要するに、そう言う事は自分がハル君とするのは良くて、他の人がハル君にしちゃ駄目って事でしょう?」

「ま、まぁ。そうなるのかな」

「なんだ。瑠奈もしっかり恋愛してるじゃない」

「そうなのかな?」

「後はハル君の浮気が瑠奈にバレてドロドロの展開になるだけだね」

「だから、なんでハルが浮気する前提なんだよ!」

 そう言って怒る瑠奈を優香里は笑いながら見ていた。

「まぁ浮気はともかく。今度はちゃんと瑠奈の方から誘うんだよ」

「誘うって、なにをさ?」

 瑠奈はわざととぼけた。

「わかっているクセに。この子は」

「ごめん。でもエッチなことしようって誘うのは僕には無理だよ」

「馬鹿。そんなストレートに言う人がありますか。まずはデートからよ。今度の休みの日にでもハルくんの趣味に合わせて二人でお出かけすればいいじゃない」

「ハルの趣味って映画かぁ」

「ロマンチックな映画見て食事して、その後は二人して温泉マークにしけこんで『しっぽり』とすればいいじゃない」

「優香里。その言い方、なんだかおじさん臭いよ」

 なんとなく優香里の言い方だと不倫カップルぽいなぁと瑠奈は思った。

「まぁ食事っても、瑠奈とハル君じゃどうせファミレスとかになりそうだからなぁ。そんなムードも何もない所よりは、あえて自分んちに呼んで手料理っていうのもあるかもね」

「手料理かぁ」

「でも瑠奈。無茶しちゃダメよ。やりなれていない事はやめておきなさい」

 この前の弁当の件もあって、優香里からは瑠奈の料理の腕は信用されていない。

「いや。僕だって肉じゃがぐらいは……」

 その一方で瑠奈の方はと言うと、お弁当じゃない料理もできるというのをハルに見せておきたいなぁと言う気持ちが湧き上がっていた。

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