第16話 ハル お弁当
「で、どうして私があなた達のお昼に付き合わなきゃならないのよ」
学食のテラスに設置されている丸テーブルで、不満顔の優香里がそう漏らした。
「いや、折角沢山作ってきたんだし」
瑠奈が誤魔化すように言い訳をする。
「まぁまぁ。いいじゃない」
学食で用意されているお茶をトレイに乗せて運んで来たハルも瑠奈に加勢する形で優香里をなだめる。
「まぁ、ハル君が良いって言うのならば、別に良いんだけれどもね」
優香里は二人のお邪魔虫になるのは気が引けたが、未だハルも瑠奈も、二人きりになると緊張してぎこちなくなってしまいそうで、お互いに怖いと思っているのかもしれないと考えた。二人の仲を取り持つためには、今日の所は一緒にお昼を食べてやるのも良いかと思い直した。
「ハル用のお弁当箱が無かったから、今日は折り箱に割り箸だけど我慢してね」
瑠奈はトートバッグから作ってきた作ってきた弁当を取り出しながら言う。優香里は、あれほど駄目だと言った折り箱を、あえて使ってくるとは。珍しく瑠奈が積極的にやる気を見せている様に思った。おそらく瑠奈は、この前教えた通りにハル君と一緒に弁当箱を買いに行って、ハル君専用の弁当箱やお箸を自分の家に置いておくような関係を作ろうと企んでいるのだろう。
「この子、本気だわ」優香里は瑠奈を少し見直した。
「別に、折り箱でもいいよ」
そう答えるハルに優香里は軽く舌打ちをした。ハル君は気を使っていたのかも知れないが、これでは瑠奈の計画が台無しでは無いか。
「でも、やっぱりお弁当箱の方があった方が良いよ。キャラ弁とか型崩れしなくて詰め易いしさぁ。一緒にハル専用のを買いに行こうよ」
そうハルに言う瑠奈に、優香里は「よくぞ食い下がった」と思った。いつもの瑠奈なら諦めているところだろうが、今日は頑張って引き下がらなかったのだ。しかしハルの方はそんな事を一向に気にしない様子で瑠奈に答える。
「別にキャラ弁とか手の込んだお弁当じゃ無くて適当なのでいいよぅ。作ってくれるだけで嬉しいし」
この天然ショタはどうしてこんなところで遠慮してしまうのか。思わず優香里の口から思いが漏れる。
「このヘタレが」
「えっ?」
優香里の言葉にハルと瑠奈が驚く。
「ハル君はいい加減、瑠奈に甘えなさいよ。こういうのは瑠奈のやりたい様にやらせたら良いんだよ」
「いや、でも悪いし」
「そう言って遠慮する方が悪いんだよ。ねぇ瑠奈」
「ぼっ、僕はどっちでも……」
「何故、瑠奈はそこでハル君の方に日和るのかなぁ」
「いや、別に日和るってわけじゃないけど……」
瑠奈はそう言いながら、バッグに手を入れて残りのお弁当を取り出した。次々と折り箱やタッパーが現れてテーブル一面に並べられていく。一体、いくつ有るのだろうか。優香里は呆れていた。
「ちょっと瑠奈。それにしても、お弁当作りすぎじゃ無い?」
「そうかなぁ?」
「一体、どれだけ作ってきたのよ」
「いや。おむすびとおかずを別けて、それにデザートを別にしたから、数が多くなっただけだよ」
そうは言っても、おむすびがギッシリ入った折り箱が三つに、おかずが入ったのが二つ、デザートの果物が入った大ぶりのタッパーが一つと、三人で食べるにしても明らかに量が多すぎる。
「まるで体育会系の運動部員のお弁当ね。気合いが入ってるのは判るけどさぁ。小柄のハル君が食べる量ってのもあるんだ から」
瑠奈の作ってきた弁当は、おむすびのギッシリと詰まった折り箱の他、揚げ物と、ミートボールのタレの茶色が目立つ豪快な折り箱弁当であった。それがテーブル一面に広がって中々の迫力である。
「ごめんよ」
「気にしなくていいよ瑠奈。折角作ってきてくれたんだし、余ったら僕が貰って帰っても良い?」
「うん」
「良かったぁ。最近、僕食欲が出てきて結構食べてるんだ」
そう言うハルをポーッとした表情で見ている瑠奈に、優香里は怒るのも馬鹿らしくなった。
「なんだかんだ言っても、あなた達はお似合いよ」
「なっ何だよ急に」
「私は思った事を言っただけよ。次からお弁当食べるのなら、私抜きでしなさいよ。別に二人っきりになるのが怖いってわけじゃないんでしょう?」
「別にそういうわけじゃ無いけど」
「そうだよ。怖いわけじゃ無いよ」
瑠奈は未だ性がきちんと分化していないユニセクシャルということもあって、性的な事に臆病な所がある事を優香里は感じていた。それにハル君は優しいと言えばそうなんだろうけれどヘタレな所がある。優香里はいい加減二人をほっておこうかと思っていたのだが、この調子だと今後も、やはり二人の友人としてもう少しお節介を焼いていくべきかもしれないと思った。
「あっ、優香里そっちはハルのだから」
優香里がテーブルに広げられたお弁当からおむすびを取り上げようとした所に、瑠奈が声を上げる。瑠奈は優香里のアドバイス通りハルが食べる分に媚薬を仕込んだのだろう。
「そっ、そっか。危なかった」
「えっ?危ないの?」
「いや。瑠奈がハル君の為に折角作ってきてくれたのを、横取りするって言うのはマズいじゃない」
おむすびが入った折り箱をハルの目の前のと入れ替えながら、優香里が言いつくろう。
「でも、おむすびの折り箱は三つもあるよ?」
「判ってないわねハル君は。おむすび一つにしても、形とか出来の良いのをハル君のに詰め込んでいるんだから」
「そうなの?」
「うっ、うん」
ハルが聞くと、瑠奈はうつむいて答えた。
まんざら優香里が言う話もウソではない。よく見ると、他の折り箱には、最初の方に作ったのか不格好なおむすびが混じっているのが判る。
ハルは瑠奈の気遣いに、お礼を言うのもおかしな気がして、どう答えて良いのか判らなかったが、取り敢えず美味しそうに食べる事が一番だと考えた。
「じゃ遠慮無く食べるよ」
おにぎりをほおばるハルに瑠奈が心配そうに聞く。
「どう?美味しい?」
「うっうん。美味しいよ。これ塩で握っているんじゃないよね。なにか珍しいのでおむすび握ったの?」
「い、いやちょっとね」
瑠奈の顔がこわばる。その様子を見た優香里が慌てて助け船を出す。
「ごめんハル君。お茶のおかわりを取ってきてくれるかな」
「えっ、いいけど」
「ほんとゴメン。おむすびで喉が詰まりそうで」
「ちょっと待ってて」
苦しそうに言う優香里の訴えに、慌ててハルが席を立つ。
「大丈夫?」
瑠奈が心配そうに優香里に声をかける。
「馬鹿。私は大丈夫よ。それより瑠奈。味が変わるって一体おむすびにどれほどの媚薬を入れたのよ」
「えっ。市販の青い小瓶を半分ほどだけど」
「えっ?一回で?」
「そ、そうだけど」
「薄めないで使ったの?」
「ご飯を炊くときのお水に入れたから、十分薄まっているはずなんだけど……」
優香里は、瑠奈が媚薬が入ったご飯を別に炊いていたのに驚いた。話を聞くと、まず普通に炊いたご飯でおむすびを作る練習をした後で、ハル用に媚薬入りのご飯を炊いておむすびを作ったと言うのだ。
「馬鹿馬鹿。説明書ちゃんと読んだの?アレは出来上がった料理に薄めたのをスプレーするもんだよ。そのまま料理に使っちゃ駄目だよ」
「えっ。入れすぎになってるのかな」
「もはや危険物レベルよ。このままおむすび食べさせてたらハル君倒れちゃうよ」
「どうしょう?ハルはもう一個食べちゃったよ」
「まずこれ以上ハル君に食べさせない事ね。なんとか私が媚薬が入ったのをテーブルから落っことすように仕向けるから、素早く拾って捨てちゃおう」
そこへハルがお茶を持って帰って来た。
「お茶、お待たせ。大丈 夫?」
優香里はハルからお茶をもらって急いで一口飲んで礼を言った。
「ありがとう。助かったよ」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、優香里は瑠奈に目配せして椅子から立ち上がる。次の瞬間、優香里はバランスを崩した風にして、腕を滑らせ方から倒れ様な姿勢なりながら手でハルが食べていたおむすびが入っているお弁当を押す。
「大丈夫か?」
思わず声を掛けて立ち上がるハルの前を優香里に押された折り箱が滑る。さすが優香里。瑠奈は優香里の自然な演技に驚いた。
お弁当が落ちてしまう。ハルがそう思ったときに不意に背後からかけられる声があった。
「おっと」
肩越しから落下するお弁当に対して滑り込む様に空間魔法をくり出されたのがわかる。ハルが振り返ると落下するお弁当を魔法をかけて止めている真貴子先輩がいた。
「ハル君。危なかったわね」
ゆっくりと落下していくお弁当を手にとってハルに手渡す。
「まっ真貴子先輩。有り難う御座います!」
ハルは立ち上がって慌てて礼を言う。
「誰?」
不審そうなまなざしで真貴子先輩の方を見ていた瑠奈が小声で尋ねる。いきなり現れた大人の女性とハルが話しているのがなんとなく気にいらない。
「あっ。こちらは映文研の真貴子先輩。で二人は同じ学科の塩見瑠奈さんと早川優香里さん」
「初めまして。院生の土門真貴子です」
「初めまして塩見です」
「早川です」
「ふうん。ハル君も隅に置けないわね。こんな可愛いガールフレンド達がいたなんて」
「そ、そんなんじゃないです」
ハルは慌てて言う。ガールフレンドという言葉が、ユニセクシャルの瑠奈への差別になってないか気にも掛かる。
「ふうん。でも、ハル君はお弁当つくってきてもらってるんでしょう?」
真貴子先輩はお弁当を見ながらさらにハルに聞く。
「瑠奈ちゃんに作って貰ったの?それとも優香里ちゃん?」
「ぼ、僕です」
自分が作ったお弁当を値踏みされているようで少し怖いと思いながらも、瑠奈は答えた。そこにハルが言葉を足す。
「作って貰ったのは今日が初めてですよ」
ハルのその言葉を聞いた瑠奈は不機嫌な表情を浮かべた。何も、いつもはお弁当を作って貰ってないというのを強調しなくても良いじゃ無いか。それに気がついたハルが慌てて言い訳をする。
「い、いや。大した意味は無くて……」
「別に言い訳しなくて良いよ」
瑠奈の冷たい言葉にハルの目が泳ぐ。
「ふーん。ハル君は瑠奈ちゃんに嫌われるのが怖いんだ」
二人の様子を見ていた真貴子先輩が冷やかす。
「そ、そんなわけじゃ」
「別に隠さなくても良いわよ。ハル君が瑠奈ちゃんに片思いしているって言うのは丸わかりだし」
そう言って真貴子先輩は笑う。ハルは真貴子先輩の言葉を否定が出来ない自分がいる事に気がついた。
「でも、瑠奈ちゃんから見たら肝心のハル君はこんなのだからねぇ」
「な、何をいうんですか!」
「はは。冗談よ。じゃ私はもう行くから。ハル君またね」
そう言い残して真貴子先輩は風の様に去って行った。
「なっ何かすごい先輩だったね」
真貴子先輩の姿が見えなくなると、優香里が感想を漏らした。
「二人ともゴメン」
「何もハルが謝ること無いよ」
「でも、真貴子先輩はハル君の事よく知ってたみたいだよね。一目で色々見抜いてたよね」
「なっ、なんの事だよ」
ハルは、わざとらしくとぼけた。
「ハル君が瑠奈に惚れてるって話よ。でも片思いって言うのは間違いよね瑠奈」
「ばっ馬鹿。何言い出すんだよ」
瑠奈が焦って声を上げる。
「あら、そしたら瑠奈は、ハル君の片思いってことにしておいて良いの?」
「そんな事は無いよ!」
瑠奈は慌ててハルの片思いという話を否定した。
「えっ?」
「あっ」
瑠奈は思わぬ所で心情を吐露してしまった事に気がつき、恥ずかしさのあまりうつむいた。ハルもどう応えたら良いのか判らず視線を逸らした。
「あなた達ってホントからかい甲斐があるわよね」
優香里は黙り込む二人に、そう声をかけて笑った。
「じゃ、お邪魔だろうから、私はもう行くわね。折角なんだから、あなた達は午後の講義サボって二人でゆっくり過ごしなさいよ」
「まっ待てよ」
「大丈夫。次の講義の代弁はまかしといてよ」
「まずいよ……」
「あら大丈夫よ。山科先生の講義は大教室だし、ハル君の分は石田君にでも頼むから講義サボってもばれやしないわよ」
「いや。そうじゃなくて。マズいんだよ。僕とハルとが二人っきりになるのは……」
瑠奈が小声で優香里に訴えかけるようにして言う。
「何言ってるのよ。嬉しいくせに」
「いや……ハルは例のおにぎり食べてるんだよ……」
「あっそうだった」
「何の話してるの?」
何やらコソコソ話し込んでいる二人をよそに、ハルは弁当をつまみながら尋ねた。
「てか、ハル君またおむすび食べてる!」
「えっ何?食べちゃ駄目だったの?」
「べっ別にそういうわけじゃないけど、一体、いくつ食べたの?」
「三つ目だけれど」
「結構な量になるよねぇ」
「えっ、そんな事無いよ。コンビニ弁当より少ない位だと思うんだけれど」
「いや、そうじゃなくて……」
と言いかけたところで優香里は言葉を止めた。まさかハルが食べたおにぎりに含まれている媚薬の量の話をするわけにもいかない。
「どうしよう優香里」
瑠奈が優香里の袖を引っ張って小声で訴えかける。
「どうしようもないわよ。作ったのは瑠奈なんだから、瑠奈が責任取りなさいよ」
「責任ったって……」
言いよどむ瑠奈をよそに、優香里はハルに向かって言った。
「そうだハル君。これから瑠奈ん家に行って、今日は一日瑠奈と一緒にいなさいよ」
「えっ何で?」
事情が分からぬハルが聞き返す。
「そりゃ人前でハル君が我慢出来なくなるような事があるとまずいからよ。手当たり次第に行動してしまったら大変」
「さっきから一体何の話をしてるのさ?」
「取り敢えず瑠奈はハル君から目を離しちゃだめよ。見境が無くなるかもしれないんだから」
「見境が無くなるとか……そんなことは無いよね?ハルは大丈夫だよね?」
「いや、だから何の事か判らないんだけれど」
瑠奈は自分が入れた媚薬のせいで見境を無くしたハルが、欲望のままに他の人を襲う事を想像してぞっとした。それだけは避けなくてはならない。
「いい?ハル君は、よそ見しちゃ駄目だよ。しっかり瑠奈の方を向いとかないと駄目だからね」
「うっ、うん」
優香里が真剣な顔をして恋愛の手ほどきの様な事を言うので、ハルは勢いに飲まれて頷いた。
「とにかく効き目が出る前に瑠奈ん家に連れてかないと」
「そっ、そうだよね」
瑠奈は自分がハルの欲求に応えられる自信は無かったが、かと言ってハルが他の人で欲望を満たすのは嫌だなと思った。
「じゃ急いで」
優香里に急かされるまま瑠奈は立ち上がり、ハルに声を掛けた。
「ほら。ハル行くよ」
「一体何の話し何だよぅ」
ハルは訳も分からぬまま、瑠奈に強引に連れられる形で学食を後にした。
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