第15話 ハル いかがわしい本

 昼食を食べ終え一人になったハルは、トイレに入り久しぶりに自分の男性器をつかっての放尿を行った。ちんちんを失ったハルは、今まで個室のトイレには行って用を足していたのだが、小水でもトイレットペーパーを使って拭かなければならない不便さに些か閉口していた。その点、男性用の便器に放尿するのは気が楽だと、放物線を描く尿を見ながらハルは思った。

 用を足し残尿切りをした後でパンツの中に自分の物をしまいながら、今日の午後の講義は休講でハルは予定が無い事に気がついた。この時間だと、サークル部屋に顔を出したとしても真貴子先輩も誰もいないだろう。さて、これからどうしようか。

 小塚の言う通りになるのは癪だが、折角男性器がもどってきたのだから、急いで寮に戻って石田が帰ってこないうちに自慰行為を行うべきなのかもしれないとも思った。でないと自分が男性である事を忘れてしまいそうな気がする。ふとハルの頭に瑠奈の事が頭をよぎった。


 おでこにキスされた夜から、なんとなく瑠奈とは良い雰囲気になっている様に思うのだか、このまま瑠奈と恋人になれたりするのだろうか?ハルはぼんやりとそんな妄想をした。そういえばこれまでは瑠奈を意識してエッチな雑誌やビデオを購入したことが無いことに気がつく。

 ハルはぼんやりとした欲望を意識した。手持ちのパソコンを使ってネットで瑠奈に似た女優やキャラクターを探すのもアリかも知れないが、しばしば石田がパソコンを貸してくれと頼みに来る事を思い出した。履歴を消すタイミングをミスると、石田にクラスメイトに似た相手を探していたのかバレそうで、それは不味いというか恥ずかしい。

 ハルは財布をとり出して中身を確認した。セルのDVDとかを買うには心許ないが、雑誌とかならば買えるだろう。もし人の目に見つかったとしても、そういう本の中に、たまたま瑠奈に似たモデルがいたという話は不自然ではないはずだ。


 周囲を見回したハルはそそくさと学校から一番近い西門近くの本屋に向かい、そこでかがわしい雑誌を一冊購入した。その雑誌が入った店の包み紙を抱えて足早に寮に帰ろうとしたと所、路上でばったり瑠奈達に出くわしてしまった。

「あっ瑠奈」

「ハル」

 路上で双方の動きが止まる。そんな、ぎこちない二人の様子を見て優香里が言う。

「はいはい。お互い名前を呼び合って固まってないで。優香里さんもここにいるんですよ!」

「なんだ優香里もいたのか」

「ハル君。随分な言いようね」

「ごめんごめん」

 ハルは優香里がいてくれて助かったと思った。瑠奈の事を考えていかがわしい雑誌を選んできたばかりだった。流石に瑠奈と二人きりだと気まずくてろくに顔も見れなかっただろう。

「あっ、ハルは本買ったんだ」

「う、うん」

 瑠奈はハルが抱えている本屋の紙袋を見て言った。まさか瑠奈にいかがわしい本を買ったとは言えないハルは、本から話題を逸らしたかった。

「えっと、二人は何してたの?」

「今から優香里とパフェ食べに行くところ。角の喫茶店が今新作のお試しセールなんだって」

「まぁ立ち話も何だしハル君も一緒に行く?」

「うん。行くよ」

 このまま瑠奈ときちんと話もしないまま別れたくないと思ったハルは、優香里の提案に同意して三人で近所の喫茶店に入った。


「大体の話は聞いているわよ」

 店員にパフェの注文を済ませるなり優香里は、向かいの椅子に座ったハルにそう言い放った。

「なっなんの話だよ?」

「まぁ問題なのは二人がお子様って事だよね。コンドームぐらいであたふたしちやっって。お互いに大人にならなきゃだめよ」

「ゆっ優香里。ハルにそんな事を言うなよ!」

 瑠奈は声を上げた。瑠奈の頭の中には先ほど優香里に言われた「慰め合う」とか「後ろ」という言葉が駆け巡っていた。

 その一方でハルは、優香里の「大人になる」という言葉に、瑠奈の性別を女に決定してしまう話を思い浮かべた。一時的とはいえ男性器が戻ってきた自分ならば、きちんとその解答ができるのだろうか。

 未だ自分の覚悟は足りていない様な気もする一方で、いや人の感情のことなので、そもそも覚悟なんて改めてする様なものでも無いのかも知れないという思いもある。


「まぁ私としたら「そんな事」で二人が、ぎこちなくなるのは見てられないわけよ。良いこと?私はこれから一寸化粧直しに行ってくるから二人ともその間によく話あっておくのよ」

 にやりと笑った優香里はそう言って席を立った。

「ごめんハル。また優香里に引っ張りまわされちやったね」

「いや、僕は別に構わないんだけれど……」

「それでね。あのう、ハルの……」

 そう言いかけて、瑠奈は言葉を止めた。まさか「ハルの性欲をもてあそんだ」と優香里に怒られた話をするわけにはいかない。

「はっハルは最近、食欲とか満たされてるのかな?」

「へ?いや、最近お腹は良く減るんだけれど」

 ハルは瑠奈のトンチンかな言葉の真意を咄嗟に理解出来なかったが、考える暇もなく瑠奈は言う。

「そしたら、明日ハルのお弁当作ってきてあげるよ」

「お、お弁当?」

 ハルは唐突にお弁当の話が出てきて驚いたが、瑠奈が自分のためにお弁当を作ってきてくれるというのは単純に嬉しかった。

「言っとくけど、ハルだから作ってあげるんだからね」

 照れ隠しか瑠奈は力強い口調で言う。

「えっ、どういう事?」

「馬鹿。ハルが特別だって事だよ」

 うつむいて呟くように言う瑠奈のその言葉に、一瞬にしてハルは自分の顔が赤くなるのを感じた。二人とも俯いて、しばしの沈黙の時が過ぎる。


 嬉しいと言う思いのほかに、ハルはいつか自分から言うべきだと思っていた台詞を瑠奈に言わせてしまった事に、自らのふがいなさの様なものを感じていた。今の自分は、男性器が戻って来たのだから、もっと積極的に動くべきではないのか。ハルは瑠奈の方をしっかりと見据えて、自分の思いを言葉にするべきだと思った。

「僕だって瑠奈の事……」

 と言いかけたその時、

「やぁ二人とも話は終わったの?」

 突然、帰って来た優香里に声をかけられて、虚を突かれたハルと瑠奈の背筋がビクッと伸びる。

「えっ、まぁ……」

 なんと答えて良いか判らず、二人とも再び視線を落とした言葉を濁した。

「なによ。二人ともさっきから黙って俯いて。ハル君はいい加減、瑠奈の事許してやりなよ」

「違うよハルは悪くない!」

「そういうのじゃないよ!」

 瑠奈とハルが口々に否定するものだから優香里はたじろいだ。

「お互い納得出来たのならそれはそれでいいけどね。まぁあんまり私に世話を焼かせないでよね」

 優香里はそう言って運ばれてきた新作パフェをほおばった。瑠奈とハルはそんな優香里の様子を見て、なんだかんだ言っても二人が仲良くなれそうなのは優香里のおかげだし、少しぐらいは感謝しても良いかと思った。


 パフェを食べ終わって会計を済ませた後、再び化粧直しに行った優香里を残して、二人はカフェを出た。そこで瑠奈がハルに話しかけきた。

「そうだハル。さっき本屋で本買ってたよね。どんな本買ったの?」

「ざっ雑誌だよ」

 本好きの瑠奈はハルが買った本が気になったのだろう。しかし先ほど買い込んだ雑誌の話は不味い。まさかいかがわしい雑誌だとは言えない。

「どんなの?見せてよ」 

「いっ、いや駄目だよ」

「なんでだよ?」

「いや、瑠奈は興味無いと思うし」 

「そんなの、見てみないとわかんないよ?」

「いや、趣味の雑誌だし……」

 必死に誤魔化そうとするハルは、手元に問題の雑誌が入っている紙袋が無い事に気が付いた。

「おういハル君。本屋の包み忘れてたよ」

 後から店を出てきた優香里が、本屋の紙袋を掲げて走ってくる。

「店員さんが気づいて渡してくれたよ」

 そう言って優香里がハルに渡そうとした包み紙を瑠奈が横からひょいと取り上げる。

「駄目だよ!瑠奈!」

「いいじゃん。いいじゃん」

 瑠奈はハルの制止を聞かずに、包み紙から中の雑誌を取り出した。きわどいポーズをした裸体の少女のイラストが描かれた表紙を見て瑠奈の動きが止まる。

「ごめんハル」

 横から優香里がのぞき込んで言う。

「ほう。これは『エロ漫画雑誌』という奴ですな」

「返してよ!親しき仲にも礼儀ありだよ!」

「まぁまぁ。別にハル君だって男の子だし、こういう読むのは当たり前だよ。なになに今月号は『JC妹特集』か」

「その『JC』って何?」

 瑠奈が優香里に尋ねる。

「うーん「女子中学生」のことかな」

「えっええ?中学生って、それってロリコンって言うの?」

「ちっ違うよ!」

 顔を真っ赤にしたハルは瑠奈の手から雑誌をひったくり、駆け足でその場を逃げ出した。

「あっ逃げた」

 優香里が半ば笑いながらハルを見送る一方で、いつもと違うハルの様子に驚いた瑠奈は半べそになりかけていた。涙声で優香里に言う。

「どうしよう僕、調子にのってまたハルを怒らせちゃったぁ……」

「はいはい。泣く位なら最初からハル君をからかわないの」

「だって、折角上手くいってた気がしてたんだよぅ……」

「すぐ調子に乗るのは瑠奈の悪い所だけれど、あれぐらいどうってことないわよ」

「だって、ハルに嫌な思いさせちゃったかもしれないよ」

「そりゃ、気恥ずかしいのはあるだろうけれど、瑠奈はハル君がどうして気恥ずかしいか判ってる?」

「そりゃエッチな本見られたから?」

「馬鹿。それだけじゃ無いわよ。問題なのは内容よ。中身なのよ」

「え?」

「ハル君が買ってた雑誌は『JC妹特集』だったの。つまりね「女子中学生」と「妹」というワードがポイントなのよ」

「どういうこと?」

 瑠奈には一向に優香里の話が見えてこなかった。

「これだからお子様は。「女子中学生」と「妹」という二つのキーワードから導かれる結論はただ一つ。ハル君は『貧乳』に心を惹かれたの!」

「ええ?」

 優香里の超越理論の暴走は止まらない。


「瑠奈、あなた胸はあるの?無いでしょう?『貧乳』でしょう」

「『貧乳』っていうな!そりゃ、僕にはまだ胸は無いけど」

「つまりそう言う事なのよ。ハル君がエッチな本を選ぶ時に、頭の中で瑠奈の体の事を思い浮かべてたって事よ!」

「そ、そんな。僕困るよ……」

「何言ってるの。幸せなことじゃない。その無い胸を張りなさい」

「でも、そんな事考えちゃったら、今度会うとき恥ずかしくてハルの顔まともに見れない」

「お互いに気にしないフリして平静を装うのが礼儀ってもんよ。でも、あなた達の場合はそれじゃ駄目よね。瑠奈、今度ハル君に出会ったら、ボディータッチとか、さりげなく体を密着させるようにしなさい」

「そんなの出来ないよ!」

「そもそも瑠奈が期待だけ持たせて何もさせないもんだから、ハル君はそう言う本買わなきゃいけなくなったんでしょう。責任を取りなさいよ」

「取れないよ!」

 そう言いながら瑠奈の頭の中には、今後ハルにきちんと告白されたら、手をつないでキスをして、それから段々と色々なことをしていくという妄想が広がっていた。

 でもその一方で、自分の体がまだ女性になっていない事が不安だった。今の自分でハルに求めに応じる事が出来るのだろうか。もし既に女の子の体になっていたらハルも自分も、もっと積極的になれていたのかも知れないと思ったりもする。


「はぁー」

 優香里に悟られないようにため息をついた時、瑠奈の携帯が揺れた。

「あっ、ハルからメールだ」

「ほう。ハル君からのメールは個別設定してるわけだ」

「うるさいよ優香里」

 実際瑠奈は、ハルと知り合った当時からハルからのメールを受けた場合に直ぐにわかる様に振動の種類を個別に設定していた。もしかすると、その頃から自分はハルの事を気にしてたと言う事なのだろうか。瑠奈は気恥ずかしくなっていた。

「で、ハル君はメールでなんて言ってるの?」

「さっきは怒ってごめんって。それとお弁当楽しみにしてるって」

 瑠奈は優香里にからかわれまいと無表情を保とうとするのだが、口元が少しにやけてしまうのが自分でも判る。

「ほう。お弁当ねぇ」

「あっっヤバイや」

「どうしたの瑠奈?」

「ぼっ僕、ハルに明日お弁当作ってくって言っちゃった」

「作れば良いじゃない」

「でっでも、いきなり明日だよ。上手に作れる自信ないよ」

「別にどんなのでもハル君なら喜んで食べてくれるわよ。それよりハル君用のお弁当箱はあるの?」

「あっ、それも無いや」

「まぁ、最初はわざと使い捨ての折り箱に割り箸のにして、これからも作ってあげるから一緒にお弁当買いに行こうって誘うのも有りだけれどもね」

「優香里はそんなテクニック使ってるの?」

「いつもじゃ無いわよ。でも瑠奈はタダでさえ、なんか豪快な男らしいお弁当を作ってきそうだから、折り箱のは止めときなさいよ。迫力が出過ぎるから。せめてお弁当箱だけは可愛らしいのにしときなさい」

「男らしいお弁当になりそうで悪かったね。僕だってタコさんウインナーぐらい作れるんだから!」

 瑠奈はそう言って胸を張る。なんとなく瑠奈の料理のレベルが判った優香里は頭を掻きながらアドバイスをした。

「瑠奈。とりあえず今回は、お弁当用の冷凍食品を使いなよ。手軽で美味しいからさ」

「でも、それって手抜きじゃ」

「馬鹿。弁当作って来て貰ってて、手抜きだなんだって怒る男は私が説教してやるわよ」

「あっ、ありがとう。そしたら一品ぐらい冷凍食品も買っとくよ」

「瑠奈。折角だから出来るだけ手作りを入れたいっていう心理は私にも解るわよ。でもね味がどうしようもないお弁当を前に喜んだ風にして美味しい美味しいって言って食べなきゃならない男の子の事も考えてあげて。不味いお弁当は皆を不幸にするのよ」

 優香里は遠い目をしてそう言った。

「優香里、昔、お弁当で何かあったの?」

 瑠奈の問いを無視して優香里は続ける。

「私は瑠奈にはそんな思いをさせたくないの。だから手作りにこだわらなくて、大人しく全面的に冷凍食品を使って」

 瑠奈は自分の料理の腕前が親友の優香里に全く信用されていない事を思い知った。

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