第12話 瑠奈 デート

「ハル君。元気ないね。何か悩み事?」


 遅めの昼食が一緒になった優香里がそう話しかけてくる。学食のテラスの丸テーブルの上にはハルのチキンカツ定食と、優香里のお弁当が広がっていた。昨日、ハルは小塚からハルの下半身にかけられた魔術の解析には思ったよりも時間がかかりそうだという話を聞いており、今朝は少しばかり陰鬱であった。

 そんな所に悩み事があるのかと聞かれても、まさか優香里に自分の男性器が喪失中であるという話をするわけにはいかないと思った。


「いや、そんな事は無いんだけれど」

 ハルは、先日小塚から返された片方の睾丸が欠けた陰部が入ったガラス瓶の事を考えながら、曖昧に返事をする。そんなハルの様子に優香里は幾分、訝しげなまなざしを向ける。


「まっ、男の子にも色々あるのか」

 優香里が気を遣ってそう言ったのだとハルには解っていたのだが「男の子」と言われた事が些か心に堪える。こんな悩みを抱えている「男の子」は他にもいるのだろうか。もしかして僕は「女の子」になってしまっているのでは無いのだろうか。

 この前、中途半端に調べた自分の股間の事が気に掛かる。もし本当に「女の子の」が出来てたらどうしよう。とにかく、まず確認をしなくてはならない気がする。でもまだハルは本物を間近に見たことは無かったので、なにがどうなっていれば「女の子になってしまった」のか良くわからないという思いもある。


 そう言えば石田の奴が確認する為に手鏡を使えとかいっていたのを思い出したのだが、生憎ハルは手鏡を持ち合わせていなかった。でも、なんで石田は手鏡を使えとか言っていたのだろうか?ハルの心の中に大きな疑問が残る。

「手鏡かぁ……」

「えっ、なんの事?」

 不意に口に出たハルの言葉に、目の前の優香里が不思議そうな顔をして聞いてくる。

「いやっ何でもない」

 ハルは顔を赤らめた。

「手鏡がいるんだったら、私の貸してあげようか?」

 まさか優香里に借りた手鏡で自分の股間を観察するってわけにはいかない。慌ててハルは言いつくろった。

「いやいやいや。帰りに百円ショップでも行って買うつもりだから大丈夫だよ」


「そう?」

 優香里はさして気にする様子は無く、生協で買ってきた紙パックの珈琲にストローを突き刺して口に運ぶ。

「ところでさぁ。ちょっと聞きたいんだけれど?」

「なに?」

「女の子のってさぁ、どうなってるの?」

「へ?女の子の何が?」

 そこでハルは自分がとんでも無い事を聞いている事に気が付いた。女性器というものが実際どうなっているのなんて、優香里に聞けるわけが無い。

「かっ鏡。鏡。手鏡の話だよ」

 焦ってハルは話を誤魔化した。


 そう言う会話をしているところに、瑠奈がトレイに中華丼を載せてやって来た。

「おまたせぇ。二人で何話しているの?」

 ハルは遠くのテーブル席から瑠奈に見とれている女子学生達の視線に気が付いた。改めて瑠奈を見ると、人目を引くすらりとした佇まいで、やはり学内でも目立っているのだなぁと思った。

「いや、ちょっとした買い物の話。学校の帰りに百円ショップに寄ろうかと」

「ハルは何か買いたいものでも有るの?」

 席に座った瑠奈は、ハルにそう問いかける。

「鏡をね。小さい奴で良いんだけれど」

「商店街の大きい百円ショップだよね。僕も行こうかな」

 瑠奈はそう言って中華丼をほおばる。


 そのやりとりを聞いていた優香里が二人に言う。

「あななたち。折角のデートならもっと楽しそうな所に行きなよ」

「ばっ馬鹿。デートなんかじゃないよっ。僕は課題で、アロマキャンドルを作らないといけないんだよ。その材料とか買わないとならないし」

 瑠奈が食べていた中華丼を吹き出しそうになりながら優香里に早口で言い返す。

「そうだよ。瑠奈とデートだなんて」

 ハルはつい調子に乗って口を滑らせた。それを聞いた途端、瑠奈は不服そうな口調でハルを責める。

「なんだよ。ハルは僕とデートするのは不服なのかよ」

「そっ、そういうわけじゃ無いけど……」

「じゃぁ、なにさ?」

「最初にデートじゃ無いって言ったのは瑠奈じゃないか」

「そりゃそうなんだけど……」


 そういう二人の埒のあかないやりとりにカチンと来た優香里が椅子から立ち上がり言い放つ。

「あーもう。あなたたちは、いつも「そんなの」だから、いつまでも「そんなの」なんだよ!」

「なんだよ「そんなの」って」

 瑠奈が優香里に言い返す。

「うるさい!「そんなの」は「そんなの」だよ!悔しかったらデートの一つでもして来なさいよ!」

 その言葉に瑠奈は立ち上がった。


「判ったよ。行こうハル!」

 瑠奈はハルの手を引っ張る。

「えっどこへ?」

「デートだよデート!」

 瑠奈はハルの顔を見ずにぶっきらぼうに言う。

「僕、まだ午後の講義が」


「行くの?行かないの?」

 煮え切らない態度のハルに、瑠奈はハルの方をむき直しのぞき込む様に問い詰める。ハルも意を決して立ち上がり答えた。

「行くよ!」 

 今度はハルの方から瑠奈の手を掴んで足早に学食を出た。ハルに手を引っ張られている間中、瑠奈はずっとうつむいたままだった。

 優香里は、ハル達が残した学食のトイレの後片付けをしながら、明日また二人をからかってやろうと一人ニヤニヤしながら考えていた。


「結局百円ショップになっちゃったね」

 店内を回りながら瑠奈はハルに言った。

「まぁ、買い物はするつもりだったし」

 実のところハルは、喫茶店でお茶飲んで映画でも見てご飯を食べてなどと内心色々と即席ながらデートのプランを考え始めていたのだけれど、どうやら瑠奈はこの買い物でデートしたことにしてお茶を濁すつもりらしく、ハルは物足りないものを感じていた。


「ごめんよハル。午後の講義さぼらせちゃったね」

「いいよ別に」

 ハルは適当に日用品フロアで玩具のような手鏡を選び、瑠奈も課題のロウソクの型につかえそうなものをいろいろと見繕っている様だった。

「あっ、そうだ。僕、化粧品とかも見ておきたい」

 突然、瑠奈はそう言ってショップの階段をのぼって衛生品などが置いて有るフロアに向かう。ハルも後を追う。

「へぇー瑠奈も化粧するんだ」

「へへ。実は未だあんまりした事無い。だから、まず安いのを買って使い方とか練習してみようかと思ってるんだ」

「ふうん。化粧って練習とかするものなのか」

 そういえば小塚の話では瑠奈が最近女性っぽくなっていると言う話が噂になっているらしい事を思い出した。こういう事もその一つの現れなのだろうか。

「でもハルには未だ見せないからね」

「えっ何が?」

「知らない」

 ハルの問いかけに、瑠奈はそう言ってそっぽを向いた。ハルは一瞬、瑠奈がハルの為に化粧の練習をしているのだろうかと勝手な想像をしたのだが、さすがにそれは自分勝手な妄想だなぁと思い直した。


「何だろこれ?」

 ふと瑠奈が綿棒やらが置いて有る衛生商品の棚の前で足を止めた。その様子を見たハルは、棚から瑠奈が気になっている商品をとりあげてパッケージの裏側の説明を見た。

「なにそれ?」

 瑠奈が興味深げにそう言ってのぞき込むのでハルは慌てて商品を棚に返した。

「何だったの?」

「いや……」

「教えてよ」

 瑠奈がハルを睨むので、ハルは観念して答えた。

「コンドームだったよ」

 ハルはなるだけ、何でも無い風を装って答える。


「避妊具の?」

「そう」

 瑠奈は真っ赤になってうつむいた。二人で避妊具が置いてある棚の前で、そうやっているのが急に恥ずかしくなったハルは、慌てて調子を変えて瑠奈に声をかける。

「でも、こういう所の避妊具って、信頼性の面で大丈夫なのかなって思っちゃうよね」

「そ、そうだね。そういう問題もあるよね」

 瑠奈が焦りながらも答える。

「まぁ商品なんだから、一応の品質は確保されているとは思うんだけれど」

 さすがに店内で商品の悪口を言うだけなのは不味いと思ったハルは当たり障りの無いフォローを入れる。


「じゃハルが買って確かめてみなよ」

 調子を戻した瑠奈がイタズラっぽくハルに言った。

「えっ、いいよ。僕は使わないし」

「ふうん。ハルには使う相手とかいないんだ」

 ハルは一瞬、真貴子先輩のことを思い浮かべたが、このままではそういう間柄になりそうにも無い事は自分でも十分に判っていた。


「いなくて悪かったな。そういう瑠奈の方はどうなんだよ。そういう相手はいないのかよ」

「いるよ」

「えっ?」

 瑠奈の意外な答えに驚いたハルは、その場に立ち尽くししまった。ハルはさして根拠も無く、てっきり瑠奈には恋人などはいないものだとばかり思い込んでいた。いや恋人で無くてもそう言う事をする相手がいると言う事なのだろうか。


 呆然としているハルを無視して瑠奈は棚からコンドームのパッケージを手に取った。そしてハルの買い物篭の中にぽんと投げ入れた。

「だからハルの方で買っといてよ」

 そう言った瑠奈は、あっけに取られているハルをそのままに、足早にレジのある階へ降りていこうとする。ハルは慌てて瑠奈の背中を追いかけた。

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