第11話 瑠奈 ベッド

「狭くない?」

 ベッドに俯せの状態で寝転がって頬杖をしている瑠奈は、物憂げな視線でハルにそう言った。二人が同じ布団の中に入るのは今日が初めてだった。肌触りが心地よいガーゼ布のカバーの掛け布団からは、瑠奈の華奢な肩が露出している。まだお互いに幾分ぎこちない所がある。


「大丈夫だよ」

 そう答えたハルは、同じ布団の中で間近に瑠奈の横顔を見た。光線の加減で、ショートカットの髪から覗いている瑠奈の耳たぶに産毛が輝いて見えて、ハルはちょっとイタズラでむしってやろうかと思ったが、怒られそうなので手を伸ばすのをやめた。

「ハルは小柄だものね」

 瑠奈は小首をかしげるようにしてそう言って、ハルの方に目線を向ける。ハルにとって、瑠奈の部屋のこの狭いベッドの上は居心地が良いような悪いような複雑な空間だった。

 ふと、ハルは瑠奈の髪が揺れるのと同時にシャンプーの香りを感じた。瑠奈に触れたいという欲求が抑えられなくなりそうになった。もし今の下半身に男性器があったのならばと考えてしまい赤面したハルは、思わず瑠奈に顔を背けて布団の中に潜った。



「ちょっとハル君、なにやってるのよ!」

 カメラのレリーズを握っている優香里が叫んだ。組まれた三脚の高い位置からカメラのレンズがベッドの中のハルと瑠奈を捉えていた。光源やラフ版などかなり本格的な撮影機材がその周りを取り囲んでいる。

「大体、ベッドの中での自然な物憂い表情が撮りたいのに、貴方達はガチガチじゃないの」

 優香里が怒るので、ハルは言い訳をした。

「ごめん。やっぱりなんだか恥ずかしくなって」

「ハルだけじゃ無いよ。僕だって自分の布団にハルを入れるのは凄く恥ずかしいんだから」


 起き上がった瑠奈は頭を掻きながら着ていたチューブトップの胸の所を指を引っ張り、はたくようにして空気を出し入れしながら言う。

「それに、この服。落ち着かない」

「はいはい。瑠奈は人が貸している服に文句言わない。でもハル君はこういう服好きでしょう?」

 いきなり好きかと聞かれて戸惑ったハルは出来るだけ瑠奈の方を見ずに言った。

「肩が寒そうだよ」

「うん。実際寒いよ」

「瑠奈の肩の露出がこの作品のポイントなんだからそれぐらい我慢してよ。本当は大胆なセミヌードを撮りたい位なんだから」

 そう言う優香里に瑠奈は呆れて返した。

「提出課題に普通そこまでさせる?」

 優香里が取っている魔法美術の講義で、写真作品を撮る課題が出ていたのだ。

 古来より魔法は人の美意識と密接に関係してきたものであり、写真を通じて魔術的美意識を捉えようと言うのが課題の趣旨らしい。

 この課題の優香里の熱の入れ様は大したもので、家から本格的な一眼レフのカメラや撮影機材を持ってきて、瑠奈の家でかれこれ二時間近く撮影を続けている。


「課題の分は、もう撮り終わっているわよ。今撮っているベッドの中の二人の写真はコンテスト用の作品よ。瑠奈の魅力に焦点を当てたいのよ」

「なんだよコンテストって」

 瑠奈は学校の課題ぐらいならばともかく、コンテストで見知らぬ大勢の人の前に自分を写した写真が晒されることになるのは嫌だなぁと思った。そんな瑠奈の気持ちに構うこと無く優香里は自信ありげに言う。

「瑠奈の魅力があれば入選間違い無しよ」 

「だったら瑠奈だけ撮れば良いじゃ無いか」

 ハルが不満そうに優香里に言う。

「何言ってるの。ハル君はこの作品には必須よ。たとえフレームの外になっても、瑠奈の魅力を引き出すために相手となるモデルは絶対に必要なの」

 優香里はそう力説する。

「えっ?僕は写ってなかったの?」

 モデルと言われてあれだけシヤッターを切られたのに、写っていないと言うのも何だか釈然としない。

「写っているのと写ってないのがあるけれど、たとえ写って無くても重要なの」

「ないだいそりゃ。別に僕がモデルをしなくてもよかったじゃないか」

 ハルは不平を言った。


「じゃハル君は瑠奈の相手役のモデルを他の誰かにやらせるつもり?」

「いや、それは……」

 ハルは言葉に詰まる。小塚みたいなのが瑠奈の隣に収まるモデルに名乗りを上げたら嫌だなぁと思った。

「もう。つきあってられないよ」

 二人のやりとりを聞いていた瑠奈はそう言ってベッドから飛び出した。

「なによ。この前食べたシュークリームの分はモデルの役をやるって言ったのはあなた達じゃない」

 先日、酔っ払った優香里を迎えに来た早川教授が持ってきたのは、ケーキ屋からシュークリームを転送してくる魔法が掛かった小箱だった。そこから次々と出てきたシュークリームと、ハルと瑠奈に渡されたケーキの代金は、嘘をついて門限を破ろうとした罰として優香里のお小遣いから持って行かれたという。『チロル』のシュークリームケーキはそこそこ値の張るものだそうで、優香里にとってはかなり痛い出費になったらしい。少し可哀相だなと思ったハルと瑠奈は、ほんの軽い気持ちで埋め合わせとして優香里の写真作品課題のモデルを引き受けたのだった。


「モデルの役はもう十分やったでしょう。元々写真の課題の分って約束だったはずだよ。モデルごっこは終わり終わり」

「判ったわよ仕方ないわね」

 仕方なく優香里は折れた。

「ハル」

 瑠奈がハルに声を掛ける。

「なんだよ?」

「着替えるから、むこう向いてて」

 そう言われたハルは慌てて瑠奈に背を向けてベッドの上で頭から布団を被った。そこに優香里が近づいてくる。


「ハル君。瑠奈は今、生着替えの真っ最中だよ」

「わ、判ってるよそんな事」

 ハルが照れている様子を感じ取った優香里は内心にやりとした。先日優香里が不覚にも途中退場してしまった夜、ハルと瑠奈は肝心なところは何も言わないのだけれど、二人に何らかの進展があったらしい事を優香里は感じ取っていた。これは、からかいがいがある。

「もしかしてハル君、今お布団の匂いを嗅ぎながら「これは瑠奈の匂い」とか思っている?」

「そ、そんな事は……」

 と言って否定しようとしたハルだったが、優香里に言われた事で、身にまとっているこの布団に瑠奈が毎日くるまれているのだという事を意識してしまった。 


「もう、二人とも馬鹿なこと言ってないでさ、撮影会は終わりだから機材をとっとと片付けてよ」

 優香里のチューブトップを脱いで、Tシャツにデニム布のアウターを羽織った瑠奈は、撮影会の終わりを宣言して機材の撤収を要求した。

「はーい」 

 優香里は渋々カメラや三脚、ライトなどの機材の後片付けに入った。

「それとハル」

「なんだい?」

「言っとくけど、僕のベッドのシーツも布団も、新品の下ろし立てだったからね!」

「そ、そうなの?」

 あっけにとられたように返答をするハルの様子を見て、瑠奈は自分が先走って唐突な事を言ってしまった事に気が付いた。

 それは、とりも直さず、自分の汗の匂いなどを異性としてのハルに嗅がれてしまうという事に対して恥ずかしさを感じて焦ってしまったからで、その気恥ずかしさというのは、瑠奈自身が理解していた以上に大きかったようだ。


 怒ったようにそっぽを向く瑠奈の横顔に、長いまつげの奥にある瞳を見たハルはどきっとした。

「ハル君。なに瑠奈に見とれてるのよ」

 優香里がハルの横脇を突っつく。

「いや、そんなわけじゃ」

 そう言って視線を逸らした先に、さっきまで瑠奈が着ていたチューブトップが畳んでおいてあって、その上に見慣れない二つの物体が置いて有るのをハルは見つけた。

「あれ、何?」

 話題を変えるつもりで、ふと口に出た言葉だったが、ハルの視線の先に気が付いた瑠奈が叫んだ。

「ハルのスケベ!」


「えっ、何?」

 ハルには何のことだか判らなかった。そんな様子のハルに優香里が言う。

「まぁ。瑠奈に聞くもんじゃ無いよね。キチンと仕舞っておかない瑠奈も悪いけど」

「だって僕、普段はそんなのしないんだもん。仕舞うとかいう習慣が無い」

「しときなよ。盛りすぎは駄目だけれど、少しあった方がシルエットが綺麗になるから。ハル君だって、偽乳でもあった方がいいでしょう?」

「えっ偽乳って、あれって胸のパット?瑠奈が付けてたの?」

「改めて聞くなよ!」

 瑠奈は真っ赤になって怒った。

「まぁまぁ瑠奈。ハル君はおっぱい無くても気にしない人みたいだよ。よかったじゃん」

「また優香里はからかう様な事言う」

「いや、実際からかってんだけれどね」

 そう言って優香里は笑った。

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