第9話 夜遊び 魔法教授
「まぁ女難とも言いがたい相だがね。もっとも未来を変えようとか想って呪いを込める占術などとは違って、こういう日常的な占いなんて言うモノは、今流れている『気』を読んでいるだけだからあまり深刻に考えない方が良いよ。与太話の一つとして聞いてくれる位が丁度良い」
「そうは言っても、おじ様に良くなさげな事をいわれたら気になるよね」
ポットから紅茶を注ぎながら瑠奈が言った。
「優香里も紅茶飲む?」
瑠奈は振り返って優香里に尋ねたのだが、優香里は正座したまましゅんとなって首をすくめたまま答える。
「いえ。結構です……」
ハルは優香里が可哀相で仕方が無いのだが、どうして良いのか判らない。そんなハルの横腹を突いて瑠奈が早川教授が持って来たお土産のシュークリームを食べるように催促する。どうやらお土産のシュークリームを食べ切ってしまえば、取り敢えずこの奇妙な早川教授とのお茶会も終わり、優香里も解放されるだろうという事らしい。ハルはシュークリームをほおばった。と、空になったハルの皿の上に早川教授は新しいシュークリームを置いてくれた。
「ささ。まだ沢山ありますから遠慮せずにおべなさい」
瑠奈の方を見ると素知らぬ顔をしていて、どうやらハルが食べる役目のようだ。まぁ早川教授が持ってきたのは、小ぶりの箱だから数も知れているだろうし、すぐにでも空にできるだろう。
「美味しいですね。このシュークリーム」
瑠奈が無邪気に言う。早川教授が持ってきたシュークリームは、野いちごが載せられたサクサクとしたパイ生地の上から雪のような粉砂糖が降ってあって中々おしゃれだった。中にはしっとりとしたカスタードと軽い生クリームが二段重ねに入っていて、実際かなり美味しかった。
「そうですか。うちの近所の『チロル』と言う洋菓子店のものなんですよ。オーナーとは古い付き合いで、ウチではよく無理を言ってケーキを作って貰ったりしているのです。さぁ遠慮せずにどんどんお食べなさい」
にこやかな早川教授は、二人の空いた皿にまたシュークリームを配った。早川教授に促されてハルと瑠奈はシュークリームをぱくつく。
「ハル君。もっとお食べなさい」
そう言って早川教授は、わんこそばの様に皿が空くと同時にシュークリームを置く。二つ目までなら美味しく食べられたのだけれど、三つ目を口に入れた辺りからやや苦しくなった。瑠奈にそうそう食べさせるわけにはいかないので、ハルは無理して手に取って口に運ぶ。
五つ目を手に取ったあたりで、あの小さなケーキの箱の大きさを考えるとありえない数を食べている事に気づく。ふと横を見ると瑠奈もようやく事態に気が付いたようだ。
「おじ様このシュークリームって、もしかして魔法ですか」
「はは。ようやく気が付きましたか」
そう言って早川教授は笑った。どうも早川教授が持っている小さなケーキの箱には、どんどんシュークリームが出てくる様に魔法がかけられているらしい。
「えっ加工された物質の精錬って凄く高度な魔法ですよね。魔道書とか大規模な魔方陣も書かずにそんなことがでるんですか?」
そう驚くハルに早川教授は種明かしをした。
「実はこの箱には、物質精錬ではなくて物質転送の魔法をかけているんですよ。『チロル』のレジを通ってこの箱に転送される仕組みです。後でケーキ屋にお金を払いに行かなくちゃならない」
そう言って早川教授は笑った。しかし物質転送の魔法だって起動する発動力と、魔法の作用を持続させる原動力としての魔力をきちんと確保しないと、すぐに止まってしまうはずだ。もしかして早川教授の怒りの感情を原動力にしているのだろうか。ハルと瑠奈は、目の前で笑みをたたえている早川教授が、そら恐ろしく見えてきた。そんな様子を感じ取ってか、早川教授が笑いながら続ける。
「君たちは魔法を学んでいる学生ですから、魔法発動の原動力が気になる所でしょう。実はこの箱にかけた魔法は、人の『友情』や『義務感』といったものを原動力にしているのですよ」
「それって」
「君たちが、強く優香里のことを「庇いたい」とか「助けたい」とか思ってくれているからこそ転送魔法が発動しているのですよ。たとえシュークリーム一個といえども、モノを転送する思念というのは大変なエネルギーです。優香里は本当によい友達に恵まれました」
早川教授は優しい父親の目で優香里の方を見た。
「さてさて。ネタがばれてしまった様なので、優香里と私はこれでおいとますることにします。もうこのケーキ箱の魔法は解きましたが未だ中に幾つか残っていますから、君達の明日のおやつにでも」
そう言って早川教授は瑠奈にケーキ箱を渡した。
「あっ、有り難う御座います」
瑠奈は、そうお礼を言ったものの、シュークリームは食べ飽きたのでどうせなら別のものが良かったのにと思った。それの様子を感じ取った早川教授はにやりと笑って言う。
「残りのは苺のショートケーキにしておきましたから」
「えっ。ははい」
自分の心が見透かされていた事を悟った瑠奈の顔が赤くなる。
「それとハル君。君もそろそろ家に帰りなさい」
「はい」
そう返事をするハルに、瑠奈はハルがもう帰ってしまうという事に気がつき少し不満に感じたのだが、それも致し方ない事だと思った。
「では優香里。帰るよ」
早川教授はそう言って指を鳴らすと、優香里の体の緊張が解けたのだが、いきなりだったせいか優香里は目を回したかの様にその場にぐったりと倒れ込んでしまった。
マントを羽織って帰り支度を整えた早川教授は、そんな優香里の体を片手で軽々と抱えて、瑠奈の部屋の外へと出た。
早川教授は見送りに出たハルと瑠奈に思い出したように言った。
「そうそう瑠奈君。今度ハル君を連れてうちに遊びに来て下さい」
「はい。それじゃ、またおじ様のご都合が良いときにでも」
「楽しみにしていますよ。では私達はコレで失敬します」
早川教授はそういって夜空を見上げたかと思うと、優香里を抱えたまま、ふっと身をよじり、つむじ風のようになって空の向こうへ飛んで行ってしまった。
それはあっという間の出来事であった。ハルと瑠奈は、一陣の風になって飛び去っていった早川教授親子をあっけにとられたまま見送るしか無かった。
「タクシーいらずだね」
瑠奈の部屋に戻りながらハルは、先ほど早川教授に見せられたすさまじい魔法の感想を出来るだけおどけて述べた。
「でも『魔法仕事量保存の法則』で習ったでしょう。術式もそうだけれど、対価とか動力とか考えると絶対タクシーとか呼ぶよりも高くついているよ」
高度な魔法になればなるほど、精錬された高価な珪砂や鉱物などを駆使して多様な魔方陣などを作り組み合わせていく必要があり、一から自分で作ろうとすると大変な労力となる。また、それらをまとめ上げて直ぐに使える状態にパッケージ化した「魔道書」を使うにしろ、その術を発動させるための起動力には相応の魔力が必要となる。その上魔法の発動状態を維持する為には動力となるものも確保し供給し続けなくてはならない。
今、早川教授に目の前で見せつけられた様な、二人の人間がそれこそ瞬時に空を飛んで移動するような魔法は、魔道書も無しに並の魔法使いがおいそれと使える様なモノでは無い事は、魔法を学ぶ二人にはよく分かっていた。
「それでハルはこれからどうするつもり?」
部屋に戻った後、瑠奈はハルに尋ねた。
「今日はやっぱり寮に帰るよ」
そう 言ってハルは帰り支度を始める。
「そうだ。おじ様が置いていったケーキの半分はハルが持って帰りなよ」
「うっうん」
箱の中には四つのケーキが入っていたので、瑠奈は二つを取り出して深いタッパーに入れて冷蔵庫にしまった。帰り支度を終えて玄関で靴を履いたハルに、残りをケーキの箱ごと持たせる。
「ごめん瑠奈。部屋の片付けもしないで。今度埋め合わせするから」
「いいよ。そんなの」
瑠奈はつっかけを履いて、ハルと一緒に部屋の外に出た。
「でも、悪いよ……」
と言いかけたハルだったが、瑠奈の調子がいつもと違っている事に気が付いた。普段のの快活さが無い。
「少しさみしいな……」
ふと瑠奈の口から漏れた言葉にハルはどきりとした。
「あっ勘違いするなよ。ついさっきまで騒がしくしていたのにハルが帰ったら急に一人になるって思っただけさ」
瑠奈は聞かれてもいないのに慌てて自分の言葉を説明する。
「瑠奈は一人暮らしだもんね」
「違う。そんなんじゃない」
「違うって?」
「そんなのわかんないよ……」
答えに詰まってしまった瑠奈は、そう言って横を向いてしまった。その様子を見たハルは無意識のうちに何かを期待していた自分がいた事に気が付いた。と、同時に、その感情を瑠奈にはぐらかされてしまった様に感じて、先走った自分が酷く恥ずかしいと思った。
そもそも僕と瑠奈とはそんな関係じゃ無い。心の中でハルは自分にそう言い聞かせる事で、その恥ずかしさを誤魔化そうとした。第一僕には真貴子先輩がいるではないか。
「じゃ僕はもう帰るから」
そう言って、玄関先で振り返ったハルの正面に立った瑠奈が声をかける。
「ハル」
「なんだよ?」
「お別れにキスしとこうか」
「え?」
唐突な瑠奈の言葉にあっけにとられているハルの隙をついて体を寄せてきた瑠奈は、その場で軽くジャンプをして唇でハルのおでこを優しく叩いた。着地すると、瑠奈は呆然と立ち尽くしているハルの肩の辺りを軽く両手で押す。
気の抜けたハルは突き飛ばされた形になって、その場にへたり込んでしまった。
「はは。お休みのキスだよ。唇にキスすると思った?」
前屈みになった瑠奈は笑いながらハルに言った。
「なんだよ。そういうのは男からするものじゃないか」
尻餅をついたまま、そう言い返してしまった所で、ハルは瑠奈がユニセクシャルであった事を思い出した。ハルはつい酷い事を言ってしまったのかも知れないと自分の言動を酷く後悔した。瑠奈の方はハルの言葉に、くるりと身を翻し背中を向けて肩越しに言う。
「そういうのは、ハルが僕を女にしてから言ってよ」
その瑠奈の横顔にハルは息をのんだ。瑠奈は本気なのだろうか。ハルはどう答えれば良いのか判らなくなって、結局何も言い返せずその場で固まってしまった。
「お休みハル」
瑠奈は何も言わないハルに背を向けたままそう言い残して部屋の扉を閉めた。
あわててその扉に駆け寄ろうとしたハルの耳に、鍵が掛けられる音がやけにはっきりと入ってきて、今日はもう終わってしまったんだなという事をハルは悟った。
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