第5話 §魔法大学校 先輩

 ハルのおちんちんが取れた朝。


 なるだけ普段通りに振る舞って他人に悟られないようにするべきだと言う石田や小塚のアドバイスもあって、いつものように学校に向かった。

 しかし下半身がもげてしまったことをバレないようにと気負って学校に来たものの、実際にはトイレで戸惑った程度で特にコレと言った特別な事は無く、ハルは些か拍子抜けしたのを感じていた。講義を受けて学食でお昼を食べてまた講義を受けるというサイクルがごく普通の日常の感覚で過ぎてゆき、これからも平々凡々で一日が過ごせそうだったと思った。

 考えて見れば日常生活において人前で下半身を露出する様な事はそうそう無い。問題が無いのが当たり前と言えば当たり前で、この調子ならば小塚が呪いを解く手かがりを得るまでなんとかやり過ごせるのではないのだろうか。

 

 午後の講義が終わった後、ハルは一人でレンガ造りの魔法理学部第二魔法実験棟に向かった。第二魔法実験棟は相当古い建物で、近年に行われた耐震補強で鉄骨が建物を守るようにして組まれており、その外観はさながら骨格に守られた内臓の様な雰囲気があり、魔法実験以外では立ち入る学生は少ない。ハルは、この第二魔法実験棟に併設されているシャワールームに行って汗を流そうと思ったのだ。

 人の気配が無い事を確認してから手早く服を脱いでシャワー室に入る。今はまだ五月下旬だが、これから夏になると大変だと思った。学校が休みの日などこのシャワールームも閉めらる。毎回、洗面器にお湯を用意してくれるという石田に頼るのも気が引ける。これからどうしようかと考えていると、同時に現状では呪いを解く目処がほとんど無い事に気がついた。もしかすると夏が過ぎてもこのままの体という事もあり得るのかも知れない。そう考えてしまうとゾッとする。

 そんな事を考えていたハルの目に排水溝に流れていく水の様子が映った。その水を見ながら、今年の学年ので取らないといけない必修の呪術実習で動物の生き血を使うと言う話を思いだした。今の実習では大抵輸血用の血液を使うらしいのだけれど、昔は鶏の生首なんていうのも当たり前に使っていたそうだ。このシャワールームでも随分多くの血が洗い流されたのだろうなぁとか考えていると、自分の足をつたって排水溝に落ちていく水に血が混じっている様な錯覚を覚えて、ハルはその血の大元は自分の股から出た経血であるような妄想に襲われ、慌てたハルは足下の水に本当に血が混じっていないことを確認しため息をついた。


 シャワーでサッパリした後、ハルは所属しているサークルに顔を出す事にした。

 石畳の小道を抜けて構内の端にあるサークル棟の一番奥の部屋が、ハルの所属する『映像文化研究会』というサークルの部室だった。

 扉の上には『映文研』という、いったいいつ作られたのかわからないような古めかしい看板がかけられており、中から微かに人の気配を感じた。ハルがドアを開けると部屋の中にはジト目の真貴子先輩がいるのを見つけた。ハルは今日は運が良いなと思った。

「あらハル君。こんにちは」

「こんにちは。この前借りた映画面白かったですよ。今日はディスクを寮に置いてきてしまったんですが」

 今朝方はすっかりとドタバタしてしまい、借りていた映画のディスクどころでは無かったのだ。

「あの映画のディスクはハル君に見て貰うために都合したんだから、返して貰うのはいつでもいいわよ」

 真貴子先輩は笑って答えた。

「ところで真貴子先輩は今日は一人なんですか?」

「そうみたいね。この所みんな忙しいみたい。私も夕方には研究室で教授と少し打ち合わせがあるんだけどね」

 そう言って、真貴子先輩はテーブルの上に古そうな魔道書が入っているトートバッグを置いた。どうやら真貴子先輩も今来たばかりのようだ。


 ハルの属しているこの『映像文化研究会』は、映画鑑賞を活動の主体としたサールで一応は30名程度の登録部員がいるものの、実際に活動しているのは10人にも満たない。

 ふとハルは今日は真貴子先輩と部室に二人きりである事に気がついた。変に意識して緊張するのを感じる。ふと目線が、真貴子先輩の胸元に行ってしまっているのに気が付き、慌てて目線を上げると、こちらを見ている真貴子先輩の目線が合って、ハルは思わず顔をそむけた。自分でも顔が赤くなっているのがわかる。

 研究科に通う院生の真貴子先輩は、ハルよりも五つほど年上でどことなくミステリアスな大人の雰囲気がありハルの憧れでもあった。


「あら?ハル君って、少し雰囲気変わった?」

「えっ、何ですか突然」

 ハルは一瞬、真貴子先輩が自分の下半身の変化があった事に気がついたのかと思った。いやまさかそんな事はあるまいと考え直す。この場はハルはとぼける事にした。

「そんな事は無いですよ」

「あら、そう?変わるコトは別に悪い事とじゃ無いんだから、素直に受け入れても良いんだけどな」

 真貴子先輩は意味深なことを言う。ハルは話題を逸らそうとして別の事を言った。

「あっ、そうだ。真貴子先輩は今日プロジェクターとか使われます?準備手伝いますよ」

 ハルは真貴子先輩にサークルが所有しているプロジェクーターを利用して映像を流すのかどうか聞いた。機器は出してあるのだけれどスクリーンなどの用意は必要だった。

「ううん。今日は時間も無いし、月末の鑑賞会のプログラムを少し詰めておこうかと思ってて」


 月末はサークルの鑑賞会があった。学校側から教室の利用許可を取って、部のプロジェクターを持ち出す。一日かけてで映画を五、六本程度上映し、その合間にお昼を食べたりお茶会をしながら、みた映画の感想をあれこれ言い合う形だ。

 部費を払っていないサークル外の人でも参加が可能で、朝から五 本全部見る人もいれば、好きなジャンルだけ見て感想会には参加せずに帰る人もいる。サークルの部員も「既に見た」だとかいう理由を付けて途中で抜ける人もいるぐらいの緩いものだが、それ故に多くの人に参加して貰うためには、主催側が面白いプログラムを組むという事が重要になってくる。今月末の鑑賞会は真貴子先輩が作品のプログラムの担当になっていたので、どれだけ多くの人に満足してもらえるか頭をひねっている所だった。


 真貴子先輩はアウターを脱いで椅子に掛けて部室の真ん中の大きなテーブルについた。アウターの下は薄いニットのシャツで、しばしハルは見とれてしまった。ハルは真貴子先輩に似合ってるなと思ったのだが口に出すことは出来なかった。

 一方、真貴子先輩はハルの事を気にも留めない様子で、椅子に座って鞄からノートと筆記用具を取り出して、一仕事始める前に両手を挙げて伸びをした。大きな胸の膨らみが強調されハルは思わず目線を逸らした。

「ん?ハル君は座らないの?」

 突っ立ったままのハルに、真貴子先輩が不思議そうな顔をして問いかける。

「あっ、はい」

 ハルは慌てて真貴子先輩と向かい合う形で椅子に座った。

「やっぱり重めの作品は午前中の方が良いわよね……」

 ハルの様子を知ってか知らずか、真貴子先輩は独り言を言いながらノートに映画のタイトルを並べていく。

「ハル君はどう思う?昼下がりに、三本目とか四本目に社会派の映画とか来るとしんどくない?」

「いや。内容によりますよ。社会派だってすんなり見られる作品がありますし」

「まぁ、そりゃそうなんだけれど……」


 自分の発言が真貴子先輩の役に立ってないと悟ったハルは、慌てて別の事を言った。

「じゃぁ、短めのドキュメントとかどうですか?一時間ぐらいの小品とか。箸休めみたいな感じで」

「ああ、そいうのはアリかもね。機会が無いと見ない様な作品を上映するって言うのも上映会の意味でもあるし。午前中じゃなくて、午後からの上映の方に、ジェンダー問題を扱った社会派のドキュメント作品を一本入れて見ようかな」

 上映する作品は基本的に部員の手持ちのブルーレイかDVDで行う事になる。著作権上の問題から無償の上映会である必要があって、観客から料金を徴収することは出来ない。一応、部外者を含めて観客に対しては、お茶代の200円を払えば茶菓子と飲み物を出す形も取っているのだが、選択は客の自由になっている。


「お茶菓子はどうされるんですか?」

 ふとハルは気になって尋ねた。映像文化研究会の上映会では、お茶とお茶菓子の費用は一人当たり100円以下に抑えることで、残りを収益として部費に充てて上映会終了後の打ち上げ費用などの足しにする事になっていた。もっともこの程度の利ざやでは儲けらしい儲けは出ない。来客が予定より多かった時の事を見越して、余裕を持って用意しなくてはならないので時には赤字になることすらあった。

「一応、午前中はスナック菓子にジュースで、午後は珈琲かお茶に甘いものを合わせるつもりだけれど、具体的には加藤君に任しているわよ」

 真貴子先輩は今回の茶坊主担当になっている三回生の加藤さんの名前を出した。ハルはどうせなら真貴子先輩がプログラム担当の時に、自分が茶坊主をしたかったなと思った。


「あっ、そうだ。ハル君に相談しようと思ってた話があるんだ」

「えっ?一体なんです?」

「今度の上映会に、お色気モノを一本入れたいんだけれど、ハル君のお薦めとかある?」

「お、お色気ですか?」

 ハルは自分の男性器が無くなっている状態なのを思い出して複雑な気持ちになった。

「良かったらハル君のお薦めを貸してよ」


 一瞬、ハルはお気に入りのアダルトビデオを思い浮かべたのだが、そんなモノは一般に上映出来るワケが無い。第一、真貴子先輩に貸せるわけが無いではないか。どことなく真貴子先輩に雰囲気の似た女優が出ているそのビデオのことを頭から追い出そうと、ハルは慌てて頭を振った。

「そんなの持ってないです」

「嘘だぁ。ハル君だって本当は持ってるんでしょう?」

 真貴子先輩は笑いながらハルの言葉を否定した。

「すいません」

 嘘を見透かされたハルは頭を掻きながら謝った。

「でも、貸せませんよ」

 慌ててハルが言葉を付け加える。実際ハルが持っているのは、おそらく真貴子先輩が考えている様なおとなしいモノでは無いと思う。そう考えると真貴子先輩に見せるなんていうのはとんでもない話だ。


「えー。私はハル君がどんなのが好きなのか興味あるんだけどなぁ。もしかしてハル君の趣味って、人には見せられないようなものなの?無理矢理だとか、男の子同士とか?あるいは女の子同士とか?」

 ハルは一瞬、男性器が取れてしまった自分が無理矢理に男性に襲われるのを想像してしまって、顔を真っ赤にして声を上げた。

「ち、違いますよ。そ、そんな趣味はありません」

「なぁんだ残念」

 必死になって否定するハルに真貴子先輩はそう言って笑った。結局、真貴子先輩の研究室の教授との打ち合わせの時間まで、ハル達はお茶を飲みながら雑談をして過ごした。


 部室から出て行く真貴子先輩を見送りながら、ハルはもし男性器が戻らなかったら、男性として真貴子先輩を口説くことも出来ないのかと考えてしまって、少し陰鬱な気持ちになった。 これからどうなってしまうのだろう・・・


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