第6話 §魔法大学校 些細な喧嘩

 サークル棟を出ると、未だ日の光があって構内に植えられている桜の青々しい若葉が、夕刻の光の中春の風に揺れているのが見えた。ハルはそういえば昨年も同じような光景を見たなと思った。

 そして、この学校に入学してもう二年目になるのかと改めて思う。まさか一年前には、自分のおちんちんが取れてしまう事態が起きるなんて想像も出来なかったなと思った。


 時計を見ると、未だ寮の夕食までには少し時間がありそうだ。ハルは時間つぶしに生協の書籍部に寄って新刊本でも見てみようかと構内を歩き出した。

 生協の書籍部で少し時間を潰した後、ハルが出ていこうとすると丁度生協の前に石田がいるのに気がついた。

「おぅい石田」

「おうハル。その……。今日は大丈夫だったか?」

 声を掛けられた石田は、あやふやな言い回してハルの様子を尋ねた。ハルの下半身の事がバレてやしないか心配してくれていたのだろう。

「ああ。うん。大丈夫だったよ」

「で、確認はしたのか?」

「え?何のこと?」

「……だから下半身が女のモノなのか何なのか……」

「いや、それはまだ……」

 そう言われたハルは、うつむいて口ごもってしまった。 実は今朝方ハルは、誰もいないのを見計らって学内では数が少ない洋式のトイレの個室に入り、ジーパンとパンツを一緒に下ろしていた。


 最初、便座の上で身を屈めて自分の股間を見てみようとしてみたのだけれど、体はそんなに曲がるものではないのでよく見えない。

 仕方なく手探りで様子を確かめようと思ったのだが、指先が触れた途端妙に柔らかく湿った生々しい感触を感じて思わず指を引っ込めた。

 怖くなったハルは恐る恐る周辺部を指でなぞってみたのだがよくわからなかった。一応、指先の感覚で周囲形を確かめることができたのだけれど、こういう形でこういう大きさのものが、女性器であるのかそれともユニセクシャルの性器であるのか、ハルには判別がつかなかった。

 流石にハルは、石田にこういう事をいちいち説明するのは恥ずかしてと思った。

「いや……よく見えなかったんだ」

 ハルは気まずさから口ごもるようにして答えた。

「じゃ手鏡をつかえよ」

「手鏡?」

「そしたら自分で見えるだろう?」

 石田はやけに実践的な事を言った。ハルが怪訝な顔をして問う。

「もしかして、石田もこういう状態になったことあるの?」

「ば、馬鹿。そんなわけないだろう」

 石田は慌てて否定する。男性器が無くなるというのは男にとって一つの恐怖であった。考えて見るとハルは、今まさにその真っ最中にいるのに気がついた。色々と不安になるのも無理は無いか。


「よっし。ハル今日の夕飯は寮の食堂じゃなくて外に飲みに行こうぜ」

 石田はなんとかしてハルの気を紛らわせてやろうと思った。

「うっ、うん。別に良いけど」

 飲みに行くと言っても、ハルは未だ酒が飲めないので居酒屋などに行っても食事がメインになる。

「俺のおごりだ」

「いいよ。そんなの悪いよ」

「遠慮するなよ。たまには良いだろう」

 そう二人で言い合っている所に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「あららハル君に石田君じゃない。どうしたの二人して?」

「あっ真貴子先輩」

 ハルが視線を挙げると研究室での教授との打ち合わせを終えたらしい真貴子先輩が、いつ ものジト目で此方を見ていた。


「こんちわっス」

 石田が短く挨拶をした。以前ハルのサークルの上映会に顔を出した時に紹介された覚えがある。

「もしかしてお取り込み中だったのかしら?」

 ハルは真貴子先輩の言葉に慌て言い訳する。

「いえ。そんなことはないです」

 ハルは一歩前に出る形で石田から離れて真貴子先輩の方に寄った。

「先輩は、もう研究室の方は終わったんですか?」

「ええ。なんとかね。これから学食で夕ご飯でも食べようかと思っている所なんだけれど、ハル君達も一緒にどう?」


「俺たち今日はこれから二人で飲みに行くんです」

 ハルが答えるより先に石田が口を開いて断りを入れる。

「あら、それは残念ね」

「ま、真貴子先輩もご一緒にどうですか?」

 ハルは精一杯の勇気を振り絞って言った。直ぐに、自分でも信じられない位に大胆な発言をいきなりしてしまった事に気がつき、心臓が脈打つのが判る。

「折角の二人なのに私が邪魔をしたら悪いわよ」

 真貴子先輩がハルの誘いをかわす。

「邪魔なんて、とんでもないです」

 ハルが必死になって言う。


「いや、だってさっきから見てると、石田君とハル君ってそういう仲なんでしょう?私が入り込んで良いのかしら?」

「えっ?そういう仲って?」

「私が声を掛けるまで、まるで「二人の世界」だったじゃない。大丈夫よ私は同性同士の恋愛には偏見は無いから」

「そんなわけ無いです!」

 真貴子先輩のその言葉の意図に気が付いたハルは、顔を真っ赤にして叫んだ。よりにもよって石田となんて酷い。

「はいはい。ムキにならなくても大丈夫だよ。私は誰にも言わないからね」

「気を遣わなくて結構です。僕はノーマルなんですよ!」

 とハルは言ったものの、今の男性器が取れた状態がノーマルなものであったのかどうか些か自信は無かった。

「ふぅん。ハル君はやっぱり女の子が好きなんだ」

 そう言ってニヤリと笑う真貴子先輩のジト目の笑顔に、ハルはようやくからかわれていることに気が付いた。

「ふふ。ごめんなさいね。本当は今日の夜は私にも約束があるのよ」

 真貴子先輩はそう言って笑った。約束とは一体何だろうか。ハルは少し気になったがどう聞けば良いのか判らない。

「じゃハル君。今度また誘ってね。私はもう行くから」


 そう言い残して真貴子先輩は、去って行った。真貴子先輩が学食の方に向かっているのをぼんやりと眺めているハルに石田が憮然とした態度で声をかけた。

「おいハル。お前、あの女の事が好きなのか?」

「な、なんだよ急に」

「ハルは随分気に入られているみたいだが、あれは乳はデカイが良くない女だぞ。止めとけ」

「何言ってるのさ」

「普通の女と違って、魔女に惚れるとろくな事にはならないってことさ。振り回されてあげく捨てられるのがオチだ。早く別れろよ」

「失礼だぞ。だいたい僕の母さんは魔女だ」

「一般的な魔女が男をたぶらかすことはありふれた話だってのはお前も知っているだろう。ハルは身近に知っている自分の母親に対しては、そんな人じゃないって言えるかもしれないけれど、同じようにあの女が違うと言い切れるのか」

 魔女である母の側で育ってきたハルは、確かに魔女の素質として石田のいうような人をたぶらかす事がある事はよく知っている。だからこそ今まで真貴子先輩を考える時にもハルが敢えて考えない様にしてきた部分でもあった。そこを無神経な石田にずばり指摘された様に感じてハルは腹立たしく思った。

「第一、僕と真貴子先輩はまだ付き合ってもないよ。余計なお世話だ」

「そうか。それなら良い。傷の浅いうちに距離を取っておけよ」

「何で石田に、そんな事を言われなきゃなんないんだよ」

 ふくれっ面のハルは、石田に言い返した。

「そりゃお前が友達だからさ」

「 それだけ?」

 石田は、顔を見上げるようにして問いかけるハルの表情に思わず赤面してしまうのを感じて素早く顔を背けた。


「ハル。お前は自覚して無いかもしれんが、ショタが過ぎるぞ」

 ただでさえショタに好まれる雰囲気のハルなのに今は男性器も失っているのだ。それを知っている身としては、気を抜くとおかしな雰囲気になってしまうではないか。

「な、何を言っているんだよ」

 真意を問うハルの言葉に、石田は横を向いたまま一度咳払いで誤魔化して言葉を取り繕った。

「とにかくだ。お前はもうあの女には関わるなよ」

「何だよそれ」

「お前の為を思って言ってるんだよ。どうせ手痛い失恋になるんだろうからさ」

 失恋前提というのも腹が立ったが、実際のところ仮に男性器が元に戻ったとしても、真貴子先輩と上手くいく予感が無いのが余計にハルを苛立たせた。

「余計なお世話だ。第一僕が失恋しろうと何しようと石田には関係が無いだろう!」

「うるさい。俺が良い気持ちはしないんだよ」


 無茶苦茶だ。ハルは理不尽な石田の言い様に無性に腹が立ってきて、くるりと石田に背を向けて力を込めた足取りで歩き出した。

「おい。ハル。何処へ行くんだよ」

「放っておいてよ」

 いつものハルらしからぬ口調に石田は焦って言葉を継いだ。

「待てよ。今日の夕飯はどうするんだよ」

「石田は一人で食べてろよ。僕は学食で食べる。それから今日は友達ん家に泊まる」

「おい、どうしたって言うんだよ」

「今日は寮に帰りたくない気分なんだよ」

「そんな気分屋の女の子みたいな事を言うなよ」

 石田のその言葉が、ますますハルの心をいらつかせた。今、僕の男性器が無く困っている事を知っているくせに、なんて酷い言いぐさだ。

「うるさい。うるさい。もう石田とは口聞かない!」

「わかったよ勝手にしろ!」

 売り言葉に買い言葉の石田の叫び声を背後で聞きながら、ハルは今日の自分は少し変だと思った。


 石田の言う様に、これじゃまるで我がままな女の子の立ち振る舞いじゃないか。まさか男性器を失ったことで、こんな形で影響が出ているのだろうか。そう考えると怖くなってくる。

 いや悪いのは石田だ。昔から人の「恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」と言うでは無いか。馬が蹴る代わりに悪態をつくぐらい許されても良い話で、それが女々しいだとか文句を言われる筋合いは無い。ハルは無理矢理にでもそう思う事にしたのだが、それは今後自分の下半身がどうなってしまうのか分からぬ不安を紛らわせるためのものでもあった。


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