・《メイド喫茶は採用ですか!?》- 5 -



「後輩くん…後輩くん!」


体が強くゆすられている。

誰かが、僕を起こそうとしてくれているみたいだ。

声は可愛らしい女の子の声。一体誰だろう?


「後輩くん、起きるワン!しっかりするワン!」


わ、ワン?どこかで聞き覚えがあるような…。

というか僕、なんで眠ってしまってたんだっけ?


意識がはっきりしないまま、僕は体をゆっくりと起こす。

目を擦り、なんとか重い瞼を開けようとする。


するとぼんやりではあるが、白と黒にピンク、そして頭には紺色の何かをつけた、白髪の美少女が―――・・・って!


「おおおおおおおおおおおい!!!」


「うわっ!?び、びっくりしたぁ…。いきなり叫ばれても困るワン!」


そ、そうだ。

僕はあの怪物店長から逃げて、その後財団に眠らされて…。

あの紙袋野郎…僕をハメやがったな!?


「具合は大丈夫かワン?寝てる時、魘されながら天国のおじいちゃんと会話し始めた時はどうなることかと思ったワン…。」


「す、すみません。ご迷惑をおかけして…。ここは?」


辺りを見回すと、暗い部屋に何着かの衣装が並べられ、事務用と思われるパソコン。そして大量のファイルが詰まった本棚。

多分見た限り店舗の事務室であろう場所のソファに、僕は寝かされていたらしい。


「店長から面倒を見てくれって言われた時は何事かと思ったけど、無事目覚めて良かったワン…。」


「え、じゃあ先輩がそばに…?」


「せ、せんぱい!?そ、そうだワン!今の今まで、後輩くんの面倒を見ていたのは私だワン!」


胸を張って言う先輩。

先輩と呼ばれなれていないのか、顔が少し赤くなっている。

見た目が小柄なため、胸を張っても何も拝めないのは残念だ。


「というか先輩、客の前以外でもその喋り方なんですね…。もしかして素?」


「なわけないワン。私がこのメイド服を着ている時はこの話し方と決めているだけだワン。普段はもちろん、普通の喋り方だワン。」


「そ、そうですか。」


「それにしても大丈夫だったワン?間違いなく何かしらの薬で眠らされたみたいだけど、怪我とかしなかったワン?」


「まぁ…ええっと、大丈夫そうみたいです。」


「それなら良かったワン。」


「じゃあ僕はこの辺で…。」


「あ、了解だわん。『今日は』もう帰った方がいいワンね。」


「そうですね。では失礼します!」


『今日は』ってことばが引っ掛かりはするが、自然な流れで僕は事務室の扉のドアノブを握る。


よし!

一度財団の陰謀によって捕まりはしたが、このまま行けばうまく逃げられる!

生憎、あの犬耳の先輩も着いてこないみたいだし!


「あっ、でも待って!後輩く―――」


先輩に呼び止められたけどもう知らん!


さよなら!僕のメイド生活!

こんにちは!何気ない青春!


そして頑張ってくれた僕の体よ!


ありがとう!



「それじゃ、さよなら!」(ガチャ)


「あら♡のぞむくん、お目覚めなのねん?♡」(スーツ姿のムキムキ店長)


「…………。」(無言でドアを閉じる)


なんだ今の。


待ち構えていたかのように、筋肉ムキムキマッチョマンの変態が立っていた。


ちがう、これは見間違いだ。

きっと僕はまだ寝ぼけているんだ。


ははっ!よほど怖かったんだろう。

でも怯えなくていい…。この扉の先に、自由があるのだから!!


「さよならっ!!」(ガチャ)


「んんんんーーーっっ!!♡ウェルカァァァァム♡」(半裸でローションテカテカの店長)


「なんでだよおおおおおおお!!」


二重の意味でなんでだよ!

なんであんた待ってんの!

てかなんでこの短時間でテカテカなの!


もうわけがわからないよ!



「扉の先で店長が待ってる、って言おうとしてたのに、先に行っちゃうから言えなかったワン。」


「なんでそれをもっと早くに知らせてくれないのおおおお!」


「話を聞かずに帰ろうとした後輩くんが悪いワン!」


ぷくっと頬を膨らませる先輩。


いやまあ怒りも最もだけど、今はこの場をなんとか逃げ切らないと…!


「い、いやあ奇遇ですね…?先程はどうも…。」


「気にすることないわよん♡いいウォーミングアップになったわん♡」


ウォーミングアップ!?あのスピードでウォーミングアップなの!?

この人、ほかの仕事ついたほうが稼げるんじゃないの!?


「いやーそれはよかった。じゃあ僕はこれで、失礼しま―――ッ!」(ガシッ)


「どこに行こうというのかしらん?♡」


さりげなく逃げようと思った矢先、僕の肩を人間が出せるとは思えないほどの重力が襲った。


「き、貴様…。離して!離してください!お願いします!」


必死の懇願。

全身から流れ出す冷や汗。

歯はガチガチと音を立て、身体は震えが収まらない。


おかしい。

肩をつかまれているだけなのに、身体全身が金縛りにあったかのように動かない。

やはり能力者か!?


「アナタみたいな逸材、私が取り逃がすわけないでしょお?これからあなたは、『ケモミミ喫茶モフィ☆』の専属メイド。『のぞみん』として働くのよ♡大丈夫。賄いもあるし、特別にボーナスも出すから♡」



「なんだよ『のぞみん』って!嫌だー!金なんていらない!いらないから!だから離して!メイドなんて嫌だ!僕は、僕はあああああああ!」


必死に暴れて逃げようとする。

しかし、前に進もうにも体が言うことを聞いてくれない。

むしろ、このマッチョな社長の腕力により、ズルズルと後ろに引き寄せられていく。


「ぼ、僕はまだ…死にたくない…死にたくないんだ…。」


「のぞみん…いらっしゃい…、さあこちらへいらっしゃいな…♡」


「後輩君、もう諦めたほうがいいワン。店長の腕力はダイソソの掃除機より吸引力が持続するワン…。」


「そ、そんな先輩まで!?何とかならないんですか!?」


「無理だワン…。」


諦め顔の犬耳の先輩。

畜生…僕に味方はいないのかよ!!


「あっ、あと一つ言い忘れてたわ。私の名前は花園はなぞの たける この店の店長よ♡ これからは誠意を持って接しなさい?」


「聞いてないよこの人!誰が働くといったんだ!意地でも逃げてやる!!」


「んもう…そんな聞き分けのない子には…。」


「んおッ!?」


急に、先程の倍以上の力で後ろに引っ張られる。

途端のことで体制も整わず、転びそうになったところを………。


「んふん♡」(ガシッ)


逞しい大胸筋が支えてくれた。


そう。

僕の体は、あの筋肉ダルマに後ろからやさしく抱擁されていた。


「……!?」(ゾクゾクゾクゾク!)


全身に迸る悪寒。

服越しでも伝わる筋肉とローションの感触。

そして絶対に逃げられないという絶望。


「わお…店長も大胆だワン…。」


違うよ、先輩!そこは感心するところじゃないよ!

むしろさっきからヘルプアイを送っていることに気が付いて!!!


「お仕置き、しちゃうぞ…♡」


「ひ…ひィ!!!」


ち、近い!

店長の声が耳元ですぐに聞こえる上に、鼻息が当たって気持ち悪い!


「おお…これがボーイズラブだワン…。」


先輩!!これはボーイズラブじゃなくて一方的な捕食だよ!

生態系の頂点が餌食ってんのと同じだよ!


尚も近づいてくる店長の顔。

このままいくと、僕の大事なものが危ない!


究極の二択。

僕の脳裏に駆け巡る選択肢。


その答えは既に、導き出されていた。


「わ、分かりました!分かりましたよ!働きます!働けばいいんでしょ!」


そう。その答えは、降伏であった。

もうだめだ、逃げられる気しないんだもん。


「よろしい。いい子よのぞみん♡」


僕の宣言と同時に、肉の拘束もとかれ、店長の頭も離れていく。

本当に死ぬかと思った。いろんな意味で。


「後輩君。よろしくだワン!」


「物凄く不本意ですが…よろしくお願いします。ええっと…。」


言い淀む僕。

そういえばまだ先輩の名前を聞いてはいなかった。

それを察したのか、先輩はまた胸を張り、自信満々に言った。


「自己紹介がまだだったワンね。私の名前は白沢しらさわかなで。ここでは『カナカナ』って呼ばれているワン。よろしくね?柊木ひいらぎ望君!」


「は、はい!」


その時先輩が見せた明るい笑顔は、前に相川あいかわさんの見せた笑顔にどこか似ているような気がした。


見ているだけで元気になったり、笑顔になったり、前向きになれるような、そんな不思議な表情。


「これで、期待の新人メイド『のぞみん』の誕生ねん!♡」


「ハッピーバースデーだワン!のぞみん!」


「僕の名前、『のぞみん』で確定なんですか…。」


嬉しそうに盛り上がる店長と先輩。

もう、正直すべてを諦めきった僕には、その二人についていけるほどの体力は残されてはいなかった。


こうして僕は、『メイド喫茶モフィ☆』にて、生まれて初めてのバイトをすることになる。

そう、女装ケモミミメイド『のぞみん』の誕生であった。


自分で言うの辛いなこれ…。


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