第1章 お飾り聖女と半人前騎士ー3

 周囲を気にけつつ、人目に付かないようトルステア家の門をくぐる。

 事情を知るしきの者達は飛び込んできた少女騎士に対してきようがくすることもましてや理由を聞くこともなく、それどころか無事で良かったとあんと共にむかえてくれた。いくら身分を偽っているとはいえ、さすがに屋敷内の者にはかくし通すことは出来ない。ゆえにかんこうれいいて協力してもらっているのだ。

 そんな中、屋敷の奥からゆっくりと歩いてくるのはナタリア。えつけんの時のかしこまった服装から一転して、今はラフなワンピースをまとっている。

「おかえりなさい、キャス。無事で良かったわ」

「お母様ってば、屋敷の中ではもうキャスリーンって呼んでも良いのよ」

 日中のやりとりを思い出しているのか、わざわざキャスと呼びながらむかえてくれるナタリアに、キャスリーンが楽しげに笑って駆け寄る。

 そうして無事を喜んでくれる彼女にき着こうとし……グイと押し戻された。

 ナタリアは相変わらずやさしい笑みをかべている。だがそこにただよきよのオーラはキャスリーンのかんちがいではないだろう。なにせうでがこれでもかとっぱねるように押し返してくるのだ。

あせくさいわ」

「そりゃ動き回ったもの」

「汗くさいうちはまだキャスよ。早くおを済ませてキャスリーンに戻ってちょうだい。そうしたら抱き着いて」

においで区別しないで!」

「それじゃ、私の部屋で待ってるからね」

 ほほ……とゆうに笑いつつナタリアがクルリときびすを返して去っていく。

 その背中を見届け、キャスリーンは「汗くさくない……よね?」とおのれかみかたぐちをスンとぎながら風呂場へと向かった。


 そうして入浴を済ませ、金糸の髪をタオルでぬぐいながらナタリアの部屋へと向かう。

 三つ編みにした時こそふたからネズミの尻尾しつぽやエビのだとちやされている髪だが、キャスリーンは己の金の髪を気に入っている。風にれるとまばゆいほどにかがやき、手にれればしなやかさが伝わってくる。

 聖女の現状には不満はあるが、それでも聖女の正装と己の金糸の髪のあいしようは最高だ。とりわけ、ナタリアからいだ髪色なのだからなおの事、能力こそおとるがまるで先代聖女のようだと鏡の前で誇っていた。

 そんな髪をいじりつつナタリアの部屋のとびらたたく。中から聞こえてきた入室の許可にうかがうようにゆっくりと扉を開け、すきから顔をのぞかせると「お母様?」と母を呼んだ。

「キャスリーン、入りなさい」

「……何かあったの?」

 うながされるまま部屋へと入り、ナタリアのもとへと向かう。

 いつもの雑談ならばお茶を用意してくれているのだが、今夜はその様子はない。それどころかキャスリーンの問いかけに対して困ったような笑みを浮かべるだけだ。

 普段とは違うその様子に、キャスリーンの胸中に言いようのない不安がつのり始めた。

 だが話を聞かないことには不安も解消しようがない。そう判断し、ナタリアのもとへと向かい……そしてギュウと強く抱きめられた。

 自分の髪と同じ金色が目の前で揺れる。やわらかく、それでも放すまいとするほうように、キャスリーンがむらさきいろの瞳を丸くさせた。

「……お母様?」

「出来ればもう少し、あとほんの少しでも、貴女あなたにキャスとして生活させてあげたかったんだけれど……」

 なげくように訴えるナタリアの言葉に、キャスリーンが小さく息をんだ。

 きたるべき日が来てしまったのだ。

 そう遠くないと分かっていた、かくしていた。だがいざ目の前に突きつけられると覚悟もすべて散ってしまう。心臓が締め付けられるように痛み、足の力が抜けていく。

 それでも胸の内に湧いた『そんなまさか』という僅かな希望をかてに、キャスリーンが問うように「どういうこと?」とたずねた。その声は我ながら白々しい。

 返ってくる言葉など分かりきっている。それでも別の回答を望んでしまうのだ。

 だがそんなキャスリーンの願いもむなしく、ナタリアは強くキャスリーンを抱き締めたまま、

しきの準備が整ったわ」

 と、はっきりと告げてきた。

 それを聞き、キャスリーンがゆっくりと瞳を閉じる。

 のうに第四騎士隊の姿が浮かぶ。けんを手に共に戦う仲間達、やつかいだがにくめないローディスとロイ。……そうして最後に浮かぶのは、優しく微笑ほほえんで頭を撫でてくれるアルベルトの姿。

 それを思えばキャスリーンの胸が痛むが、その痛みにえるように一度深く息をき、ふるえる声で返事をした。


『儀式』とは、聖女に課された試練である。

 といっても難しい試験を受けるわけでもなければ、不合格になるわけでもない。

 ただ数人の護衛をつけて国の外れにある聖堂に行き、そこで一晩過ごすだけだ。

 もちろんその道中には危険もなく、聖堂での一晩だって司祭の話を聞きいのり続けるだけだという。──母曰いわく「司祭も一晩中そばに居るわけじゃないし、早々に別室へ行っちゃうのよ。だからあとは……」と言っていた。後は何なのか、尋ねてもされてしまう──

 つまり儀式と言えどもただの旅、『おかざり聖女の試練ごっこ』とでも言えばいいのか。

 それでも聖女が一人前になるための通過儀礼であり、これを無事に終えればざわりなベールもかぶらなくて済む。謁見の間だろうとがおで出られるようになるのだ。


「……でも、そうなったらもうキャスとしては居られなくなる」

 自室にもどったキャスリーンがボフンとベッドにたおれ込み、まくらに顔をうずめてうなるようにつぶやいた。

 枕が言葉を吸い込んでくれる。だがなやみまでは吸い込んではくれず、胸の内はいまだもやうずいたままだ。

 いっそ何も聞かなかったふりをしてしまおうか……そんな事すら考えてしまう。

 酒場で酒を飲んでってしまえば良かった。そうすれば、話は明日にされただろうに。

 それだって問題をたった一日先延ばしにしただけにすぎないのだが。

「もうお別れなのね、キャス……」

 そう呟き、部屋のかたすみに立てかけられたレイピアに視線をやった。

 剣の重さに負けてふらついていたキャスリーンをねて、アルベルトが用意してくれたものだ。つかにはれいな細工がり込まれており、軽くしなやかだが作りはしっかりしていて並の剣にも負けぬ強度がある。

『これなら動き回れるだろう。でもちやはしてくれるなよ』

 そう優しく微笑みながらわたしてくれたアルベルトの姿が脳裏にぎる。

 おかげで彼のようにとまではいかずとも、自分の身は自分で守れる程度にはなれた。聖女として育てられ、レイピアどころか剣もあつかったことがなく、せいぜいナイフで果物をくしかなかったキャスリーンからしてみれば大きな進歩と言えるだろう。

 だがそれもになる……。そう考え、キャスリーンが再び枕にためいきを吸い込ませた。

 儀式を終えれば、今よりもっとぼうになる。

 今は謁見の手配をすべてナタリアに任せているが、儀式を終えて一人前の聖女になれば自ら手配をしなくてはならない。いくらお飾りの聖女と言えども仕事はほかにもあり、それをこなすとなれば業などやっている時間はない。

 そもそも、身分をいつわって騎士業をすること自体が儀式までという条件である。「その後はちゃんと聖女の仕事に専念するから!」と、そう必死にうつたえて周囲を説得したのだ。

「いつか終わるって分かってたけど、その時には晴れやかな気分でいられると思ってた……」

 前線で戦う者達の実情を知り、彼等をやし、そして儀式をむかえる時には能力で国民にこうけんできるような立派な聖女に……そうなっているはずだった。少なくとも、初めてキャスを名乗った時はそう理想をえがいていた。

 だが現状はどうだ。思い描いていたものの足元にもおよばない。

 そのなさに、キャスリーンが唸りつつも枕に顔を押し付けた。

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