第1章 お飾り聖女と半人前騎士ー2

 今日の任務は、王都からしばらく走った森の中に根城を構えたぞくとうばつである。

 もちろんキャスリーンも仲間と共に討伐に加わっている。

 武器を手に戦うなど、聖女の時ならば周囲に止められ、下手へたをすればえつけんの間に閉じ込められかねない話だ。だが今はキャス、第四騎士隊の一人。戦うのは当然の事である。

「キャス! こっち来てくれ!」

 そう仲間に呼ばれ、キャスリーンが雑音ひしめく戦場の中でくるりとり返った。

 足元でたおれる賊にはもはやいちべつしてやる義理はない。みぎかたむなもとをレイピアでくようにしてやったのだ、立ち上がり戦うゆうは無いだろう。この混戦が片付いたらばくすればいい。

 そう判断し、レイピアを軽く振るって付着した血を振りはらい声のする方へとけ出した。

「ローディス、どうしたの!」

「悪い、腕をやられた。てくれないか?」

 駆けつけた先にいたのはローディス。彼の騎士服はこの混戦の中でつちぼこりが付着し、なにより目に付くのは右腕をおおう真っ赤な染み……。けきれなかったとやむあたり、敵のけんさきでやられてしまったのだろう。

 それを見たキャスリーンが痛々し気にまゆじりを下げ、次いであわてて周囲を見回した。そこに見慣れた片割れの姿を見つけ、彼の名前を呼ぶ。

「ロイ! ローディスの手当てをするからえんして!」

 そうキャスリーンが声を掛けつつ、身をかくせそうな場所へとローディスをゆうどうする。──肩を貸すと告げたところ「お前の肩を借りたら倒れちまうだろ」と苦笑されてしまった。なるほど確かに……とうなずきつつ、小ささをてきされたくやしさで彼の右腕を軽く突っついて返す──

 そうしてかげに身を隠し、きずあとげきしないように布を破いていく。真っ赤に染まった腕が露わになる。そこを横断する傷のなんと痛々しいことか……。

 このじようきよう下では手当てどころか止血も出来ず、それどころか押さえることすら出来ずにいたのだ。今もまだこぼれた先から血がにじんでいく。

「悪いな、ちょっとヘマしちまった。パパッと処置してくれないか?」

「分かった、任せて」

 返事をすると共に、かばんから必要なものを取り出していく。

 といってもここは戦場だ、りよう設備がそろっているわけがなく、キャスリーンの鞄も必要最低限の薬や道具しか入っていない。出来ることなどたかがしれている。

(聖女の力を使えれば、医療道具なんていらないのに……)

 そうキャスリーンが心の中で悔やみつつ、取り出したガーゼで傷をそっとぬぐった。まずは付着したつちよごれを拭い、次いでガーゼをえて消毒液を染み込ませて拭う。軽く拭うだけでガーゼが赤く染まり、その光景は見ているだけでこちらの腕まで痛み出しそうだ。

 出血が酷い。だが筋までは痛めていないようで、指先は動かせるかとかくにんすれば動かすどころか三つ編みを引っ張られた。大事にならずに良かった……とあんしつつ、ペチンと傷の近くをたたいて『次は傷をじかに叩く』とおどしてみせる。

「止血して包帯を巻くから、あまり動かないようにしてね」

「ということはサボってて良いんだな。俺、あっちでてようかな」

 悪戯いたずらっぽくローディスが笑うが、その額にはあせが浮かんでいる。痛みがまだ引いていないのだろう。それでも冗談を口にするのは、戦場で傷を負ったおのれを甘やかすまいとしているのか、それとも避けそこねた己の非だと考ええているのか、もしくはキャスリーンを相手に痛がる姿は見せまいとしているのか……。

 なんにせよ引きつったみながらに「ご苦労さん」とねぎらってくるローディスに、キャスリーンが頷いて返すと共にそっと彼のうでに手をえた。包帯の上から刺激しないようにでる。治療の最後に聖女のいやしというおまけを付けるのだ。もちろんバレない程度にだが。

こうれいのおまじないか」

「ローディスのが早く治りますように、痛みませんように……」

「キャス、ありがとうな」

「大人しくしててくれますように、その後ちゃんと休んだ分働いてくれますように……」

「腕の痛みは引いてきたが今度は耳が痛いな」

「約束通りチーズを奢ってくれますように、一緒にケーキも買ってくれますように」

「耳どころかさいまで痛み出したぞ」

「私のことをネズミだと鹿にしませんように、私の背がもっとびますように……!」

 ローディスの腕をさすりながらも己の願望を口にすれば、彼がクツクツと笑い出す。冗談めかしたこのやりとり、まさかそこに聖女の癒しの力が込められているとはとうてい思うまい。

 現に彼はキャスリーンに対してあきれたと言いたげな表情をかべ、三つ編みをクイと引っ張ると「無理な願いだな」と言ってしてきた。それに対してキャスリーンがにらんで返す。もちろん、ここまでが恒例の流れなので本気でおこっているわけではないのだが。

 そんなやりとりを終え、ローディスがおもむろに立ち上がった。包帯が巻かれた右腕を擦り様子をうかがい、けんを左手に構え直す。

 どうやらまだ戦うつもりらしく、とがめるようにキャスリーンが彼を見上げた。

「怪我してるんだから、大人しくしててよ」

だいじよう、みんなのサポートするぐらいだ」

 無理はしない、とローディスが念を押してくる。それに対しキャスリーンはしぶしぶといった表情で頷いて返し、自らもまたレイピアを構え……、

「大丈夫か、ローディス!」

 と、慌てて駆けつけてきたロイにぶつかった。

 いな、正確に言うのならばロイとローディスにはさまれた。

 背の高いふたに挟まれ、あわれキャスリーンが悲鳴をあげる。この時に「きゃぁ!」と高い悲鳴でもあげれば可愛かわいかったのかもしれないが、あまりにとつぜんすぎてあがった悲鳴が「ぷぎゅ!」である。間がけているにもほどがある。

「あ、悪いキャス。いたのか」

「いたよ! むしろ私がロイを呼んだよ!」

「まぁそう怒るな。悪かったよ、あせって足元まで見てなかったんだ」

「足元! そこまで小さくない!」

 ひどい! とキャスリーンがわめく。

 だが酷いのはロイに限らず、周囲の仲間達も「双子サンド」だの「パンの大きさに対して具が小さい」だのと好き勝手にちやしてくる。そのうえさきほどまで感謝していたローディスまでもが「足元駆け回ってまれないように気を付けろよ」と言ってくるのだ。

 これにはキャスリーンもいかりをあらわに、文句の一つでも言ってやろうとし……、

 グラリとらいだ視界に、そしていつしゆんにして足の力が抜けたことにむらさきいろひとみを丸くさせた。

 心の中でしまったと悔やむが、一度崩くずれたバランスはそう簡単にはもどらない。

 世界がゆがむように揺らぎ、体がまるで地面に吸い込まれるように倒れていくのが分かる。双子が慌てて手を伸ばすが、彼等の手はあとわずかでキャスリーンには届かない。

 倒れる……! そうキャスリーンがくるであろうしようげきに身構えた。その瞬間……、

「キャス! 大丈夫か!」

 と、とつじよ現れたアルベルトにきかかえられた。これにはキャスリーンも瞳をぱちんとまばたかせ、双子も手を伸ばしたまま動けずにいる。

 なにせアルベルトがいるのだ。いや、彼が戦場にいること自体は当然なのだが……。

「アルベルト隊長、前線に居たんじゃなかったんですか……?」

 そうキャスリーンが彼に抱き留められたままたずねた。

 今日の作戦でアルベルトは前線で戦うはずだった、むしろ先程までそうしていたはずである。

 なにせキャスリーンがローディスの手当てをしている最中も、その後も前も、アルベルトの姿は見えなかったのだ。かげはおろか声すら聞こえなかった。

 だというのに、まるで今さっきまで近くに居たと言いたげにアルベルトがいる。

「アルベルト隊長、いつからそこに?」

「……いいかキャス、俺は隊長だ。常にせんきようあくしなければならない。だから戦いつつも全体を見て回っているんだ」

「そうだったんですね、さすがアルベルト隊長! ありがとうございます、助かりました!」

「いやなに、たまたま居合わせただけだ」

 アルベルトの話に、キャスリーンがパッと表情を明るくさせる。

 前線で戦いつつ全体を視野に入れるなんて、やはり隊長になる人はちがう! そうキャスリーンの胸に尊敬の念がく。──アルベルトの肩が大きく上下し息があらくなっているが、彼のだいさに感動しているキャスリーンは気付いていない。もちろん、周囲からあがる「キャスの悲鳴を聞いて走ってきたな」「相変わらず過保護騎だ」というささやきも耳には届かない──

「とにかく、がんるのは良いが無理をしないように」

「はい!」

「俺の部隊でまともな治療が出来るのはキャスだけだ。たよりにしてるからな」

「任せてください!」

 おだやかにしてくるアルベルトの言葉に、キャスリーンが頷いて返す。

 頼りにしている、その言葉のなんととうたぎらせることか。だが次いでその瞳を見開いたのは、彼の背後から一人の男が姿を現したからだ。

 険しい表情で短刀を手にし、今まさにアルベルトに切りかからんと頭上高くにかかげている。

「アルベルト隊長!」

 思わずキャスリーンが声を荒らげた。

 だが次の瞬間に発した言葉ごと飲み込むように息をんだのは、ぞうを露わに短刀を手にしていた男が一瞬にして表情を苦痛に歪め、もんの声をあげるとその場にくずおれていったからだ。

 男の手にあった短刀が地に落ちる。だれさることも、誰を切りつけることもなく。

 そうして地にせた男がうめきながら見上げるのは……剣を手にするアルベルト。

 キャスリーンが声をあげた瞬間、彼はそれを聞くや否やり向くと共に剣を抜き、迷いのない太刀たちすじで男を切ったのだ。敵を視認するより先に剣を振るうその速さ、目の前で見ていたキャスリーンでさえ目で追うのがやっとだった。

 あいいろかみと騎士服のすそひるがえる様、なにより一瞬にして冷ややかな色合いに変わったアルベルトの瞳に言葉を失ってしまった。

「……アルベルト、隊長……お怪我は……?」

「あぁ、問題ない」

 ぼうぜんとしつつキャスリーンが案じる。対してアルベルトは平然としたものだ。彼の返答には無理をしている様子もなければ、きようがくを押しかくしている様子もない。当然の対応をしたまでとでも言いたげである。それどころか、接近を許してしまった己のかつさをやんでいる。

 だが背後にせまる敵を振り向きざまに切りたおすなど、熟練の者しか出来ない芸当である。現に、それを見ていた周囲の騎士達も尊敬のまなしを彼に向けている。

「……氷騎士」

 とは、そんな中で地に伏せる男がポツリとつぶやいた言葉だ。

 苦痛とおびえとと絶望。それらがい交ぜになりれ出たかすれた声に、キャスリーンが改めてアルベルトを見上げた。

 彼の瞳に、あの瞬間に見せたてつくような冷ややかさはない。キャスリーンの見覚えのある、穏やかでやさしい藍色の瞳だ。この瞳からは氷などは想像つかないだろう。

『戦場の氷騎士』

 だがそれはまぎれもなくアルベルトに付けられた異名だ。

 戦場でも冷静かつちんちやくに敵を打ち倒す、れいこくとさえ言えるほどのあつとう的な強さ。冷ややかに敵に向けられるするどい瞳。誰と打ち解けることもなく、強さをきわもくおのれあたえられた仕事をこなしていく彼の姿に、いつしか誰からともなくおそれを込めて氷騎士と呼ぶようになったという。

 だが当時を知らぬキャスリーンには今一つピンとこない呼び方である。アルベルトは優しく温かな人で、部下にも親身に接している。冷酷とは程遠い人物だ。

 当時その名で彼を呼んでいた者達も今は考えを改めたようで、とりわけ双子の言い草は酷く「氷が解けたな」だの「もっと早くから揶揄からかえば良かった」だのと言っている。──それを聞くアルベルトがほおを引きつらせていたのは言うまでもない──

(だけどあの一瞬……寒気がするほどだった……)

 そうキャスリーンが心の中で呟き、背筋のふるえを感じてうでを擦る。

 そんな動きをしんに思ったのか、アルベルトがどうしたのかと問うように見つめてきた。藍色の瞳は、今は優しさと共に案じるような色合いを見せている。

 そんな彼の視線を受け、キャスリーンは心の中でまどいをいだいた己をしつした。それと同時に、うかがうように見つめてくるアルベルトの瞳を見つめて返す。

「私もアルベルト隊長のように……とはいかずとも、自分の出来ることを頑張ります!」

「あぁ、そうだな。だけど無理はしてくれるなよ」

「はい!」

 せいくキャスリーンが返すと、それを聞いたアルベルトがやわらかく微笑ほほえんでうなずいた。

 そうして周囲に対し、あと少しだとげきを飛ばす。

 とうばつ対象のぞく達はすでに散り散りに分かれ、生き残った者のほとんどはげに転じている。一人たりとて逃がすなと指示を出す今のアルベルトは勇ましく熱い。

いつむくいようとやつになる者がいるかもしれない。最後の一人まで気を抜くな! 前方はもちろん、背を取られないように背後にも注意しろ。……あと」

 ふと、アルベルトが言葉を止め、次いでチラと横目でキャスリーンに視線を向けてきた。

 第四騎士隊の中でも背の高いアルベルトと、身のたけは並の少女でしかないがらなキャスリーン。自然とアルベルトは見下ろし、対してキャスリーンは彼を見上げる形になる。

「アルベルト隊長、どうしました?」

「……前方後方、あと足元にも注意した方が良いか」

「どういう意味でしょうか」

「いや、なんでもない。とにかくあと少しだ、みんな一気に片を付けるぞ!」

 すようにてつかいし、アルベルトがけんいてけていく。

 逃げる賊を見つけたのか、もしくは追う仲間に加勢するためか──げんきゆうされる前に逃げた可能性もいなめないが──ろうおくする気配も見せぬその後ろ姿は勇ましいの一言につき、キャスリーンがほぅとかすかにいきを漏らした。

 次いで聞こえてきた己の名に振り返れば、一人の騎士が地に座り、もう一人がそれを支えながらこちらに手を振っている。二人の様子から片方がをしたことは一目で分かる。

 つまりりようを要しているのだ。それを見てキャスリーンもまた「任せて!」と仲間のもとへと駆け出した。



 キャスリーンは元々聖女だ。

 先代の聖女である母ナタリアから力を受けぎ、彼女指導のもと力の使い方を学んできた。

 だがいくら学んでも歴代の聖女達のような能力は発揮出来ず、その力でさえ使えば反動が返ってくる。治療をすれば体力のかつが速くなり、眩暈めまいを起こしたり倒れてしまうのだ。

 騎士業に至っては見習い以下である。誰より先に体力がき、剣のあつかいだっておとる。その剣だって、ほかの騎士達のような大振りのものは持てず、細身のレイピアを所持している。

 国を守るため戦い負傷した騎士を、共に背を預け戦う仲間を、治すことも出来なければ守り戦い抜くことすら出来ない。これは何とももどかしく、己の未熟さを痛感させられる。


(聖女としても騎士としてもちゆうはん……)

 そうキャスリーンがためいきいたのは、討伐も終わり、祝賀会をねての夕食の最中。場所は王都のはずれにある酒場。だんは店の半分程度埋まればはんじようと言えるこの店も、今夜は第四騎士隊で埋められており、五月蠅うるさいほどのにぎわいを見せている。

 そんな場での盛大な溜息に、キャスリーンの向かいに座るふたが顔を見合わせた。

「なんだよキャス、溜息なんか吐くなよ。飯がまずくなるだろ」

「……だって、自分がなくて」

「不甲斐ない? またお前なんか考えて落ち込んでるのか」

 あきれたと言いたげな表情をかべるのはロイ。

 次いで彼はとなりに座る片割れにチラと視線を送った。さすが双子、言葉をわさずに意思のつうが取れるのだろう、ローディスが頷いて返すと共にどこにともなく片手を上げる。

 まるで何かを呼び寄せるような仕草ではないか。いったい何がしたいのか、キャスリーンが不思議そうに二人を見つめてしばらく……、

「キャス、ここにいたのか」

 グラスを手にアルベルトが現れた。

 正確に言うのであれば、仲間達にゆうどうされてテーブルまで来た。一人また一人と彼に対して「隊長こちらへ」「いえ、こっちにどうぞ」と声をかけ、そうしてここまで運んできたのだ。

 その連係は見事としか言いようが無く、当のアルベルトは己が双子の指示のもと運ばれてきたなど欠片かけらも気付かず、キャスリーンの隣にこしを下ろした。──その際にローディスが周りに「うんぱんご苦労」と声をけているのだが、あいにくとアルベルトはこれにも気付いていない。キャスリーンも同様、彼のためにとテーブルを片していて気付かなかった──

「アルベルト隊長、キャスがまたうじうじと……チュウチュウとなんかなやんでるんで、聞いてやってください」

「ローディス、今なんで言い直したの」

「悩み? キャス、何かあったのか?」

 心配そうにアルベルトが顔をのぞき込んでくる。

 藍色のひとみに見つめられ、キャスリーンがうつむきつつポツリポツリと話しだした。──……アルベルトがさり気なくキャスリーンの手元にある酒を遠ざけているのは気になるが、ひとまず今は話すことを優先すべきだろう──

「今日も倒れそうになったし、なんだか自分の未熟さが不甲斐なく思えてきたんです……」

「未熟?」

「えぇ、もっとみんなのように戦ったり、それが出来ないなら治療をちゃんとしたり……」

 聖女として、という言葉を飲みこみつつキャスリーンが話せば、胸中を察したのかアルベルトがポンと頭に手を置いてきた。大きな手がゆっくりと頭をでてくる。

 剣のつかにぎり敵を切りたおしていたのがうそのような優しい動きに、キャスリーンの胸の内にたまっていたもやゆるやかにかされていく。

「キャス、お前は家業を継ぐための勉強をし、それと同時に夢であるとしての仕事もしているんだろ。立派じゃないか」

「でも……」

「二つのことを進めるのは大変だろう? 俺は剣をるうことしか出来ないから、両方をこなそうとするキャスのことはすごいと思う」

「そんな、結局どっち付かずになってるだけです……」

「無理に二つのことをかんぺきにこなそうとしなくていいんだ。キャスはキャスなりに、やりたい事をやれば良い。自由に生きて良いんだ」

 そうおだやかに話すアルベルトに、キャスリーンが小さく「自由」とつぶやいた。

 この国ではだれもが自由に人生を選べる。

 平民が騎士になることもあれば、社交界で名をせた者が遠方で農業を始めることだってある。けつこんも同様。社交界ではいまだ政略結婚が蔓延はびこっているが、最近では己の意思で結婚することが主流となりつつあると聞く。

 何事も本人の意思と努力次だいだ。そこには性差もなく、女が家業を継ぐ事にだって誰も異論を唱えない。誰もが皆自由で、だからこそ騎士の道を選んだのだと得意気に双子が話している。階級や身分にとらわれぬ雑多な第四騎士隊こそ、誰もが自由に己の人生を選べているあかしだ。

 そんな彼らを見回し、キャスリーンが小さく溜息を吐いた。

(だけど、聖女はちがう……)

 そう考えればまたも胸の内に靄がまる。

 せめて聖女としての能力をかんなく発揮出来ればいいが、結局は王宮の奥でままごとのような治療ごっこでしかないのだ。自由なんてものはあのえつけんの間には存在しない。

「もう、なんかいっそ全部捨ててどこかに逃げ去ってしまおうか……」

「キャス!?」

「いえ、じようだんです……。でもどこか遠くへ、誰も私を知らない場所に……よくを言えば平均身長の低い世界へ……」

 そう呟きつつキャスリーンが遠くを見る。

 視界に映るのはにぎやかを通りして五月蠅いだけの酒場。むさ苦しい騎士達がぱらって鹿さわぎをし、中には既に酔いつぶれてテーブルにしていびきをいている者すらいる。

 だがそんな光景の奥に見えるのは……とキャスリーンが瞳を細めた。

 青くかがやくそれは、日の光を受けて輝くゆうだいな海。風を切るように飛ぶ海鳥。

 すなはまでは子供達が楽しげにはしゃぎ、親がそれをいとおしむように見守っている。

 なんと美しい光景だろうか。あれがきっと理想郷、いやしの力も必要とせず、誰もネズミだのエビだの馬鹿にしない。背の高い双子にはさまれることもない。

「海が、海が私を呼んでいる……」

「キャス、なにが見えてるんだ!?」

 だいじようか! とアルベルトがかたすってくる。

 それを受けてキャスリーンがはたと我に返り、アルベルトに大丈夫だと告げると共に思い悩むどころかげんかくまで見ていたおのれじた。考えすぎるどころの話ではない。

「申し訳ありません、アルベルト隊長。ちょっと理想郷を見ていました。それはそれは、とてもれいな海でした」

「……本当に大丈夫か?」

「大丈夫です」

「それなら良いが……。あまり考えすぎるなよ」

 最後に一度ポンと軽くたたくようにキャスリーンの頭を撫で、アルベルトが己のグラスを取る。

 キャスリーンもそれを見て、自分もと手元にあったグラスを取ろうとし……彼の名を呼んだ。

 さきほどまであったグラスが無くなっている。代わりにあるのは……牛乳の入ったマグカップ。

 誰が入れえたのか、犯人などさがす必要も無い。

「……アルベルト隊長、私もうお酒を飲めるとしです」

「分かってる。だけどほら、さっき少しふらついただろう。そういう時には飲まない方が良い。つかれている時は深酒しやすいしな」

「深酒も何もこれが一杯ぱいです。子供扱あつかいしないでください」

「キャスは立派な騎士だ。子供扱いなんてしてないぞ」

「それならお酒飲みます」

だ」

 ぴしゃりと断られ、キャスリーンがむぅとうなり声をあげた。

 アルベルトが子供扱いしているのが明確に伝わってくるからだ。なにせ彼はほかの騎士達が酒をあおっていることには何も言わず、それどころか他所よそのテーブルで始まった飲み比べを楽しそうにながめている。

 だというのにキャスリーンにだけは飲酒を許さない、これは明らかに子供扱いである。

 もちろんそこにはキャスを預かっている身としての責任があるからなのは分かる。騎士として働いていてもとしごろの少女、それも家業を継ぐために単身王都に来ている身、酔っ払って何かあったら問題だと考えているのだろう。

 酒の席にはり合いなさだが、なんともアルベルトらしい話ではないか。

 ……でも、

「お酒用の食べ物と牛乳がビックリするほど合わない……」

 うぅ……とうめきながらもキャスリーンが牛乳を片手に料理をまむ。

 腹を満たすというよりは酒のために用意された食事だ。どれも塩気があり、きっと酒といつしよに食べればさぞや美味おいしいのだろう。

 だがキャスリーンの手元にあるのは牛乳。それも温められたうえにはちみつが入っている。る前に飲むには最適だが、塩気をつけられた肉との組み合わせはそうぜつとしか言えない。

 それをうつたえながらマグカップに口を付ければ、さすがにこの組み合わせは無いと気付いたアルベルトがあわてて店員を呼んだ。


 そうしてうたげも終わり、一人また一人と店を出ていく。

 騎士寮りようや自宅にもどる者もいれば、飲み足りないのか二軒けんへと向かう者。酔い潰れた仲間をかつぐ者には誰もがしようと共にねぎらいの言葉を掛けている。

 そんな中、キャスリーンはアルベルトと共に王宮へと歩いていた。

 すでに月は頭上を越え、建物のほとんどが明かりを落としている。街灯は設けられてはいるものの、年頃の少女が独り歩きして良いじようきようではない。ゆえにアルベルトが付きっているのだ。

「隊長、いつも申し訳ありません」

「いや気にするな。預かっている身として当然のことだろ」

 酒が入っているからか──「人には禁止するくせに自分は飲む……」とは、彼におしやくをしながらのキャスリーンの訴え──だんよりじようげんこわいろでアルベルトが答える。

 普段より歩みがおそいのも酒が入っているから……ではない。騎士として行動する時こそ足早な彼だが、二人で歩く時はキャスリーンに合わせてゆっくりと歩いてくれる。

 そんなアルベルトと並んで歩き、キャスリーンがける風の心地ここちさにひとみを細めた。

明日あしたは午後から第三騎士隊と合同訓練ですよね?」

「あぁ、だがその前に俺は用があるから、集合は普段より一時間遅くなる。キャスも、わざわざ走ってこなくても大丈夫だからな」

 いつもギリギリに慌ててけつけてくる姿を思い出しているのか、アルベルトがクツクツと笑いながら告げてくる。

 そのみにはいやみのような色合いこそ無いがみよう心地ごこちの悪さを覚え、キャスリーンが不満を訴えるようにくちびるとがらせた。

「いつも走ってるわけじゃありませんよ……」

 という言葉は言い訳染みていてなかなかに情けない。

 だが事実を言えば、走っているのはいつもと言えるだろう。

 なにせ王宮最さいおうにある謁見の間から騎士の訓練場まではきよがあり、そのうえ姿を見られるわけにはいかずひとのない道を選んで遠回りしているのだ。十日のうち九日はギリギリといえるひんである。

 それを認めるのがしやくだとキャスリーンが態度で訴えれば、アルベルトが楽しそうに笑って「そうねるな」と頭をでてきた。


 そうして話しながら歩いている内に王宮の正門に辿たどり着いた。

 単身田舎いなかから出てきたキャスは、王宮のはなれに間借りをしている……という設定だ。身分をいつわため、アルベルトをはじめとする仲間達にはそう説明している。

 実際は王宮にりんせつしているトルステア家で生活しているのだが、もちろんそれは話せない。

 アルベルトは夜道を歩くことを案じてこうやって送り届けてくれ、他の仲間達だって「気をつけて帰れよ」と一言くれる。アルベルト不在時には、自分が代わりに送っていくとだれもが名乗り出てくれるのに。

(全部話して、キャスリーンとしてみんなの為に力を使えたらどんなに良いか……)

 そんな思いがキャスリーンの胸にく。

 だがそれを実行出来るわけも、ましてや言えるわけも無く、出来ることといえば取りつくろって別れのあいさつを告げるだけだ。

「それじゃまた明日な、キャス」

「はい、ここまでありがとうございました。隊長も夜道お気をつけて」

 ポンと一度頭を撫でられつつ別れの言葉を告げれば、アルベルトが来た道を戻っていく。

 服のすそが夜風に揺れ、たなびく姿のなんと勇ましいことか。その後ろ姿にキャスリーンはいきらし、彼の姿が見えなくなるまで見つめ続けていた。

 あと何度、こうやって彼と他愛たわいもなく話せるのかと考えつつ。

 ……そしてそれが、残りわずかであることを感じつつ。

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