第一章 師匠失格 【前編】
「では、
室長の声を締めとして全員一礼し、今日の朝礼が終わった。ここは王様の住まいである神殿の一角だ。世界から一線を引いた
千年前、世界の
ずらりと並ぶのは、王様に何不自由なく暮らして頂く為に神殿で働く人間。その中でも
「アセビ、
「うん!」
同室のローリヤと並んで、今日の掃除場所に向かう。幼いあの日、人生の指針を決めた私は、何一つぶれることなく一直線に
広い神殿は、土地をぜいたくに使った造りで二階がほとんどない。広大な土地に延々と平屋が続いているので、迷う人間が続出する。住み込みで働いている者や、もう長く神殿で暮らしている神官達ですら、
そんな中、つい先日配属されたばかりの私とローリヤは、
「うふふ……迷ったわ」
「……迷ったね」
当然、迷っている。二人で
「まあいいわ。迷っても
「うん」
中庭に沿って作られた通路に屋根はあっても
「ねえねえ、アセビはどうして神殿で働こうと思ったの? 私はね、お給料がいいから! うち兄弟いっぱいいるから、
ローリヤは、二つに編んだ三つ編みを一つに
こんな
「私ね、とっても大事な男の子がいるの」
「好きな子!?」
すわ
「ううん、弟みたいな子。私、その子に何もしてあげられなかった。それどころか、
「あ、うそ、王様よ! 王様がいらっしゃるわ!」
首を
長く
「ああ、なんて
ローリヤはうっとりと
「……ずっと昔、彼に寄り
今でもその思いが続いていて、どんな人との出会いも
彼の姿が見える位置にたくさんの人の姿が見える。皆一様に、見惚れ、
「ローリヤ、私ね」
「ん?」
「私は
すぅっと息を吸う。
「王様ー!」
「アセビ!?」
ぎょっとしたローリヤが私の手を
ねえ、ルタ。笑うかな。私、今でもあなたが大好きだって知ったら、あなたは笑うかな。それとも、気持ちが悪いと顔を
私だなんて名乗らない。また一緒にいてだなんて願わない。
「いい天気ですねー!」
だけど、師としてあなたの為に出来ることを探すくらいは許してもらえないだろうか。
中庭に彼の姿を見つけて、さっきまで
「王様! こんにちはー!」
振り向いてくれたのは最初だけで、後は完全に無視してくる背中を気にせず話しかける。ちなみに、通りすがりの人達は、いつでも変わらずぎょっと振り向いてくれた。
「今日の夕食なんでしょうね! 私、ゴルマの種が好きなんで、あれを
長い足を
「王様ー! また今度ー!」
遠いので声を張り上げなければいけない。近くてもあっという間に遠くなるから
しょんぼりとなりつつも、今日も姿を見られて幸せになった。うきうき気分で掃除に
「今日も
「アセビったら凄いわ……私だったら、恐れ多くてとても」
きらきらとした
「えへ、力入れすぎちゃった」
てへっと笑う様子が
私はうーんと
「誰かが
気をつけて新しい雑巾をそっと絞っているローリヤは、そうねぇと苦笑した。
「みんな、どちらかというとアセビばかり見てしまっているわね。その細い体でよくもまあそんな大声出せるもんだって、警備の人感心してたわよ?」
「え!? それ困る! 私じゃなくて王様を見て、あ、親しみやすいなとか、話しかけてみようかなって思ってくれないと!」
「えー、それ無理ー」
無理かなぁ。何度も、ローリヤや
想像で楽しくなっていた私に、後ろから声をかけてくる人がいた。知らない神官だ。
「おい、あっちから王様がいらっしゃるぞ! もう一回
「ありがとうございます!」
「王様ー! またお会いしましたねって、ああー!」
私がまだ
「王様ー! 本日もご
書庫室の前にいた王様を見つけたのに、
ルタの意外な一面にうふふと幸せな気分に
「ははは、今日も
彼は神官達とは
大まかに見れば、人間は
高位の神城官であるゲルハードも、神城代表としてちょくちょく王の元に参っているので、新参者の私よりも神殿のことには
「どうだね、王様のご様子は」
「はい、大変いい感じです!」
「ほお?」
「最近では、私を見るなり方向《てん》
「……いい感じなのかね?」
「はい。だって、私を
「成る
ゲルハードは、合点がいったと
「次の目標は?」
「目指せ一日一会話ですが、今のところ目指せ初めての会話です」
「そうか、頑張りたまえ」
声を上げて笑っても、
「神城でも君の事は話題になっているよ。なかなか元気な子が入ってきたと。それを聞いた
「私で
「
それは、失礼なことをされる前提なのだろうか。はあと
「あの子は王様に大変憧れているから、君が
確か姪孫は十歳にも満たなかったはずだ。その
「ゲルハード様。私は別に、王様の
「は?」
いつもの穏やかな表情をぽかんとさせ、間の
「顔は見ての通り常に顔色が悪く、髪は
つらつらと
「
どうだ、この
「……いや、まあ、このくらい元気な方がいいのやもしれんな」
ゲルハードは、少ししわがれた大きな手で、ぽんぽんと私の肩を
「王の御心をお
穏やかで、けれど少し
ルタ、ここはとても穏やかな場所だね。
ふぅと
その、はずなのだけど。
神殿で働き始めて三か月目の今日、私は、ちゅんちゅんと鳴く小鳥の声を聞きながら朝を感じていた。ルタの
「……何故、ここにいる」
私が五人くらいは平気で
今考えると、親の
過去に
「私にもとんと」
「…………何だと?」
「早朝、
私、いま、ルタと会話をしている。私、いま、ルタと、会話を! 喜びが
どうしてこうなったんだろう。
私は、出来れば遠くからルタと
だから、出来れば遠くから、ルタの
そのルタの声を朝一番で聞けたのは
ルタは寝起きで頭が回らないのか、顔面を押さえて
「俺が昨夜、名前を聞いたからか……」
「俺!?」
「は?」
ルタが、ルタが俺って言ってる!
私の胸を
「……名前? 私の? 名前?」
いま、じわぁと胸に広がっていくのは血じゃない。喜びだ。
「私の名前を聞いてくれたの!? 嬉しい!」
私の名前を誰かに聞いてくれたのか。私を、知ろうとしてくれたのか。ああ、どうしよう。嬉しい。嬉しすぎて……礼節を忘れていた。
「……聞いて頂けたのですか、私の名前を。有り
「王様、王様」
王様付きに就任した私は、遠くからルタを見守りたい初心を大事に、一日目から
「王様はどんな人がお好みですか?」
うるさくしてクビになろうと決めたけど、ついでに情報収集はしておきたい。転んでもただでは起きぬ。転ぶ予定なら
歴代の神官達も同じ願いで色々してきたらしいとは風の
本を読んでいるルタは、ずっと私に背を向けている。けれど、ずっと背を向けられ続けた私に
「美人さん?」
返事はない。でもめげない。
「可愛らしい人? 背は高いほうがいいですか、小さいほうがいいですか? セクシーな人がいいですか、スレンダーな人がいいですか?
「うるさい」
返事があった! 会話を、私いま、ルタと会話をしている!
じいんと感動していると、すっごい
「クビですか!? じゃあ、また掃除人に戻して頂けると幸せです。あ、でも、せめてもの情けに好みを一つでも!」
「年上」
なん、だと……?
会話に感動する
「見てください!
広げた分厚い本を
「王様ー、私をクビにしてくださいよぉ」
情けない声を無視されつつ、ルタが読み終わった本を
「王様、ずっと一人で
ルタの座っている向かいに
昔は、出来の良い弟子に恥ずかしくない師であろうといろいろ取り繕っていたけれど、今はそんな努力する必要がないので、勢いだけで生きていける。こういう形でルタと関わるのは、これはこれで
「ねえ、王様、
「うるさい」
今日もルタが会話をしてくれた。幸せだ。
「やっぱり王様くらい美人さんじゃないと
「じゃあ、お前」
「私ですか? 嫌ですよ!」
ばんばん机を叩いて抗議すると、ルタはようやく本から視線を外して私を見た。
「自分が嫌なものを他者に押し付けようとするな」
「だって、王様みたいな美人さんの横にこんな
私の
あの
私は嬉しい以外の感情をくるりと
「それに、
ねえ、ルタ。私みたいなのがずらりと並べられたお見合い会場を思い
「お前、変な
変なものを見るようなじゃなくて、変なものを見ていたようだ。
ルタが私をお前と呼んでいることに、
だから、お前呼びが実は楽しい。何だか対等になれた気分だ。
ずっと遠巻きにされていたルタは、実はこんなに
まるであの頃のように
ちなみに、王様ってとっても会話上手で喋りやすいですよね、みんな気軽に話しかけるといいですよねと老臣にうきうき
困った。クビにならない。かなりうるさくしている自覚があるだけに、クビにならずに首を
「そりゃ、なりませんよ。あなたから
「言ってますよ?」
「だって許可していませんから」
「そこはしてくださいよ!?」
何でも、今までルタの側付になって辞めていった美しい女性達は、ルタに
「何故ですか?」
「王はとてもお
ルタって優しい。人間には、とても優しい。こんなに優しいルタだ。そりゃあ、女性達の胸を
服の上から胸の布がずれてないか
「よし、この手でいこう」
「どの手ですか。やめときましょうよ。どうせ
「やる前から
モンスター師匠と呼ばれても、弟子の健全な成長に悪影響を及ぼす事態は見過ごせない。私は側近を
「王様!」
「いらっしゃったのですか!?」
「王様! あなたに
「……………………うるさい」
そうして今日もクビにしてもらえなかった。どうやら、私の渾身の告白は見破られてしまったようだ。その
神殿で働き始めてもう半年。
「王様、王様。いい天気なんでどこか
「うるさい」
今日もルタが会話をしてくれた。大変幸せだ。九割くらい同じ言葉だけど、返してくれる回数が増えてきて凄く幸せである。じぃんと幸せを
「王様ー! おはようございまーす!」
「ああ、おはよう」
ルタがご近所付き合いを身につけた!
「王様、おはようございます!」
「うるさい」
「本日も美しいですね!」
「うるさい」
私への九割は
私は、両手で
「別に出入り禁止って訳じゃないのに、どうして出掛けないんですか?」
「うるさい」
「一年に一回のお祭りですよー? あ、それとも行き
老臣から教えてもらった情報を思いだした私に、ルタは舌打ちした。
「余計なことを……」
ルタが舌打ち。やだ、不良!
「やだぁ、王様ったら、そんな嫌そうな顔してもお美しいですね!」
「……
「え!? 何がですか!?」
「俺は、長く生きてきて、今ほどいらついたことはない」
「王様の初めてありがとうございます! 大変光栄です!」
生まれてくるまでに千年かかり
「……もう、やめろ」
「何がですか?」
「俺は、お前に気にかけてもらえるような存在じゃない」
不自然な風が
「俺は、幸福を感じてはいけない」
「
「
思いもよらない言葉が出てきて、反応が遅れる。それをどう受け取ったのか、ルタは赤い瞳を少しだけ
「それが願いだったのでは、ないのですか?」
人間は、天界を滅ぼしたかった。上空から落とされる気まぐれな
「王様の願いは、
どうしてそんなに悲しい顔をするの? 何が叶わなかったの?
ルタは、悲しい瞳を
「天界は、俺達と同じだった」
「え?」
「ただ滅ぼすべき悪だと断じるほどの何かだったとは思えない。人間と同じように、働き、子を
「誰がそんな
「…………は?」
思わず
「一体全体、誰がそんな大馬鹿野郎なことをあなたに言ったのですか! 私に教えなさい! 今すぐぶん
「何をっ……やめろ! 俺が、自分でそう思ったんだ!」
「あなたですか! 分かりました! ぶん殴ります!」
ぐわっと拳を振り上げて、はたと気づく。え? ルタ?
「いいですか!? 基本的に、滅ぼされたほうはあなたが何したって
天人は、人型をした生き物同士の生存競争に負けた。種の生存競争の結果を、ルタが一人で背負うのはそれこそ
「それに、もう千年です。天界が滅びて、千年です。千年間を天人への
私は胸倉を
「手始めに、さっきいた女の子の中では誰が好みですか! さあさあ、私と
脳天に落とされた手刀は、足の先まで
「
「うーん、どうしようかなぁ」
私は、今朝もルタのベッドの上に
「困ったなぁ」
昨日なんて、思い切ってルタの上に乗って揺さぶってみたのにどうしよう、クビにならない。そして起きない。
すっかり見慣れた
最近は、会話ができて嬉しい。ルタが通る
その神官は、見かける度にローリヤと
そんなこんなで毎日幸せだ。幸せなんだけどまずい。クビにならないのは、非常にまずい。
「私、あんまり時間がないんだけどなぁ」
「…………時間?」
いつもはまだぐっすり眠っているはずのルタから返事が返ってきて、慌てて口を押さえる。油断して独り言を拾われた。のそりと起き上がってきたルタは、寝起きだというのに美しい。流石に髪は少し乱れているけれど、それでもぼさりとなっていないのはどういうことだ。その特権は、
どうでもいいことを
「おはようございます、王様。すぐに朝食を
「そんなことはどうでもいい。お前、時間とはなんだ?」
ルタの手が私の
「時間って何のことですか? あっらぁ? 王様、寝ぼけたんですか? 寝ぼけちゃったんですかぁ? ぷっぷぅ! 王様の、ね、ぼ、す、け、さん!」
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