第一章 師匠失格 【前編】

「では、おのおの方、本日もつつがなく参りましょう」

 室長の声を締めとして全員一礼し、今日の朝礼が終わった。ここは王様の住まいである神殿の一角だ。世界から一線を引いたとくしゆな場所。王のためだけにあれと願われて創設された、世界でたった一人の王の居城だ。

 千年前、世界のいさかいにしゆうが打たれた。天界を滅ぼす力として生まれたにんげんしんはその役目を終え、しんじようで静かにまつられている。王も、人間神と同じく自らの役目は終わったと国政に関わらずまつりごとから退いた後、神殿から一歩も出ることはない。政は王からその権限を預かった議会が行い、千年間、世界は恙なく回ってきた。

 ずらりと並ぶのは、王様に何不自由なく暮らして頂く為に神殿で働く人間。その中でもそうから季節に合わせた模様替えまで何でもこなす雑用係。その内の一人が私だ。私達は、室長のいつもの言葉に頭を下げ、静かに列を成して部屋を出る。そして各々の持ち場に散っていく。

「アセビ、いつしよにいこ!」

「うん!」

 同室のローリヤと並んで、今日の掃除場所に向かう。幼いあの日、人生の指針を決めた私は、何一つぶれることなく一直線にき進み、神殿の掃除人として配属されることに成功した。こうして気の合う同世代の女の子と同室になって友達にもなれたし、最高の人生だ。

 広い神殿は、土地をぜいたくに使った造りで二階がほとんどない。広大な土地に延々と平屋が続いているので、迷う人間が続出する。住み込みで働いている者や、もう長く神殿で暮らしている神官達ですら、だん使っていない道を歩くと迷うくらいだ。

 そんな中、つい先日配属されたばかりの私とローリヤは、ゆうゆうと道を進んでいく。ちがった神官に頭を下げて道をゆずり、私達は顔を見合わせた。

「うふふ……迷ったわ」

「……迷ったね」

 当然、迷っている。二人でかたを落としてためいきをつく。バケツに入れた掃除道具ががしゃんと文句を言うけれど、迷ったものは仕方がない。

「まあいいわ。迷ってもしかられないのがこの神殿のいいところだもの。せっかくだから探検しながら行きましょう! それで、だれか見つけたら道を聞けばいいわ。神官以外よ!」

「うん」

 中庭に沿って作られた通路に屋根はあってもかべはなく、すぐに外へと出ていけるので知り合いがいたら走ってわたってしまおう。ぐっと握りこぶしを作ったローリヤは、先日若い神官に道を聞いて、同じくらいに配属されたのに覚えてないのかと笑われてふんがいして以来、神官嫌ぎらいになっていた。別に全ての神官がああいう性格ではないと思うけれど、まあ、その内落ち着くだろうと思って何も言わないでいる。ついでに、神殿なので私達のような雑用係以外はほとんど神官なのだけど、そっちも言う機会をいつしたので結局言ってない。

「ねえねえ、アセビはどうして神殿で働こうと思ったの? 私はね、お給料がいいから! うち兄弟いっぱいいるから、がんって食いかせがなきゃなの。お給料いっぱい家に送ってあげられたら、弟達に絵本いっぱい買ってあげられるんだ!」

 ローリヤは、二つに編んだ三つ編みを一つにまとめた髪をぴょこんと跳ねさせてり向いた。快活ながおが好ましい。そして可愛い。感情をいっぱいに乗せた笑顔が光を放つ。

 こんなくつたくない笑顔を、見てみたかった子どもがいた。自分がその笑顔を奪ったのに、そんなこと考えもつかなかった鹿な私は、いつかそんな顔で笑ってくれる日がくればいいなとのんに思っていたのだ。

「私ね、とっても大事な男の子がいるの」

「好きな子!?」

 すわこいバナかと目を輝かせて食いついてきたローリヤにしようを返す。

「ううん、弟みたいな子。私、その子に何もしてあげられなかった。それどころか、すごく、嫌われてたんだ」

 ひときわ大きな風がいて、目を細める。通りすがった風で細まった視界の先に美しい夜がいた。流れる黒髪を羽のようになびかせた人を見たしゆんかん、一度止まった心臓がどくんと泣いた。

「あ、うそ、王様よ! 王様がいらっしゃるわ!」

 首をかしげて私の視線の先を追ったローリヤが、私の肩をさぶって興奮した声を上げた。それなのに、返事を返せない。いま、私の視線も意識も、ただ一人の物だった。

 長くびた黒髪を風に靡かせ、空を見上げるその瞳はまるで宝石のように赤い。人間神のおんけいを一身に受けたこの世の美の集大成だとうたわれるその人は、今日も一人で世界に立つ。となりには誰もいない。誰かと並び立つことのないその人のくちびるは、ぴたりと閉じたままだった。

「ああ、なんてれいなの……でも、不思議ね。この世にただ一人の尊いおんかたなのに、お見かけした際に話しかけてもいいだなんて、室長達も不思議な指示を出すのねと思ったわ」

 ローリヤはうっとりとれながらも首を傾げる。室長は、おそれ多いとおののく新人達に、長らくの慣習だから構わない、けれど答えは頂けないことをきもめいじるようにと言った。

 いまだ空を見上げるルタの横顔を見ながら、胸を押さえる。じわりとにじみだすそれをおさえ込む。

「……ずっと昔、彼に寄りう人がいてほしいと願ってくれた人が、いたんじゃないかな」

 今でもその思いが続いていて、どんな人との出会いもがいしないようにされているんじゃないかな。私の願望がまった予想に、ローリヤは、だったらてきねと言ってくれた。

 彼の姿が見える位置にたくさんの人の姿が見える。皆一様に、見惚れ、がれるように彼へと視線を向けているのに、話しかける人の姿はない。室長も、返事はないものだと思えと言っていた。たくさんの人に囲まれて、あの子はずっと一人でいる。

「ローリヤ、私ね」

「ん?」

「私はそばにいてあげられないし、あの子もそれを望まない。でも、私、何かあの子の為に出来ることがあればいいなと、思っているの」

 すぅっと息を吸う。ふくらんだ胸からじわりと何かが滲みだす。やめろやめろと掃除道具達はがしゃがしゃ鳴って私を止める。決して、私のふるえじゃない!

「王様ー!」

「アセビ!?」

 ぎょっとしたローリヤが私の手をにぎって止めたけれど、もう一度大きく息を吸う。ひどくゆっくりとした動作で黒髪が揺れ、赤いひとみが私を見つけて止まる。泣きわめく心臓を閉じ込めて、彼だけを思う。

 ねえ、ルタ。笑うかな。私、今でもあなたが大好きだって知ったら、あなたは笑うかな。それとも、気持ちが悪いと顔をしかめるのだろうか。ああ、でも、ごめん。ごめんね、ルタ。私、本当にあなたが大好きだったの。あなたが現れたあの日からずっと、さびしくなかったんだよ。

 私だなんて名乗らない。また一緒にいてだなんて願わない。

「いい天気ですねー!」

 だけど、師としてあなたの為に出来ることを探すくらいは許してもらえないだろうか。


 中庭に彼の姿を見つけて、さっきまでつまさき一つのよごれも許さんとみがいていた窓にべったりもんが付くことも忘れてすぱぁんと開け放つ。

「王様! こんにちはー!」

 振り向いてくれたのは最初だけで、後は完全に無視してくる背中を気にせず話しかける。ちなみに、通りすがりの人達は、いつでも変わらずぎょっと振り向いてくれた。

「今日の夕食なんでしょうね! 私、ゴルマの種が好きなんで、あれをまぶしたお肉をかりっとげたのが出ると凄くうれしいんですよ! あ、王様は何が好きですかー!?」

 長い足を使してあっという間にルタが消えていく。

「王様ー! また今度ー!」

 遠いので声を張り上げなければいけない。近くてもあっという間に遠くなるからさらに大変なのである。一日一会話を目指しているけれど、未だ会話になったためしがないのは大変よりも切ない。でもあきらめるというせんたくは最初からないのだ。

 しょんぼりとなりつつも、今日も姿を見られて幸せになった。うきうき気分で掃除にもどる。

「今日もだったかぁ。せめていちべつは欲しいよね!」

「アセビったら凄いわ……私だったら、恐れ多くてとても」

 きらきらとしたかんたんの瞳でぞうきんしぼり千切ったローリヤだったら、きっとルタも興味を持って視線をくれるだろう。ローリヤさん、せんたくものとも私にお任せください。

「えへ、力入れすぎちゃった」

 てへっと笑う様子が可愛かわいらしくて、思わず顔がほころぶ。愛らしい笑顔をかべるローリヤならまだしも、やせっぽっちでれ草みたいなかみの私ではほうきにしか見えていないかもしれない。

 私はうーんとうなった。最初にルタに話しかけてからもう一か月。掃除場所は慣れるにつれてどんどん奥の部屋になっていったから、ルタに会える機会は増えたけど、未だに一日七声止まりだ。せめて一会話! そして、目指せ私以外の誰かと会話!

「誰かがりずに話しかけてたら、みんなも話しかけやすいかなって思ったんだけどなぁ」

 気をつけて新しい雑巾をそっと絞っているローリヤは、そうねぇと苦笑した。

「みんな、どちらかというとアセビばかり見てしまっているわね。その細い体でよくもまあそんな大声出せるもんだって、警備の人感心してたわよ?」

「え!? それ困る! 私じゃなくて王様を見て、あ、親しみやすいなとか、話しかけてみようかなって思ってくれないと!」

「えー、それ無理ー」

 無理かなぁ。何度も、ローリヤやどうりようにもいつしよに声をかけてみようよとさそっているけれど、未だにかなっていない。今度室長も誘ってみよう。なんだったら、警備の人も神官も誘ってみよう。赤旗機、皆で渡ればこわくないの精神だ。でも、皆で渡っても無視されるものは無視されるだろう。でも、いっせぇので「王様ー!」とさけんだら、さしものルタも目を丸くしないかな。

 想像で楽しくなっていた私に、後ろから声をかけてくる人がいた。知らない神官だ。

「おい、あっちから王様がいらっしゃるぞ! もう一回ちようせんだ!」

「ありがとうございます!」

 あわててもう一回窓を開けると、確かに向こうからルタが歩いてくる。用事が終わったのだろう。最近はこうやって見知らぬ人がルタ情報をくれておうえんしてくれるけど、出来れば彼ら自身にも話しかけてほしいものだ。でも、一歩前進だと思えばあせってはいけない。

「王様ー! またお会いしましたねって、ああー!」

 私がまだにいることに気づいたルタは、明らかに今まで向かっていた進路を変えて通路の向こうに消えていった。


「王様ー! 本日もごげんうるわしゅぁあー!」

 書庫室の前にいた王様を見つけたのに、そう道具を握りめたままもろを挙げている間にきびすを返されてしまった。ルタ、その本昨日も持っていたから読み終わって新しいものを取りに来たんじゃないの? 新しいのを持っていき忘れちゃったのかな。ルタったら、うっかりさん。

 ルタの意外な一面にうふふと幸せな気分にひたっていたら、後ろから落ち着いた笑い声がした。くるりと半分身体からだを回してかべに寄り、頭を下げる。

「ははは、今日もがんっているようだね」

 おだやかな声で笑いながら楽にしなさいと一声くれたのは、少しくせのある白灰色の髪を後ろで一つにまとめた男、ゲルハードだ。初老に差しかった身体は、昔の名残なごりを残しつつも広いかたで肩に見せている。ゲルハードはにんげんしんまつっているしんじように仕えるしんじようかんだ。

 彼は神官達とはちがしようを纏っているから少し目立つ。しん殿でん内でも、仕事内容でおたがいちょこちょこ違うけれど、同じ組織に属しているのでひとくくりのようなものだ。

 大まかに見れば、人間はすべて人間神にも人間王にも仕えているし、現在政まつりごとを行っている議会の政策で人間の営みは成り立っている。ルタはとうの昔に政を議会にゆずって一線を退き、人間神は生まれた意味である天人とのいくさをとうの昔に終えてねむりについた。現在活発に活動しているのは議会だけで、人間神は静かに祀られ、ルタも静かに暮らしている。それでもこの三つが世界の中心であることに変わりはなく、人間が祀っている神は人間神のみだったし、ルタはただ一人の王だ。退いたとはいえ、議会は法律のへんこうなど大きなことは必ず王のを通す。

 高位の神城官であるゲルハードも、神城代表としてちょくちょく王の元に参っているので、新参者の私よりも神殿のことにはくわしい。

「どうだね、王様のご様子は」

「はい、大変いい感じです!」

「ほお?」

 おどろいたゲルハードに、私はにこにこと続ける。

「最近では、私を見るなり方向《てん》かんしてくださいます!」

「……いい感じなのかね?」

「はい。だって、私をにんしきしてくださっているということですから!」

「成るほど

 ゲルハードは、合点がいったとうなずいた。最近のルタは、遠くから私を見ただけで向きを変えるのだ。顔や声だけではなく、全体像でも認識されているのは喜ばしいことだ。その分、こっちが気づく前に方向転換してしまうことが増えたけれど、そこは私と周囲の皆のさくてき能力の向上で補っている。

「次の目標は?」

「目指せ一日一会話ですが、今のところ目指せ初めての会話です」

「そうか、頑張りたまえ」

 声を上げて笑っても、な感じはまるでないのがゲルハードのすごい所だ。

「神城でも君の事は話題になっているよ。なかなか元気な子が入ってきたと。それを聞いたてつそんが君に会いたがっていてね。少々身体が弱く、今はりようように出ているが、機会があったら会ってやってくれないかね」

 こうこうで知られる彼は聖職に入っているのでけつこんはしていない。けれど、議員にとついだ妹の孫がルタにあこがれていて、以前はゲルハードにくっついてちょくちょく神殿に来ていたらしい。

 何故なぜ私がゲルハード事情に詳しいのか。それは、世間から一線引いた場所にあり、なおつお仕えする王様にこれといった変化がない使用人の情報収集の成果である。要は、皆暇ひまなのだ。仕事自体はいそがしいけれど、神殿内の話題なんてそうそう新しいものがある訳でもない。自然といろこいや人間関係に話題はかたよる。その結果、特に情報を集めていない上にそれほど興味がない私まで豊作状態だ。政治やぞくから一線を引いたゆえへいそくかんではあるが、だからこそ神殿は長い間穏やかで平和なのである。

「私でよろしければ、喜んで。お早いごかいをおいのり申し上げます」

 うわさばなしには大した興味はないけれど、それでも小さな子どもが元気であればいいと願うのはばんにんに共通する感情だろう。知らない子どもではあるけれど、早く元気になればいいな。

一人ひとり息子むすこな上に、身体が弱いことでついつい甘やかしてしまってね。失礼なことをしたらえんりよなくしかってやってくれ」

 それは、失礼なことをされる前提なのだろうか。はあとあいまいな返事を返した私に、ゲルハードはしようした。

「あの子は王様に大変憧れているから、君がうらやましくてならないらしい。連れてきても声もおかけできないというのに、君が王様のとなり相応ふさわしいかどうか自分が判断するなどとじゆうとみたいなことを言っているのだよ。まったく、困ったことだ」

 確か姪孫は十歳にも満たなかったはずだ。そのねんれいでその言葉とは、これは将来有望な小姑になるだろう。その勢いでとも、王様おはようございますから挑戦してほしい。将来有望な少年に心の中でせいえんを送りつつ、ここだけはていせいしようとゲルハードを見上げる。

「ゲルハード様。私は別に、王様のこころに住まわせて頂こうなどと大それた願いをいだいているわけではございませんので、そのむねは姪孫様にお伝え頂きたいと」

「は?」

 いつもの穏やかな表情をぽかんとさせ、間のけためずらしい声を前にして、私は胸を張った。

「顔は見ての通り常に顔色が悪く、髪はれ箒。養護院の出でございますので出自には期待できませんし、学に関しましては特別な難点はないものと思われますが、特別美点と出来るようなものでもございません」

 つらつらときよのないありのままの情報を連ねれば、ゲルハードは意図をつかみかねるといった顔をしたが、そこは流石さすが高位の神城官。不思議そうな様子さえ穏やかでおっとりしている。

らしきわれらが王の隣に相応しくない人間であることは自明の理でございます。私は、王様がお友達の中でわいわい楽しそうにお過ごしくださることに全身全ぜんれいをかける所存ではございますが、その中に交ざろうなどとはこれっぽっちも考えておりません。いていうならば、王様が楽しそうにしていらっしゃる様子を草葉のかげから遠巻きに拝見する無礼を御許し頂きたく、それがかなうならば至上の幸福と思っております!」

 どうだ、このよくぼううずそうだいな野望は! ようようと語れば、ゲルハードはうーんと曖昧な言葉で彷徨さまよわせた。

「……いや、まあ、このくらい元気な方がいいのやもしれんな」

 ゲルハードは、少ししわがれた大きな手で、ぽんぽんと私の肩をたたいた。

「王の御心をおなぐさめしたいと願った者は、それこそ数え切れぬほどいた。だが、だれも王の御心には届かなかった。あのおんかたは遠すぎるのだ。遠いまま、長く生きてこられた方だ。それでも、御心があるのならばお慰めすることは可能であると、君達神殿だけでなく、私達神城も、もちろん議会も思っているだろう。君のように、王の尊さにひるまぬ若い勢いは何より貴重だ。君が何かのきっかけになることを、私は祈っているよ」

 穏やかで、けれど少しさみしげながおかべた人を見送り、礼の体勢からもどる。ずり落ちかけていた掃除道具をよいしょと持ち直す。

 ルタ、ここはとても穏やかな場所だね。千年経って尚色いろせないあなたへのけいが満ちている。きっとどの時代に生まれても同じだったのだと思える空気がここにはあった。みんながあなたを思ってる。皆があなたを案じている。それなのに、誰もあなたに届かないことがどれだけ寂しいことか。千年もの長い間、ちようせんする人がいなかったわけでもないのに届かなかったことの悲しさを、どう表現すればいいのか。

 ふぅとためいきをついて、次の掃除場所を目指して再び歩き出す。頑張ろう。仕事も掃除も人生も、今度こそルタにじないよう、間違わず、まどわず、まっすぐにルタの幸せだけを祈って生きていこう。それこそが、私が今ここにいる意味だと思うのだ。

 その、はずなのだけど。


 神殿で働き始めて三か月目の今日、私は、ちゅんちゅんと鳴く小鳥の声を聞きながら朝を感じていた。ルタのしんしつで。

「……何故、ここにいる」

 私が五人くらいは平気でころべそうな広いベッドの上では、げんかくそうともしないルタが私を半眼でにらみ付けていた。知ってる。朝に弱いよね。でも、私のだった時はしようより後に起きないようにと頑張っていたのも知ってる。ちょっとした悪戯いたずら心でどんどん起きるのを早くしていたある日、連日のつかれで結局昼まで眠ったルタの寝顔をにやにやながめていたら、開眼一番拳こぶしらったものだ。なつかしい。寝ぼけていたらしいけど、れいに顔面の中央をめり込ませてきたので、私の弟子は体術の才能もあると感激したものである。私が作ったへたくそな朝食兼けん昼食を食べながらめちぎっていると、もうやめてくださいと消え入りそうな声で言ったルタが可愛かわいくて、私は幸せだった。

 今考えると、親のかたきがにやにやしながら自分の寝顔を眺めていたら、そりゃあぶんなぐりたくもなるだろう。さぞかし気持ち悪かっただろう。本当に申し訳なかった。

 過去にとうするのはいておいて、いまは現在のルタの相手が先決だ。だから、私は胸を張って答えた。

「私にもとんと」

「…………何だと?」

「早朝、しゆうしん中の寝室に室長が現れ、本日付で王様付きのメイドに転属になりました、と」

 私、いま、ルタと会話をしている。私、いま、ルタと、会話を! 喜びがき上がるけど、それと同時に、いまルタの頭に浮かんでいるであろう言葉と同じものが私の中にうずを巻く。

 どうしてこうなったんだろう。

 私は、出来れば遠くからルタとかかわっていたかった。だって、私がそばにいるなんて知ったらルタはひどいやがるだろう。もう一回殺しに来るかもしれない。まあ、それはいいとしても、ルタに嫌がられたら傷つく。ルタにけんまなしを向けられたら、それこそ殺してくれとさけびそうになる。そして、きらわれる心当たりはたっぷりあるのだ。

 だから、出来れば遠くから、ルタのために出来ることを探したかった。最近では、どれだけうるさく声をかけてもおこらないルタに、話しかけてみようかなとぼそっとつぶやく人が出てきてくれた。話しかけるといっても、おはようございますのあいさつからだ。それでも、そう思う人が増えてきたのは凄くいいけいこうだと思う。まあ、私はいまだに返事一つもらったことがありませんが!

 そのルタの声を朝一番で聞けたのはうれしい。嬉しいけれど想像していたじようきようとだいぶちがう。

 ルタは寝起きで頭が回らないのか、顔面を押さえてうつむいた後、小さくうめいた。

「俺が昨夜、名前を聞いたからか……」

「俺!?」

「は?」

 ルタが、ルタが俺って言ってる!

 私の胸をしようげきつらぬいた。だって、ルタはいつも私と同じで私と言っていた。小さな小さなルタが、私と言って背筋をばしている姿は、それは可愛らしかったものだ。そのルタが、俺と。何だか感激してしまっていたけれど、そのルタの言葉を思い出して動きを止める。

「……名前? 私の? 名前?」

 いま、じわぁと胸に広がっていくのは血じゃない。喜びだ。

「私の名前を聞いてくれたの!? 嬉しい!」

 私の名前を誰かに聞いてくれたのか。私を、知ろうとしてくれたのか。ああ、どうしよう。嬉しい。嬉しすぎて……礼節を忘れていた。

「……聞いて頂けたのですか、私の名前を。有りがたき幸せでございます」

 いまさら敬語に戻して取りつくろった私を、冷たいひとみいた。


「王様、王様」

 王様付きに就任した私は、遠くからルタを見守りたい初心を大事に、一日目からけた。つまり、クビになろうと思ったのだ。この任はクビになって、またそうにんに戻りたい。そして遠くから、ルタに声をかける人が増えていく姿をにまにま見守ろう。

「王様はどんな人がお好みですか?」

 うるさくしてクビになろうと決めたけど、ついでに情報収集はしておきたい。転んでもただでは起きぬ。転ぶ予定ならなおさらである。誰か、ルタにお似合いの女性を!

 歴代の神官達も同じ願いで色々してきたらしいとは風のうわさで聞いた。美人ばかりをそばづかえにしてみたり、今度は可愛らしい子、ぼくな子、小さな子ども、男。色々頑がんったらしいけれど、いまルタが一人なのを見るとすべて失敗に終わったらしい。

 寿じゆみようの差を心配する必要はない。てんじんの羽を相手の体内にめ込めば、その人間は持ち主の天人が死ぬまで生き続ける。だから、愛する人に先立たれる心配はないのだ。だから私は、安心してお世話おばさんになろうと決めたのだ。

 本を読んでいるルタは、ずっと私に背を向けている。けれど、ずっと背を向けられ続けた私にすきはない。そんなもので怯む段階は、とうの昔に通り過ぎているのである。

「美人さん?」

 返事はない。でもめげない。

「可愛らしい人? 背は高いほうがいいですか、小さいほうがいいですか? セクシーな人がいいですか、スレンダーな人がいいですか? かみの色は? 目の色は? あ、これだけは嫌っていう条件があればそれもお願いします」

「うるさい」

 返事があった! 会話を、私いま、ルタと会話をしている!

 じいんと感動していると、すっごいうつとうしいものを見るかのような赤い瞳があった。

「クビですか!? じゃあ、また掃除人に戻して頂けると幸せです。あ、でも、せめてもの情けに好みを一つでも!」

「年上」

 なん、だと……?

 会話に感動するひまもなく、私は衝撃を受けた。ついでにいうと、聞き耳をたてていたらしい側近の人達もよろめく。古くからいる老臣なんて、そのままぽっくりってしまいそうだ。

 よわい千年をえるルタより、年上。私は、男女のちゆうかいをする難しさをひしひしと感じた。

 何故なぜかクビにならなかった私は、次の日の朝もルタの寝室にけ込んだ。れいも何もかも忘れてとびらを叩き開け、いつすいもせずに探し出した結果を意気揚々と寝ぼけまなこのルタの前にかかげた。書庫室のすみで静かにねむっていた本を借りてきたのだ。本は乱暴にあつかうなとぎしりとこうの声を上げる。その重さも抗議も気にならない。私は目をらんらんとかがやかせて、開いたぺーじを指さす。

「見てください! じゆれい二千年ですよ、二千年! きっと王様がいのればせいれいいつぴきや二匹できますよ! 年上ですよ王様! 念願の年上!」

 広げた分厚い本をへだててなお、めり込んできた拳は痛かった。


「王様ー、私をクビにしてくださいよぉ」

 情けない声を無視されつつ、ルタが読み終わった本をたなもどす。そして適当に選んだ物を積み重ねて持っていく。ルタ、読むの速い。さすが出来のいい子! 可愛い!

「王様、ずっと一人でさびしくないですか?」

 ルタの座っている向かいにを引きずってきて座る。無礼、不敬のきわみだ。でも、クビをかくしていると、こわいものなど何もない。いや、掃除人までクビになってしん殿でんからたたき出されるとルタに会えなくなるので怖いけど。後、住む場所がない。

 昔は、出来の良い弟子に恥ずかしくない師であろうといろいろ取り繕っていたけれど、今はそんな努力する必要がないので、勢いだけで生きていける。こういう形でルタと関わるのは、これはこれですごく楽しい。同じ年だったらこんな感じだったのかなと、私だけ嬉しい。

「ねえ、王様、はんりよと二人でゆうきゆうの時を生きるのっててきだと思いません? 二人でなら、寂しくっても平気だってなりません?」

「うるさい」

 今日もルタが会話をしてくれた。幸せだ。

「やっぱり王様くらい美人さんじゃないとですか? それとも、その量の本をぺろりと平らげてしまうくらいの才女さんですか?」

「じゃあ、お前」

「私ですか? 嫌ですよ!」

 ばんばん机を叩いて抗議すると、ルタはようやく本から視線を外して私を見た。

「自分が嫌なものを他者に押し付けようとするな」

「だって、王様みたいな美人さんの横にこんなほうきを立てけるなんて、それこそぼうとくですよ! 王様を掃除道具箱扱いですよ! 許されませんよ!」

 私のこんしんの抗議を聞いたルタは、ぽかんと口を開けた。ぽかんと。ルタがぽかんとしてる。可愛かわいい。ルタ、可愛い。嬉しい。あなたの感情を見られるのが、本当に嬉しい。

 あのころ見られなかったルタの感情がこぼれるのがとても嬉しいのと同時に、ちょっとだけ寂しさがつのる。やっぱりルタは、私に気を許していてはくれなかったのだとさいかくにんしてしまう。それはそうだろう。だって、にくまれていたのだから。

 私は嬉しい以外の感情をくるりといこみ、後ろにちらりと視線を向けて声をひそめた。

「それに、じようだんでもそんなこと言ったらまずいですよ。私以外にも王様に伴侶をと切望している人は大量にいるんですから。ほら、みんな何か書きとめ出したじゃないですか! 私みたいなのが好みだと思われて、困るのは王様ですよ!」

 ねえ、ルタ。私みたいなのがずらりと並べられたお見合い会場を思いかべてみなさい。最悪でしょう!? 思わずなみだぐんでしまった私に、ルタは変なものを見るような瞳を向けた。

「お前、変なやつだな……」

 変なものを見るようなじゃなくて、変なものを見ていたようだ。

 ルタが私をお前と呼んでいることに、いまだ慣れずにいる。昔はずっと「しよう」だったからだ。でも、ほかの人にりすると私は元師匠になるから、名前で呼んでと言い続けて十年。それがかなったことはついぞなかった。そりゃあ、呼びたくもないだろう。親のかたきの名なんて。

 だから、お前呼びが実は楽しい。何だか対等になれた気分だ。ていではなく、ただのルタと私。こんな出会い方もあったんだなと、ちょっとおもしろい。

 ずっと遠巻きにされていたルタは、実はこんなにしやべりやすいんだと、みんな早く気が付かないかな。そうして、みんなの中で楽しそうに笑っているルタを見られる日が来るといいな。

 まるであの頃のようにしよくたくで向かい合っているような気分になって、ひじをついた手にあごを乗せてうっとりとルタをながめた。私がだまったからか、ルタはもう何も言わず、いつも通り本に視線を戻す。その日ルタの声を聞けたのはそれが最後だった。

 ちなみに、王様ってとっても会話上手で喋りやすいですよね、みんな気軽に話しかけるといいですよねと老臣にうきうきまんしたら、目をらされた。何故。


 困った。クビにならない。かなりうるさくしている自覚があるだけに、クビにならずに首をかしげる。あまりにクビにならないので、側近の一人をつかまえて聞いてみた。側仕えの中ではひときわ若い青年は、何を当たり前なとあきれ顔を浮かべる。

「そりゃ、なりませんよ。あなたからめたいと言い出さない限り」

「言ってますよ?」

「だって許可していませんから」

「そこはしてくださいよ!?」

 何でも、今までルタの側付になって辞めていった美しい女性達は、ルタにこいをし、がれ、叶わぬ恋に自らいとまを頂きたいと申し出てきたらしい。つまり、ルタからクビを言いわたしたことは一度もないのだそうだ。

「何故ですか?」

「王はとてもおやさしい方ですから。ご自分が暇を出したと知られれば、その女性達が後々生きづらくなると」

 ルタって優しい。人間には、とても優しい。こんなに優しいルタだ。そりゃあ、女性達の胸をつらぬいてきたことだろう。私の胸も貫いた。きゅんとした胸を押さえてよろめく。そういえば、ルタがあまりに素晴らしいからしょっちゅう胸を貫かれているけど、物理的にも貫かれたことがある女は私だけだろう。どうだ、参ったか!

 服の上から胸の布がずれてないかさぐりで確認して、気合いでこぶしにぎった。

「よし、この手でいこう」

「どの手ですか。やめときましょうよ。どうせですから」

「やる前からあきらめる姿勢はよくありません! 王様にあくえいきようおよぼすといけませんから改めてください!」

 モンスター師匠と呼ばれても、弟子の健全な成長に悪影響を及ぼす事態は見過ごせない。私は側近をしかり飛ばし、そのままくるりとり向いた。

「王様!」

「いらっしゃったのですか!?」

 ろうの角からゆっくりと出てきたルタに、側近の青年は飛び上がってひざまずく。その側近を飛びえてルタの前に走り寄ると、両拳を握って力説した。

「王様! あなたにれました! あなたのそばにいると胸を貫かれてよろめきます! このまま叶わぬ恋に身を焦がすと、私は灰になってしまいます! 早くちりとりでかないと、もしも水をふくんでしまうとこびりつくわ重くなるわで大変なので、暇をください!」

「……………………うるさい」

 そうして今日もクビにしてもらえなかった。どうやら、私の渾身の告白は見破られてしまったようだ。そのけいがん、さすがルタ! でも、ほんとどうしよう! もう打つ手がない!


 神殿で働き始めてもう半年。そうにんには戻してもらえないけど、こっちはそろそろ次の段階に進みたいと思う。

「王様、王様。いい天気なんでどこかけませんか? 今日は町でお祭りがあるそうですよ!」

「うるさい」

 今日もルタが会話をしてくれた。大変幸せだ。九割くらい同じ言葉だけど、返してくれる回数が増えてきて凄く幸せである。じぃんと幸せをめていると、向こうの通路から若い女の子が四人固まって声を張り上げた。

「王様ー! おはようございまーす!」

「ああ、おはよう」

 おだやかな声に、きゃああ! と黄色い悲鳴が上がって両手がぶんぶん振られている。最近、若い者を筆頭に、勢いであいさつをしてくれる人が増えてきた。何より凄いのは、ルタがそれに返事を返すことだ。流石さすがに全員に返すのは大変だから、視線を向けるだけだったり軽く片手を挙げるだけだったりすることもあるけれど、ちゃんと反応している。

 ルタがご近所付き合いを身につけた! 師匠嬉うれしい! あれ? でも待って?

「王様、おはようございます!」

「うるさい」

「本日も美しいですね!」

「うるさい」

 私への九割はるがないようだ。つまり、私は特別ですか? ルタ、師匠嬉しい! でも、私以外のだれか特別な人を作ってね!

 私は、両手でかかえた山積みの本にさえぎられた視界から、首をひねってルタを見る。ルタ、今日も読書家ですね。ルタは、いつもいつも本を読んでいる。本は次から次へとじゆうされるから読む物には事欠かないだろうけど、やっぱりお出かけもしたらいいと思うのだ。天気のいい日は外で読むから、今日もこうやって外に運んでいるけれど、やっぱりお出かけもいいものだと思う。それに今日は、城下町で大規模なお祭りがあるらしいのだ。ふらっと町巡めぐりをするのもいいけれど、こういうきっかけがあるともっと行きやすいのではないかと思って朝からしつこくさそっている。当然、朝からうるさがられているわけだが。

「別に出入り禁止って訳じゃないのに、どうして出掛けないんですか?」

「うるさい」

「一年に一回のお祭りですよー? あ、それとも行ききちゃいました? あれ、でも、行ったことないっておじいちゃんが言ってましたよ?」

 老臣から教えてもらった情報を思いだした私に、ルタは舌打ちした。

「余計なことを……」

 ルタが舌打ち。やだ、不良! 可愛かわいい! 聞き分けも出来もい弟子から、はんこう期どころかぞうが飛んできた身としては、しんせんすぎてときめく。もう一回舌打ちしないかなとうきうき見つめていたら、心底嫌いやそうな視線を向けられた。あの感情の見えないひとみで貫いてきた時に比べたら、ルタの気持ちが分かって嬉しい。

「やだぁ、王様ったら、そんな嫌そうな顔してもお美しいですね!」

「……すごいな、お前」

「え!? 何がですか!?」

「俺は、長く生きてきて、今ほどいらついたことはない」

「王様の初めてありがとうございます! 大変光栄です!」

 生まれてくるまでに千年かかりおくれまくったけれど、誰も頂いたことのないルタの初めてを頂いてしまった。こんなに光栄なことはない。思わぬめいを頂いた嬉しさに飛びねてしまった私から本をうばったルタは、なんともいえない瞳で見下ろしてくる。

「……もう、やめろ」

「何がですか?」

「俺は、お前に気にかけてもらえるような存在じゃない」

 不自然な風がいて、ルタの長いかみがふわりとう。黒なのに光をはじいて色を放つ様があまりに美しくて、思わずれそうになるのをあわてていましめる。だって、ルタが私と話しているのに、余所よそごとを気にするのはだ。

「俺は、幸福を感じてはいけない」

何故なぜですか?」

てんかいを、ほろぼした」

 思いもよらない言葉が出てきて、反応が遅れる。それをどう受け取ったのか、ルタは赤い瞳を少しだけせた。どうしたの、ルタ。悲しいの? さびしいの? お願い、話して。私、駄目なしようだったから、あなたの気持ちを読み取るなんて出来ないけど、聞くことなら出来るよ。何時間だって、何日だって、のろだってとうだって、何だって聞くから。

「それが願いだったのでは、ないのですか?」

 人間は、天界を滅ぼしたかった。上空から落とされる気まぐれなかみなりを、いとしい人を奪われるじんを無くすために戦った。そしてルタは、両親を殺したかたき、私を殺すために、一度死んでまでふくしゆうを果たしにきたのだ。彼らの願いは果たされた。ひとつ残らず果たされたのに。

「王様の願いは、かなったのではないのですか?」

 どうしてそんなに悲しい顔をするの? 何が叶わなかったの?

 ばしかけた手を必死に押さえる。駄目だ。今の私には、そのほおれる権利はない。いや、きっと、昔にだってなかった。一度だって、この子に触れる権利はなかったのだ。

 ルタは、悲しい瞳をさらに伏せた。

「天界は、俺達と同じだった」

「え?」

「ただ滅ぼすべき悪だと断じるほどの何かだったとは思えない。人間と同じように、働き、子をはぐくみ、明日の約束をしてねむる。同じだったんだ。だが、俺はそれを滅ぼした。はや人間は止まらぬと、それを言い訳にして、み子まですべてを殺しくした。その罪が何故許される。誰かに愛されるを許されるはずもない。だから俺は、この身がちるまで誰かと温度をわし合うつもりはない」

「誰がそんな鹿ろうなことを!」

「…………は?」

 思わずつかみかかっていた。ルタが抱えていた本がばらばらとゆかに落ちる。むなぐらを摑み上げて、自分より背の高いルタに大きくなったなぁと感動するひまもなく、がくがく揺さぶった。

「一体全体、誰がそんな大馬鹿野郎なことをあなたに言ったのですか! 私に教えなさい! 今すぐぶんなぐってきますから!」

「何をっ……やめろ! 俺が、自分でそう思ったんだ!」

「あなたですか! 分かりました! ぶん殴ります!」

 ぐわっと拳を振り上げて、はたと気づく。え? ルタ?

 あやうく可愛いルタをぶん殴りかけたこぶしを解く。勢いを殺しきれずにルタの胸にっ込んだけれど、殴らなくてよかったとほっとした。しかし、慌てて胸倉を摑み直す。

「いいですか!? 基本的に、滅ぼされたほうはあなたが何したってうらみますよ! あなたが誰かと愛し合って幸せに暮らせば『きぃい! 何よ! 私達を滅ぼしたくせに!』って恨みます。逆に、あなたが一人孤どくに生きて死んでも『きぃい! 何よ! 私達を滅ぼした癖に人生投げ出したわ!』って恨みますよ! だったら幸せでいいじゃないですか! ……どうせあのままいったら、いつか戦争がめんどうくさくなったてんじんに人間が滅ぼされていましたよ。いいですか、王様。天人は生存競争に負けたんです。ただそれだけのことです」

 天人は、人型をした生き物同士の生存競争に負けた。種の生存競争の結果を、ルタが一人で背負うのはそれこそごうまんというものだ。天人は、力におごり、負けた。人間が勝ち、そして種を存続させた。きっと、あれは、ただそれだけのことだったのだ。

「それに、もう千年です。天界が滅びて、千年です。千年間を天人へのあがないに使ったのなら、今度は人間の願いを叶えてあげたらいいんじゃないですか? ほら、みんな王様が好きな人と幸せになる未来を願ってますよ! 議会辺りはちょっと色々面倒なこともあるのかもしれませんが、結局は王様が幸せであればいいと思ってるみたいだし、そこんとこどうでしょう!」

 私は胸倉をにぎったまま、さっき女の子達がいた場所を向く。

「手始めに、さっきいた女の子の中では誰が好みですか! さあさあ、私とこいバナしちゃいましょう! 何でしたら、きゆうけい室をちょっとのぞいてみて、好みの子がいれば私に耳打ちなんてしてくれちゃいましたら、私張り切ってあなたとその子のえんつないでいったぁ!」

 脳天に落とされた手刀は、足の先までしようげきを放ってきた。なみだで見上げると、うつとうしい物を見る赤い瞳と、いまかかげられたままの手刀がある。ぴしりとそろえられた指先まで美しいなんて、さすがルタ!

だいじようです、王様! 王様ならどんな子でもいつしゆんで好きになります! あっという間にりようおもいです! だからフラれるとか心配しないで、どんどんいきましょいったぁあああ!」

 り出された二発目も、それはそれは大層美しい手刀でした。痛かったです。


 しん殿でんに来て一年、私はすごくなやんでいた。

「うーん、どうしようかなぁ」

 私は、今朝もルタのベッドの上にこしけて足を揺らした。朝に弱いルタは、最近本気できが悪い。というより、最初は私が入ってきただけで一応起きてはいたのに、最近ではどうでもいいといわんばかりにたおすのだ。がんがん耳元でさけんでも、ぬのぎ取っても寝続ける。ルタの寝顔可愛いといつまでだってながめてしまうから、早く起きてほしい。

「困ったなぁ」

 昨日なんて、思い切ってルタの上に乗って揺さぶってみたのにどうしよう、クビにならない。そして起きない。流石さすがルタ、これは大物になるなと感心したけれど、よく考えるとすでに大物だった。うつわが大きいのはらしいけれど、大きすぎてクビになれない。

 すっかり見慣れたかべがみを眺めながら、かたの力をいてためいきをつく。

 最近は、会話ができて嬉しい。ルタが通るたび、あちこちからあいさつが飛んでくるのを見るのは幸せだ。この前なんて、世間話をしている姿を見たのだ! 何でも本好きの神官を見つけたらしく、二人で新刊について語っていた。何を言っているかは分からなかったけれど、無表情でもどこか嬉しそうな空気が見て取れて、私は勝手に幸せだった。

 その神官は、見かける度にローリヤとおおげんをしている人なのだけど、どうもこの前の休日にローリヤと二人で遊びに行ったらしい。いつも、あいつがどうだこうだとぷりぷりおこっていたローリヤだけど、その日の服選びは凄かった。もちろん、私の手持ちの服やかみかざりも全部並べて協力したものだ。涙目で部屋に飛び帰ってきた時はあせったけれど、耳まで真っ赤で熱まで出していたから、まあ深くは聞かずにおいた。同室の情けだ。でも同室の私だけじゃなくて、どうりようみんな大体の事情は察してしまったわけだけど、本人はかくせているつもりのようだからだまっていよう。

 そんなこんなで毎日幸せだ。幸せなんだけどまずい。クビにならないのは、非常にまずい。

「私、あんまり時間がないんだけどなぁ」

「…………時間?」

 いつもはまだぐっすり眠っているはずのルタから返事が返ってきて、慌てて口を押さえる。油断して独り言を拾われた。のそりと起き上がってきたルタは、寝起きだというのに美しい。流石に髪は少し乱れているけれど、それでもぼさりとなっていないのはどういうことだ。その特権は、おととルタにだけ許されたものだ! だったら問題ないね!

 どうでもいいことをしんけんなつとくした私は、慌てて立ち上がって一礼した。

「おはようございます、王様。すぐに朝食をし上がりますか?」

「そんなことはどうでもいい。お前、時間とはなんだ?」

 ルタの手が私のひじを摑む。私の肘をぐるりと一周してしまう大きくてれいな手は、寝起きでおそろしいほど温かい。このままきついてしまいそうになるほどに。

「時間って何のことですか? あっらぁ? 王様、寝ぼけたんですか? 寝ぼけちゃったんですかぁ? ぷっぷぅ! 王様の、ね、ぼ、す、け、さん!」

 なめらかなっぺをつんつん突っつき笑うと手刀が降る。脳天かち割れたと思うほど痛かった。

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