第六章、再戦
凶々しい渦が弾けると、妖は上空から自由落下の速度で落下し、轟音を響かせて大地へと足を下ろした。
「お、おい、コイツ・・・デカくないか?」
現れた妖は形こそ先日のそれと同じであったが、明らかに一点だけ大きく異なる特徴があった。せいぜい二メートル半越えといったところであった体長がゆうに五メートル超と倍ほどになっていたのだ。
「まさか、人を取り込んだか?」
「ほう、流石に察しが良いな、女。」
「人を、喰った・・・のか?誰を一体、まさか!?」
誠はエマの脅しを思い出し、身内の心配が顕になる。
「ふっ、そこは想像に任せるとしよう。」
本質をぼかしては人に恐怖感を植え付けようとする小癪さには変化がなかった。嫌な笑みを揺蕩え、じっと二人の資格者に殺気を放つ。
「誠、神器を呼べ!」
「おうっ!」
二人の危機を如実に感じ取った神器達は神速を以て各々の掌中に文字通り飛んできた、エマはグングニルを手に宿すとすぐさま気合を高め、例の真紅に染まる鎧を着衣した。一方の誠は着衣の方法も理解できておらず、素のままの姿を保持している。
「なんだ、男の方は何も変わっていないか・・・ふっ、興醒めもいいところだ。まあまずは弱い方を取り込んでから、貴様にこの目の礼をしてくれよう。」
「な、なにをっ!」
フォルティア・ミーラに目覚め、多少は力の上達を見ていた誠は妖の軽い挑発に心を熱くした。
「落ち着け。安い手だ、奴の相手は私がする。お前にはまだ無理だ。」
「いや、俺はあいつを倒すために力を身に付けたんだ、このまま引き下がってなんかいられっかよ。」
「言うことを聞け!」
エマの恫喝はこの三日間で誠に対して有効な制動装置となっていた。彼は血気に逸る心を咎められ、エマの言い分に従おうかとした。
「させんわっ、貴様にはこれで遊んでおいてもらおう。」
ところが妖はエマの筋書き通りにはさせず両手を横に広げると無数の渦を出現させた。今しがた自分の出てきた渦を小ぶりにしたようなものだったので何をしでかすか大方予想は付いたが、この場合予想の的中が必ずしも利益をもたらすとは限らなかった。
渦からは誠が倒したこともある狼型やまた豹型の魔物が計十体、それもエマをぐるりと包囲する様に現れた。
「貴様の実力は過小評価せん、出し惜しみもせん、ありったけの眷属を差し向けてやったわ。」
「たかが獣が十匹・・・舐められたものだな。」
とはいえエマも連携して襲ってくることはお見通しの十体に及ぶ魔物を相手にするには、まず負けなどしないが時間がかかる厄介さは理解しており、敬遠したいところであった。
「エマっ、俺もそこへ行く。」
「そうはさせんわ。」
エマの包囲を解かんと獣に向かう誠だったが本命の妖が彼の行く手に立ちはだかった。仕方がない状況とはいえ、誠は当初の目論見通りに親友達の敵を討てる機会を与えられた。
「じゃあ仕方ない、むしろお誂え向きだぜ・・・いっちょやるか、相棒!」
「おお!」
剣にも誠の気合が伝わり、一直線に妖へと向き直した。同時に獣達もエマへと一斉に襲いかかりそれぞれ別の決戦が二つ同時に始まった。前回と同じく斬りかかった誠の太刀筋は剣速とともに威力も増していたかもしれない。だが、妖にとっては赤ん坊のよちよち歩きが多少速くなった程度の話だった、前回のように太刀の様な爪が誠の剣を難なく抑えた。
「ぐうっ。やっぱり同じ手じゃあ駄目か。」
「逸るな、誠。」
「わ、分かってるよ。」
剣の助言で誠は瞬時に位置を変える。一秒前に彼が存在していた空間をもう一方の腕の爪がえぐり取るのは空振りに終わった。
「なんだ、やはり大したことはないな。この間と何ら変わっておらん。ヒヒッ。」
妖は怪しい薄ら笑いを強めた。明らかに余裕がある、それは誠達にとって歓迎したいものではなかった。できれば今すぐにでも気持ちの悪い笑い顔を顰めっ面へと叩きのめしたいものだが、この希望を叶えるためには誠の実力が伴われていなかった。
「誠!大丈夫か?」
エマの体は間断なく襲いかかる獣に対して右へ左へと槍を回しつつ、声だけが誠に飛んでくる。彼女の方も猫の手であろうと借りたい状況なのである。
「ああ、大丈夫だ。まだまだこれからだよ。」
「威勢だけは良いようだな、それでこそ取り込み甲斐もあるというものだ。」
「言ってられるのも今だけだぜっ!」
誠は尚も攻撃を放つ。脳天を狙い剣を振り下ろす。肩から体を両断すべく斬りかかる。胴を狙って薙ぎ払う。腕を狙って小手を繰り出す。そして体の中点を狙って突き立てる。しかし、やはり実力差は如何ともしがたいというのか、彼の剣は全て妖の刃の前に防がれていた。
妖はまたも遊んでいた。多少は再戦に向けて力を付けてきているかと思えば何のこともなく、弱いままの己を晒す誠に対し、実力差からすれば一撃で屠ることができるというのにそれではつまらんとばかりの余裕を示すことが絶対的な差を見せつけられていた。
「猪突するでないぞ誠よ。彼奴はお主の攻撃を全て防いでいる、それはつまり当たればただでは済まない事への裏返しに他ならん。」
「そうだろうな、そうなんだけどよ・・・当てられてないんだよな。」
誠は考えた、一太刀浴びせれば流れを引き寄せられよう。ならばどうやってその一太刀を浴びせる?どこを狙っても奴の刃が攻撃を防ぐ、ならばまずその刃を狙ってみては?
試す価値はありそうだと誠はまた腕を狙う、と見せかけて攻撃を阻もうと出してきた爪に対し全力をぶち当てた。金属同士のぶつかる高音が鳴り響き双方の腕に振動が伝わる、接点から細かな光が粒子となって飛び散ったような輝きを見せる。誠はすぐ全身に振動が伝わり体がこわばったのに対し妖は巨躯に物を言わせ振動が伝わり切る前に腕に力を入れ誠を押し返した。少しは成長の跡を見せる誠は空中でくるり一回転してきれいな着地を見せた。
「その意気だ、誠よ。今のは良い太刀筋であったぞ。」
「そうか、ありがとよ。でも防がれちゃあ意味がないんだ、次は当ててやるぜ。」
「うむ。」
「無駄だ無駄だ、貴様ではこの私にかすり傷一つ負わせられん・・・ぬ?」
腕の先に微かな違和感を見出した妖は今彼の一撃を受け止めた爪を視界に入れた。ほんの僅かではあるが剣と交わった箇所に亀裂が走っているのが発見できた。これを視界に入れた刹那、妖の気分に変化が訪れた。
「遊びは終わりにしよう。」
昨日今日に神器を扱えるようになったばかりの男が僅かながらも鋼にすら勝る爪に傷を入れたことは妖をして、今日までの誠の成長と今後の潜在力に些少ならざる危機感を抱いた。今の内に、難なく葬られる間に始末しておけば後々の禍根は断てると考え直したのだ。
足を踏み出しつつ放った妖の重い一撃を誠は受け止める、受け止めたはずだが、やはり妖はその膂力のままに誠を勢いよくふっ飛ばした。体躯の巨大化した分だけ威力も増したようで、飛ばされ地面に擦れて土を抉ってようやく勢いが押し殺せた時、地面の跡は五十メートルにも達していた。
「痛えぇ~。」
「案ずるな、痛みは感覚だけだ。」
神器と目覚めたてのフォルティア・ミーラのお陰で傷は軽いものだが刺激された痛覚は本分を全うし普通の人間と変わらぬ感覚を脳に伝えていた。
飛ばした相手を追って更なる追撃を加えんとしていた妖が迫ってきた。ずしんずしんと質量を感じさせる足音を立て、彼の前で大きく振りかぶる。痛烈な一撃を叩き込む姿勢に入った隙を逃さない程度にまだ誠の戦闘意欲は失われていなかった。大きく開いた懐に入り込み、天叢雲剣の一閃を入れんと飛び込む。
これは決められるかという矢先、場馴れが上手であった妖は右膝を繰り出した。巨大な膝蹴りをまともに受けてしまった誠は再度に渡って吹き飛ばされた、ただ今回は飛ばされる前になんとか一閃を示せたのがせめてもの報酬であった。
「ぐう・・・」
胸に剣の筋を一本描かれた妖は怯んだ、怯みこそすれど浅い傷であることを確認したそれは恐れを抱かず相手を見やった。
「一太刀でも浴びせたことは認めてやろう、だがそれもここまでだ。フフッ。」
直後、妖の胸が開いた。正確には妖の胸部を包んでいた太い皮が剣の筋に沿って破れ落ちた。中からは筋繊維のような筋が幾重にも巡られている。その体内に、筋が蚕の繭のように丸く巻き付いている物が見えた。それは左胸の辺りに一つ、右胸にもまた一つと、計二つの繭が妖の胸の内に秘められていた。
「あれは!」
それぞれの繭からは人の頭部だけが顔を覗かせていた。よくよく見ればその二人は誠のよく知る二人ではないか。彼は両者の名を呼ぶ。
「鉄二さんっ!日高っ!」
この妖が襲ったと見える鉄二と、この数日間に取り込まれ奴の巨大化の要因となったであろう優子の姿がそこに確認できた。
「この野郎、日高を食ってデカくなりやがったのか!」
朧げに奴に食われたと思われる候補が幾人か浮かんでいた誠に被害者の特定が叶ったのはこの時であった。それは彼の中で怒りへと還流し、妖に対して荒ぶる獣の刃を突き立てる結果を齎した。
「こんの野郎っ!」
誠が無鉄砲に妖へと襲いかかる。これを危機と見ず好機と捉えた妖は血気に勝る彼の攻撃を恐れもせずに真っ向から立ち向かい、憤怒の一撃をがっしり爪で受け止めた。今度は微細な罅すら入れられず、誠の剣の威力全てが完全に受け止められた。
「取ったあ!小僧、これで貴様は最期だ。」
すかさず妖はもう一方の手を伸ばし、誠の身体をがっしりと握りしめた。太い指が彼の身体に巻き付き、さながら大蛇が獲物を締め上げるかのようであった。
「ぎゃあああっ!」
誠の悲鳴が上がったのはエマの耳にも届いた。剛力で締め付けられる力は数分とかからず誠の骨を砕ききろう。苦悶に満ちた表情を見せる誠に妖は上機嫌へと誘われる。
「いい声だ、いい顔だ。まあその苦しみも少しの辛抱だ。私に取り込まれてしまえば最早痛みなど感じぬ。その代わり死することもできず延々と『無』の世界を彷徨う事となるがな。」
「な、なんだと・・・」
誠は今取り込まれている二人を見た。二人はすると生きながらにして奴の内に閉じ込められているということになる。薄らいでいく意識の中で彼は少し安堵した、そしてより一層現状からの脱出を試みようとする。剣と右前腕だけは中指と人差し指の間から外に突き出た格好にはなっているのだが右肘すら妖の握力に負けて太い指の間からではろくに回すこともできない。故に掌中の身体もよじることすらままならない程に押さえつけられていた。如何ともしがたい状態に焦燥と必死の色が浮き上がる。
「誠!しっかりしろ。」
側で此方は此方で戦っているエマには叱咤が精一杯であった、二匹ばかりは仕留められたが未だ八匹の眷属が四方八方から彼女目掛けて襲ってくる状態では彼を救出に行くというのは困難の極みである。彼が倒されるのを見ていくしかないのか、折角途中まで育てた生徒をむざむざと葬られようという様にエマは断腸の思いを抱いた。
「ぐははははは、女、安心しろ。此奴を取り込んだら次は貴様の番だ、貴様はじっくりと、そうじっくりといたぶってやるからそれまでもう少し遊んでおれ。」
「くうっ。こいつら、邪魔にも程がある。」
主の言葉をも邪魔するかのように眷属共は話の間も勤勉に牙と爪を対象へと向けていた。何もエマを倒さなくてもよく足止めさえしていればいいというのは、相手側は囲みを破るためにある程度、過半数は頭数を潰す必要があるのに比べてずっと容易である。眷属にもその位を理解できたようで、無理せずそれでいてエマに行動の自由という主導権を渡さないでいることは狡猾の二文字に尽きた。
「貴様を取り込み私は更なる力を得る、さすれば私はもはや無敵だ。はははははっ。」
妖の勝利宣言に程近い雄叫びに抗う術を失っていた誠、内にふつふつと沸き起こっている奴への怒りが吹き出し所もなく滞留する。細まっていく視界の中で妖の中に捕らわれている二人の顔を見た時、怒りは目に届き大粒の液体を垂れ流させた。
「ん?泣いているのか?くははははは、無様だな貴様。」
死のような無への送迎に恐怖心がないわけではなかった。だが誠が悲しかったのは目の前にある二人を助けることができる力を得られるはずだったが得られる前に散る情けなさと二人への贖罪の気持ちが両頬に太い流れを作らせていた。それはおよそ妖には理解できよう筈もなかった人としての気持ちであった。
「ごめんよ・・・鉄二おじさん、日高・・・俺、あんた達を助けられそうにないや。」
細く開いていた誠の視界が完全に閉じられ、彼の眼前を支配するのは黒一色となった。
「諦めるな、最後まで諦めるな!」
エマの腹から出した叫びにも答えられず、妖が大口を開けいよいよ彼を口から取り込まんとした。ふと、誠の垂らした涙が剣にまで滴り落ちた時、天叢雲剣が今までにない強い輝きを放った。
「あの光・・・まさか。」
エマには同様の輝きに記憶があった。自らも初めて着衣した時、真にグングニルから己を認めてもらった時、同じ輝きを発していた。それが今は誠から放たれているのだ。エマは希望の意識を発芽させた。
剣の輝きは彼を掴む妖の手をも巻き込んで誠を光の中へと隠す。手首まですっぽりと光に没した時、妖から悲痛な叫びが発せられた。
「ぐわあああっ!熱い、熱いっ、何だ、これはぁ?」
光から手を抜いた時、既に妖の手首から先は消え去っていた、まるで誠を包む光が食らったかのように。苦痛や苦悶の表情は誠から妖へと移動を完了していた。
「ん?ここは・・・何だ?」
一旦完全に閉じられた瞳を再び開いた誠は数瞬前までと全く異なる感覚の一つ一つに気付いた。目の前は真っ白な光に覆われ、自らの身体を強く締めていた妖の手も存在しなかった。それどころか宙に浮くような感じで妙に心地よさを感じている。
「これは、もしかして俺、本当にあの世に来たとかっていうのか?」
「縁起でもない事を口走るな、馬鹿者。」
後ろから聞き覚えのある、上から目線の居丈高な声が聞こえてくる。ぱっと後ろを振り返ると天叢雲剣がやはり宙に浮いていた。しかも周りの白さよりなお一段強烈な光を放ち神々しささえ感じる。
「なんだお前、やけに神様っぽく見えるぞ。」
「だから、我は神の力を宿す神器であると言うておろう。神々しくて当然だ。」
「ったく、相変わらずの生意気な口ぶりだよなあ。」
「その台詞、熨斗をつけてお主に返してくれる。神の器に向かってのその台詞こそ生意気そのものであろう。」
「はいはい、で、その神サマ。俺は死んじまったのか?」
「そうではない。」
「うん?」
死んではいない、が自らを取り巻いている環境の違和感に誠は状況の把握がまるでできなかった。
「死んでいないって言うなら、この白い周りは・・・現実か?」
「現実ではないが、現実である。お主は今、外界と完全に遮断された空間に来ておるのだ。」
誠には尚も意味が通じていなかった。死んでいない、現実でない現実の世界などと言われて理解と納得ができる想像力豊かな側が人類社会を見渡してもきっと少数派であったことだろう。
「分からねえ・・・お前は何が言いたいんだ?」
「ふっ、足りない頭は少しも変わっておらんな。」
「大きなお世話だって言ってるだろ。」
「それはまあよい、それよりもお主を祝福しよう。お主はついに我の真なる力を持つことを許されたのだ。」
「へっ?」
誠の気の抜けた返事をよそに、天叢雲剣は彼に切々と言って聞かせる。
「お主の、つまり依代の誰かを守りたいと心から願う心が我を目覚めさせる鍵となったのだ。お主は今、名実ともに資格者となれたのだ。」
「な、なんだって!」
この数日願って止まなかった強大な力を意識しない箇所で得られた宣言に誠は驚嘆した。と同時に喜びも湧いてきたが、それ以上に意気が幾何級数的に上がってきた。
「じゃあよ、俺は奴を倒してみんなを助けられるってことなのか?そうなんだな?」
「そうだ、お主には今その力が備わったのだ。今こそ我の全てを与えよう、改めて我を刷け。そして念じるのだ、我の力をお主の中に目覚めていたフォルティア・ミーラが一体化するよう想像するのだ。お主なら必ずできる。」
「おう、分かった・・・あのな・・・改めてさ、よろしくな。」
「ふっ、何をお主らしくなくしおらしい事を。」
「だよなっ。」
誠は剣の返答に笑みを零してそれを手に取った。剣の光が誠の体内の輝きに向かって行く、やがて彼の身体に吸い込まれ、一つの大きな光となり誠を包んだ。光の世界の中で彼を包んだ内なる光は形を徐々に変化させ、誠の体中を纏わるように走る。体中が光に包まれ、それが粉粒の粒子として弾けた後に現れた彼の体は、白銀色の胴丸を装着していた。重さを全く感じさせない鎧は彼の内の力を大きく膨らませ、初めて天叢雲剣を手にした時以上に自らの内なる力の高まりを感じさせた。
「うおおおおおおおおおおっ!!」
誠が力に応えて雄叫びを上げた瞬間、現実の世界では妖の手首を奪った光が発光を増し、薄い膜が弾けるように光が四散した。その中から着衣を果たした誠が姿を現した。
光の中から現れ着衣を完了している誠を目にし、エマと妖は共に驚きの視線を送った。但し一方は希望に満ちた感覚であり、もう一方はしくじりと不安の混在した意識であった。
「誠!ついに着衣できたのか。」
着衣を見届けたエマは新たな資格者の誕生に沸き立ち、白き鎧の壮麗さに心を揺り動かされた。
「ああ、お前の修行の成果だな。ありがとうな。」
「おべっかはいい・・・行けるな?」
「ああっ。」
礼を言われたのが恥じらいの神経を刺激したのか、エマは彼から目を離して彼女を囲う眷属たちへと視線を変えた。そんな彼女の背中に誠は力強く笑って答えていた。
「お、おのれぇい。貴様まで鎧を纏うたか。憎し憎し憎しっ。」
片手を失い更に力を付けた相手に憎悪の念だけを高め激昂する妖。残った方の手が付いている腕を繰り出し爪の刃で誠の顔を突こうとするが、彼は動じることなく剣を立て妖の爪を真ん中から真っ二つに、上腕まで一気に切り裂いた。
「ぐわあああああっ、わ、私の腕がああっ!」
悲鳴を上げて悶える妖、対して冷静に自分の力を判断している誠。力関係は完全に入れ替わった。
「凄いな、この力・・・本当に俺がやってるのか?」
一時は死を覚悟させられるほど一方的に痛めつけられていた相手を今は己が手をかけているのである、形勢の大逆転現象は当の本人が最も信じられないでいた。悶絶のあまり一歩、二歩と足を退いていた妖は、自らの意志で更に後退して距離を取る。まだ奴に手は残されていた。俊もろとも誠を一度は焼いた灼熱の炎、今一度妖は口腔内に熱いものを溜め込んだ。
「喰らええいっ、これが地獄の業火だ。」
妖の怨念まで込められた地獄の業火というやつが誠に向かって赤い軌跡を伸ばしながら迫り来る。これに焼かれた記憶が誠に蘇る、通常の人間なら致死の赤みに致死の恐怖を抱き混乱を来たす筈である。だが彼は悪夢の記憶に屈せず向かってくる炎を見据えていた、不思議と恐怖はない。すっと剣を前に突き出しすぐ後ろに振り、炎をじっくり呼び込んだ所で改めて炎に向かって剣を閃かせる。
一閃、炎は掻き消された。以前エマに炎から助けられた方法を今度は自らやってのけたのだ。渾身の攻撃をいとも簡単に払いのけられた妖はいよいよもって万策尽きたか、たじろぐ姿勢を見せた。
「どうした、これで終わりか?」
剣先で指図された妖は血色など元々無いようなものであったが血の気が引いたような顔を作った。もはや気持ち悪い薄ら笑いなどまるで浮かべていない。
「誠よ、どうやら彼奴も進退窮まったと見える。仕留めるなら今だ。」
「そうだな、ようしっ。」
勝機を見た誠は相手が退くより疾く足を伸ばして目標を補足し、すわ止めを!という瞬間に入った。
「ま、待て。私に手出しすれば此奴等の命はないぞ。」
誠の動作は急停止し剣も空中での急制動を強いられた。皮の落ちた奴の胸の中にある鉄二と優子に向け妖は半分になった左腕で必死に爪を立て、彼らに向けて誠を脅迫してきた。
「何だと・・・二人はまだ生きてるってのか。」
「当たり前だ、死肉など使い物になるか。」
何を以て当たり前というのか魔物の当然の論理は人には通じず、彼は剣に意識を向けた。
「奴の言っていることは真だ。生あればこそ妖にも贄になるというものだ。だが勿論あのような状態だ、衰弱の度合いは激しくやがては死に至る。」
「なんだって!この野郎・・・卑怯者の基本を使いやがって。」
「基本だろうと卑怯だろうと、効果的なら何でも使うまでのことだ、貴様達も合理的だとか言い訳を付けて小を切るなどよくやってることではないか。フフッ。」
効果を確認した妖に余裕が戻った。攻守再び逆転叶った妖は散々な手傷を負わせた誠を見下ろし、居丈高となった。
「さあ、これで貴様は羽根をもがれた小鳥も同然か。大人しく剣を捨てて貰おう・・・もはや貴様は取り込まん、八つ裂きにでもしてくれる。そうでもないと私の腹の虫が収まらんわ。」
「くうっ、この野郎・・・」
「奴の口に乗るな、誠!」
誠は歯軋りして抵抗感を示した。しかし自らの行動で人質の生命を絶たれるような真似はできなかった。ゴールの見えている思考に暫く脳細胞を無駄に働かせた誠は、剣をぽんと目の前に落とした。
「誠!・・・仕方あるまいか。我の力を得たということはこの選択しか無いということに他ならぬからな。」
慈愛の心を開眼させてこそ得られた力のことを思うと己の主張が矛盾でしかなかった天叢雲剣の言葉には絶念感が漂っていた。
「相棒、ごめんな。俺にはおじさんや日高を見捨てるって事は・・・やっぱりできない。」
剣を放したことで、フォルティア・ミーラもまだ不安定であった誠の体から鎧の姿がすっと消えていた。彼は今、内にこそ力を持ち得ども妖からすればただの人と大差ない存在にまで縮小していた。
「そうだ、それでいい。いい子だぞ・・・ふふふ。」
勝ちを確信し余裕が溢れた妖は心から笑った。心など持ち合わせているのかは不明だが高揚感を刺激されたのは間違いなかった。痛々しい左腕を振り上げ、この傷を負わせた者を一刀に伏せようと爪を光らせる。
「がはははっ。取った、」
妖が腕を振り下ろし、誠が恐怖に目を閉じる。が、本性を垣間見せたような下品な笑いは第三者により中断させられた。
「私を・・・忘れるな。」
妖の縦軸の刃よりエマの横軸の槍が僅かに早く目的を遂げていた。グングニルは妖の喉を後ろから貫通して、それの頭部を躰と完全に寸断させていた。
「何、我が眷属をもう・・・?は、早すぎる。」
妖の辞世がこれであった。奴としてはエマが眷属の壁を突破するにはまだまだ時間がかかると踏んでいたようだが、彼女の戦闘力が妖の予想を遥かに上回っていたことと何も十匹全てを屠る必要はなく、妖本体への血路を開くだけの下僕を五、六体倒した段階でこの一撃を加える機転の利かせ方がエマをして決定的な一撃を喰らわせる要因となった。お陰で妖へと飛ぶ際に眷属の攻撃をもろに食らい、顔にも血が滴っていたが。
頭部を失った妖の躰が前へと倒れこまんと傾斜を始め、人質の二人を拘束していた繭が溶け落ちだし、妖より先に地面への加速を始めた。
「危ないっ。」
言うが早いか誠は駆けていた。剣も持たずに俊足を飛ばし五輪級の跳躍を見せて優子を空中で受け止め着地まで決めたのは修行の成果たるフォルティア・ミーラの力に他ならなかった。また鉄二の方もエマがしっかりと救出している。
二人を失った妖の体は崩れ落ちつつ同時に縮小も起こしていた。完全に地面に倒れ込んだ時には人の体と同じサイズにまで縮み行き、振動や轟音を立てることもなく、地に伏した。
「おい、日高!しっかりしろ。日高っ!」
腕の中の優子を揺すり誠は彼女の無事を確認する。外面に傷が見られず、ただ眠っているだけにも見える優子は誠の呼びかけにまるで返答を寄越さないでいる。
「日高、日高ったら!」
尚も諦めずに彼女を呼びかける誠を思って神が鶏に鞭を入れたのか、優子の眉や指に微小の動きが発生した。生きている、優子は生きていた。
「良かった、良かったなあ、日高。」
感極まった誠はまた瞳から水を零していた。今度の場合は悔しさのあまりではなく喜びのあまりに発したもので成分は等しくとも性質は全く異なる。感情の爆発が起因して彼はおもむろに優子の頭を持ち上げて頬擦りまでしてしまう。優子に意識の回復がまだなかったからできたものであり、そうでなかった場合はどうなっていたことであろうか。
「こっちも生きている・・・但しかなり衰弱している。」
エマが助け出した鉄二の容態を知らせた。彼は優子よりずっと早くから妖に取り込まれていたために衰弱の度合いが娘に勝ること甚だしかった。
「そりゃ大変じゃないか・・・って、お前も大変じゃないか!」
改めてエマを視界に入れた誠は、頭から顔に伝うばかりか腕からも甲冑の肘にある継ぎ目から垂れている血の流れに目を奪われた。常人なら大量出血で意識を無くしてもおかしくない流血量である。それでもエマは万事無頓着の表情を崩さずに涼しげに言う。
「あいつらを突破する時にかすった様だ。」
「かすったって、そんな程度じゃないだろ。」
神器とフォルティア・ミーラの力により外傷などは超人的な回復を見せるが、回復が完了するまでは傷は傷である、資格者とて一応は人間、怪我をしても全く平気というわけではない、出血量が回復量を上回れば十分死に至るのだ。誠は誰あろうエマからそう教わっていた。
「まあ、ちょっと無茶はしたつもりだが。」
「どうしてそんな涼しい顔していられるんだよ。」
誠は優子を側の木へともたれかけさせ、楽にさせた上でエマの元に駆け寄る姿勢を示す。
「見せてみろよ。」
「何だ、私は別に大丈夫、」
「いいからっ。」
誠は反問を求めてもいなかったし許容すらしていなかった。エマは腕の甲冑を外し、眷属の爪か牙かまでは判然としないが鋭利なもので深々と切られた上腕の傷を誠に晒した。
「酷いじゃないか。」
「どうということは・・・ない。」
何分、基本が無愛想に程のあるエマのことだ、本当になんともないのか強がっているのか誠には判断に窮する。それでも彼はエマの腋の下を抑える。
「な、何っ?」
これにはエマも多少の感情を露出させた。
「止血してるんだ、腕の怪我はここを押さえれば止まる。」
所謂脇窩動脈での止血である。海で事故に直面した場合、やはり適切な治療を受けるまでには時間がかかるという危険性の元、彼は一より、また一も勇より簡易的な応急処置法を伝授されていた。ここでは連綿と受け継がれている石狩家の作法が役立った。
「おっ、無事だった。」
用意のいいことにズボンの後ろポケットに入れていたガーゼの、先の戦いを経験しても無事だった様を確認した誠はそれをエマの傷口に当てる。
「これで取り敢えずは大丈夫、だよな?」
「・・・ありがとう。」
蚊の鳴くような声が誠の耳までやっとの事で届いた。
「よせよ。」
聞こえなければそれでいいという程度で発した礼が相手に届いていたことで、エマは表情を殆ど崩さないで頬だけをほんのり赤らめた。顔を伝う赤い流れで蛾眉も台無しであったが平時ならば男の一人や二人を虜にするに不足なかったであろう
「じゃあ次は鉄二さんのことだ、どうにかなるかい?」
「あ・・・そ、そうだな。機関に連絡すれば、ヘリがすぐに来るだろう。」
暫しの間、周囲の状況を喪失していたエマは誠の言葉で状況を再確認する。
「それだ!すぐ連絡してくれるか?あ、でも怪我・・・」
「問題ない、ほら。」
エマは傷を押さえていたガーゼを取ってみせる。この短時間で出血は既に止まり、傷口は閉じようとしている。
「すげえな!もう治りかけてるのかよ。」
「何を驚く、お前も既にこういう体なのだぞ。」
「あ、そうか・・・でも実際に見ると凄いもんだな。」
「・・・まあいい。テントまで戻れば携帯電話がある、あれで連絡を取る。」
「頼むよ・・・うん、どうかしたのか?」
エマが返事もせず、あらぬ方向の空を凝視して動きを止めていたのを誠が不審がる。
「どうやら悠長に構えてる場合ではなくなったようだ、見ろ。」
「あれは・・・まさか、またか!?」
「うむ、そうだ。」
地表からほんの十メートルといった付近に再びどす黒い渦が生じた。しかし先刻の妖が現れた渦に比べて今度のそれは更に巨大であり、嫌な予感を増大させるには十分な禍々しさを有していた。
「来い、相棒!」
「おおっ!」
ひとっ飛び且つ一直線に誠の元へとやって来た天叢雲剣は彼に再び活力を与え、胴丸を着衣させた。湧き上がるものが内なる熱き力を感じさせると同時に渦より押し寄せる闇の圧迫感を響かせる。どうもさっきの奴とは比較にならない何者かの望まぬ来訪を受けてしまったようだ。
「来る、来るぞ、誠。」
「くっそお、またかよ。」
誠と同時に改めて紅き甲冑を身に纏わせていたエマが彼を喚起する。悪しき圧迫感はエマにすら尋常ならざる何かを感じさせていた。
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