なくしたものは
笑っていた。君が、僕が、みんなが。
オルガンからは懐かしい、でも題名は忘れてしまったあの日の歌が流れている。
「 」
僕の隣で、笑っている君が何か言う。しかしその声はオルガンの音によってかき消されてしまった。
「 」
それに僕も何かを答えた。でも何て返したんだっけ。
そこでわたしは夢から覚めた。
どうやら、本を読んでいる途中に眠ってしまっていたようだ。
なにか特別な夢だったような気がする。
「あ、起きたのね」
白いブラウスに黒のジャンパースカートを着ている少女が目の前に立っていた。
「おはようございます、アイラさん」
この少女はアイラ、わたしより一つ年上の見習いシスターだ。
「おはよう、アンリ君」
とても面倒見がよく、新参者のわたしにもこうして声を掛けてくれる。
「そろそろなにか思い出せた?」
彼女は傍から聞いたら首を傾げてしまいそうな質問を投げかけてくる。
「いいえ、なにも」
わたしにはここに来るより以前の記憶が存在しない。必死に思い出そうとしても、それが始めからなかったことのように浮かんでこないのだ。
「でも、なにか夢を見ていた気がするんです」
言い表せないもやもやを、アイラさんに打ち明ける。どうしてもあの夢は、何か大切なことのようだった気がするのだ。
「それって昔の?」
「はい、たぶんですけど……」
アイラさんはわたしの座っている正面の椅子の腰掛けると、真剣な表情で続きを待っている。
「でも、どんな夢だったのかまったく思い出せないですよ」
期待しているところ悪いが、特別な夢を見たということしか覚えていない。
「もしかしたら、アンリ君にとって嫌な記憶なのかもしれないね」
「嫌な記憶?」
アイラさんの問いかけの意味がよくわからず、聞き返す。
「私もね、本当に小さい頃のことなんだけど、嫌なことがあったらしいの」
そういって話を続けるアイラさんの顔には、やわらかい笑みが浮かんでいた。
「でもそれを周りから聞いただけで私はまったく覚えてないの、もちろん今もね」
おちゃらけて言ってはいるがそこから滲みだす雰囲気は、少し前の僕と似ている。まるで何もかも諦めてしまっていいるみたいだ。
「だから、無理に思い出そうとしなくてもいいんだよ」
きっといつか、思い出せるだろうし。と、言う彼女の言葉はどうにも引っかかる。
さっき見た夢は心地よい夢だった気がする、でもそうなのかも知れないとも思う。
僕が思い出したくないだけなのかもしれない。
「あ、先生に呼んで来いって言われてたんだ!」
突然、立ち上がり叫ぶ。焦ったようにわたしの手を引いて駆け出す。
怒られる! とあせるアイラさんを見ながら考える。
このままでいいのかもしれない、記憶がなくたってわたしにはかけがえのない人達がいるんだ。そう考えると、思わず笑みがこぼれてしまう。
「笑ってないで走って!」
翠玉は失くしてしまったはずの夢をみました。
あの頃のきみが、幸せそうに笑う夢を。
#あの頃の夢をみた
https://shindanmaker.com/480975
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