第36話 人間ごっこ 1-13
予想通りの答えを老執事から聞いたゼロは、その後老執事の案内で領主館に着いた。
「ただいま戻りました。ゼロ様も御一緒です」
老執事が玄関を開け、ロビーで待っていた侍女たちに指示を出していく。
指示を受けた数人の侍女たちは、蜘蛛の子を散らすようにバラバラに行動し始める。
「ゼロ様。少しの間控え室でお待ちくださ——」
「ゼロ殿!よくぞ来てくれた!さぁさぁこっちだ。ついてきてくれ!」
勢いよく廊下から出てきたのは、この館の主人であるノルン・フォン・ヴァイマール。
身に纏う服は面会用の服装ではないのか、後ろに着替えのドレスを持った侍女たちが慌てている。
老執事の方を見ると、眉間に寄る皺を指で摘み、固く目を閉じていた。
いつものことなのだろう。
苦労していそうだ。
「......ということですので、もう暫くお待ちいただけますか?」
「......そうします」
•••••
老執事と侍女たちに無理矢理別室に連れて行かれたノルンを見送った後、ゼロは侍女に面会室で待つよう言われ、今は面会室にいる。
初めて通される部屋だ。
ロビーや食事をする部屋とはまた違い、とても落ち着いた感じの色が使われている。
今回も乾燥させた植物から淹れた飲み物を出されたが、ゼロが手をつけることはない。
暫くすると、廊下を歩く複数の音がしてきた。
(やっと来たか。ただの着替えにどれだけ時間を使っているんだ)
侍女たちが扉を開け、ノルンとその後ろにレドモンドという形で入室してくる。
先ほどの大胆な行動など全く想像できないほど冷静そうに見える。
ノルンはゼロに軽く微笑むと、ゼロと対面する席にゆっくりと腰を下ろす。
(さて、どう切り出してくるか?)
「それで、私にご用件があるということでしたが」
「えぇ。ゼロ様の持っているポーションを売って欲しいのですわ」
(......直接か......)
老執事は先ほどのポーズだ。
老執事の皺はどんどん深くなっていきそうなレベルだ。
ノルンは相変わらず微笑んでいる。
ずっと見ているとだんだん不気味に見えてくるのは失礼だろうか。
「?ポーションですか?」
「えぇ。ゼロ殿が冒険者ギルドの受付嬢に使ったポーションですわ」
「申し訳有りませんが、あれはもう無いのですよ」
「......いいえ、ありますわ」
(どういうことだ......何故そんなに自信満々な表情で言い切れる?)
ノルンの表情は変わらず、ずっとゼロを見ている。
とても怖い。
「......商人として本当に申し訳ないのですが、あれの大半は野盗に襲われた時に紛失してしまっていて、残りは一つを残して負った怪我を治すのに使ってしまって、今回のが最後の一つだったのです。申し訳有りません」
一瞬ノルンの表情にヒビが入る。
しかしすぐに表情が治ると、再び——
「白金貨1枚で買いますわ」
(なるほど、そう来たか。ならばこちらも乗ってやろう)
「ですからもう無いのです」
「では白金貨5枚で」
「私を襲った野盗を捕まえてみれば、もしかしたら見つかるかもしれません」
「では白金貨7枚」
「申し訳有りませんが」
「白金貨8枚」
後ろに控えている老執事たちの顔色がだんだんと青白くなってきている。
(先ほどから白金貨白金貨と言っているが、それほど価値が高いのか?価値的には金貨の一つ上の位か?)
白金貨とは金貨の二つ上の位の硬貨であり、内都市の伯爵家や周囲に争うような隣国が無い辺境伯には、なかなか出せない金額になる。
戦争が起きる確率が高いこの街の領主だからこそ出せる金額だ。
そんなことゼロは知らないわけで——
「本当に申し訳ありません」
「9枚」
「申し訳有りません」
「......10枚」
(お?少し躊躇ったな。そろそろ限界か?)
「申し訳有りません」
「11枚」
「申し訳有りません」
「12枚」
「申し訳有りません」
「......いい加減売りなさい!」
(そう来たか。もう限界か?)
「申し訳有りません」
「なっ......う、売らないと言うのなら力尽くで——」
突然ノルンは立ち上がり、ゼロに掴みかかろうとした。
「本当に出来ると御思いですか?」
(私の情報を集めているのなら、冒険者ギルドでの成績も知っているだろう)
「くっ!......」
ノルンは悔しそうに、出した手を引っ込めると、どっかりとソファーに腰を下ろす。
そして数秒後、再びゼロを見て——
「売りなさい」
(おいおいまだ続けるのか?)
「申し訳有りません」
「売りなさい」
「申し訳有りません」
「売りなさい」
「申し訳有りません」
「売ってください」
「申し訳有りません」
「売ってください」
「申し訳有りません」
「売ってください」
•••••
壊れたレコードを二つ交互に流すかの如く会話は、ノルンの根負けに終わった。
何も生まない会話は実に1時間に達した。
今も壁際に立っている人達には——特に老執事には——辛いだろうから、座るか退室するかを勧めたが、きっぱりと断られた。
そのため今も壁際に立っている。
「息子が病気なのです」
「申し訳あ......そうなんですか」
(突然なんだ?)
ノルンは暗い表情でポツポツと話し出した。
「神官には重い皮膚病だと言われましたわ」
「......」
「教会の販売している色々なポーションをを試しましたわ。でもどれも全然効かなくて」
「......」
「症状はどんどん悪化して、今ではベッドから起き上がることもできないくらいに弱ってしまっています」
「......」
「息子は長男としてこの家を継がなくてはいけないのです。でもその見た目が貴族社会で生きていくには大きな枷となるのは必然のこと」
「......」
「最近になって更に悪化してきて、あまりの痛さに苦しさに「殺してくれ!」なんて言ってくるのです......。そんな時ゼロ様が使ったポーションの話をお聞きしたのです。どうか。どうか息子を助けてください!」
そう言うとノルンは立ち上がって腰を折り、ゼロに頭を下げた。
下げた瞬間、涙を流しているのをゼロは見た。
本当のことか?などと疑ったゼロだが、後ろの壁際に立っている使用人全員もノルンと同じように頭を下げていることから、おそらく事実なのだろう。
ノルン達は頭を下げ続ける。
(貴族がここまでする理由......後継のため......いや、母親として、息子のため......か)
「......」
「......」
「......一つ貸しだ」
「......!」
言葉の意味を理解したノルンが、バッ!と顔を上げる。
「その息子とやらのところに案内しろ」
「じゃあ、それじゃあ!ポーションをくれるのですか⁉︎」
「そうだと言っている。さっさと案内しろ」
「こ!こっちです!」
誰もゼロの言葉使いを気にしていないようだ。
ノルンは勢いよく部屋を出て行く。
ゼロはゆっくりと腰を上げると、その後を追う。
そのゼロの後を部屋にいた使用人全員が付いてくる。
(別に全員来なくたっていいだろ)
長い廊下を進むと、やがてノルンが入っていった部屋に到着する。
扉は開いており、中にはノルンと、ベッドに横になっている青年?がいた。
皮膚病と言われただけあり、青年の皮膚の全てがボコボコに膨れ上がっており、表面はかさぶたに覆われているようだ。
(これは......なるほど確かに枷になりそうだな)
「ゼロ様......」
「安心しろ。これくらいなら余裕で治せる」
ノルンが不安そうに聞いてきたので、安心させるためにそう答えた。
(いつの間にか敬称が"様"になっているのだが、お前達は止めなくていいのか?)
部屋の隅に固まっている使用人たちに、心の中で聞いてみた。
返事はない。
あるわけない。
実際
しかし
そのためノルンと使用人たちには部屋から出てってもらう。
今この部屋にいるのはゼロと青年だけだ。
ゼロは青年が横になっているベッドに近づく。
「起きているのか、聞こえているのかわからないが、ゼロという者だ。今から君の病気を治す。少しの間焼けるような痛みを伴うが、死にはしない。それにその痛みさえ我慢すれば、普通に暮らせるようになるだろう。では始める」
返事はない。
この状態じゃ返事などすることはできないだろう。
はなから返事を期待していなかったゼロは、青年の身体の複数箇所から
数日かけてゆっくりと改善していく方法もあるが、それはゼロの予定を狂わすために、ゼロは今日中に決着をつけるつもりだ。
数分後、青年がうめき声を上げだした。
しかしゼロは動きを止めない。
ゼロと青年の格闘は数十分に及んだ。
•••••
「......痛い......⁉︎こ、声が......僕の声が!痛っ!」
「まだ完治していない。声を出すな。動くな」
「......ゼロ、さん、でしたか?」
「なんだ、聞いていたのか」
「それくらい、しか、できないもの、ですから」
「そうか」
「......あの......僕の身体は——」
「時期に良くなる。だから今は安静にしておけ」
「わかり、ました」
ゼロが帰った後、皮膚の状態がどんどん良くなっていく息子の様子を見て、ノルン達は再び涙を流したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます