第27話 人間ごっこ 1-4

少し前のこと。

広すぎず狭すぎず、そして下品にならない程度の装飾——絵画や置物など——がされた一室。

部屋の中央には大理石で作られた重厚で立派なテーブル。

それを囲むように設置された、あるモンスターの皮がふんだんに使用された豪華なソファーは、優しく人を受け止めるために柔らかく盛り上がっている。

そしてその一つの一人席——上座——に腰をかけているのは、この部屋、この屋敷の主人であるノルン・フォン・ヴァイマール辺境伯だ。

その真っ赤に染まった長髪と目は、まさに紅蓮と言えるような力強さを感じさせる。

さらにそれらの力強さを強調させている、黒色で統一されたドレスは、彼女の美しさをも強調していた。

彼女は結婚していて子供も2人いる。年は28。

スカートの隙間から覗いた組まれた足は今尚艶かしく、会う男性のほとんどの心を揺さぶってきた。

その彼女が目の前の男に問いかける。


「スパイ?」


壁際に立っている男、新たなる息吹のリーダー、ケインが緊張した面持ちでそれに答える。


「はい。地震が起きた後街の警備を行っていたのですが、怪しげな男3人がいたため声をかけたら、いきなり斬りかかってきましたので捕縛しました」

「それで?」

「それで......衛兵に突き出したところ、一人の荷物からこんな物が出てきました」


そう言ってケインは服の中に入れていたものを取り出すと、——ノルンの背後にいるレドモンドが近づいてくるので——レドモンドに渡した。

レドモンドはそれをノルンに渡す。


「これは......アルモニア王国の紋章......」

「......」


渡されたのは、領土が接している敵国、アルモニア王国の紋章が記された短剣だった。

しかしこれだけでアルモニア王国の密偵が入り込んでいると考えるのは浅はかだ。

もしかしたら第三国の策略かもしれない。

......だが、偽物にしては精巧過ぎる。

紋章入りの短剣などは、普通大貴族の当主または次期当主、国の重役が持っているものだ。

もしこれが本物で、かつ本当にアルモニア王国の密偵ならば、その密偵はかなりの地位にいる人物になる。

これは戦争が起きてもおかしくはないレベルだ。


「......これはこちらで対処しますわ。ご苦労様、もう下がっていいわ」

「わかりました、失礼します」


ケインが部屋から出て行き扉が閉まる。

その後数秒の間沈黙が続いた。


「レドモンド、これを王都に伝えます。念のため、アルモニア王国かどうかの判別がつきにくいことも併せて」

「かしこまりました。直ぐに早馬と伝令を複数用意いたします」

「行って」

「は!」


レドモンドが一礼して部屋を出て行く。

その後、その部屋に重い溜息が落とされた。


•••••


貧民街スラム街のナターシャの家を拠点にしたゼロのここ最近の日課。

深夜、1人でダンジョン探索と大量の携帯食料を受け取る。

朝、子供達の様子を見てからギルドで素材を換金。

昼、市場の見学、子供達の教育。

夜、子供達が寝たのを確認してから少し睡眠。

そんな規則的な生活が数日間続いた。

そのお陰でと言っていいのか、途中ちょっとした事故があったりもしたが、ダンジョン探索は順調に進み討伐部位の売却による資金は潤沢に潤った。

食べ物に掛かるはずの代金が0なのだ、得られた資金は全て貯蓄されている。

潤わないはずがない。

そしてその驚くべき納品量によりほとんど全てのギルド職員から尊敬の念を持たれることになった。

「冒険者ではない、商人の男が驚くべき成果をあげている」という噂はすぐに広まり、ポルガトーレにいる冒険者で、ゼロのことを聞いたことがない人間はほとんどいなくなった。

そして当然、その噂は冒険者ギルドの長であるギルドマスターや領主の耳にも入った。


•••••


冒険者ギルドの一室。


「突然現れた商人。だがその腕は冒険者以上、か。なんとか取り込めないのか?貴族に取り込まれる前に」

「職員の方へは冒険者になるよう勧めることを言い聞かせておりますが、未だ良い返事はもらえていません。取り込むのは難しいかと」


その言葉に、部屋に設置された長机の上座に座る壮年の男が、腕を組み唸る。

今この部屋には、上座に座る男性と、上座から斜め右の位置に座る、受け答えをした女性。

さらに斜め左には、長く伸ばされた灰色の髭を持つ男性が無言で座っていた。


「......他に、その商人についての情報はあるか?」

「度々貧民街スラム街に出入りしている、というものがありますが......」

貧民街スラム街?何でまた、そんなところへ......」

「情報では、貧民街スラム街の子供達に食べ物を与えているとか」

「なぜそんなことを......その者は商人だろ?」

「最初にギルドに訪れた時、確かに商人と名乗ったそうですが、まだ商売をしているところを目撃はされていないようです」

「まだ商売権を手に入れていないだけだろ。......他に情報はあるか?」

「いえ、特には」

「メルトはどうだ?」

「......特には、ないな。じゃが」

「?」

「書物が好きなようじゃ」

「......そうか。......情報が少なすぎる。しばらくは様子を見よう。では、今日は解散だ」


•••••


ある日のこと。

最近、ゼロのモンスター討伐が進むにつれ、それに比例して冒険者ギルドの売上が上昇してきている。

だがそれに反比例するかのごとく——実際している——冒険者達のモンスター討伐の成果は著しく下がっていた。

ゼロという男の噂が立ち始めた時は、「商人が調子乗ってんじゃねぇ」と心の中で叫んでいた者も何割かはいたが、ほとんどの冒険者は無関心無反応であった。

しかしゼロの噂が大きくなるにつれて、目に見えるように自分達の成果が落ちていく。

これはダンジョンというもののシステムが関係していることなのだが、まだ誰も——ゼロも含む——知らない。

今まで無関心無反応の態度だった冒険者達も、ここまでくると無関心無反応を貫くことなどできない。

何しろ自分達の、または家族の生活がかかっているのだ。

ゼロに白羽の矢が立たないわけがない。

ゼロに恨み嫉みの目線が向けられないわけがない。

冒険者ではない男、しかも商人という金勘定しかできないヒョロイ男が、自分たちの狩場を荒らしている。

そう思われないわけがない。

そんな時「あの男が冒険者だったら!」という思いが冒険者達の心の共通の叫びだ。

ゼロが冒険者であったなら、他の冒険者達はゼロに殴りかかる勢いで絡んでいただろう。

だがゼロという男は商人だ。

商人に手を出すのはまずい。

そのことを大抵の人間が知っている。

この街は食料の生産量がとても低い。

それも「生産していない」と言えるほどに。

故に他の街や村から食料を仕入れこの街に売りに来る商人には皆慎重な態度をとる。

王命によりこの街では、物価の最高値は領主の裁量によって決められる。

それにより食料を売りに来ている行商人が異常な価格を設定し、街人から搾取するなどはできない。

しかし、売る売らないの権利は商人達にある訳で、「この街は商人達に対する態度が悪い」なんて情報が商人達の間に広まった場合、この街に食べ物が届かないという最悪の事態になりかねない。

もしかしたら行商人から定価で買った品物が、街人により倍価で売られるかもしれない。

もちろんそんなことが起これば領主が対応はするだろうが、一瞬だけでも食料の価格が上がれば、それだけで多大な被害を生むだろう。

それはこの街の住人だからこそ、被害を受けるのが自分達であるからこそ十分に理解していると言える。

だがそれを理解していても、理性より感情で動く者はいるもので、今までは誰も触れようとしなかったが今ではそのほとんどの者がゼロに良くはない感情を抱いている。

それに冒険者達はすでに被害を受けている。

ちなみに最も被害を受けているのは、ダンジョンの深層まで潜れない初心者や初見者だ。

ここまで来て動かないはずがない。

その者達は、「周りが賛同してくれたから」や「自分達は正しい」などと言わんばかりの表情でゼロに近づいていく。

ゼロは受付で討伐部位の換金手続きをしていた。

今日も受付嬢と会話を弾ませていやがる!——と、勝手に思っている——。

その男の周囲から舌打ちが幾つか聞こえる。

その舌打ちをしている者達も同じことを考えていた。

あの眩しい笑顔が!"俺の"ミカンの笑顔があの憎き男に向けられている!クソッ!クソクソクソッ!許さねぇ......ゼッテェー許さねぇ......ぶっ殺してやる!

心と考えが同じ男達が、囲んでいたテーブルから離れゼロの方へ向かう。

男達がゼロに近づき声をかけようとした瞬間——


「私に何かようですか?それともミカンさんに?」


ゼロが振り向き、先に男達に話しかける。

全身鎧にフード付きマント、と全身黒ずくめの装備。

顔には兜、とその顔を晒したことは一度もないと言われている男。

その兜、その目線が自分に向けられ思考が止まる。

......ヘッ!どぅせ醜くて見せらんねぇんだろ。ざまぁねぇな!

男達は一瞬その状況に固まったが、思考が戻ってくると直ぐにゼロに食って掛かった。


「おいテメェ!俺たちの狩場荒らしてんじゃねーよ!」


高身長のゼロにゼロより10cm程小さい男が吠える。

その切り出しに周りで見ている中堅クラスの冒険者からは「もっと言ってやれ!」や「あーあ、ついにやっちゃったよ。私は関係ないから」などと、下級からは小さく「......がんばれぇ......」と声が漏れる。

どうやらゼロは冒険者ギルドに歓迎され、冒険者に敵対されたようだ。

しかしゼロは初めからそうなることを予想していた。

それを理解した上でこのような結果を生む行動を取っている。

だが何も敵対されるのが狙いではない。

敵対とは、この結果についてきた"おまけ"のようなものでしかない。

極論、ゼロにとって冒険者が、冒険者の生活がどうなろうとどうでも良かった。

ゼロにとっては無価値な存在。

それがどうなろうと知ったことではない。

ゼロにとって今重要なことは次の3つだ。

サンプルとなり得るものを集めること。

資金を集めること。

子供達の生活を助けること。

この3つだ。

それ以外は今はどうでもいい。

ゼロの中では上から「愛し守るべきもの」、「価値あり守るべきもの」、「価値あるもの」、「価値なきもの」、とはっきりと物事の区別がつけられている。

助けた子供達は「価値あり守るべきもの」であり、冒険者「価値なきもの」にあたる。


「......」

「ああ⁉︎なんか言ったらどーだ!」


......つまらん......相手してるだけ時間の無駄か。

ゼロは受付嬢ミカンに向き直り手続きの続きを行う。

そのゼロの行動にギルド内の空気が一瞬止まる。

無視。

それは「興味ないで」と相手を自分の空間から除外し、且つそれを相手に理解させる行為。

無言の侮辱とも言えるその行為に、野次を飛ばしていた冒険者達や、静かに見守っていたギルド職員達は一瞬言葉を失った。

そして無視された当の本人は、自分が無視されたと理解すると額に青筋を浮かべてゼロに殴りかかろうと拳を突き出す。

「ああ!」や「おお!」、「やれ!」という心の中か実際に出しているのかわからない野次が飛ぶ。

突き出した拳がゼロの頭に直撃、する前に男が後方——ギルド入り口付近——までくの字で吹っ飛んだ。

バキッ!という木材が歪み亀裂が入る音と、ぐはぁぁ......という、肺から全ての空気を無理やり吐き出された時に出る音が同時に出た。

その男は気絶してそのまま横に倒れる。

そしてまたギルド内の空気が一瞬止まる。

いや、静寂が訪れたと言うべきか。

全てのものが呼吸をすることを忘れたかのような、呼吸することが許されないような、そんな静寂。

そしてギルド内にいるもの達全ての視線がゼロに向かう。

そのゼロは、引きつった笑顔をしているミカンから報酬の入った袋を受け取ると、そのまま足音——足音がよく聞こえるくらいに静か——を立てながらギルドを出て行った。

ゼロがギルドを出る瞬間、小さく発した言葉をその場全員が耳にした。

「次は......殺す」

その言葉をすぐそばで聞いた冒険者達は震え上がる。

その者達はその日の夜、まともに寝ることができなかった。


•••••


またまたある日のこと。

子供達の体調が安定してきて、ゼロやメネア、ナターシャに懐き始めた頃。

夜、子供達がスヤスヤと眠っているのを確認したゼロは、いつものように少しの間睡眠をとるため、貸してもらっている一室に向かった。

そのゼロの後ろ姿を目で追い、ゼロが完全に見えなくなったのを確認すると、2人の少女が互いに頷き合った。

1人は口に笑みを浮かべ、もう1人は不安そうな表情をして。

メネアとナターシャはついにこの作戦を今夜、決行する。

その名も「ゼロ様の素顔見る作戦」だ。

ゼロはこの世界に来てから一度たりともヘルムを外していない。

故にゼロの素顔を見た者はただ1人もいないのだ。

ゼロとのこういう生活に慣れてきたメネアやナターシャでさえ見ていない。

顔がかっこいいとか、かっこ悪いとか、はどうでも......よくはないが、それはこの際関係ない。

顔を見せてもらうことに意味がある、とメネアは考えたのだ。

それは"信頼"、"信用"という、"人と人との関係"を続ける上で人間にはとても重要なことだ。

......というのは建前。

メネアは純粋に、自分達が頼っている人の素顔を見たいだけだった。

それはナターシャも同じ。

最初は協力するかどうかで渋っていたが、メネアが「ゼロ様の秘密」というフレーズを出した途端に了承した。

そして2人は今、ゼロの部屋の前まで来ている。

そしてゆっくりと扉を開ける。

ギ、ギィィィーーー。

ナターシャは普段生活する上で、扉の開け閉めで出る音など気にしていなかったが、この日この時初めて後悔した。

とりあえず1人ずつ入れるだけの隙間を開ける。

ゆっくりと抜き足差し足で部屋に入る。

窓から射す月の光が部屋の中を照らし、また影を作る。

ゼロはそんな光に照らされたまま床に、背を壁に預けて座っていた。

メネア達はこれがゼロの寝方だと知っている。

故に起きているなどとは考えていない。

何処を踏むと音が鳴るかを、ナターシャがメネアに指差しで教えていく。

2人の身軽な少女は、音の出る場所を避けながらジグザグと進み、ゼロに近づいていく。

そしてやっとゼロの前までたどり着いた。

そしてメネアがヘルムに手を伸ばす。

その様子をナターシャが不安そうに、また別の意味でドキドキしながら見守っている。

そしてメネアの手がヘルムに触れる。

触れた瞬間、メネアは少し安堵した。

もしかしたらゼロに近づく前に気づかれてしまうかも、と思っていたからだ。

だからこそ触れることができた時すごい達成感を感じた。

冷たい。

それが、ヘルムを触ったメネアの感想だ。

時間に余裕はない。

メネアは両手でヘルムを掴むと、ゆっくりと上へ上げ......ることができない。

重いのかもしれない......。

その答えにたどり着いたメネアは次は力を入れて、踏ん張る形で持ち上げ......ることができない。

そして驚愕する。

兜とはこんない重たいのか?

ゼロ様はいつもこんな物を被って生活しているのか?

実際のところヘルムは全然重くはない。

ただ、強化外骨格アーマーとして機能している間は、使用者の意思で外そうとしない限り、ちょっとやそっとの力では外すことなどできないのだ。

今のヘルムは胴体部分に物理的に接続されているため、メネアがヘルムを脱がそうとする行為は、つまり強化外骨格アーマーを着たゼロを持ち上げることに等しい。

強化外骨格アーマー自体はそれほど重くはないが、華奢な少女にできることではない。

だがそれを理解していないのか、はたまた理解した上で意地でも脱がそうとしているのか、未だに踏ん張っている少女2人を、ゼロは眺めていた。

......夜中に部屋に入ってくるから、何のつもりかと思ったが......まったく......何やってんだか......。

ついには力の入れすぎで、「んー!」などの声が聞こえてきた。

もはや起きても問題ないと言わんばかりの行動である。

ゼロが少し身体を浮かせる。


「「あ!取れた!」」


2人揃って声を上げる。

うるさい。子供達が起きたらどうするつもりだ。


「それは違うぞ2人とも」

「え?......」

「......」


ゼロは身体を浮かせた後そのまま立ち上がった。

その様子を2人はポカーンとした顔で見る。


「お、起きちゃったんですか?」

「そうだな、見ればわかるだろう」

「......」

「そ、そうですよね⁉︎私としたことが」

「......」

「で、何の用だ?こんな夜中に」

「え、え〜っと、それは——」

「メネアがゼロ様のお顔を見たいって、それでわ、私も!」

「ちょ!ナターシャなに言って——」

「それは本当か、メネア?」


ゼロがメネアに向き直り顔を近づける。

ヘルムを被ったその姿で迫られると、かなりの重圧感がメネアにのしかかる。

そのメネアは、ゼロから視線を外して目を横に向けると、口の端から舌を少しだけ出して——


「てへっ☆」


と言った......。

その後、メネアとナターシャ——特にメネア——はゼロに説教を受けるのだった。

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