ライバル

 続くフルート、ホルン、トロンボーンのソロ選びと、終わった後に新曲の譜面が配られたが、その間の記憶があまりない。叫び出したいくらいの嬉しさを胸に押さえつけながら、隣のコットンが唇を噛み締めて震えて何かを堪えているのを感じていたたまれない気持ちにもなっていた。


 コットンはライバルで、私は今回の勝負に勝てて心から嬉しい。だけど、今のコットンの前で大喜びする気持ちにはどうしてもなれなかった。


「それじゃあ今日は終わりにしよう」


 カミーユの言葉でコットンが弾かれたように立ち上がる。頭を垂れたまま足早に席を離れた。私はその後姿をしばらく見つめて、見えなくなる頃に反射的に立ち上がった。


 私は何をしているのだろう。何を彼女に言うつもりなのだろう。


 そんな疑問を抱えながらも、足は止まることがなかった。


「コットン!」


 呼び止めると、驚いた表情で振り返る。その瞳は僅かに赤くなっていた。


「あの……」

「何よ、嫌味でも言いに来たわけ!?」


 鬼のような形相で怒鳴られる。怯みそうになったところを拳を握って堪え、私は口を開いた。


「貴女のクラリネット、悔しいけれどすごく上手い。メアリーやカミーユが言ってたように、技術的には私の方が劣ってる」


 コットンは顔を歪めて私に背を向けた。


「だけど!」


 話を最後まで聞いてほしくて、私は必死に声をあげる。


「私も負けない! これからも、貴女を追い抜くために努力する!」


 背を向けたコットンは歩き出さずに立ち尽くしている。


「だから、友達にはなれなくても、私はコットンのライバルになれるように頑張るから!」


 私はちゃんと伝えたかった。コットンにライバルとして私を意識してほしい、と。ライバルとしてのコットンを、私はちゃんと尊敬していると。


 口にしていてそのことに気がついた。だけど、素直に尊敬しているだなんて言いたくないから、私はそうやって回りくどく言ったのだ。


 しばらく固まっていたコットンは、


「……次は負けない」


 と、しっかりとした言葉で言ってから、そのまま歩いていった。その言葉は、私にとってとても嬉しいものだ。


「おい」


 コットンの背中を見送ってそのまま立ち尽くしていると、不意に私の頭に温かい手のひらが乗る。


「こんなところで何をぼーっとしてんだ」


 見上げると口の片側を上げたアルフレッドが立っていた。


「帰るぞ」


 アルフレッドが先に歩き出す。私は小走りで追いついて、アルフレッドと並んで歩く。


「アルフレッド、おめでとう」

「ああ。まあ当然だな」


 いつもの通り自信満々な顔だけれど、いつもよりも嬉しそうな笑顔をしているので、やっぱりアルフレッドだって嬉しいのだろう。


「本番までちゃんと練習しろよ」

「?」

「まさか今日の演奏で満足したわけじゃないだろう?」


 何のことを言っているのか一瞬わからなかったのだけど、すぐに私のソロのことを言っているのだと気がつく。


「俺の後に吹くんだ、完璧な演奏をしてくれないと俺の演奏にもケチがつく」


 ぶっきらぼうにそう言うアルフレッドの横顔を見ながら、ああアルフレッドは祝ってくれているんだと気がついた。


「ありがとう」

「は? 礼を言われるようなことは言ってねえが?」

「そんなことないよ」


 アルフレッドは不満そうだが、私はすごく嬉しくて笑いが込み上げてくる。ソロが決まった時の嬉しさが再び胸に戻ってきた。


「アルフレッドには負けないからね!」

「ふん、俺に勝つだなんて生意気なやつ」


 そう言うアルフレッドは少し嬉しそうに目を細める。


「俺も負けねえぞ。今日の演奏よりさらに進化して本番を迎える」

「これ以上進化するつもり!?」

「当たり前だろ」


 アルフレッドに「負けない」と言わせられたことが嬉しい。何だか無性にアルフレッドに抱きつきたくなって、でもそんなことできないから、右の肩でちょんっとアルフレッドの腕に触れてみた。


「へへへ」

「んだよ、へらへらしやがって」


 私がくっついたのに、アルフレッドは特に距離を取ることもなくそのままにしてくれる。触れた肩が熱い。どうしようもなくアルフレッドが好きだ。この想いを演奏に込めて、アルフレッドもそれに気がついてくれればいいのに。




 定期演奏会が近づいてくるにつれて、練習がどんどん忙しくなってくる。合奏練習の日も増えて慌ただしい毎日だ。


 最近はアルフレッドも金管リーダーとしての仕事が忙しくて、話す時間が減っている。店番も一人ですることが増えていた。それがすごく寂しくて、同時に不安にもなる。


 金管リーダーとしての仕事をしているということは、同時に木管リーダーであるメアリーとの時間が増えているわけでもあって。私の知らないところで2人がどんな会話をしているのか、もしかしたらいい関係になってしまうんじゃないか。そんな不安がとめどなく押し寄せてきて、どうしようもなく苦しかった。


 そんなある日。地獄の三時間ぶっ通しの合奏が終わってヘトヘトになっていると、指揮者台の前でカミーユとアルフレッド、メアリーの三人が何やら話し込んでいるのを見つける。


 アルフレッドとメアリーがとてもお似合いに見える。心なしかアルフレッドと話している時のメアリーは嬉しそうだ。そう思うと苦しくて、私は2人から目を逸した。


 こんなにモヤモヤするならメアリーとのこと、早く聞いておけばよかった──


 今更後悔しても遅い。私は手早く楽器を片付けてホールを後にする。私とアルフレッドの関係も明確にならないままだし、今メアリーのことをどう思っているかも聞けていない。


 はぁ、とため息をつく。今は演奏に集中しなきゃいけないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る