高い壁
凱旋パレードと聖夜祭が終わり、王立吹奏楽団は年に二度開催されるという定期演奏会に向けての練習が始まった。
「うーん」
私はオズ楽器店で店番をしながら、もらったばかりの新曲『グローバル・トリップ』の譜面とにらめっこしている。流石に定期演奏会用の楽曲だけあって難易度が高い。曲調がコロコロ変わるのに合わせて拍子も変わるし、リズムの取りにくいメロディや連符もふんだんにある。
「ねー、アルフレッドー」
「あ? なんだ?」
アルフレッドは朝から預かっている楽器のメンテナンスをしていた。
「アルフレッドは譜読みしなくて大丈夫?」
「譜読みなら昨日終わらせたぞ」
「……は!?」
信じられない発言に思わず椅子から立ち上がる。
「終わらせたって昨日もらった譜面だよ!?」
「そうだな」
「本当に本当に終わらせたの!?」
「うるせえなあ、終わらせたっつってんだろ」
アルフレッドははぁ、と一つため息をついて、自分の楽器を取り出した。
「そんなに言うなら聴かせてやるよ」
結果を申し上げますと、完敗です。アルフレッドは完璧に演奏してみせたのだ。
「し、信じられない……」
「ふん、俺を誰だと思ってんだ」
アルフレッドは得意気にそう言って楽器を仕舞う。本当に天才だな、この人……。
「悔しい……」
「はっ、俺に対抗しようとするなんて百年早いな」
「くっ、テンプレの嫌味……!」
悪態をつくが、アルフレッドが完璧に演奏できていたことは確かだ。私は時間がかかってもやるしかない。
「むーっ」
「何むくれてんだよ」
アルフレッドはニヤニヤ笑いながら近づいてきて「どれ」と言って私から譜面を取り上げた。手を伸ばせば触れられる距離にいるアルフレッドにドキリとする。
聖夜祭の日、アルフレッドにキスをされた。告白はできていないけれど、あれから前よりも距離が近くなった気がするし、両想いなんだよね……?
そっと下から見上げるアルフレッドは格好いい。顔を見ているだけでドキドキするんだから、もうどうしようもなく私はアルフレッドに惚れているんだ。
「ふーん、なるほどね。メロディ多いし、クラリネットにとって美味しい曲だな」
「だけど、今回のクラリネット、難しいんだよー。連符多いしさ」
「それはクラリネットの宿命だろ?」
私の譜面をアルフレッドは楽しそうに見ていた。
「お、ソロあるじゃん」
「あー、うん」
今回のクラリネットにはソロが用意されている。文字通り一人だけが吹くことができる場所だ。
「お前、ソロ狙うの?」
「コットンがやるんじゃないの?」
「別に決まってるわけじゃねえよ。やりたいやつが手挙げて、カミーユと俺とメアリーが判断する。演奏を聴いてな」
「そうなんだ」
てっきり主席奏者であるコットンが吹くことに決まっているのかと思っていた。私でもソロ、狙えるのだろうか。
「私が手を挙げたら、チャンスあると思う?」
「さあ? どうだろうな」
アルフレッドは譜面を私に戻して自分の椅子へと戻っていく。
「さあ? って、真面目に答えてよ」
「少なくとも自信がないやつには無理だろ、ソロなんて」
「うっ」
「自分にできるのかな? って他人に聞くやつには難しいだろうな」
「ううっ」
痛いところをついてくる。私は胸を抑えてダメージを受けたアピールをした。
「もちろん俺はやるぞ」
「トランペットにもソロあるの?」
「あるぞ。クラリネットのソロの前にな」
「そうなんだ」
譜面に目を落とす。トランペットソロの後にクラリネットソロが来るのか。アルフレッドに受け渡されたメロディを吹く。たった五小節のソロだけれど、音も高いし、難しそう。何よりソロは重要だ。
だけど、これが吹けたら気持ちいいだろうな。私一人だけがメロディを演奏して、伴奏が何人もつく。演奏しているところを思い浮かべると、なんだかうずうずしてきた。
「……やりたい」
浮かんできた言葉をそのまま口にする。口に出すと、どんどんその気持ちが膨れ上がってきた。
「私、ソロやる!」
アルフレッドに向けて宣言する。すると、アルフレッドはニヤリと笑った。
「そうかよ。じゃあ譜読み頑張れ」
「うん、頑張る!」
私は楽器を手に持って再び譜面に向かい合う。よーし、やるぞ! ソロ吹くぞ!
初めての合奏の日がやってきた。私はアルフレッドの助けもあって何とか演奏できるところまでこぎつけた。
緊張しながら席につくと、私の右隣にコットンが座る。クラリネット首席奏者の席。この曲のソロを吹くことができる席。コットンからその席を奪いたい。そのためにも、今日の合奏を頑張らなくては!
カミーユが指揮台に上がると、自然と楽器の音が止む。
「それじゃあ始めようか」
音程を合わせてからまずは一度曲を合わせる。
「今日は初めての合奏だから、ソロは今まで通りの人が吹くようにしよう。正式には後日決めるよ」
そう指示を受けてからいよいよ合奏のスタートだ。
『グローバル・トリップ』は派手な始まりの曲。全員で一斉に音を出す。いきなりの大迫力に、演奏している私でさえも痺れてしまう。
この曲は旅を表現した曲。旅の始まりはワクワクするもの。大きな街を賑やかに飛び出して未知の世界へと足を踏み入れる。
初めの盛り上がりが落ち着いたところでトランペットソロが入り、続いてクラリネットソロだ。
アルフレッドの音。一音一音粒が立っていて、美しい。
続いてコットンがソロを吹く。聴いていると悔しいくらいに上手い。音が綺麗だ。だけど──
コットンの音は例えるならば優等生だ。誰が聴いても上手だと言うだろう。だけど、何か物足りない。私ならもっと強弱をつけて、感情を込めて演奏する。私なら──
気がついた時にはソロが終わっている。次の自分の出番に向けて楽器を構えた。
曲の中盤から終盤にかけて、転調が続きリズムが取りにくい。指が回らないほどの連符も続く。何とか食らいつくけれど、曲についていくのに必死だ。
しかし、隣のコットンは違う。難しい指運びも難なくこなし、クラリネット全体を引っ張っている。これが、今の私とコットンの実力差だ。
悔しい。悔しい……!
「うん」
曲が終わるとカミーユは一つ頷く。
「初めての合奏とは言え、まだまだ粗が多いね」
カミーユの厳しい指摘。その通りだと思うので、気を引き締める。
「これから直してほしいところをあげていくよ」
そう言ったカミーユは初めから次々と改善点をあげていく。一回の演奏でこんなにも指摘点を見つけ、覚えていることができるカミーユはすごい。そう思いながら、私もカミーユの言葉に耳を傾け、指示を譜面に書き込んでいった。
「これで今日は終わりだけど、最後に『グローバル・トリップ』のソロについて言っておくね」
カミーユは淡々とこう切り出す。
「今は仮でソロをやってもらっているけど「自分がソロをやりたい!」と、考えている人は次回の合奏後に申し出てほしい」
隣のコットンを横目で見ると真剣な表情でカミーユの言葉を聞いている。
「一つの楽器で複数の希望者がいた場合はその場で試験をする。ソロの部分を一人づつ演奏してもらう。そこで、誰がソロを吹くかを決めよう」
カミーユは全員を見渡して、何か質問がないかを確認した。
「じゃあそういうことで、よろしくね」
曲に必死に食らいつくのに体力を使って、私はもたもたとクラリネットの片付けをしていた。その間にコットンはさっさと片付けを済ませて去っていく。
「ソロ、どうする?」
目の前に座るフルートの人達が楽しそうに話している。
「私、挑戦しようかな」
「本当! 頑張って!」
ソロ、か。私もソロにチャレンジするつもりだ。この曲のソロを吹きたいし、演奏会で一番のメインであるこの曲のソロを獲得すれば、クラリネットの首席奏者に一歩近づける。
だけど、やっぱりコットンは上手い。今日の合奏でその実力の差を見せつけられた気がして、余計疲れているのかもしれない。あのコットンからソロを奪い取ることができるのだろうか。ソロを吹く気でいたのに、そのやる気が急速に萎えていくのを感じる。
私がソロに立候補して、果たして敵うのか。
「おい、シエラ」
ごつん、と頭を叩かれる。痛くはないその力加減。見上げると、アルフレッドが見下ろしている。
「帰るぞ」
「う、うん」
今日はもう夜なのでお店は開けないはずじゃなかったっけ?
それでも私はノロノロと立ってアルフレッドの背中を追う。アルフレッドはいつもよりも緩い歩調で、私はすぐに追いつくことができた。
「アルフレッド、今日お店は……」
「開けねえな」
「なら、何で……」
アルフレッドは口をへの字に曲げて私を見る。もしかして、一緒に帰ろうって誘ってくれたってこと?
わかりにくいアルフレッドの態度に、少しだけ心が温かくなる。だから私は、
「合奏、全然ダメだった」
と、素直な言葉を口にした。
「ついていくのに必死で、自分の演奏が全然できなかった」
「そんな顔すんな。お前がそんなんだと気持ち悪い」
アルフレッドは私の頭の上にボンッと手を置く。不器用だけど励ましてくれてる。それがわかって、心がだんだんと熱を取り戻りしてくる。
「それに、凹んでる暇なんてないだろ? 次の合奏でソロが決まる」
「でも、クラリネットにはコットンが……」
「お前、まだそんなこと言ってんのかよ」
アルフレッドに呆れ顔を向けられた。
「確かに実力で言うならお前よりコットンの方が上だろうけどな」
「うっ」
あっさりとそう言われて私の胸は痛む。
「技術だけじゃねえ。表現力だって必要だ」
「表現力……」
今日のコットンのソロ。完璧に演奏できてはいたけれど、少しの物足りなさを感じたことを思い出す。
「お前がこの街中の人間に嫌われていても、楽団のクラリネットの中で一番心に残る演奏ができればソロに選ばれる」
真剣な瞳に見つめられて、なくしかけていた自信と熱意が戻ってくる。
「お前は首席奏者になるんじゃなかったか?」
「……うん」
「じゃあ、黙って練習するんだな」
こくり、と頷く。
「俺はソロを吹くぞ」
「うん」
「俺の後に続いてソロを吹いてみろよ。最高の音でお前に繋いでやる」
「……うん」
そうだ、私は誰よりも上手いクラリネット奏者になりたい。アルフレッドと肩を並べられるような。
「アルフレッドの後でソロを吹きたい」
「ああ」
「アルフレッドに負けないくらいの音を出して、会場の人がアルフレッドのことを忘れるくらいの演奏がしたい!」
「……お前、俺に向かって、言うじゃねえか」
アルフレッドは目を眇めて微笑んだ。
「私、頑張る! ありがとう、アルフレッド!」
胸が高鳴る。アルフレッドと一緒に演奏したい。そのためにも、コットンには負けない!
「よし! 帰ったら練習だ!」
「近所迷惑になるぞ」
呆れた表情をするアルフレッドを見つめる。私、アルフレッドのことが大好きだ。そんなアルフレッドに認められるようにも、頑張りたい!
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