退場命令
会場につくと、既にリハーサルの準備が始まっている。
「それじゃあアルフレッド」
「ああ。ちゃんと後ろから聴いてるから。下手な演奏したら練習量増やすぞ」
「うっ……。わかった、頑張る」
「よし」
アルフレッドは私の肩を軽く叩いてからトランペットの場所へ向かっていった。頑張らないと。
「おはようございます!」
誰も返してくれないのをわかっていながら私は元気よく挨拶をして、椅子の準備に取り掛かる。
椅子と楽器の準備が終わるといよいよリハーサルだ。いつものようにオーボエ美女のメアリーさんの音に音程を合わせると、軍の関係者もやってきた。
「それではリハーサルを始めましょう」
軍の関係者が段取りを説明してくれる。まずは入場と共に一曲演奏。軍の偉い方の挨拶、凱旋してきた隊の隊長の挨拶。その後にもう一曲演奏。その後すぐに国歌を演奏し、退場と共にもう一曲演奏で終了だ。
演奏のタイミングは軍関係者がカミーユに知らせてくれるとのことで、私達楽団員はただカミーユの指示に従って演奏するだけである。
段取りの説明が終わると、いよいよリハーサルが始まった。まずは入場曲の演奏からだ。入場曲はビリク連隊。
楽器の温まりきらない一曲目から高音で目立つ曲を吹くというのはなかなか骨が折れる。だけど、せっかくカミーユが新人の私をファーストにしてくれた曲。役割はしっかり果たさなければ。
アルフレッドとの練習もビリク連隊を多めに練習してきたので、その甲斐もあってなんとか演奏しきることができた。まだまだ未熟なところはあるが、それは本番までにさらに練習しておこう。
「……ちょっとすみません」
ビリク連隊の演奏が終わったところで軍の関係者がカミーユに声をかける。何か不備でもあっただろうか、と全員の視線も集中した。
「あの、私の見間違いでなければ……」
軍の人の視線がチラリと私を見る。
「シエラ・ウィドウがいるように見えるのですが」
私!? 嫌な予感が全身を駆け巡る。
「はい、そうです。新人として先日入団しました」
カミーユが肯定すると、軍の人は遠慮なく私を見た。例に漏れず、悪意を持って。
「何故シエラ・ウィドウなんかを……」
「実力は折り紙付きです。ご安心ください」
「そういう問題ではない!」
軍の人はカミーユの言葉を強く遮る。
「王族はそれでよくても、軍の関係者にはシエラ・ウィドウの被害者の家族がいます! 凱旋パレードにいてもらっては困る!」
被害者、という言葉が私の胸を刺す。私が虐めていた人の家族、ということなのだろうか。私は目の前で行われているやり取りを他人事のように聞いていることしかできない。
「ですが彼女は……」
「楽団に入れることは勝手だが、軍の式典に彼女を出すことは許可できない。外してくれ!」
「……わかりました」
困り顔のカミーユが私を見る。私に退席しろと、視線で言っていた。私は楽器と譜面を持って立ち上がる。何か言おうとしたのに喉が乾ききって声が出ず、ただ頭を下げることしかできなかった。
追い出されてしまった私は広場を後にし、ぼんやりと歩いていたら自然とオズ楽器店についていた。アルフレッドから預かっている鍵で中に入り、暗い店内に置いてある椅子に腰を下ろす。家に帰ったほうがいいのだろうけど、そういう気分にはなれなかった。
思えば、この世界で私を受け入れてくれている場所はここだけだ。両親は優しくしてくれるけれど王立吹奏楽団のことは未だ話していないし、どこか気を使っているので心から気が休まるのはここだった。
何処へ行っても嫌われ者のシエラという見方がついて回る。それから解放される唯一の場所がここなのだ。
私は楽器のケースを開けてクラリネットを組み立てる。私はただ楽器を演奏したいだけなのに、どうしてこうなるのだろう?
やっぱり私は今世でもやりたいことを諦めなくてはならないのだろうか。組み立てたクラリネットを指で撫でる。
何となく楽器を構えて音を出す。嫌いな人の演奏なんて聴きたくない。その気持ちはわからなくないけれど、そうしたら私はどこで演奏したらいいのだろう。
パレードで演奏する曲は吹きたくなくて、私は思いついた前世の曲を演奏し始める。曲は『追憶の彼方へ』。中学校三年生の時のコンクールで演奏した課題曲だ。
この曲は課題曲にしては暗く、怪しげな雰囲気が気に入っている。久しぶりに吹くのに、不思議と指は覚えていた。
高学年として後輩を指導しながら演奏をしていたことを思い出す。この時は同じパートの後輩がなかなかの問題児で手を焼かされた。今となってはいい思い出だが、当時は辛かった。
やる気がなく下手なのにやたらと音が大きな後輩。怒らなければならなかったのに、怒ることが苦手な私には難しい相手だった。
それでも勇気を振り絞って向き合って、話し合い、最終的には仲良くなれたんだ。
私はひとりきりでその曲を吹き続ける。
あのメンバーでまた演奏ができたら楽しいだろう。思い出話をしながら、飽きるまで演奏をしていたい。
この世界で楽団に入ったけれど、やっぱり中学や高校の時のバンドの音とは違う。同じ楽器が集まっているのに、あの時のメンバーでのあの演奏はあの一度きりなのだった。
それに、私はもう死んでしまった。もう二度とあのメンバーで演奏することはないし、この曲だってこの世界には存在しないのだから、演奏することはできない。
もう戻れない。私は二度と日本に帰れない。親や友達にももう二度と会えない。
わかっていたことだった。だけど、今になってようやく実感した。
私は死んだんだ。もう生き返ることはない。街中の人たちに嫌われたまま、ここで生活していかなくてはならないんだ。
気がついたら私は肩を震わせて泣いていた。もう楽器も吹けなくて、口から離して抱きしめる。
心細くて寂しくて、どうしようもなくて私は縮こまって泣いた。この世界に来てから、初めて前世を想っての涙だ。
突然背後から温かい何かに包み込まれる。泣きじゃくりながら後ろを見ると、アルフレッドが後ろから私をぎゅっと抱きしめている。
「アルフレッド……」
背中が温かい。その温かさに私はさらに涙を零した。
どのくらいの時間が経っただろう。たくさんの涙を流した私はようやく泣き止んだ。瞼が熱くて腫れぼったいが、気持ちはいく分かスッキリとしていた。
「ほら」
泣き疲れた私にアルフレッドが湯気の出ているカップを渡してくれる。口に含むと温かくて甘いミルクで、心まで温かくなってくる。
「まぁ……何だ、俺達の仕事は軍の公式行事だけじゃねえ。冬には定期演奏会もあるし、王族関係の仕事もある。だから、まったく演奏ができねえってわけじゃないさ」
丸椅子に片足を上げたアルフレッドがそう言った。もしかしなくても、励ましてくれてる? 泣いていた私をただ抱きしめてくれただけじゃなく、こうして言葉でも。
「今回はダメでも次があるってことだ」
「ありがとう、アルフレッド」
私がお礼を言うと、アルフレッドはふんっと鼻を鳴らす。
「お前がそんな感じだと調子が出ねえってだけだ」
「そうだよね、私らしくないよね」
ぬるくなってきたミルクを一気に飲み干した。
「うん! 考えてもしょうがないことは考えない!」
前世のことを想うと苦しいけれど、もう戻れないことなのだから考えても仕方がない。たくさん泣いて、そう思えるようになった。それよりも今、私が考えなければならないことは別のことだ。
「だな。そろそろ定期演奏会の練習が始まるから、そっちに……」
「あ、違うのアルフレッド! 私、凱旋パレード、諦めてないから!」
「……は?」
アルフレッドの眉間に皺が寄る。へこたれて泣いているだけの私ではない。諦めが悪く切り替えが早いのが私の長所なのだから!
「諦めてないってお前……」
「できることはしたいの」
「って言ってもあと10日だぞ?」
「うん、わかってる」
私はカップを置いてアルフレッドの方へ身を乗り出す。
「やらなきゃいけないことがあるの。アルフレッド、協力してくれる?」
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