練習、練習!
「それでは楽譜を配布します」
合格した9人が集められ楽譜が配られた。わーっ! 久しぶりの新しい曲、この世界の曲だ!
「君たちのデビューは一月後に行われる軍の凱旋パレードです。そこで行進曲や国歌など4曲を演奏してもらうことになります」
一月で4曲も! いきなりの試練に姿勢が伸びる。
「まずは一回目の合奏が7日後に行われますので、そこまでに譜読みしておいてください」
7日で4曲の譜読み! プロなのだから当たり前なのだけれど、これは気合を入れないとまずい。
「では、解散」
私は譜面を丁寧に鞄に仕舞う。顔を上げるとその場から立ち去ろうとするアルフレッドの背中が目に入った。
「アルフレッド!」
思わず呼び止めると周りの人が不審な目で私を見る。この場で話しかけるのはまずかっただろうか、と思ったが、アルフレッドは特に気にする様子もなく立ち止まって私を待ってくれた。
そんなアルフレッドの元に駆け寄る。
「受かりました! 受かりましたよ!」
友達もいなければ、両親に報告することもできない私にとって、アルフレッドは唯一喜びを伝えることのできる人物だ。
「俺も審査したんだから知ってるに決まってるだろ」
アルフレッドはつれないことを言う。
「でも嬉しくて! これからよろしくお願いしますね!」
「せいぜい足を引っ張らないようにしろよ」
本当につれない人だ。だけど、初めて会った時みたいに嫌がっているようには見えなくて、私は笑顔のままアルフレッドと一緒にオズ楽器店へ並んで帰った。
晴れて王立吹奏楽団に入団することができたけれど、まだまだ気が抜けない日々が続く。初めての合奏までに譜読みをしておかなくてはならない。
譜読みとは楽譜を読んで指をさらっておくことだ。要はみんなで演奏しても問題ないようにしておく、個人練習のようなもの。
譜読みが必要な曲は4曲。行進曲が3曲に国歌が1曲だ。軽く音を出してから、早速国歌から譜読みを始める。
「うーん」
私は元々譜読みが苦手だ。初めての曲を演奏する時は、まずCDを聴いてメロディを耳で覚えてから演奏を始める。楽譜だけを見ても、どういうテンポのどういう曲かはっきりしないのだ。だけど、この世界にCDがあるはずもないし、どうにか指だけでも慣らしておこうと思う。
「……おい」
お客さんのいない時間を狙ってオズ楽器店で譜読みをしていた私に不機嫌そうなアルフレッドが声をかけてきた。
「どうしましたか?」
「どうしましたってお前、それ何の曲を吹いてる?」
「国歌ですが」
「国歌ぁ? それがか?」
イライラした様子のアルフレッドに睨まれてしまう。
「リズムがまるでなってねえ。お前、リズム感覚がないのか?」
「いや……知らない曲は音で聴くまでリズムがわからなくて」
「知らない曲って国歌だぞ……」
はぁ、と盛大に溜息をつかれる。
「わかった、このままだと耳障りだから、俺が一度吹いてやる。一回で覚えろよ?」
「!? 本当ですか、アルフレッド! 助かります!」
一度でも聴かせてもらえれば曲が掴めそうだ。私は楽器を置いて譜面を近くに寄せる。アルフレッドは手近に置いてあったケースから自分の金色のトランペットを取った。
「じゃあ行くぞ」
「お願いします!」
アルフレッドはトランペットを構えると背筋がピンと伸びる。そのまま息を吸ってトランペットに音を吹き込んだ。
やっぱり綺麗な音──
一つ一つの音に張りがあり、よく通る綺麗な音。自分の音に自信があるということが聴いているだけで伝わってくる。自信が音に乗って曲を奏でているようだ。
いけない、曲を覚えないと。私は無理矢理に意識を譜面に持ってくる。この国の国歌はテンポが遅めのゆったりとした曲調だ。壮大で国の威厳が感じられるような曲。
トランペットがメロディラインを奏でているようで、幸いにもクラリネットも同じメロディのようだった。
「……わかったか?」
3分弱の曲が終わり、アルフレッドが尋ねてくる。
「はい! ありがとうございます、アルフレッド! とても壮大な曲で、アルフレッドのトランペットが栄える曲ですね!」
「まぁ……そうだな」
アルフレッドはまんざらでもない顔で鼻を掻いた。私は忘れないうちに楽器を取って吹いてみる。トランペットの下支えになるように同じメロディを奏でる。
「……ふん」
リズムがわかるようになった私の演奏にアルフレッドは口を出すことをやめ、作業に戻ったのだった。
国歌の譜読みが終わり、行進曲の譜読みの途中。アルフレッドが、
「閉店だ」
と、声をかけてきた。気がつけば外が暗くなっている。お客さん、数える程しか来なかったなぁ。練習だけしていて、これでお金をいただくなんて、何だか申し訳ない気持ちになる。
せめて閉店作業は丁寧にやろう、と思いながら店を片付け終えた。
「それじゃあ、アルフレッド。また、明日」
「おい」
そそくさと帰ろうとした私をアルフレッドが呼び止める。
「何でしょうか?」
「お前、前から思ってたんだが迎えは来てるんだろうな?」
「……はい?」
「迎えだよ、迎え。親とか、迎えに来てくれないのか?」
「……はあ?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「親にはそんなこと頼んでいません。私、ちゃんと道覚えましたし、帰れますよ」
小学生じゃあるまいし! と、少しムッとしながら反論する私に、アルフレッドは呆れ顔だ。
「お前なあ、一応女だろ? 夜道を一人で歩いたら危ないだろうが」
そう言われましても、まだ時刻は夜の7時。暗くなったとは言え、早い時間ではないか。前世での私は、飲み会などがあると終電で一人暮らしの家に帰ることもあった。
「大丈夫ですよ。何かあれば、走って帰りますから」
「走って、って……」
アルフレッドはこめかみを押さえる。
「この時間になると物取りも強姦も増える。相手はプロだ。走ってなんて、逃げ切れるわけねえだろ」
「あ……」
物取りや強姦。日本にだってなかったわけではない。だけど、もしかしたらこの世界は私が思っているよりも物騒なのかもしれない。地球の中でも日本は平和な方だったわけだし。
かと言って、この世界には電話なんてものはないし、毎回親に迎えに来てもらうっていうのも大人としてどうなのだろう。
うーん。私は頭を悩ませる。あ! そうだ!
「アルフレッド! 申し訳ないのですけれど、お願いがあります!」
「……何だよ?」
「洋服を貸してください!」
「……はあ?」
アルフレッドは何言ってんだ馬鹿かこいつ、という顔で私を見てくる。そんなアルフレッドに、私の作戦を伝える。
「あのですね、男物の服を着て、フードなどで顔を隠してしまえば、性別の判別がつかなくて襲えないですよね!? もしかしたら殺し屋!? って怖がって去っていくかもしれないですし!」
「お前……本物の馬鹿か?」
名案だ! と、思ったのに、アルフレッドにはそうではなかったらしい。可哀想な子を見る目で見られる。
「顔を隠したとしても体型で女か子供だってわかるだろ」
「……あ」
そうだった。シエラの身長は高く見積もっても150くらいしかない。前世の私も同じくらいだったので、見える範囲で何となくわかる。前世は高身長に憧れていただけに、残念だ。
「……ったく、しょうがねえな」
アルフレッドが眉間を手で抑えながら立ち上がる。
「送ってってやる」
「え? アルフレッドが、ですか?」
その選択肢は考えていなかった。アルフレッドは苦い顔をする。
「どうせ俺も夕飯の買い出しに外に出る。ついでだ」
そう言って店の奥に引っ込んだアルフレッドは鍵を持って戻ってきた。
「ほら、ぼさっとすんな。行くぞ」
何だか私のために申し訳ない。明日からは防犯グッズを持ち歩こう、と決めて、私は慌ててアルフレッドの背中を追った。
暗い街を二人で歩く。アルフレッドはやっぱり歩く速度が早い。それに何とかついていきながら、私はアルフレッドにさっき気になったことを尋ねてみる。
「アルフレッドは夕食の買い出しだと言っていましたが、一人暮らしなのですか?」
「そうだ。店の二階に住んでる」
へー! アルフレッドはあのお店に住んでいるのか。楽器に囲まれて暮らすとは、何だか羨ましい。
「いいですね」
「そうか?」
「はい! 私も叶うなら一人暮らしがしたかったのですよ」
「……お前」
アルフレッドは信じられないものを見るように私を見た。やっぱりそうですよね。この世界で女性が一人で暮らすなどと、考える人はいないらしいから。それは、親に散々言われて知っています。
「ちなみに、アルフレッドの年齢はおいくつなのですか?」
「……22だ」
「年下かぁ」
思っていたよりも若い。いつもしかめっつらだから、もう少し上とばかり思っていた。
「年下って……」
「あ!」
そうだった、シエラはもっと若いのだ! つい前世の26歳の感覚で話してしまった。
「私は17歳です!」
「……」
アルフレッドは頭がおかしい人を見るような目で私を見ている。私はとりあえず笑って誤魔化す。
「成人は16歳なんですよね?」
「……そうだな」
「私も立派な大人です」
そう言って胸を張る。転移して1ヶ月半。王立吹奏楽団に入団もできたし、仕事も見つけられたし、大人として一応の立場を築けたことに少し安心。
「とてもそうは見えないがな」
「……あはは」
アルフレッドには完全に変人認定されてしまった気がする。
「アルフレッドはいつから楽団に?」
「16だな」
「成人と共に!」
流石だ。だけど、あの実力があれば余裕の合格だっただろうということは想像に固い。
「私も頑張らないと、ですね」
出遅れてしまった分、たくさん練習して上手くなりたい。まずは前世と同じくらいには戻さないと。
「俺と張り合うつもりか?」
「そんな……」
そんなつもりは! と、否定しようとして止まる。やるからには、より高いところを目指したい。
「もちろんです!」
「ふん、よく言うぜ」
アルフレッドはそう言いながら、少しだけ表情を和らげた。笑った……? そう思って確認しようとしたが、もう既にいつもの不機嫌そうな顔に戻ってしまっている。気のせい、だろうか?
「あ、ここです」
「そうか、じゃあな」
家の前まで着くと、アルフレッドはさっさと背を向けて来た道を戻って行く。
「ありがとうございました!」
大きな声でお礼を言ってもアルフレッドが振り返ることはない。無愛想なのかと思いきや私のことを雇ってくれたり、こうして送ってくれたり。
アルフレッドはどんな顔で笑うのだろう──
去って行くアルフレッドの背中を見ながら、私はそんなことを考えていた。
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