指揮者様がご来店です
私が王立吹奏楽団に入って3日が経った。ちらほらとやってくるお客さんの対応をしながら初めての練習に向けて譜読みを進める日々だ。
お客さんは私が顔を出すと驚いた顔をするが、アルフレッドの言う通り用事を放棄して逃げていくことはなかった。そんな状況を打開すべく街の人達に謝りたいという思いはあるけれど、そもそもシエラの通っていた学校の場所さえわからない私はまだ実行に移せずにいる。
ちなみに、アルフレッドが私を家まで送ってくれた翌日「防犯グッズを持っていけば一人で帰れる!」と、家にあったありったけの鈴を鞄に付けてきたのだけれど、アルフレッドに「うるせえし不審者だから二度とやるな!」と、怒られてしまった。
日本にも防犯ベルなんてものがあったし、結構いい考えだと思ったのだけれど。それ以来、またアルフレッドは私を家まで送ってくれている。迷惑かけるのも悪いし、もっといい防犯対策を考えなくては。
と、そんなことに頭を悩ませていると、オズ楽器店に今日も一人のお客さんがやってきた。
「いらっしゃいま……」
「こんにちは」
顔を出したのは絶世のイケメン、もとい吹奏楽団指揮者のカミーユだった。
「本当にアルフレッドの店でシエラさんが働いてる」
カミーユは私に完璧に整った笑顔を向ける。そんなに完璧だと、笑顔を向けられているだけで罪悪感を感じるよ!
「何しに来た」
奥から出てきたアルフレッドはお客さんだと言うのに渋い顔をカミーユに向ける。基本的にアルフレッドは、私に店番を任せて奥で楽器の修理などをしているので、こうして顔を出すのも珍しい。
「この前頼んで置いた楽譜を取りに来たよ」
「あ、今お持ちしますね!」
アルフレッドが動き出す前に私が店の奥に走る。注文していた品は店の奥にひとまとめにして置いてあるのだ。
「お待たせしました。念のため中身をご確認ください」
「ありがとう」
カミーユは長い指で楽譜をめくる。俯き加減のカミーユの睫毛は男なのにも関わらず長い。なんて綺麗な人なんだろうか。アルフレッドが男らしいイケメンなら、カミーユは美しいイケメンだ。思わず見とれてしまう。
「うん、大丈夫そうだ」
「ありがとうございました。またどうぞお願い致します」
「噂とは違う、丁寧な人だ。あのアルフレッドが人を雇ったのはこういう理由かな?」
「うるせえな。詮索はよせ」
アルフレッドの眉間の皺が深くなる。そんな不機嫌顔を見ても、カミーユは動じることはない。
「折角友人として心配して見に来てあげたのにその言い方はないんじゃないか?」
「心配してくれ、なんて頼んでねえな」
友達甲斐のない発言ばかりするアルフレッドだけれど、言葉程は棘がなかった。きっと、仲の良い友人なのだろうと推測する。と、それよりも。
「もう街で噂になっているのですか?」
「うん、そうだよ。あのシエラ・ウィドウがオズ楽器店で働いているってね」
「おい」
オブラートに包まずに事実を伝えるカミーユにアルフレッドは抗議の声をあげる。
「いいんです。ただ、お店の評判が悪くならないといいなって」
「それは大丈夫。オズ楽器店はこの街で唯一無二の存在。用事がない人がほとんどだし、用事がある人は嫌でも来なきゃならない。評判に影響はしないよ」
「そうですか」
アルフレッドの言った通りだ、とホッと胸を撫でおろす。でも。
「前に試験に落ちた人に言われたように、吹奏楽団の評判には影響がありますよね? 私が入るとなると……」
「ああ、もちろん反感を持つ人間は少なからずいるだろうね」
カミーユはサラッとそう言った。やっぱりそうだよね……。私のせいで楽団に悪い評判が流れたらと思うと胸が痛い。
「でも、大丈夫。僕達の大元である王族の人達は君個人の評判は知らない。むしろ、君の父親の存在は知っているから、プラス要因にしかならないだろう。街の人達はわからないけれど、僕達が納得できる演奏をするならば認めさせるよ。何しろ僕が指揮者を務める楽団だからね」
自信満々の笑顔でそう言われた。この自信、アルフレッドの楽器に対する自信に似ている気がする。
「それにしても、驚いたよ。君がクラリネットを再開しただなんて」
「あ、はい」
「それにあの曲。なんて言ったっけ?」
「『森の精霊』です」
「ああ、それそれ。初めて聴いたよ。僕はだいたいすべての曲を知り尽くしているつもりだったけれど、まだ知らない曲があったなんてね」
「は、はい」
私はゴクリと唾を飲み込む。
「あの曲、どこで譜面を手に入れたの?」
キター! その質問! アルフレッドに一度聞かれた後に、次に聞かれたらスムーズに答えられるようにしておこうと考えておいた言葉をすらすらと述べる。
「あの曲は父が他国から持ってきてくれた譜面です。楽器も私が今まで吹いてきた曲も、すべてこの国の曲ではなく父が持ってきてくれたものなんです」
もし、街中の嫌われ者である私が「これは前世の曲なんです! 地球という、異世界の!」なんて言った日には、頭のおかしい子認定されるだけで誰も信じてくれないだろう。だから、私は前世のことは墓場まで持っていこうと覚悟を決めている。
「なら、他にも僕が知らない可能性のある曲を君はいくつも知っている、と?」
カミーユの目が輝く。
「はい。そう思います」
「それはそれは。君と知り合えてよかったよ、シエラ」
親しげに手を握られてぶんぶんと振られる。
「良かったらまた聴かせてほしい」
「はい、ぜひ!」
「じゃあ頼むよ」
「……? 今、ですか?」
「もちろん!」
カミーユの目は子供のようにキラキラとしていた。
「譜面はないの?」
「ありません。その……すべて捨てられてしまって」
「なるほどね」
カミーユは形の良い眉を下げた。言い方から察するに、カミーユは私が昔クラリネットを吹いていたことも、それをやめなければならなくなった理由も知っているようだ。
「入団試験の時シエラは歌っていたけれど、この曲の始めは何の楽器から演奏が始まるんだい?」
「トランペットです」
「トランペット! トランペットだってアルフレッド!」
「聞こえてるよ! うるせーな!」
不機嫌そうな声が飛んできて、一度奥へ引っ込んでいたアルフレッドが出てきた。
「もう一度歌ってみてくれる?」
カミーユが私に歌を促す。
「はい」
私は『森の精霊』の頭のトランペットのファンファーレを歌う。それを二人はふんふんと聴いている。
「アルフレッドだったらきっと綺麗に吹けるんだろうなあ、ここ」
「流石に楽譜がないと吹けねえぞ」
「アルフレッド、白い楽譜を」
「お前、書く気か?」
「シエラ、僕がいいって言うまで歌い続けてくれる?」
「わ、わかりました!」
カミーユはすっかり集中モード。先程までのどこか抜けたようなのんびりとした口調ではなく、しっかりとした口調で私達に指示をした。
私は指示通りに歌い続ける。私もワクワクしてきた。もう一度『森の精霊』のトランペットを聴けるかもしれないんだから。それに、アルフレッドと一緒に吹けるかもしれないんだから!
「よし、こんな感じかな?」
5回程歌ったところでカミーユはトランペットの楽譜を20小節分くらい書き上げた。これが絶対音感というやつか!
「アルフレッド、吹いてみて」
「……しょうがねえな」
ぶつぶつと文句を言っていたアルフレッドも新しい譜面を前にしたら尻尾を振る犬のよう。いつの間にか持ってきていたトランペットを構えた。私とカミーユはアルフレッドから出てくる音を待つ。
すっと息を吸って出てきた音は──
『森の精霊』だ。この世界で私の頭の中だけにしかない『森の精霊』の冒頭の音がはっきりと再現されている。アルフレッドの音が止まると同時に私はクラリネットを吹き始める。ファンファーレの後に訪れるクラリネットの連符だ。
それが終わるとまた同じメロディ。頭の中だけだった掛け合いが私の耳を通して身体にしっかりと入ってきた。
そして私とアルフレッドの音が重なり、一緒に同じメロディを奏でる。
「……シエラ?」
「ご、ごめんなさい」
演奏が終わってどのくらい経ったのだろう。カミーユに声をかけられて、私は自分が泣いているのだとはじめて気がついた。こんな最序盤を演奏しただけなのに、それでも私の胸はドキドキと高鳴って、どうしようもなく嬉しくて、そして切ないのだ。
「大丈夫か?」
「はい」
「楽譜合ってた?」
「はい、バッチリです」
私は止めどなく流れてくる涙を拭う。
「ごめんなさい。まさか、この曲をまた誰かと吹くことができるなんて……」
「誰か? 前にも誰かと一緒に吹いていたの?」
カミーユの質問に身体を強張らせる。しまった! つい本音を言ってしまった。
「あ、ち、違います。えっと……その」
「まぁいいや。ちゃんと合っていたなら良かったよ」
追求はすぐに収まったので私はホッとする。
「良ければ続きをまた今度書いてみよう。僕もこの曲に興味があるよ」
「ありがとう、カミーユ。ぜひお願いします」
私はカミーユに頭を下げた。そんな私をアルフレッドはじっと見つめていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます