差し伸べられた手は
シエラの日記から読み取れたのは酷いわがままっぷりだった。学校の友達だけでなく、お店の人に対しても家の名前を使ってわがままを通す。
『どこの店もお父様のウィドウ商会を通して品を仕入れているのだから、私の言い分を聞いて当然よ!』
それがシエラの主張だ。ドレスの色が気に食わなければ自分の好みの色で作らせ、バックの装飾が気に食わなければその場で直させる。もちろん、オーダーメイドのお店ではない。
そんな態度をしていたらお店の人から嫌われて当然だ。出入り禁止にされそうになったお店をお父様に告げ口し、再び入店可能にしたりしている。それも、さらなるわがままを言って。
最後の方の日記でシエラはこう書いている。
『この街に私の居場所はない。私は街中誰からも嫌われている』
と。
「どうしよう……」
私は途方に暮れる。お店屋さんはお客様との信頼関係が第一。嫌われ者が働く店に、誰が来てくれると言うのだろう?
かと言って事務仕事は苦手だし、この世界のことに詳しくないからお役所仕事なども難しいだろう。じゃあ父親の会社に……? いやいや、ここまで来てコネを使ってどうする!
「お前……」
悩む私に困惑の表情の店主さんがこう言う。
「本当にシエラ・ウィドウか?」
ドキっとする。何やら疑われているようだ。
「記憶喪失、なので」
「それでこうも人格が変わるか?」
鋭い! だって私はシエラではないのだから。どう答えたらいいかわからない私に店主さんはこう言う。
「金がなけりゃ、親からもらえばいいだろう」
「それは……できません」
こうなったら素直に言うしかない。私は店主さんに打ち明ける。
「私、両親からクラリネットを吹くことを禁じられていて……でも、吹きたいんです! もう一度、吹奏楽がやりたいんです!」
店主さんに言っても仕方のないことだけれど、どうしても必死に訴えてしまう。だって、これが私の今一番望むことだから。
「お願いします! もう少し待っていただけませんか!? 王立吹奏楽団に入って、そのお給料で必ずお返ししますから!」
「王立吹奏楽団って……本気なのか?」
「本気です!」
「そういや、この前もそんなようなことを言っていたな」
店主さんは長くて白い指で自分の顎を触る。そうして物思いに耽る姿はイケメンすぎて辛い。
「楽団の給料は歩合制だ。誰かに依頼されて演奏したら、その報酬を楽団員で割って報酬として受け取る。俺の経験だと1回の依頼でだいたい2万チキってとこだ」
「に……2万……」
返さなければならないお金は残り3万チキだ。到底足りそうにない。それに、私だって生きているので、生活費もほしいところだ。
「次にすぐ依頼が入ればいいが、3、4回は演奏をする必要があるな。そもそもお前が王立吹奏楽団に入れるかどうかわからないが」
「入ります!」
どうしても入りたい。それがシエラとの約束を果たす第一歩なのだから。
「試験とかがあるなら突破できるように必死で練習します!」
「家で練習できないって言ってなかったか?」
「外で練習します! 場所を見つけて!」
日本ではカラオケで練習する人や川原や公園で練習する人もいる。だから当然そうするつもりでいたのだが、店主さんには変な目線で見られてしまった。あれ、外で練習する人なんていないのかな?
「あの、それで前回聞きそびれてしまったんですけれど、王立吹奏楽団に入るにはどうしたらいいのでしょう?」
「……王立吹奏楽団に入るには、お前の予想通り試験がある」
やっぱり。プロになるのだから、覚悟していたことだ。私はこくりと頷く。
「試験は人の補充が必要だと判断した時に実施される」
「不定期なのですね。具体的にはどのくらいの頻度で行われるのですか?」
「二、三年に一度ってところか」
「二、三年……」
言葉を失う。そんなに少ないチャンスだと思ってもみなかった。それじゃあ、最悪三年待たなければならないということになるではないか。
「つ、次の試験の目処は……?」
私は恐る恐る尋ねる。
「一週間後だ」
「そうですか……って、え?」
がっかりする覚悟をしていた私は店主さんの言葉を頭の中で反芻した。
「一週間、後?」
「そうだ。だからお前は運が良い」
「わ、わー!」
やった! 本当になんて運が良いのだろう! だけど、近いは近いで不安はある。私には約8年のブランクがあるのだ。それを取り戻すのに一週間という時間では足りなさ過ぎる。
「試験は正午から、ウィンドホールでやる。3~5分の曲を一曲自由に選んで演奏するだけだ」
3~5分の曲。今からこの世界の曲を練習したのでは到底間に合わないが、日本で演奏した曲で大好きな曲がある。その曲ならば完璧に覚えているので、楽譜がなくても吹けそうだ。
「練習しなくちゃ……」
とにかく時間がない。シエラの身体は貧弱なのでランニングと腹筋をして息を長く持たせるようにしたい。それに、クラリネット自体の練習も不可欠だ。音を現役時代に戻すのと、曲の練習もしなくては。
とてもじゃないが一日一時間の外出では足りない。両親を説得する必要がある。まさかこの歳になって(シエラはまだ17なのだが)親のことで頭を悩まされると思っていなかった。親の庇護の元で生きていた時には気がつかなかったけれど、子供というのもいろいろと締め付けがあって面倒なものである。
「……おい」
いろいろと考えていたら意識が別の方向に飛んでしまっていた。店主さんに声をかけられて我に返る。
「あ、ごめんなさい。いろいろと教えて下さってありがとうございます」
私はペコリと頭を下げた。流石は楽器屋さん。いろいろと情報が集まってくるのだろう。迷惑ついでに私はもう一つ聞いてみることにする。
「あの、外で練習できる場所って知りませんか?」
「外でって……お前、本気で言ってるのか?」
「もちろんです! 練習しておかないと!」
「親に黙って入団試験を受けるつもりか?」
「はい、それしか方法はないので」
両親に嘘をつくようで申し訳ないが、今は説得している時間も惜しい。試験が終わってからゆっくり考えようと思う。
「それで、練習場所……」
「もし」
店主さんが複雑な表情を私に向ける。何かと葛藤しているような顔だ。私は不思議に思って首を傾げる。
「もし、この店の店員を募集していると言ったらどうする?」
「!?」
私は店主さんの口から出てきた言葉に驚いた。
「募集しているのですか!?」
「していなかったが、誰かいてもらった方がいいとは思っていた。俺が店を空ける時、店を閉めなきゃならないからな」
「お一人でやっていたのですね」
思えば私はこのイケメン店主さんのことを何も知らない。いろいろと教えていただいて、嫌われ者の私に良くしてくれているのに。
「お前を雇えば給料から修理代を差し引けるしな」
なるほど、私がここで働けば修理代をバックレることもないだろうから、店主さん的にも安心だ。あ、でも。
「私を雇って大丈夫なのですか? だって私は……」
「それに関しては心配いらない」
街中の嫌われ者だから。そんな言葉を言う前に店主さんは事務的に告げる。そこに優しさは見えないけれど、それがとても心地良い。
「リンドブルムの楽器屋はここだけだ。お前がいたとしても客はここに来るしかないんだ」
店主さんの説明に納得する。私が嫌だとしてもこのお店のお客さんが減ることはない。それを聞いて私は安心した。
「うちは見ての通り客も頻繁に来ないし、客がいない間はここで練習していい」
「!!」
なんという好条件なのだろう。この申し出を私が拒否する理由が見当たらなかった。
「店主さんさえよければ、雇って下さい! お願い致します」
私が深々と頭を下げてから再び店主さんを見ると、
「アルフレッド・オズワルドだ。アルフレッドでいい」
と、ぶっきらぼうに言われた。
「アルフレッド。よろしくお願いします!」
ようやく私の第二の人生が幕を開ける。そんな予感がした。
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