入団試験へ
まず問題は両親への説得だ。その日の夜、お父様が帰ってきたのを見計らって私はオズ楽器店で働きたいことを伝えた。
特にお母様はその話を聞いて苦い表情を浮かべる。でも、お母様が口を開く前に、
「シエラがやりたいと言うならいいんじゃないか?」
と、お父様が言ってくれた。
「貴方……」
「家に閉じこもってばかりいたら気が滅入るだろう。シエラが自ら望んで何かを始めたいと言うなら、それを尊重してあげようじゃないか」
お父様はお母様を説得するかのようにそう言った。
「だけど、シエラ。貴女、また楽器をやりたいと言うんじゃ……」
チラリとお父様を見ると、私の様子を慎重に観察しているようだ。そのお父様の顔を見て、私がクラリネットを吹くことをよく思っていないことが伝わってきた。
たぶん、オズ楽器店で働くことを許してくれたのも一時的なもの。私の気持ちが落ち着いた時には、きっとお店を辞めさせて縁談を持ってこられるのだろうと思う。
そんなのは嫌だ。だけど、今の私はそれに納得するふりをする他に選択肢が見当たらなかった。嘘をつくのは気が引けるけれど、私とシエラの夢を叶えるためには仕方のないことだと思う。
「私の役割はわかっています、お母様。ただ、たまたま仕事を募集していたお店が楽器屋さんだったというだけです」
「シエラ……」
お母様は未だに不安げな表情をしているけれど、お父様は私の説明に納得してくれたようだった。
「わかった、シエラ。好きになさい」
「ありがとう! お父様!」
私は立ち上がってお父様に抱きついて頬にキスをした。とりあえず第一歩だ。これで外出時間を制限されることもなくなるだろう。
翌朝から早速私はオズ楽器店に向かった。
「おはようございます、アルフレッド!」
「……ああ」
アルフレッドは朝が弱いのか、目を細めて眩しそうにしている。普通にしていればイケメンなのに、いつも不機嫌そうな表情をしているので台無しだ。非常にもったいない。
そんな不機嫌そうなアルフレッドだが、仕事は丁寧に教えてくれた。開店前作業、どこに何があるか、などなど……。私はメモを取りながら覚えようと必死だ。だって、このお店を追い出されてしまったら、仕事がなくなってしまうし。
お客さんはアルフレッドが言う通りほとんど来ない。一日に五人来たら大賑わいと言えるくらいだ。
私がお店のカウンターでお客さんを待ち、その間アルフレッドは店の奥で楽器の修理などをしているようだった。
来店したお客さんは私を見てぎょっとした表情をする。だけど、出ていくことはせず、ちゃんとお店で用事を済ませていってくれていた。
あれ以来、私を知っていると思われるツインテールの女の子は来ない。その子のことも気になるが、今はとにかく王立吹奏楽団に入団すること。そう、練習だ!
私はお客さんが来ない一日のほとんどの時間を練習に費やすことができる。なんてありがたい環境なのだろう。
感覚を取り戻すために基礎練習を繰り返したり、曲の練習をしたり。休憩時間には店の近くをランニングもしている。
基本的には静観してくれているアルフレッドだが、私が初めて曲を吹いた時だけは反応した。
「……その曲は何ていう曲だ?」
集中している時に突然話しかけられてすごくびっくりした。それに、どう誤魔化そう? だって、この曲は日本の曲だ。
「ええっと……」
「聴いたことがない」
そりゃそうですよね! だって、この世界に存在するはずのない曲なんだから。
「父が他国から持ってきてくれた曲です」
とりあえず適当に誤魔化してみた。私の父は商会をやっているので、手に入れることもできるかもしれない、と……。
「ふぅん」
アルフレッドは納得してくれたようで、店の奥へと戻っていった。私はホッと胸を撫で下ろした。
そうしてあっという間に時間が過ぎ、入団試験の日がやってきた。
『ウィンドホール』。私はクラリネットを持って、そのホールの前に立っている。
「よしっ!」
ぺち、と自分の頬を叩いてから一歩足を踏み出す。最近味わったことのなかった緊張感でいっぱいだ。
私が住んでいるカイルベルト国。その王族が所有する吹奏楽団を王立吹奏楽団と呼ぶ。私が住んでいるリンドブルムの街の吹奏楽団がカイルベルト王立吹奏楽団リンドブルム支部。
それが私がこれから入団試験を受けようとしている吹奏楽団だ。偉そうに説明したけれど、これはアルフレッドに聞いて初めて知った。
両親にはもちろん入団試験のことは言っていない。こっそり受けるのは気が咎めるけれど、入団してから堂々と報告して許してくれたらと思う。
ホールに入ると、40人くらいの人が既にいた。私の姿を見ると明らかに目を丸くしている。やたらと目が合うので軽く会釈をしてみると、全員がすぐに目を逸らす。嫌われ者なのだから仕方ないとは言え、少し胸が痛い。
気にしても仕方がない、と、私はエントリーをして、楽器の準備をする。準備ができたら緊張を紛らわせるために胸に手を当てて深呼吸。ついでに呼吸練。
この一週間、部活をやっている時かそれ以上に真剣に練習をした。体力づくり、基礎練習、曲練習。口が痛くなるほど練習した。
正直、まだ現役の頃に戻れていない。だけど、私にできる精一杯はやった。今日はそれを発揮するだけだ。
精神統一も兼ねて目を閉じて呼吸練をしていると、目の前に影が差した。
「ちょっと」
私に声をかけてる? と、目を開けると、キツイ表情の女性三人が立っていた。
「どういうつもり?」
「……はい?」
「シエラ・ウィドウ。貴女、何の冷やかしでここに?」
そう思われるのも当然か。私は昔にクラリネットを辞めたのだから。どう返事をしたものか、と考えていると、
「またお得意のワガママ!?」
と、声を荒らげられる。
「自殺を図って記憶喪失になったって聞いたけれど、そうやって何でも欲しがるところは何も変わってないのね!」
自殺という言葉が胸を刺す。シエラの気持ちを思うと苦しい。そう、シエラは自ら自分の命を手放したのだ。
「貴女なんて、そのまま死んでしまえばよかったのに!」
初対面の人間に「死ね!」と、言われるとは思っていなかった。ハートの強い私でも、流石に胸にズキリと来るものがある。
それに、シエラは確かに悪いことをしたけれど、それを償う意味も込めて自殺をしたはずなのだ。それを、そうやって言われてしまうことが辛い。
「貴女はウィドウ商会の名前を使ってこの街でやりたい放題やってきた! それだけじゃない、貴女は同じ学校のクラスメイトを執拗に虐めたわ。その子は精神を病んで未だに苦しんでる。だから、この街の人間はみんな貴女のことが大嫌い! 貴女が虐め返されたことに同情する人なんて誰もいない! この街に貴女の居場所はないのよ!」
黙っている私に目の前の三人組が次々と言葉を浴びせてくる。それでも、ぼんやりと女性達を見上げていると、
「ここだって例外じゃない! 貴女なんかが通るはずないから、さっさと消えて!」
と、言い残して去っていった。
シエラ・ウィドウはワガママで誰かを虐めることもしていた。だから、街中みんなから嫌われて、逆襲されて虐められるようになった。そして、それを苦に自殺を図った。
日記を読んで私が理解したシエラの状況は間違っていなかったのだと、望まぬ形で確認することができた。
シエラは自らの手で自分の精神を殺した。肉体は残ったけれど、彼女は再びこの身体に戻ることは望まなかった。だからこそ、私にこの身体をくれたのだろう。
亡くなってしまったシエラのことを思うと苦しい。胸に確かなダメージを感じもする。
だけど、試験の時間は刻一刻と迫っている。私が街中の嫌われ者であるならば受かる確率は低いだろう。それでも、ここにいる人達に私の演奏を聴いてもらえる時間が近づいていた。
いなくなってしまったシエラの夢も一緒に私は背負っている。
ふーっと息を吐き出して気持ちを整えた。今はあれこれ考えるのはやめよう。目の前にあるのはクラリネットと音楽。そして、聴いてくれる観客だ。
「お待たせしました」
大きな声が聞こえて、その声の方へ全員が集まっていく。そこには、爽やかな男の人、黒髪の美女、そして……
「あ!」
アルフレッドがいた。ちょっと、そんなの聞いてない!
思わず声をあげた私を全員が見たが、アルフレッドはチラッと私を見た後でふいっと顔を逸らした。
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