絶対に諦めたくありません
災難はそれで終わらない。急いで帰ったけれど約束の一時間を過ぎてしまっていたのだ。
過ぎた、と言っても5分程だったのだが、家の前まで出てきていたお母様に涙目で怒られる。結果、またしても外出禁止令が出されてしまった。
どうすることもできなくて、私は再び自分の部屋で過ごさざるを得なくなる。ベッドの中で考えるのはオズ楽器店での出来事だ。
恐らく元々の知り合いだったのだろうツインテールの女性に罵声を浴びせられた。「ここはもう貴女のいる場所じゃない」と。口ぶりからして私がクラリネットを吹いていたことも知っているのだろう。
シエラはクラリネットをやめたのだから楽器屋さんにいて驚くのはわかる。それにしても、どうしてあそこまで言われなければならないのだろう?
そこまで言わせる何かが起こったということだ。憎悪の目線を向けられる何かが。
それに、店主さんも私の名前を知っているようだった。顔と名前は一致していなかったようだったけれど。
わからないことだらけで八方塞がりだ。楽器関係のことを両親に尋ねるわけにもいかないし……
ずっと部屋ですることもないと嫌なことばかりを考えてしまう。憂鬱な気持ちを変えるためにも、私はシエラの部屋にある本でも読んでみることにする。
立派なハードカバーの本の背表紙を見ると「淑女のあり方」「社交界のマナー」などのハウツー本が目立つ。
シエラはいいところの家に嫁がされる予定だと言っていた。だから、こういう勉強をさせられていたのだろう。パラパラとめくってみたが面白そうな内容ではない。シエラの苦労が偲ばれる。
と、一冊の本が目に入った。その背表紙には何も文字が書かれていない。何の本だろう、と開いてみると、手書きの文字が飛び込んできた。
『○月☓日 今日も退屈な学校に行かなくてはならない。勉強なんて大嫌い! 面白くないんだもの。宿題もやりたくなんてないから、ディアナにやらせたわ。放課後の買い物にも付き合わせて荷物を持ってもらった。ディアナったら私の家に頭が上がらないものだから、何でも私の言いなりよ。お礼に私が一回使って気に入らなかったバッグをあげた。お礼はそれで十分よね?』
「日記……?」
ここがシエラの部屋であることからしても、これはシエラの日記であるようだった。私は学校には通っていないはずだったのに、シエラは学校に通っていたんだ。
しかも、何だか嫌な気配が──
これを読めばシエラの置かれている立場がわかるかもしれない。私は椅子に座って続きを読み始めた。
日記を読み終わった私は身体から力が抜けていた。シエラの置かれている状況、シエラの気持ちを思うと身体が震えそうになるくらいだ。
オズ楽器店で出会ったツインテールの女の子が私に向けた憎悪の瞳の理由も、町の人がみんな私に白い目を向けてくる理由もすべて理解することができた。
シエラはどうしようもない罪を犯した。それはどんな理由があろうとも正当化されるべきものではない。でも、彼女自身が深く傷ついていたこともまた事実だった。自分で自分の命を終わらせようとするくらいには。
真っ白な世界で出会ったシエラを思い出す。あの幼さの影に宿る暗さや大人びた表情にはそういう理由があったのだ。
私はシエラの日記帳を強く抱きしめた。シエラ、貴女がやり残したことは、必ず私が果たすから。そのためにはまず王立吹奏楽団だ。親の目をかいくぐってでも、どうしてももう一度オズ楽器店に行かなくては。
それから数日間、私は両親のご機嫌を取るように務めた。お母様と一緒に料理やお菓子を作ったり、お父様の肩を揉んでお話したり。そうして、私は再びの外出許可をもらった。またしても一時間。今回は必ず時間を守らなくては。
私は動きやすいワンピースを着て、大きなバックの中に貸してもらったクラリネットケースを入れて出かける。結局クラリネットを吹くことは叶わなかった。
楽器の音は小さくないので、例え両親が出かけていたとしても吹いたら近所の人に聞かれてしまうかもしれないからだ。もし両親にバレでもしたら、王立吹奏楽団に入る機会を逃してしまうかもしれない。だから、私は組み立てて指だけを確認するだけに留めていた。
私は走ってオズ楽器店に向かう。数日家に篭っていたので完全な運動不足だ。すぐに息が上がってしまう。それでも私は必死に走り続けた。
「いらっしゃ……」
「こ、こんにちは」
おかげでオズ楽器店に着いた時には息が上がっていて汗だく。またイケメン店主さんに変人を見る目で見られてしまった。
「お前、いつも必死だな」
「す、すみません。時間がなくて」
私はハンカチで汗を拭い、息を整える。
「あの、先日はすみませんでした。クラリネットを置いて帰ってしまって」
「ああ……」
店主さんは無愛想な表情のまま店の奥に引っ込む。すぐに戻ってきたときには私が置いていったシエラの楽器ケースを持っていた。
「中の確認を」
「はい」
中身を確認すると──
「修理、されてる……?」
すっかり綺麗になったクラリネットがケースに収まっていた。店主さんを見ると呆れた表情。
「修理を頼みに来たんだろ?」
「それはそうですが……」
あんな別れ方をした後だ。この店主さんは私のことをよく知らない様子だったけれど、きっとツインテールの女の子に聞いたはず。だから、修理なんてしてくれないと思っていたのだ。
「私の事、聞いたのではないんですか?」
「客は客だ。金はもらうぞ」
店主さんはぶっきらぼうにそう言う。一見怖いけれど、その中に確かな優しさを感じた。
「おいくらですか?」
「7万チキだ」
「7万……?」
私はまだこの世界に来てから買い物をしたことがない。お母様にいただいたお金を財布に入れてきたので慌てて財布をひっくり返す。
「ええと……」
紙幣の数え方もよくわからずに手間取ってしまう。一万、二万……
「4万チキ……」
どう考えても足りなかった。これは後でまたお母様にお金をもらうしかないだろうか。でも、いい年をしてお金をもらうなんて躊躇われる。それに、何に使ったのか尋ねられる可能性もある。そうしたら私は答えることができない。
店主さんは困惑した私を冷ややかに見つめていた。
「ぐっ……あ、あの、残りは少し待っていただくことはできますか?」
「いつになる?」
「うっ……」
親に頼らずお金を手に入れる方法。それは、自分で稼ぐしかない。
「あの私、実は無職でして……これから就職先を探すので、もう少し……」
「どんな仕事に就くつもりだよ?」
「どこかのお店番がいいかな、と思うのですが」
前世でも販売の仕事をしていた私は接客には自信がある。逆を言えば、事務とか頭を使う仕事はできそうにない。だから、どこかのお店の店員さんになりたいと思ったのだ。
「お前……こう言っちゃ悪いが、お前を雇ってくれる店があると思うか?」
「あ……」
そうだった。店主さんに言われて気がつく。私を雇ってくれる店なんてあるはずがない。なんてったって、私は街中の嫌われ者なのだから。
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