転移した私の初めてのお出かけ
「いってきまーす!」
意気揚々と家を出た私は、写真でしか見たことのないヨーロッパのような街並みを歩く。赤茶色のレンガで作られた建物はどれも可愛くて、私はついキョロキョロしてしまう。完全にお上りさん状態だ。
すれ違う人達は茶髪や金髪、銀髪という明るい髪色で凹凸のはっきりとした顔を持った、これまた西洋風の人達ばかり。シエラになった私は浮いていないとは思うけれど、どことなく落ち着かない気持ちになるのは日本人の性質だろうか。
私は通りを注意深く観察しながら早歩きで歩く。一時間以内に楽器屋さんを見つけないといけないのだ。今日はお母様に見つかると厄介だと思ってクラリネットは持って来なかった。だけど、お店だけでも見つけられれば、次に出かける時に時間を有効に使える。
家の近くには住居と思われる建物ばかりでお店屋さんはほとんどないようだった。私はなるべく大きな通りを選んでどんどんと先へ進んでいく。
10分ほど歩くと、ようやくお店がちらほらと見られるようになってきた。食品を売っていそうなお店や、薬屋さんなどだ。
この近くに楽器屋さんがあるかも、と思うと私の足取りは軽くなる。それに、ずっと家の中に閉じ込められていたものだから、外に出られることが嬉しくてたまらない。気の向くままにスキップなんかをしてみると、すれ違った男性にぎょっとした顔で見られた。
……そういえば。さっきから何か違和感を感じる。
ふと、通りの家の前で井戸端会議をしている中年の女性三人組に目を向けると、あからさまに目を逸らされた。顔をぐりんと180度回転させると、向かいのお店の前で掃除をしていた男性と目が合うが、憎々しげに睨まれてから、やっぱり目を逸らされる。
何だろう? この街はよそ者に厳しいのかな?
いやいや、シエラ・ウィドウはこの街で17年間生きてきたはずだ。よそ者であるはずがない。
じゃあ、一体何故?
少し考えてはみたけど、よくわからない。ま、いいや! それよりも私には楽器屋さんを探すというミッションがあるのだ。
時計を見ると既に30分が経過しようとしている。ジグザグに歩いてきたので、真っ直ぐに帰れば家まで30分はかからないと思うけれど、今後のことを考えればギリギリになって心配されるのは好ましくない。そろそろ切り上げて帰らなければ。
と、その時、通りにある古いお店が目についた。看板を見ると『オズ楽器店』と、書いてある。
あった!
私はそのお店へと駆け寄って中を覗き込む。中は薄暗くてよく見えない。時計を今一度確認して、少しだけなら、と、ドキドキしながら古い木のドアを押してみると、軋みながら開いた。
「こんにちはー」
恐る恐る中に足を踏み入れると、あ、楽器独特の金属の錆びた匂い。思わず目を閉じて息を吸い込む。はぁ~懐かしい匂い。落ち着くなぁ。
「……いらっしゃい」
まるで歓迎しているとは思えない低い声に驚いて目を開けると、眉間に皺の寄った若い男性が立っていた。金髪に赤みの強い茶色の瞳を持った男性は、目鼻立ちが整った、まさしく──
「イケメンだ……!」
「いけ……なんだ?」
つい本音を口にしてしまった私に、金髪のイケメンは要領を得ない顔をする。あ、もしかしてイケメンっていう単語、この世界にはない? それもそうか。イケてるメンズ、だなんて、知らないよね。
意味が通じていたらだいぶ恥ずかしい事態になっていただけに、ほっと胸を撫で下ろす。
「あの、ここは楽器屋さん、ですよね?」
今は時間がないのだ。私はひとまずその事実を確認する。
「……ああ」
合ってた! 嬉しくて私はまたにやけてしまう。
「楽器の修理はしていただけるんですか? クラリネットなんですけど」
「クラリネット?」
店主は眉間に皺を寄せてしげしげと私を見てくる。何だか疑われているような視線に居心地が悪い。
「修理は請け負ってる」
「本当ですか!」
朗報だ。私は心から安堵する。
「それではまた後日改めて楽器を持ってお伺いします」
「……ああ」
それにしてもこの店主、何となく感じが悪い。それに怖い。何故私が敬語を使い、店主が使わないのだろうか。日本の感覚だとあり得ないけれど、この世界だとこれが普通なのか。
と、そんなことを考えている場合ではない。
「それじゃあ」
私は感じの悪いイケメン店主に会釈をしてから店を飛び出した。走りにくいのでスカートを捲りながら全速力で家に帰る。
とにかく一回目の外出で楽器屋さんを見つけることができたのだ。楽器の修理もしてくれるって。クラリネットを吹く第一歩を踏み出せたことが嬉しくて私はにやにやと笑いながら走った。
それから二日後、私は再び外出する機会を得た。前回、時間内に帰れたことで少しは信頼を得られたらしい。
私は大きめのバックの中にクラリネットケースを入れて出かける。お母様に「そんな大きなバック、どうかしたの?」と聞かれて焦ったけれど、「たくさん買い物がしたいから!」を、咄嗟に苦しい回答をしたら納得してくれた。
その答えで納得するってどうなんだろう? と、疑問に思いながらも私はオズ楽器店へ向かって走る。今日の外出も一時間。とにかく時間がないので全速力で駆けた。
結果、オズ楽器店に着いた私は汗だくで息も絶えだえ。感じの悪いイケメン店主が珍獣を見るような目線を送ってきたことは気にしないようにしたい。
「あ、あの、クラリネットの修理を……」
「必死だな」
完全に変人だと思われていた。私は息を整えてイケメン店主さんに向き直る。
「お願いします」
「楽器を出せ」
「はい」
私は大きいバックの中からクラリネットが入ったケースを出して店主さんに渡した。店主さんはケースを開けると実際に手にとってじっくりと眺める。
「……酷いな」
ようやく口を開いた店主さんは眉間に皺を寄せてそう言った。自分で見てわかっていたことだったけれど、改めてそう言われると胸が痛む。
「これは、全部のタンポの交換が必要だな」
タンポとはクラリネットの穴を塞ぐための部品だ。しばらくメンテナンスしていなかったこともあって、茶色くなってしまっている。
「それにキーの調整も必要だ。しばらく預からせてもらうぞ」
「はい、お願いします」
私は深々と頭を下げた。どうか私の楽器を直して下さい、という気持ちを込めて。こればっかりは楽器屋さんに頼るしかないのだ。
「預かっている間、予備の楽器を貸してやろうか?」
「……え?」
店主さんの言葉に私は顔を上げる。店主さんは整った顔で静かに私を見つめていた。
「希望する客には貸してやってる。予備の楽器だから音は良くないが」
そう言って店主さんは棚からケースを取り出して私の目の前に置く。開くと古いものだろうが、クラリネットが収まっていた。
「ありがとうございます」
私はその言葉に甘えることにする。この世界に来てからまだクラリネットを吹けていない。本当は今すぐにでも吹きたいくらいなのだ。
「あの、リードはありますか?」
「もちろんだ」
「いくつかいただきたいのですが」
リードとは竹でできた、木管楽器の口に当てる部分につけるもので、これを振動させることによって音が出る仕組みになっている。消耗品であるリードは、クラリネットを吹く上で重要なアイテムだ。クラリネットケースの中にはカビて使えないリードしか入っていなかったので、これも買う必要がある。
店主さんが店の奥から持ってきてくれたリードを古い木の机の上に並べてくれた。
「試し吹き、してみるか?」
「いいんですか?」
「大抵の客はそうする。……吹ければ、の話だが」
どうやらこのイケメンさんは私がクラリネットを吹けるのか疑っているらしい。だけど、それは私にとっても願ってもない話だった。家ではクラリネットを吹くことができないので、吹かせてもらえるのならありがたい。
時計を見ると家を出てからちょうど30分が過ぎたところだった。時間があるとは言えないが、急いで吹けば間に合うだろう。何より私がクラリネットを吹きたくて仕方がなかった。
「じゃあお言葉に甘えて……」
私は店主さんに借りたクラリネットを大急ぎで組み立てる。楽器を組み立てる時の滑るような感覚。それだけで私の胸はときめいていた。
それにしても店主さんの視線が痛い。品定めをするような目つきでずっと見られているのだ。私だって100%吹ける自信がないので、こうして見られていると緊張してしまう。人前で吹くのも久しぶりだし。
出してくれたリードをつけて、ふぅ、と一息ついてからマウスピースを口元へ持っていく。音、出るかなぁ。
思い切ってお腹から息を吸い込んで、それを吹き込むと……
ぽーっと聴きなれた自分の音がちゃんと出た。どうもシエラは腹筋がないらしく息は苦しいけれど、別の人間であってもちゃんと自分の音が出るのは不思議だ。
適当に音階を吹いて、リードの感触を確かめる。うんうん、いいぞこのリード!
「とってもいい感じです。ありがとうご……」
店主さんに声をかけると、呆気に取られた顔で私を見ていた。ちゃんと吹けたから驚いたのかもしれない。
「あの、お伺いしたいことがあるんです」
チラリと時計を見るとそろそろ出なければならない時間だった。もっと吹きたいところだったけれど、情報収集もしておきたい。私は楽器を片付け始めながら店主さんに尋ねる。
「王立吹奏楽団に入るにはどうしたらいいのでしょうか?」
シエラとの約束。王立吹奏楽団に入って大きなホールでクラリネットを吹くこと。それを叶えるためにはまず王立吹奏楽団に入らなくてはならない。真剣に尋ねたのに、店主さんの表情は一気に険しくなった。
「王立吹奏楽団に?」
「はい!」
「……そんな入りたいからってほいほい入れるもんじゃねえぞ」
「わかっているつもりです」
王立、というからにはプロということなのだろう。それでも私は入りたい。シエラと私の夢を叶えるために。
「王立吹奏楽団に入るには……」
「……シエラ?」
店主さんが口を開きかけた時だった。背後から私の名前を呼ぶ声がする。パッと振り返ると、茶色の長い髪の毛をツインテールにした気の強そうな女の子が立っていた。
「何故ここに貴女がいるの!?」
女の子は私に向けてヒステリックに叫んだ。責められる口調に私の胸がチクリと痛む。
「おい、シエラって……」
店主さんが私の名前を口にした。見ると店主さんの目が驚きで見開かれている。
「シエラ・ウィドウか?」
私のことを知っている……? あまりよくない口調が怖いけれど、嘘をつくわけにもいかない。私は恐る恐る頷いた。
「まさか……」
「出て行って!」
再びのヒステリックな叫び声に私は視線を少女に戻す。
「どういうつもりなのか知らないけど、ここはもう貴女のいる場所じゃない! さっさと出て行って!」
どういうことかまったくわからない。こちらの女性は明らかに私のことを知っている様子。それでいてすごく敵意を感じる。これはたぶん嫌われている……
私にとっては初対面の人に、ここまでキツイことを言われるのは心が辛い。どうしたらいいかわからず、私は楽器を片付けて逃げるようにオズ楽器店を後にするしかなかった。
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