深淵

夏の終わりのプロロゴス――Luke 2:14

『まあどうしましょう、飛ばし過ぎちゃったわ!』


『まったく、力任せに放るから』


『ちょっと私もう一度行ってくる!』


『それはダメ』


『だって……』


『そんなことしたら今度こそ自分だってただじゃすまないよ。ただでさえ力半減してるってのに。勘弁してよ』


『でも! チアキには私たちの声が聞こえないじゃない』


『そこはまあ、なんとかするから。直接声が届かなくたって偶然を装って間接的にサインを送ることぐらいは出来るでしょう?』


『なんとかって……もしそのサインに気づいてくれなかったらどうするの? また適当なこと言って!』


『適当じゃないし……ふっ』


『あら、今何で笑ったのかしら?』


『いや、あながち間違いじゃないなと思って。だいたいいつもいらない苦労を背負い込むのは情に厚い人でしょう? しまいには過ぎた情けが仇となっちゃって。痛い目みたり損したり? まあ情に脆い女神さまはせいぜい〝天国〟から見守ってなよ』


『なあに、その言いぐさ。失礼しちゃうったら』


『いや、よく人のことでそこまでムキになれるなぁと思って。まあ……だから助けたくなるんだけど。心配しなくても、ちょうどバイトを1人雇ったんだ。次の舞台に立つまでの臨時だけど。案外、適役だと思うよ。総支配人より役者のがよっぽど向いてるものあの人』


『あら、あの人ってもしかして……?』


『願わくは次の舞台では英雄になんてならずに自由に夢がみられるといいなとは思うけどね。まあサイン送るだけで事足りるならわざわざお願いすることもないし、出番があるとハッキリ決まったわけじゃないけど。あとはチアキがどこまで僕たちのことを信じてくれるかだなぁ』


『あら、冷たいふりして結構ちゃんと考えてくれてるんじゃない。不器用なんだから。あなたのそういうとこ結構好きよ』


『やめてよ気持ちわるいなぁ。まあいざとなったら這ってでも助けに行きますとも。飛んでった方が速いだろうけど』


『あら、いざとなったらって。そんなの冷たいじゃない』


『ちょっと。その辺の情の無い輩と一緒にしないでほしいね。そりゃ場当たり的に助けてあげるのは簡単だけど。僕はもっと長い目で見てるの。いずれ僕たちの助けなんかなくたって役者自身の力で乗り越えていけるように』


『へぇ~、そーなんだ。あの口のわるいあなたがねぇ。へぇ~』


『何その突っかかる言い方。やな感じ。仮にも神様ナメてもらっちゃ困りますよ。たとえ臨時の代役でもね、ここまで一応下手なりに神様やって来たんだから。それに生き生きと自由に動き回ってる時のあの瞳の輝きときたら』


『あら、前はそんなこと全然興味ないみたいな感じだったじゃない。何よいまさら。でも黙って見てるだけなんて。それじゃあ情があろうがなかろうが同じじゃないの』


『全然同じじゃないし。僕たち性格は全然違うけど、何よりも役者自身の力を信じてる。その想いは一緒でしょう? そこにはちゃんと愛があるもの』


『でもそんな曖昧じゃ肝心の役者には伝わらないわ。いくら話しかけたって返事がなければ自分の声が届いてるかどうかもわからないじゃない』


『そうかな? もちろん直接見ることは出来ないけど。目には見えずとも肌で感じることは出来るでしょう? そこに愛があるのかないのか。チアキはもうそれを知ってるはず』


『そうかしら』


『そうですとも』

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