最終章

Act2 仮面舞踏会――中庭奥の洋館にて

 妖しい音楽につられて中庭奥の洋館に来てみたはいいものの、煌びやかな装いの人々に気圧された僕のわずかな好奇心はホールの入り口で足踏みしていた。


 開け放たれた扉から見えるホールの床は白黒のチェス盤を思わせて、赤い絨毯の上で軽快にステップを踏む仮面の人々は妖しく儚く、それでいてどこか力強い。


「あ、来てくれたんだ」


 不意に話し掛けられて隣を見れば、どこかの王子さまを思わせる金の刺繍を施した黒い立ち襟の服を着た少年とバチッと目が合った。少年は僕の胸ポケットのバラを指差しながら微笑んでいた。


「あ! えっと、その……」


 どうしたことだろう……。あんなに一緒にいたのに、いま隣で懐かしそうに僕を見つめている琥珀の瞳の少年が誰なのか、さっぱりわからなくなってしまった。


「その……元気だった? 僕だよ僕、チア――」


 代わりに自分の名前を言おうとして、今度は少年に人差し指で遮られてしまった。


「シーッ。ここでは迂闊に名前を言わない方がいい。どこで誰が聞いているかわかったもんじゃない」


 彼はどこかおどけたように僕を覗き込むと、ホールで踊る人々を指差した。


「仮面の下にどんな欲望が潜んでいるかわからないからね。でもまぁ、幕はまだ上がったばかり。せっかくだから楽しんでいってよ。あ、でも壁飾りの後ろには立たないで。ねずみと間違われて刺されたりすることのないように」

「ねずみ? え、ちょっと……待って!」

「ん?」


 それじゃあ、とホールに立ち去ろうとする彼を慌てて引き止めたはいいものの、次の台詞が全然浮かんで来ない。


「えっとその……また、会える?」

「キミが望むなら」

「本当に?」

「僕がいままで嘘ついたことあった?」

「うーんと……」

「キミって本当に。妙なとこで勘がいいんだから」


 ふっと笑うと、彼は僕の胸ポケットのバラを手にとった。


「この世に嘘がなかったら、どれだけ味気ない世界だったことでしょう。でもこれだけはキミに誓う――」


 彼は跪いて滑らかな手つきでバラを差し出すと、琥珀の瞳で僕を見つめた。


「たとえ真実と偽りが、夢と現実がすりかわったとしても、僕がいまキミを大切に想うこの真心だけは、嘘偽りのないホンモノだよ」


 さぁさぁ、と促されるままバラを再び受け取ってしまった僕は、やはり彼のお願いを聞かずにはいられないんだ。――


 通りすがりの仮面を着けた親切そうな貴婦人が、僕にアイスクリームをくれたのでさっそく一口食べようとすると、琥珀の瞳の彼に横から一瞬で奪われてしまった。


「これ僕が貰っても?」

「もぅ、しょうがないなぁ」


 そんなにアイスが食べたいなら早く言ってくれればよかったのに。


「それからもし僕がこのあといなくなって、誰かからぶどう酒を貰うようなことがあっても、絶対飲まないで置いておいて。僕ぶどう酒大大大好きだから」

「はいはい。もぅまったく。承知しました、親愛なる殿下」


 わがままな王子さまに手を焼く家臣のように少し大げさに跪いてみせると、琥珀の瞳の彼は今度は子どものように無邪気に声をあげた。


「あ、ねぇ、新しいワルツが聞こえる! なんて素敵なんだろう。僕この曲本当に好きなんだ。どこか切なくて、悲しくて、それでいてどこか力強くて。たとえ世界が遠く離れていても、たとえすべてが夢のように消え去ってしまっても、この胸の痛みだけは、嘘じゃない……」


 彼はどこか寂しげに呟くと、僕をぎゅっと抱きしめてお別れのハグをした。


「想いはいつもキミとともに……」



 *



 琥珀の瞳の少年 [傍白]


「あぁキミだけは。奴らの言いなりになんてならないで。キミはこんなとこにいちゃいけない。教会へ。あのステンドグラスの教会へ行くんだ。毒入りのアイスもワインも、そんな悲劇の小道具ごときにキミの命を奪わせたりしない。狂気など、追い払ってくれる!〝天国〟からいくらでも笑うがいい。僕はここにいるぞ。そう、これからは残酷にいこう。優しくあるために。そうでなければ何の価値もない」

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