Scene2 即興劇――HAMLET. [Soliloquy:独白] To be, or not to be

 ワルツが終わると、豪華絢爛なホールの中央に円形の簡易舞台が設置された。

 仮面をつけた男性が舞台の上を行ったり来たり、何やら一人でぶつぶつと呟いている。リアルさに欠けた長台詞は一体誰に向けて呟いているのだろう。


『To be, or not to be: that is the question. このまま生きながらえて何になる? それが問題なのだ。愚図な復讐心を抱えて結局また臆病風に吹かれているだけ。やるか、やらないかだ。どちらが気高くいられるだろう』


 仮面の男性はどうやら何かの戯曲の独白シーンを演じているらしいと、隣に立っていた紳士が親切に教えてくれた。「と言ってもここの売りは即興劇ですから。一応戯曲を元にしてはいるみたいですが……まぁ、一部の台詞以外はほとんど役者の好きにさせてるみたいですよ。だって毎回台詞が全然違うんですからね」


 紳士はクスクスと笑うと、舞台の上の役者を目で追った。


「中には三文芝居だと笑う人もいます。リアルさの欠片も威厳もないじゃないかと。けれども夢の国の住人が現実的な台詞回ししか出来ないのでは、夢も何もないじゃありませんか。私は夢を見たくてはるばるこの芝居小屋まで来てるんですから。幾度となく舞台から引きずり下ろされては万年観客席にいるような者にとって、舞台の上の彼らは光輝いて見える」


 紳士は舞台の上で深刻そうに呟く仮面の男性を羨ましそうに眺めた。


『To die: to sleep; No more; 死ぬことは眠ること。ただそれだけだ』


 仮面の男性の独白シーンを遠目に見ながら、紳士はなおも話し続けた。ひょっとしたら舞台の上の役者よりも台詞が多いんじゃないかと思うほどだ。この人をいま舞台に一人で立たせたらきっといい独白シーンになるに違いない。


「けして名の知れた名優でも、誰かに注文された通りに演じる名誉ある役でもありませんけれど。それでも今目の前で舞台の上をいきいきと自由に動き回る彼らは誰よりも生きているように思えてならない。ほんとうに。おや、君は――」


 独白紳士は不意に僕を覗き込むと、まるで同志を見つけたかのような眼差しで言った。


「君もあの歯車の痛みを知る人で? あぁなるほど、それで。観客席に縛りつけられるのにもいい加減飽き飽きしてる頃でしょう。ならば今宵の劇は君にうってつけというわけだ。本当のところはどうかわかりませんが、シェイクスピアも酷い頭痛持ちだったそうですよ。ましてや今宵の劇はハムレット。

 To hold, as 'twere, the mirror up to nature; 昔も今も芝居は自然に向けて鏡をかざすものだと。いかにも芝居好きのハムレット王子が言いそうな台詞じゃありませんか。

 かざした鏡に映し出されるのは一体何でしょう。善か悪か真実か。それとも時代を生き抜く人々のありのままの姿か。

 今宵は夢のように甘い台詞と少し大げさなくらいの言葉のリズムにしばし身を委ねてみては。きっとあなたを夢の世界へいざなってくれるでしょうから」


『To die, to sleep; To sleep: perchance to dream: 死……眠り……。だが眠れば、おそらくは夢を見る。いったいどんな夢を? いまだ誰も帰ってきた者はいないというあの未知の国。The undiscover'd country from whose bourn No traveller returns,』


「でも気をつけて。役者が役に飲まれてしまったら待っているのはそれこそ悲劇。悲劇は残酷で美しくなければ。けれどあなたの物語は芝居が終わった後も続くのですから。

 美しいままでは終われない。現実はままならないものなれば。おそらくは時間もかかるでしょう。それでも行って帰って来なければ。生きるために――」


『あぁ、それこそが。Thus conscience does make cowards of us all; 良心が我々を臆病にさせるのだ』


「お忘れなきよう。あなたの物語はあなたのものだ。それにあなたはいつだって一人じゃない。名前も顔も知らない誰かがあなたの物語を一緒になって見守っているかもしれない。あるいは励まされているかもしれない。きっとあなたに真心を届けたい人は星の数ほどいるでしょう。

 嘘だと思いますか? ふふ、残念。今宵あなたと私が出会ったということがその何よりの証拠ではありませんか。おっと失礼、そろそろお目当てのシーンだ」


 独白紳士は長台詞を難なく言い終えて、いつもの席を探す常連客のように円形の舞台目掛けて人混みを突き進んでいった。

 円形の舞台の上で、仮面の男性は舞台袖を見やると囁くように呟いた。


『--Soft you now! おや待て、あれにいるのは――』


 どこか気取った調子で舞台袖に歩み寄ると、仮面の男性はそっと手を伸ばしながら甘く囁いた。

 

『Nymph, 美しい妖精よ。汝の祈りに我が罪の赦しもお忘れなきよう――』



 お目当てのシーンが始まろうとしたまさにその時、ホールの奥の方で突然悲鳴が上がった。


「ねずみかな。いや、これは――」


 何やら急に胸騒ぎがして、悲鳴が聞こえた方へ人混みをかき分けながら進むと、壁飾りのそばに小さな影が横たわっているのが見えた。


「なんと今宵は珍しい。これはねずみなんかじゃない。――カエルだ」

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