第12話 透明な狐

 その昔、この地にはキツネの親子がいた。仲睦まじく寄り添い、同じ飯を喰らい、くっついて眠る様はまさに親子の理想像であった。狩人はそんなキツネを見て銃口を下ろし立ち去った。それ依頼、山のあちこちで親子をよく見るようになった。


 戯れでこっそり釣れた魚を投げてやったこともある。草の上を跳ねる魚を一足早く見つけて食らいつく子ギツネに、狩人の頬は緩んだ。


 密猟者と日々の稼ぎに悩む狩人にとって、小さなキツネの子と大きなキツネの母は癒しであった。狩る側であっても尊ぶべき光景であった。


 ある日のこと。山菜を借りに来た狩人の耳に銃声が響いた。無論自分のものではない。胸騒ぎがして、摘んだ山菜の入った籠も放り出して走った。途中で何かが肉を食いちぎる音と、人の聞くに堪えない叫び声、獣の慟哭する鳴き声が聞こえて一瞬足が止まりかけたが、思い直しひた走った。


 白い野良菊の咲く平らな土地に出た。そこに二つの死体が転がっている。一つは狩人の土地に入り込んだ密猟者。もう一つは、


 母に寄り添うことなく横たわる、小さなキツネ。


 二つの生き物だったものから流れる血が飛び散って、花畑の一角が赤く染まっていた。赤を被った白い花弁は、まるで彼岸の花のようである。


 キツネの死骸は急所に銃口が開いているだけであったが、密猟者の死体の惨状は酷いものであった。十一文字に切り裂かれ、四つ切りになっている。


 しかし狩人が驚いたのは惨い死体の惨状ではなく、傍らに立ったキツネの様子であった。黒く禍々しい瘴気を衣のように纏い、体躯も普通のキツネのそれではなく、狩人の倍の背丈になっている。


 子を失くした悲しみで物の怪になったのだと狩人は悟った。人のようにこぼれる眼窩の水は永久にせき止められることなく、山に新たな川を作り上げるかのようだった。


 物の怪が狩人を見た。溢れる憎しみと瘴気を身近に感じて、狩人は自分も殺されるのだと覚悟を決めた。


 結論を申せば、物の怪の血に染まった口は狩人を喰らうことはなかった。それだけは変わらぬ、自身の幼子の枕にしていた尾っぽをこちらに向け、走り去ろうとしている。


 自身とその子供を見逃し、時に施しもくれた狩人に、キツネなりの恩義があったのだろう。獲物を喰らう代わりに、狐は息を大きく吸い込んで、高く高く、天の空の更に真上に向かって吠えた。


 二度と帰らぬ者への嘆きであった。届かぬところへ行った者を呼ぶ声であった。一度だけ啼いて、キツネは空を掻き、疾風の動きで消え去った。


 それきり狩人がキツネの母を見ることはなかった。代わりに時々、山に入りこんだ者の死体が見つかった。死体はどれも悪意と猟銃を携えていた。  


 ──あの山には物の怪がいる。根も葉も心もある噂が近場で扇のように広がるのに、さしたる時間は必要としなかった。

 噂が広がってからは、密猟者も失せた。資源の盗掘の悩みも消え失せ、土地の資源がイタズラに減らされることもなくなった。


 母の嘆きと、人の気まぐれの代価としては大きすぎる恩義は、手を入れれば刺すように冷たい、澄んだ湖面のようである。姿を見せなくなったキツネは限りなく透明な存在であり、同時に今まで通り狩人の身近であった。


 身近で疎遠なキツネを存在を自らの子らに知らしめる時、狩人はこのような言い回しで語ったという。


 ──山で遊ぶとき、おれよりも大きなキツネを見かけても恐れず近寄らずそっとしておいておやり。キツネは自身の子が駆けた土地を守っているだけで、種が違えど子供を牙にかけることもないだろうから。

 



 お題:限りなく透明に近い狐 必須要素:十字

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